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2007年4月30日 (月)

男性の育児休業

   玄関先を飾る淡いピンクのぼたん
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男性の育児休業
“どうすれば取りやすくなりますか”— 毎日新聞(4/30)から
育児休業は、子どもが満1歳になるまで会社に申し込むことができる休業制度だ(1歳6カ月まで可能な場合も)。育児・介護休業法により1995年4月からは、すべての企業に義務づけられ、男性も女性と同様に取得できることになっている。

しかし、厚生労働省の05年度の女性雇用管理基本調査(05年10月)によると、育児休業の取得率は、女性は72%で前年度より1・7ポイント増えた反面、妻が出産した男性の取得率は0・5%止まりで、04年度の0・56%を下回っており、96年度の0・12%からほとんど増えていない。育児、介護休業をテーマに従業員5人以上の約7500事業所からの回答では、育児休業規定がある事業所は61・6%(02年度より0・2ポイント増)、30人未満では、56・5%(1ポイント減)だった。政府は04年12月の「子ども・子育て応援プラン」で10年後の目標として、育児休業取得率「男性10%、女性80%」を掲げているものの、依然男性の現状は遠く及ばない実態が明らかになった。05年4月から、従業員の申し出による取得が可能になった「子の看護休暇」の制度を整えている事業所は33・8%、取得者の男女比は男性45・8%で、他制度に比べると男性の比率が高い。

制度はできても、男性が利用しない、利用できない背景には、どんな事情があるのだろうか。独立行政法人「労働政策研究・研修機構」が企業とその管理職、一般社員を対象に調査した結果が公表された。
 過去3年間で育児休業を取得した男性社員が「0」人と回答した企業が全体の78%を占め、「1〜2人」も合わせると、約9割に達した。

管理職に男性社員の育児休業申請について聞くと、
「賛成」が約74%もあるのに、
  内訳は      「積極的に賛成」21・6%
    「解決すべき課題はあるが賛成」52・7% となった。

男性の育児休業取得に何がネックになるかを聞いた(複数回答)ところ
 (経営者) 育児休業を取る意思がない 68%
       前例がない        55%
       代替要員確保が困難    54%
 (管理職) 代替要員確保が困難    63%
       育児休業を取る意識がない 48%
       前例がない        45%
となって経営者と、管理職との差が目立っている。

同機構の郡司正人主任調査員は「男性社員の取得の場合、社内に前例をつくることが最初の課題」だと話す。代替要員の不足やキャリアへの不安など、管理職も社員の側も不安はあるが、「1人出てくれば双方とも見方が変ってくる」と言う。実際に、アンケートでも、過去3年間に育児休暇を取得した社員がいた会社の管理職の方が「積極的賛成」派が多かった、という。

3カ月間の休業申請をした電気メーカーの男性社員は「将来へのキャリアへの不安もあり、上司の反応も気になったが、今しかできないことだと申請した。でも、自分より先に例がなかったら、どうしていたか分からない」と振り返った。

男性社員の育児休業の取り辛いネック上記以外の要因として
 上司・同僚の理解不足 45・1%
 社会的認知の欠如   42・1%
 休業中の賃金補償   34・5% など。
  
いずれにしても、先ずは前例づくりから。それには代替要員を確保し、経営者が現場に繰り返し取得を呼び掛けるなど、トップの強い主導が必要なのかもしれない。

《男性の育児休業期間をどれくらいで考えているのか。私は育児という事業を考えた場合、男性が仕事の合間に2週間、1カ月そこらの休暇を取ってできる事業ではないと考える。上の電気メーカーの男性の3カ月も、子が生後どれくらいか分からないが、少なくとも、1年から2年間の休暇を当てなければ子育てなどできるとは思わない。3年間でもいい、男が主夫であっておかしくはない。奥さんに働いて稼いでもらえば良いのだ。子育ては男が手伝いで、或いは女が仕事の合間に出来るものではない。高島屋が男性社員の育児休業期間を「最大でも2週間」(有給)に限定し、昨年まで16年間でゼロだった男性社員に取得を促したところ、すでに10人が活用し、取得の動きが広がりそうだ、というが、長い育児期間のたった2週間が、育児に係わったと誇れるものではない。ちょっとした「子どもの始めてのお使い」と同じで、子育てとは言わない。男性にとって何かの思い出(自己満足の思い出)になるだけだ。「妻の大変さが理解できた」、「おしめも取り替えたんだ」(紙オムツの取り替えなど自慢にはならない)。襁褓のとりかえなど、わざわざ休暇を取らなくても毎日できる、産湯だってどんなに忙しくても毎日できる(私はどちらも必要がなくなるまでやった)。

男性の育児休暇を不要とは言っていない、取るのなら、育児をただ「手伝う」程度に考えないで、「主夫」になれる覚悟で(当然、その間妻は夫と子どもの生活の面倒をみることになる)掛かるべきだ。それでこそ男女同権といえるものだろう。》

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2007年4月29日 (日)

「昭和の日」って?

今日、四月二十九日は天長節、天皇誕生日、みどりの日、昭和の日、と名前が変って来た。いま何故、昭和の日なのか。私が生まれた時にはすでに当日は天長節と名前がついており、学校では天皇の誕生を祝う行事があり、紅白饅頭が生徒全員に配られた。明治時代の天長節は現在の文化の日11月3日だ。昭和天皇が後を継ぐと11月3日は明治節となっていた(因に各天皇の皇后の誕生日は「地久節」の名がつけられていた)。

