中高生の小遣い
入学式を終え、小学生は新中学生に、中学生は新高校生になって、それぞれが希望を抱いて新しい仲間を拵えている最中だと思う。また、進学したことで毎月もらっていた小遣いにも、多少の上乗せをしてもらって計画を練っていることだろう。
貧しい時代、小遣いという習慣のなかった時代、特に貧しい家庭で育った私には、小遣いという概念すら持ち合わせていなかった。前にもブログに書いたが、中学、高校生活を通して父から買ってもらったのは、欲しくて堪らなかった創刊号の「芸術新潮」(日本初のシャガール特集)と、つい先日(3/30)書いた「LIFE」ミケランジェロとチントレットの特集号だけであった。授業料は免除の手続きを両親には内緒で自力で済ませていた。両親は、学業に最低限必要なものは惜しまず拠出してくれた。粗末だったが弁当も持参できていた。そのために学校では惨めな思いはしなかったし、当時(敗戦で世相は荒れていたが)はそのために起るいじめなどというものは誰に対しても、どこにも存在しなかった。今にして思えば小遣いは無ければ無いで不自由はしていなかった。
現在の子どもたちはどうだろうか。小遣いはいつの時代も大きな関心事だろう。中高生の小遣いはどのように変ったのか。参照(1971〜2005年のデータを記載) 金融広報中央委員会、金融教育プラザリーダーの園田耕三さんは「この間の物価上昇を考えると、実質的にはあまり変っていないのではないか」とみている。
ただ「近年、第二の小遣いが出現した」と話す。その第二の小遣いとは携帯電話料。同委員会が05年12月〜06年3月、全国の小中高生約8万7000人を調査したところ、中学生の月額利用料は5000〜1万円未満が32・7%で最多。1万円以上も11・1%いた。高校生もトップは5000〜1万円未満で53・1%。1万円以上は18・9%だった。大半は親が払っていると見られる。これを含めると、中高生たちは30年前の数倍の小遣いをもらっていると言えそうだ。
《不思議なのは親たちが、毎月中学生に3000円程度、高校生には6、7000円の小遣いを与えながら、携帯電話料金の支払いまで何故負担するのだろう。なぜ、毎月の小遣いの範囲内で支払いの可能な使い方を指導しないのだろう。それこそが大事な家庭教育になるのだが。無計画に携帯を弄び、無計画に金銭を浪費させて親の養育責任が勤まるのか。これも何度も書いてきた。子どもが使う携帯の中身をどのように使われているかチェックしているか、親は監督責任において、庇護監督下にある子の行動を管理する義務と責任があるのだ。子にはチェックされることに関して逆らう権利はない。子の受け取る小遣いが、親が労働の対価として得たものであることを教えているか。中高生の分際で、毎月5000円も1万円も無駄遣いする子に、はい、はい、と支払い続けるバカ親からいい加減におさらばするがよい。親子でしっかりと話し合いをし、小遣いの額を決めたなら、超過に関してはビタ一文親は支払わないだけのけじめを見せるべきだ。それが金銭の価値を理解させ、金銭感覚を身につけさせることになる、と思うがどうだろう。》
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