『日韓歴史共通教材』完成
毎日新聞(4/4)から
歴史認識を巡っては、多くの紛争が繰り返される日韓で、共通の高校教科書をつくったらどんな内容になるか。こんな興味深い試みが『日韓歴史共通教材—先史から現代まで』としてまとまり、双方で同時発売された(日本語版元は明石書店)。両国の歴史研究者や教員が10年がかりで編集したものだ。日韓共通の通史は前例がなく、互いの歴史認識を深める土台として期待が大きい。
《日韓の作業に遅れはしたが、日中でも同じテーマの取り組みが緒に着いたようだ。3月19日、日中両国の学識研究者による「日中歴史共同研究」のメンバーが、麻生太郎を表敬訪問した。中国側座長の歩平・中国社会科学院近代史研究所長が「中国と日本は地理的には近い距離にあるが、心の距離は少し遠い。議論の中で理解が深まって行くことを期待する」と、研究を通じた相互理解への意欲を示した。
これに対し、麻生は「自由率直に議論し、相手の意見を国内で紹介していける環境づくりが不可欠」と指摘、「(4月の)温家宝首相訪日を成功させる上でも、今回の研究が実りのあるものとなることを期待する」と応じている。この両国の共同研究は昨年12月に北京でスタートしていて、今回は19日から2日間の日程で行われた。なんと、12日間、20日間ではない。これだけのテーマを議論するのに本気でお互いに2日間でいいのか。本当に真面目にやる積もりはあるのだろうか。顔を合わせて挨拶をして、お茶を飲んでお終いだろう。》
日本側は東京学芸大の教員や卒業生ら、韓国側はソウル市立大の教員らが編集に参加。97年以降、15回もシンポジウムを重ね、一字一句の修正にも互いに相手の同意を得ながら記述を確定させていった。
(大意) こんな手間の掛かる遠大な企画が出版まで漕ぎ着けたのは、双方とも自国の歴史教科書に問題ありと考えていたからだという。戦前の侵略実態や責任をぼかそうとする日本の姿勢はよく批判されるが、韓国にも問題はあった。一例が古代における日韓の交流だ。百済など三国時代に日本に高度な文化を伝えたのは事実だが、その優越感や恩恵の施しぶりは韓国の研究者がみても「研究を越えて過度に強調されている」という。
古代に関しては日韓に大きな対立が生じることはなかった。
中・近世は「倭冦」が難題となった。最終的に本分では「朝鮮半島と中国の沿岸部を中心に活動した日本人の海賊」と記されている。
近・現代はどうしたら日韓の理解が深まるかに議論の力点が置かれた、という。特色の一つは、植民地時代の韓国の抵抗を詳しく位置づける一方、「侵略と抵抗」という陥りがちな単純化を避けた点だ。日本からは植民地支配を批判した吉野作造や、朝鮮王宮の正門取壊しに反対した柳宗悦ら、逆に韓国から東学農民運動(かつて日本では東学党の乱と呼んだ)の指導者、全捧準(チョンポンジュン)、独立運動家申采浩(シンチェホ)ら、日本人には馴染みの薄い朝鮮人も出てくる。
日本側編集委員の1人、君島和彦・東京学芸大教授(日本近代史)は「吉野らの記載は、十数年前なら『侵略全体を合理化することになる』と絶対に反対された。韓国の日本理解が進んだ証拠であり、大きな進歩だ。逆に日本人も、知らない朝鮮人の名前に接したら『こういう人を理解しないと韓国は理解できない』と知ってほしい」と話している。
この他には放送や活字でしばしば目にしてきた日本の軍国主義、侵略、植民地政策をそう呼んだ「日帝」の表記はなく、日本政府、日本軍、日本人などと、実態に応じて書き分けられた。韓国の読者には新鮮に映るかも知れない、という。
10年の作業を終え、君島さんは「日韓が全く同じ歴史認識を持つ必要はないが、互いが知って欲しいこと、互いが話をするための共通認識は一致できると思う。妥協的な点もあるが、そのモデルができた」。また、別の編集委員・木村茂光・同大教授(日本古代・中世史)も「難しいところを分担執筆したが、両論を併記することもなく、双方のギリギリの線を探した。こんなことができるのだということが、みんなの驚きだった」と振り返っている。
《共通教科書の作業は、日本と韓国・中国との間の問題と同じように、ヨーロッパにおけるドイツ(ナチの虐殺)とフランス(植民地主義)との間の問題でもあった。欧州統合を牽引してきたドイツとフランスが共同で編纂した共通歴史教科書が、現在すでに学校現場で本格的に使われ始めている。共通教科書は03年、エリゼ条約(独仏友好協力条約)40周年に行われた両国の青年会議が、「偏見や誤解から両国が対立しないように」と提案したことから同年、独仏首脳が刊行に合意した。両国の専門家が委員会をつくって構成案を出し、歴史家や現場の教師が執筆した。三冊で構成され、第二次大戦後の分は06年5月に完成した。今後フランス革命まで、革命から第二次大戦まで、と刊行が予定されている。教科書全体の4分の3は共通、4分の1は自国の制作部分となる。負の歴史に目を背けず、戦争の記憶を両国の絆にするために取り組まれたものだ。両国とも日本と違って過去から何度となく国境線が変り、国家としての形態も変化してきた両国だ。考えようによっては日本よりは作業もし易い関係にあっただろう。
日中の歴史共同研究に当って(或いは歴史教科書をつくるに当って)近藤孝弘(教育学者)が1998年に中央公論より出版した『国際歴史教科書対話 ヨーロッパにおける過去の再編』で紹介しているバートランド・ラッセル*の次の一文を、特に歴史認識に疎い麻生に読ませたい。
*バートランド・ラッセル はイギリス生まれの論理学者、数学者、哲学者で、アリストテレス以来の論理学者と言われる。
『(子どもたちは)自分たちの国家が行った戦争はことごとく防衛のための戦争で、外国が戦った戦争は侵略戦争なのだと思うように導かれる。予期に反して、自国が外国を征服する時は、文明を広めるために、福音の光をともすために、高い道徳や禁制やその他の同じような高貴なことを広めるためにそうしたのだと信じるように教育される』(「教育と社会体制」1932年)
麻生が台湾について、韓国について語る時、あまりにラッセルの言葉どおりなのに驚く。ラッセルにはさぞかし(まるで子ども麻生)のままに映るであろう。その麻生が「日中歴史共同研究」のメンバーに、自由率直に議論し、相手の意見を国内で紹介していける環境づくりの不可欠性を説いてもまるで説得性はない。共同研究がまとまるのはまだずっと先になると思うが、相手国とお互いの歴史認識が共有できるよになれる結果を期待したい。》
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