さて、いま何故昭和の日か、について考えてみる。私たち世代にとっては昭和と言う時代は間違いなく「戦争、戦乱の時代」であったことを否定する人はいないだろう。多くの家庭から肉親に戦争犠牲者を出し、じっと耐えて過ごして来た世代だ。そして敗戦を味わう。それから60年以上が経過して世は飽食に浮かれ、痛みを味わっていない世代から総理大臣がうまれて、再び危なっかしい世の中に戻そうと舵を切り始めている。得体の知れないスローガン「美しい国」を掲げ、教育を変え、好きなように拡大解釈を続けて来た憲法から、骨まで抜き取ろうと改正(改悪)を狙う目論みのあることは簡単に想像することができる。しかし、沖縄は未だに占領下にあるとも言える悲惨な状況を抱えている。

それを忘れたかのように、(じゃない、誰かの力が、或いは何処かの力が忘れさせようとして)昭和を「レトロ」とオブラートに包み、あちこちで辛酸を舐めた戦争を忘却の彼方へ捨て去らせようと目論んでいるかに見える。マスコミも挙って面白おかしく取り上げ、実際には昭和の時代には存在しなかった砂上の楼閣のような「旧き良き時代」を報道する。無邪気な子どもの心にだけは存在していたかも知れないその旧き良き時代は、大人が取り上げてブームにはするべきではない。現実は、そんなのんびりした時代ではなかったはずだ。

このような中、1969(昭和44)年から約20年間、昭和天皇の侍従を勤めた卜部氏が亡くなるまで(32年間)綴った日記33册が、朝日新聞社に依託されていたことが、一部内容とともに毎日新聞紙上でも明らかにされることになった。思い出したくない悪夢のような戦争のことを叉もや思い出すことになった。

日記には、昨年7月に判明した故富田朝彦・元宮内庁長官の昭和天皇がA級戦犯合祀*に不快感を示したことを示すメモの日付けと同じ日に、昭和天皇から卜部侍従に靖国神社の戦犯合祀に関する話があったことを示す記述もあった。靖国神社に関しては88年4月28日の日付けで、「お召しがあったので吹上げへ 長官拝謁のあと出たら靖国の戦犯合祀と中国の批判・奥野発言のことあり」とあり、「靖国」以降は赤線が引かれている、とある。

*1978年に行われた靖国神社へのA級戦犯合祀は、国民には知らされず、こっそりと行われたが、スクープ(79年4月19日)によって発覚することとなる。参照:合祀から外し「家」の墓に 06/04/11

この日付けは、昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀に関して、「私は 或る時に、A級が合祀され その上 松岡、白鳥までもが(中略)それが私の心だ」などと綴った富田元長官のメモと同じ日だ。01年7月31日の日記には、「靖国神社の御参拝をお取り止めになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」と記し、天皇が合祀に不快感を持っていたことを綴っている。

昭和天皇がA級戦犯の合祀を快く思わなかったからといって、私は昭和天皇の戦争犯罪の責任が免責されたとは思ってはいない。自らが多くの国民を天皇の名の下に、赤子(せきし)として死に追いやった責任を反省し、天皇に代わり、背くことの不可能な天皇の名で下命し、多くの兵を戦場に送り出した軍の最高責任者の罪を、自分の罪として明確に認めてのものと、解釈する。

先に富田メモが発見されたとき、その資料に疑問を呈し、「昭和天皇は東條を信頼していた」とまで話した桜井よしこを始め、メモを一笑に付した一応は有識者と呼ばれる人たちは、今度の卜部日記と併せて富田メモの信憑性が高まることへの言い訳を、どのように言い逃れようと考えているのだろうか。いずれにしても私たちの世代には、昭和は戦争とは切っても切り離せない悪夢の続いた時代だった。

このような「昭和」を何故、特に名付けて顕彰するのだろうか。今日まで気がつかなかったが、カレンダーにはすでに今日を「昭和の日」として印刷済みになっていた。こんな命名は1年限りで終わらせて貰いたいものだ。もう1度みどりの日には戻せないだろう。かといって赤の日や黒の日にはできまい。名前なんかどうでも良いが、戦争を思い出さないで済む、せめて平和の日、平和をねがう日、ぐらい考えればいいんじゃないのか。

桜井よしこ関連 改正教育基本法案 06/12/17

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2007年4月28日 (土)

病気腎移植原則禁止

Dscfnevea9 エルモフィラ・ニベア

  ハマジンチョウゲ科
  エルモフィラ属
  原産地 オーストラリア


Dscfnevea19 名も知らず何年か育てた
 葉の形状からハーブの仲間と思っていた
 一つ一つの花はうす紫色の
  釣り鐘状の可憐な形をしている


毎日新聞(4/28)から
厚生労働省は、腎臓移植法の運用指針の改正案をまとめた。「疾患の治療上の必要から摘出した腎臓の移植」について、「現時点では医学的妥当性がなく、行ってはならない」とした。宇和島徳州会病院(愛媛県宇和島市)の万波誠医師らが実施して来た病気腎臓移植は、原則として禁止されることになる。また、生体臓器移植のドナー(臓器提供者)の本人確認法まども盛り込んだものとなった。生体臓器移植に関する国レベルでは初の規則で、6月にも正式決定される。

病気腎移植問題は、上記病院を舞台にした臓器売買事件の調査過程で表面化した。万波医師らは90年代初めから病気腎移植を始め、腎臓癌や尿管癌、ネフローゼ症候群などの患者から摘出した腎臓の移植例計42件が明らかになった。同様に、摘出、移植を実施した病院は10施設に上った。

病気腎移植には、移植患者に癌細胞を持ち込む恐れなどがあるが、万波医師らは医師仲間での了解で実施していた。また、ドナーへの充分な説明に基ずく同意もなかった。この問題を調査した日本移植学会など関係4学会は3月末、「医学的・倫理的な観点から検討を加えられず、閉鎖的環境で行われていた」として、病気腎移植を厳しく非難する見解を発表した。調査によると、ドナーの腎臓摘出が不要だったり疑問だったりしたケースが相次いで判明し、ドナー軽視の医療だったことも明確にされた。

厚生労働省のまとめた生体臓器移植に関する指針案(骨子)は
●生体移植は、やむを得ない場合の例外とする
●臓器提供の申し出は、家族や移植医療に関与するもの以外の者が、強制でないことを確認する
●ドナー(臓器提供者)に対して臓器提供に伴う危険性などを説明し、書面で提供の同意を得る
●ドナーが移植を受ける患者の親族の場合は、本人であることと親族関係を(戸籍抄本など)公的証明書により確認する
●親族以外の第三者から臓器提供される場合は、院内の倫理委員会で個別に承認を受ける
●病気腎移植は現時点では医学的に妥当性がなく、臨床研究の場合を除いては行ってはならない
とされた。

《万波医師らの個人的倫理観とはいいながら、事実救われた患者がいる。また、病気腎移植が移植患者に癌細胞を持ち込む危険がある、というが、90年代初めから万波医師等が実施した42件の移植から癌細胞を持ち込まれ、発症した患者が何例かあったのだろうか。古来寿命として死を待つ他なかったものたちが、医学の発達に伴って救われるケースが起った。そこに危険は伴うが先進的な医師たちが、個人的ではあっても、確信を持って一歩先へ踏み出すことがあっても責めるだけであってはならないと思う。危なっかしいことではあったが、今度の指針案にも、万波医師らの行った前例から、「臨床研究に関する倫理指針」に基づく臨床研究として実施する可能性を残した。移植学会は今後、病気腎移植など実験的医療を行う場合の協議組織を設けることになる。》

一方で、慢性的なドナー不足に変りはない。脳死からの臓器提供は97年10月の臓器移植法施行から10年目の06年12月にやっと50人に達したばかりだ。かたや、移植待機患者は腎臓だけでも約1万2000人に上る。病気腎移植はそうした待機患者の受け皿になったとも言える。

現状が続けば、水面下での臓器売買や病気腎移植のような想定外の医療が今後も行われないとは限らない。昨年4月、ドナー増加を目的に臓器移植法改正案2案が衆議院に提出されたが、継続審議のままだ。今後の日本の移植医療をどう進めるのか、早急な議論が必要だ、とある。

《法律でいくら尻を叩こうが、臓器提供はドナーの任意によることが原則となっている。不妊に悩む夫婦や、代理出産の卵子の提供ができる卵子の問題とは全く異なる。排卵で必要がなければ無用だが、必要となれば代わりの卵子は毎月作られる。腎臓移植に比べれば将来に亘っての危険性も含め、比べようもなく低い。腎臓は一つでも生きるのに困らないとはいえ、現在健康でも、何が起るか分からない。それが他人に提供した後の問題であれば取り返しはつかない。かといって死後の提供を約束するドナーも知られるごとく極めて少ない。今後ますます長寿社会となれば、提供される生体内臓器官も男女とも老体からのものになる。若い器官は病死や事故死した者が対象となるが待機している者の数には到底追い付かないだろう。需要と供給のバランスの崩れは埋まることはないだろう。

《何故日本ではドナーが増えないか、西洋に早くから根付いているボランティアの考え方が、日本にも増えているとはいうがまだまだ根付いているとは言えない。宗教か、倫理か、打算か。それならば、捨てても惜しくない卵子の提供に、数十万円の値段をつける女性の意見があり、国としても検討することも吝(やぶさ)かではないようだ。腎臓を始め、提供する内臓にはもっと巨額の値段をつけてもいいと思うがどうだろう。》


 
 

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2007年4月27日 (金)

うた と ことば

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  久しぶりに カメラ片手にぶらぶらの散歩だった


あのえ
がおみせて
ぼくの
ないすきな(だいすきが、ないすきにしか聞こえない)
ときを
とめて
しまう
みた
いに
かぜがながれている
たえま なあく
とおく
はなれた
ひとたあちの
おもおいを
なれかあに(だれかにが、なれかにしか聞こえない)
つたえようとして
るんだ
その えがおは どんな
かなしみにも
けして
まけたりは
しないから
かぜにのって
きっとと
どいてる

これは小田和正なる歌い手が、NHKの朝の連続ドラまで歌っているのを極力耳に聞こえるのを正確に、と思って綴ったものだ。日本語がめった切りにあっている。

大阪で生まれ育った妻が、前回のNHKの連続ドラマ(「いもたこなんきん」)が大阪が舞台になっていたことから、私は未だかつて見たことのない朝のドラマを見るのに付き合わされた。第一回の放送が始まり、主題歌が流れ始めるや否や妻と私は顔を顰め、耳を覆っていた。「音を消して!」、聞くに耐えない裏声が続くのを我慢することが不可能だった。年末の紅白も20年近く見ていない。ここまで歌がひどいものになっていることを想像していなかった。今にも殺されそうな息使い、訓練された歌手なら絶対に聞こえないブレスの音だ、息を吸う度に、喉を風がとおる音だ。聞いているこちらが苦しくなる。半年続いたドラマだが、始まって2、3日は我慢していたが、忍耐の緒が切れた。毎朝「消音」の作業が半年続いて物語の始まるのを待って音を出して聞いていた。

多くの歌手がこの時歌っていた歌い手と変らない歌唱レベルだ。発声訓練も碌に受けず、高音が充分だせないと見るや、即座に「今度はファルセットで歌ってみようか」(ツンクの場合)と逃げ道を教える。人に聞かせることのできる歌手が育つ道理がない。子ども相手だから仕方ないのかも知れないが、歌よりも姿形が優先するテレビの世界だ。歌は歌謡の世界のものでなくなった。踊りながら、跳ねながら、歌える訳がない。オペラの歌手たちでさえ歌う時には殆ど動きの少ない動作の時だ。訓練された歌手でさえ飛び跳ねては歌えない。若い歌い手たちのように踊っていては、人に聞かせる歌にはならない。動けば息がきれる、言葉は続かない、声がだせない、となる。これでは歌ではない。「息を吸う音が聞こえない歌手の方が少ないのが現在の歌謡界の現実だ」。

冒頭に、読み辛いひらがなを書き連ねた。「いもたこ・・」に続いて「どんど晴れ」が、同じ大阪のケーキ屋がスタートであることで、引き続き妻優先の時間帯になっている。主題歌を歌う小田の声が第一回で流れた時この声だ、“だ”の発音ができない歌い手が歌っているコマーシャルを何度も聞かされていた。妻に何度か確認したことがあった。「“だ”に聞こえる?」その後、何度も耳を澄ましていて妻も「“な”にしか聞こえない」と教えてくれたことのある歌い手だった。今度の連続ドラマ、彼の発声はやはり“だ”が“な”で聞こえる。それにこんなに無惨に引きちぎられる日本語を聞くのは悲しい。行に段落をつけたのは、私の耳に聞こえてくる彼が発声する音を極力忠実に写し取ろうとしたからだ。

外国語風に発音する日本語を使う歌い手たちとは違うが、これほど日本語の言葉を無視した曲ではその言葉の持つ意味さえ理解することができない。例えば出だし「あの笑顔見せて」(だろうと思う)が「あのえ、がおみせて」では何のことか分からない、また、最期の「きっと 届いてる」(漢字まじりで書いたが、多分これでいいのだと思う)が「きっとと、どいてる」と歌われたのでは何のことか意味不明の音(言葉ではない)になる。このような意味不明ともなる曲では主題歌としての意味も失われることになる。今私たち夫婦は、先の「いもたこ・・」と同様、タイトルが流れる間、とても日本語とは聞き取れず、気持ち悪くて音を出して聞くことができず、消音で見ている。

他には外国語かぶれした外国語風な発音の日本語を聞かされことも多くある。日本人か外国人か分からない名前やグループ名が蔓延っており、まるで日本人であることを卑下し、外国への諂(へつら)いにしか映らない。もっと日本語を大切に曲作りをし、言葉を大切に歌って欲しいと思う。

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2007年4月26日 (木)

「親学」で家庭内まで あれこれと

毎日新聞(4/26)から
手に取って驚いた、大きな字で『親学』とある。これ、一体何?ざっと走り読みしてカッコ内は「おやがく」と読み、親についての学問のようだ。続いて拾い読みして行ってますます驚くことになった。学問らしいものは何一つない。全部が母親学級の和気藹々の場で話し合ってメモを取る注意事項かお約束だ。子どもを母乳で育てることを呼び掛けたり父親にPTA参加を呼び掛けるなどの内容。政府の有識者会議が家庭生活のマニュアルを示し提言することには会議内にも慎重論があるだけに、世論の評価は分かれそうだ。慎重論があるのなら、急いで中途半端なものを発表することはない。今までと同じように思いつきで行き当たりばったりの提言を口にしているだけだ。さて、

政府の教育再生会議は25日、親に向けた子育て指針である「『親学』に関する緊急提言」の概要をまとめた。
 親切に新聞が提言のポイントをまとめてくれている。
  1. 子守唄を聞かせ、母乳で育児
  2. 授乳中はテレビをつけない。
    5歳から子どもにテレビ、ビデオを長時間見せない
  3. 早寝早起き朝ご飯の励行
  4. PTAに父親も参加。
    子どもと対話し教科書にも目を通す
  5. インターネットや携帯電話で
    有害サイトへの接続を制限する「フィルタリング」の実施
  6. 企業は授乳休憩で母親を守る
  7. 親子でテレビをはなく演劇などの芸術を鑑賞する
  8. 乳幼児健診などに合わせて自治体が「親学」講座を実施
  9. 遊び場確保に道路を一時解放
  10. 幼児段階で挨拶など基本の徳目、
    思春期前までに社会性を持つ徳目を修得させる
  11. 思春期からは自尊心が低下しないよう努める などなど。

ご親切なアドバイスだが、本当に余計なお節介だ。
1.)の子守唄などのんびり歌って聞かせる親などそうは居まい。だいたい子守唄を知らない親の方が多いのではないか。ばかの一つ覚えの持ち歌では子どもだって嫌になる。それに問題は母乳だ。働きに出ている母親の多い家庭では、保育園でもらうのは母乳であったとしても哺乳ビンからだろう、母乳は母の胸に抱かれて乳房から飲んでこそ、肌のぬくもりや心臓の鼓動を直に受けて乳児は安らいだ気分で飲めるのだ。その意味ではこの時期には父親が子育て休暇を取っても意味はない。男ではこの時期母親の代用品にはなれないのだ。育児に専念できる母親は可能なのかも知れないが、外で働く母親には職場に付属する育児施設がどうしても必要だ。アグネス・チャンがテレビスタジオに育児中の子連れで顔をだし所謂アグネス論争を巻き起こしてから20年が経過する。

女性なら必ず母乳で育てられるとは限らない。体型が崩れるから、と早々に断乳する女性は別として、母乳の出ない母親を苦しませることにならないよう配慮する必要がある。

昨年正月明け4日にローソンが企業内託児所の構想を発表してから、11月にはあちこちに企業内託児所を設備する企業、計画中の企業が出始めた。父親は法外な時間外残業でますます子育てから遠ざけられたのが理由の一端でもあったろう。政府はかけ声を掛ける前に、親たちが働きやすい環境を用意することが先決だろう。

2.)は昔から言われている“三つ子の魂百まで”を5歳に置き換えただけのことだ。現在ではどの育児書を見ても、それを「昔の古臭い神話」として無視し続けてきた。近代化学では多少の色づけをして5歳にした根拠を「脳科学では5歳くらいまでに幼児用の原型が出来上がる。9歳から14歳ぐらいに人間としての基礎ができる」と説明している(山谷えり子首相補佐官や池田守男座長代理らがまとめた概要から)。手許においてわが子を育ててきた昔の人たちの方が余ほど知恵を持っていたと思える。

3.)の早寝早起き朝ご飯などは、それこそ噴飯ものだ。朝は草々に、託児所、保育所に子どもを放り込むのに忙しい親たちだ。朝ご飯がどうなるかには、かかずらっていられない。中には手作り弁当を持たせる母親もいるだろうが、逆に朝ご飯を与えないで家から出し、学校の助けを先読みしている親もいる。そんな見過ごすことのできない家庭の子には、やむを得ず学校は朝ご飯を与えることになるのだ。こんな親は指針が出たからって従うようなやからじゃない。しきりに働く女性たちが言う、「女性の働き易い職場」は作れば作るほど子育ては遠退くのではないだろうか。子育てのし易い働く母たる女性の職場でなければだ。企業は母になった女性の休暇は、少なくとも1人の乳児について3年間は育児休暇を認め、望めば職場復帰を保障する制度、システムを再構築するべきだ。

4.)については私は長男が小学生のおり、社には無理を言って休暇を取り出席したことがある。学校が父親参観日を設けた。何十年も前のことだが延々と自己紹介を回され、順番がきた時、腹立ち紛れに噛み付いたことがある。誰が誰の親であろうと関係はない。親と教師や学校、子の問題を話し合うべきなのに、無駄に過ごす時間が多くあった(最後に近く来た順までには優に一時間近く経過していた)。

5.)はブログで何度も触れているし、6.)は1.)や3.)で既に触れた。

7.)は偏見じゃないか。テレビは確かに日本人を総白痴化して来た。しかし、演劇などの芸術を鑑賞しろ、とは勝手に過ぎる。教育再生会議の面々が、芸術論を口にするほど高尚な鑑賞眼を備えているのか。それほど芸術に詳しい人たちなのだろうか。逆に長々とやっているだけで文化勲章を手にする河原乞食の歌舞伎が芸術と言えるのか。それに芸術とはかくも高額な入場料が必要なものか。再生会議の面々が言う芸術としての舞台は何なのか。私は芸術とは娯楽でなければならない、と思っている。だれでも気楽に鑑賞可能なものこそ芸術でなければならない。芸術と娯楽の間に一線を劃(かく)すべきではない。娯楽こそ大衆の生活の活力源なのだから。

8.)勝手におやりなさい。

9.)1970年8月2日、東京・銀座、秋葉原、新宿に歩行者天国(日、休日の午後0時〜5乃至6時まで車の通行禁止)が、続いて1972年6月1日には北海道旭川市・平和通買物公園が日本初の恒久的な歩行者天国として開設された。このことが頭にあるのだろう、公園があっても子供達が安心してボールを投げあうこともできない、家に閉じこもって外に出ない子どもが増えたこともあるが、禁止事項ばかりが増え、安心して遊ぶ場もない。各自治体で道路と言わず、広く使える場所を選定し、昔のように喧嘩したり、叩きあったりしてお互いの個を確立していけばよい。他人と異なる自分を見い出すのは他と交わらねばできない。叩かれれば痛いことが解れば他人の痛みが解る子になって行く、そうして子ども同士は学んでいけるのだ。今は居なくなったろうか、竹馬(ちくば)の友とはそういう友だちだ。

10.)11.)世の中思春期から卒業していない親だらけだ。欲情の赴くままに行動し、不道徳でも子を作ることは知っている。簡単に別れる、法律が現れて戸籍を失う子が生まれることになる。或いは育てられなないから子は捨てる、虐める、殺す、となる。安普請のアパートがマンションになり昔気兼ねしていたお隣さんの物音が消え、隣が何をする人であっても挨拶をしないで済み、交流がなくても自分の生活は何も困らない。地域の社会性は早くから崩壊していた。

そこへ今回の指針だ。
家庭が監房のように周りを監視カメラで取り囲まれた気分になる。親子の一挙手一投足がレンズの向こう側から覗かれた気分になる。そこまで政府が入り込んで手取り足取りしなければならない問題か。日常発生している虐待や、捨て子、放置、いじめなどに対する心配は理解できるが、そこまで立ち入るのなら、発表された内容では指針としてはまだまだ不十分だ。逆に言えば指針を出すこと自体が不可能で間違いだ。

私は常々現代の親たちの子育ての無責任さを指摘し続けてきた。学校が荒れ放題になったのも、いじめが蔓延るのもすべて家庭教育ができない親の責任であることを言い続けてきた。それこそ家庭教育の再生が必要だと思う。だが、この問題一朝一夕でいくものではない。50年、60年と積み重なって起った家庭崩壊が原因だ。長上を敬う日本人の美徳など、今は「そんなことあったなあ」の過去になった。一家の柱が父親でなくなった。先生は過った「平等」のお陰で生徒と同格のレベルまで下がり、尊敬の対象から滑り落ちた。親たちが考えもなく子の前で教諭、教師を蔑む言葉を吐く。誰がこの手に負えない親たちを作り替えることができるのだろうか。私は以前、「そんなこと 出来るの?」で親の再生には100年から200年を掛けなければ無理、だと書いた。今でもその考えは変らないし、或いはもっと先になることの方が強いとも考える。

指針を総括して法政大教授・尾木直樹(臨床教育学)の話を聞いてみよう。
「問題意識は分かるが、提言は理念やビジョンにとどめるべきだ。細かな点まで立ち入れば家庭や学校現場の手足を縛るだけだ。親も子も、家庭環境にも多様性があり、マニュアル化は間違いだ」。

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2007年4月25日 (水)

「出世したい」日米中韓高校生比較

文部科学省所管の財団法人「日本青少年研究所」(千石保理事長)の「高校生の意欲に関する調査—日米中韓の比較」で、日本の高校生は米中韓よりも「出世意欲」が低いことが数字に表れた。

同研究所は同様4カ国の高校生(中学生を含む場合もある)を対象に「高校生の学習意識と日常生活」(2004年)や「高校生の友人関係と生活意識」(2006年)などの調査を行っている。
今回の「高校生の意欲に関する意識調査」は、06年10〜12月、日米中韓の高校生計5676人を対象に実施したものだ。設問は、将来の進路や人生目標、職業意識などについて聞いた。所属する高校を通じて実施したため、回収率は100%になったという。

「偉くなりたいか」の問いに、
    「強くそう思う」は — 中国 34・4%
                韓国 22・9%
                米国 22・3%
                日本  8・0%
「将来就きたい職業」(複数回答)では、日本は99年調査よりも弁護士や裁判官、大学教授、研究者の割合が低下した。特に、公務員は前回の31・7%から大幅減となる9・2%だった。逆に「分からない」を選んだ生徒が6・2ポイント増の9・9%に上った。

千石理事長は「食べることに困らなくなり、今の高校生は『偉くなりたい』という意欲がなくなってきている。また、(従来『出世』と考えられてきた)職業に魅力や権威がなくなっている」のではないかと分析している。

《ずっと昔、そう、まだ私が小学生だった頃のことだ。当時の男の子の夢は「大将」になることだった。陸軍か海軍かは問わない、兎に角「大将」だ。1番偉い兵隊さんということでの憧れの対象であった。勲章を一杯胸につけ、立派な髯を生やし(当時の日本の陸海軍の将軍たちの多くが厳めしいカイゼル髭〈ドイツの皇帝をカイゼルと呼んだ〉を蓄えており、子供心にいかにも偉そうに映っていた。それは何の疑いもなく軍国少年として育っていた時代のことだ。

《ある日教師が人間の欲望について話すことがあった。人間には3つの大きな欲望がある、それは生きるために何かを食べたい、という欲望、疲れた時に眠りたい、という欲望、そして偉い人になって出世したいという欲望だ、と。さすが小学生相手に子孫を残すための性欲に触れることをせず、太平洋戦争の始まったばかりの戦意高揚の高まりの中で、軍人指向を子どもの心に燃え立たせるように話してくれた。

《当時の旧中高校生の思考状況は悲しいかなはっきりしたことは、小学生であった私には想像できない。国民皆兵で徴兵制度のある中、若い先輩たちは志願して予科練に、幼年兵にと飛び込んでいった。その当時の若者たちが正しいか間違っていたかは今は問わない、皆が国を憂い、家族や恋人を守るために戦場へ出ていった。若者たちは生きるために死ぬことを選ぶしかなかったのだと思う。

《幼かった私は海軍大将になることを夢見た。そして、1945(昭和20)年の敗戦で全てが無となった。すべての価値基準を失ってそれ以来私は出世とは無縁の生き方を選んだ。人生の目標とするものは何もなくなっていた。生きる意味なんてある訳もなかった。小学校で教師が口にしなかった性欲の結果生まれたに過ぎなかった。性欲に、食欲、睡眠欲は人間の本能の欲望だ。性欲と置き換えて教師が口にした「出世欲」は文化、或いは社会欲とでも呼ぶものだろうか。敗戦後の私には無用のものだった。

《今回の調査による出世欲の衰退は、世の中に次々に起る不祥事に絡む公務員の姿を見てのことだ。誰が出世の対象に置くことができるだろうか。或いは「せんせい」と呼ばれる失言続きの無能議員たちのレベルの低さ、完全に権威の失墜を毎日のように見聞きする。江戸時代に戻ったかのような金、金の世の中だ。千石理事長も言うように、親の脛を齧っていれば困ることがない。「衣食足りて・・」いい加減に生きていても食うに困らない。偉くなる必要がない、金の亡者は別だが、普通に生きている人間が、人生を賭けて目標にする夢などどこにもないのが現在の日本の現実の姿だ。

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2007年4月24日 (火)

裁判員制度

毎日新聞(4/21)から
2009年(平成21年)5月に始まる予定の裁判員制度*への参加に積極的な人は47%、消極的な人は48%との結果が、最高裁が昨秋行ったアンケートからまとめられた。

国(内閣府)が昨年12月14日〜24日、全国成人から無作為に3000人を対象に(有効回答は1795人)同種調査を行った結果では、消極派が8割近かったのに対し、最高裁の調査では積極派が大幅に多くなった。

*裁判員制度とは
一定の刑事裁判において、国民から事件ごとに選ばれた裁判員が裁判官とともに刑事裁判**の審理に参加する裁判制度をいう。原則として裁判官3名、裁判員6名で構成されるが、少ない人数の合議体でも支障がないと判断されれば裁判官1名、裁判員4名で行われることもある。裁判員の年齢は20歳以上であれば上限の制限はないが、70歳以上で選出された場合は、裁判官に辞退の申立てをすることが可能、となっている。

**刑事裁判で対象となる事件とは
 殺人、強盗致死傷、障害致死、危険運転致死、建物等放火、強姦、身代金目的の誘拐や、子どもに食事を与えずに放置した結果が死亡に繋がった場合(保護責任者遺棄致死)などなど。ただし、「裁判員や親族に対して危害が加えられるおそれがあり、裁判員の関与が困難な事件」については、対象事件から除外される。

内閣府の調査よりも最高裁の調査で積極派が増えた。企業の有給休暇導入や、介護・保育の支援態勢整備が進めば、積極派がさらに10ポイント程度増えるという傾向も分かった、という。最高裁刑事局の担当者は「国民の参加意欲が高まったと即断することはできないが、正直に言って驚いた」と話している。

調査は昨年10月、委託先の大手シンクタンクが各種の世論調査を行うために事前登録をしている人を対象に、インターネットを使ったアンケートを実施。20歳以上の男女5664人が回答したものだ。
 先ず冒頭、「裁判所に行く日時は約1カ月前にわかる」「裁判は3〜5日続く」「休憩時間に家族や会社に電話を掛けてもよい」「交通費や日当が支給される」などと制度導入後のイメージを具体に説明した。
 
その上で参加意欲を訊ねたところ、「参加したい」が14・9%
              「参加してもよい」が32・3%
           「あまり参加したくない」が26・4%
              「参加したくない」は21・4%
          積極派と消極派がほぼ並ぶ結果となった。

昨年12月の内閣府の調査では、設問内容が異なってはいたが消極派が約8割を占めていたこととの違いを最高裁は次のように分析している。「事前登録者を対象としたネット調査であることに加え、負担イメージを具体的に説明したため異なる数値が出たのではないか」と。

《我が身に置き換えて考えてみた場合、70歳以上であるため、辞退が可能とされているが、私の場合は年齢とは関係なく裁判制度には係わりたくない。現在ある日本の司法・裁判制度に何も不満はないし、例え冤罪事件があったとしても、裁判員制度になったからとてそれが完全に防ぐことができることの保証にはならない。また最近の事件の判決に対して、被害者の側の憤懣は常に付きまとっている。特に凶悪犯罪になればなるほど被害者の家族の加害者への恨みは極刑であっても治まるものではない。考えようによっては国民の側が係わることで判決の責任分担を背負わせようと目論んでいるのではないかと思える。「お前たちが裁いたことだ」と。或いはより重い極刑を科したい態度が、被告の反論の場を奪うことにもなりかねない。

テレビを見ていても、私も生ぬるいと感じることも多い。「何故?」と。うんと昔に返って「あだ討ちご免」の復活をさえ望みたくなる事件と、判決に戸惑うこともある。「目には目、歯には歯」を認めればいいとさえ思う事件もある。到底落ち着いて裁判員として勤めることができる冷静な目を持ち合わせているとは思えない。

「罪を憎んで人を憎まず」とは言うものの、そのように冷静な判断が下せるかどうか自信がない。陪審員制度とは異なるが、アメリカでは人種差別でしばしば問題が起っている。日本で人種差別の心配はないだろうが、その他の差別問題は懸念される。裁判員の身分、匿名性、身の安全などは心配することはないだろう、それを疎かにした制度の導入など、導入を考えた人間がそれほどバカではあるまい。しかし、私は誰にも劣らない偏見と独断の持ち主だ。妥協のない結論を出す危険性を考えれば、裁判員制度への参加は辞退することにした方がいいだろうと考える。》

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2007年4月23日 (月)

代理出産「公募」

毎日新聞(4/13、14、15)から
諏訪マタニティークリニック(長野県下諏訪町)の根津八紘院長が12日、東京都内で会見し、不妊の夫婦の受精卵で、妻に代わって出産する「代理出産」を引き受けるボランティア女性を公募すると発表した。根津院長は「緊急避難的な実施が必要な患者さんもいる。少しでも患者の役に立ちたい」と訴えたが、専門家からは「代理出産する女性には危険が伴い、公募は問題だ」などの批判が上がっている。

根津院長は5例の代理出産を実施したことを明らかにしている。不妊の夫婦の体外受精した受精卵で、夫婦の姉妹が妊娠・出産してきたが、姉妹に妊娠・出産の経験がなかったり、母が高齢の場合は実施してこなかったという。

根津院長は「こうした夫婦に力を貸しても良いという方を募り、子どもを持ちたい夫婦を助けるシステムを作りたい」と語った。妊娠・出産中の事故に対応する補償制度についても保険会社などと検討するという。根津医師自身も会員の日本産婦人科学会は現在、代理出産は認めていない。日本学術会議は、代理出産の是非を含めた生殖補助医療のあり方について検討そている。

科学史家の米本昌平さんは「近親者による代理出産なら、代理出産する女性に危険があっても許される例があったかもしれないが、広く公募するとなると話は違い、大きな問題だ。厚生労働省が事情を聞くなど、正負としての対応も必要ではないか」と語る。

早速、この日の夕刊で、柳沢厚生労働相は、閣議後の会見で、現段階では「公募はまだ思い至っていない」として否定的な考えであることを示した。そして、日本学術会議が代理出産の是非を含めた生殖補助医療のあり方を検討しているとして、「その経緯を尊重して欲しい」と述べた。

翌日14日の新聞紙上には代理出産の呼び掛けに7、8人の女性が応募してきたことを明らかにした。根津院長によると、ボランティアの募集を発表した直後から13日までに、諏訪マタニティークリニックには電話や電子メールで申し出があったという。「ニュースで募集を知り、切実な願いを持つ人の役に立ちたい」(根津院長言)という女性からだった。

会見では「募集は40代から50代」としていたが、応募者はほとんどが30代から40代で、「30代ではいけないのか」という問合せもあった。根津院長は「代理出産を願う人がいながら外国に依存している現実をおかしいと思い、危険を顧みず、声を上げてくれたことに感謝している」また、「この気持ちを生かせるようにしたい」とし、応募女性による代理出産に前向きな姿勢を見せた。

柳沢厚生労働相が公募に否定的な考えを示していることに根津院長は「日本人が海外でする代理出産を国は看過していた」と反論した。そのうえで「公募は時間的な猶予のない患者さんのために決断したもので、思いつきではない」と語った。

《根津院長の言うとおりだと思う。どうしても子どもを願う人たちは、海外へ出向いて代理出産で子を授かっている。05年9月のブログ「代理出産」でも触れた、国内でも法の整備を前提として、代理出産を認めるべきだと思う。》

ところが15日の新聞紙上で日本産科婦人科学会(理事長=武谷雄二・東京大教授)は14日、京都市内で理事会を開き、同学会会員である根津医師が、夫婦の受精卵を他の女性が妊娠・出産する「代理出産」を繰り返したことに対し、厳重注意処分とすることを決め、同日の総会に報告した。

《代理出産する女性の体に危険があることを論(あげつら)い、海外に出かけてまで自己責任で代理出産する女性たちをだまって見てきた日本産婦人科学会のお偉方たち考えて欲しい。皆んなで申し出れば怖くないで、つい先ほどまで大騒ぎした離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子の問題。往時なら重大犯罪であった姦通罪こそなくなったが、問題の子たちはすべて婚姻関係が継続中に性衝動にかられて拵えたものだ。人間の妊娠期間が10月10日が崩れない限りにおいて、あり得ない出産になるのだ。それでも、公的には子どもに免じて親の不道徳な間違いまで有耶無耶にした結論を出した。ただし、民法733条、772条の改定は見送った。当然のことで絶対に改定してはならないのだ。

しかしそれに比べ、根津院長が禁を無視してまで行おうとしていることは、遅れている日本ではまだ手掛けていないだけで、海外では代理出産はすでに早くから行われ、子を欲する夫婦からは感謝されている医療なのだ。海外まで出かけることもなく国内で代理出産が可能になるよう、今ある日本婦人科学会が03年に作った代理出産を禁じる指針など反故にして、速やかに代理出産を認めるための法整備を進めるべきなのだ。》

日本産科婦人科学会の根津医師への処分内容とは次のようなものだ。
 ♦指針に違反する代理出産を実施
 ♦ボランティア公募は指針違反を前提にしている
 ♦非配偶者間体外受精の実施で除名処分を受け、その後復帰する際に学会と交わした「指針を遵守する」とする約束に反する
との理由から、処分相当とした、とするものだ。厳重注意は、同学会の処分では最も軽い。

また、この日の総会で、凍結保存した精子の扱いについて、「本人が死亡した場合は廃棄する」とする新たな指針を決め、根津医師が04年に死後生殖を実施したと公表したことに対して吉村倫理委員長は「今後、この会合に違反することがないよう強く要望したい」とし、学会として「死後生殖」を正式に禁じた。

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2007年4月22日 (日)

学校敷地内禁煙

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 玄関先を飾る
 テッセンと

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 ボタン



毎日新聞(4/22)の投書から
千葉県松戸市に在住の男性高校教員(51)
「禁煙運動の高まりから、全国32都道府県の高校で、学校敷地内が禁煙になったそうだ。喫煙教師による受動喫煙の被害が児童、生徒に出ないようにするために当然必要な措置だし、対策を取らなければ健康増進法違反にもなる。」

《いっときのように、日本中で「きんえん、きんえん」の大合唱は聞こえなくなったが、これはそれ以上に酒飲みによる運転事故の悲劇が続いたせいではあった。》

「千葉県も昨年4月の決定から1年が経過した。分煙から建物内禁煙、そして、敷地内禁煙。学校でのたばこ問題はこれにて一件落着か、と思われたが、実際には問題がますます複雑化したようだ。喫煙教師たちが規則を守らず、『隠れたばこ』が校内に蔓延しているのだ。人けの少ない所を探し、見つからないように吸っているつもりだろうが、悪臭千里を走り、至るところに漂ってくる。気づかないのは当人たちだけ。吸わない生徒にはすぐわかる。」

《私はたばこを離れて15年になる。しかし、この教師ほど、たばこ飲みに悪意を抱く気にはならない。たばこを吸いたい人には吸う権利があるからだ。蛇蝎(だかつ)のごとく嫌って悪意紛々(ふんぷん)の文章を綴らなくてもいいい。この教師の投書のタイトルはこうなっている。「悪臭千里を走る 隠れ喫煙教師」(効果を狙った新聞社の担当がつけたものかも知れない)。私は「学校敷地内禁煙」が法なら悪法だと思う。喫煙教師の権利を認め、それでも時節柄だ、排煙設備を整え、分煙の段階で止めるべきだと考える。

学校は1世紀の前から存在する。喫煙教師も又当初から子どもたちと接してきた。何百万人の卒業生の中に、受動喫煙で健康被害を受けた生徒が問題になったことがあるだろうか。教室内での喫煙を非難するならわかる、昔なら教員室が、教師の喫煙場所であったろう。廊下を歩きたばこするバカ教師がいたとは考えるだにできない、当然所定の位置で嗜んだであろう。》

「先生だってルールを守って(い)ないくせに」。かくしてルールを平気で無視する若者を増やすことになる。管理職も周囲も黙認しているのが現状だ。規範意識の欠ける教師たちにルールを守ってもらうためには、どうしたらよいだろうか。「校内全面禁煙」の大きな看板が空しい。」以上が全文だ。

《この教師、率先して喫煙教師に注意をしているのだろうか、そのことについて何も語らないから解らないが、先ず、自らが率先して範を垂れていらっしゃるのだろうか。そうでなければ見て見ぬ振りは己自身にある。子どものためにならないと確信をお持ちなら、絶対に注意をするべきなのだが。

なぜ、かくもたばこに世間は厳しいのだろう。たばこから遠ざかっていても、私は禁煙席のない場合は、喫煙席でも充分くつろげる。馬ふんの匂いのするものは苦手だが、好みであったピースの煙りの漂う香りは却って心が落ち着く。騒ぐほどには医学的根拠のない受動喫煙なんてばかなことは考えないし、思いきり鼻孔が開く。

喫煙したい人の権利を剥奪することが禁煙派の権利であるとは思わない。禁煙が正義であるかの如き一方的な見方が決して正しいとは思わない。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、のような悪意ある攻撃はいいとは思わない。禁煙組、喫煙組のどちらの権利をも尊重できる解決策はやはり分煙どまりではないだろうか。

まち中の咥えたばこ程度は、ポイ捨てや、小さな子どもの肌へくっつけて火傷させないよう気を配れば、受動喫煙の被害など限りなくゼロに近い。車の排ガスの人体への被害と比べれば可愛いいものだ。後追いかけての罰金徴集は、多数意見に組みするだけの思慮分別に欠けた完全な行き過ぎだと思う。吸わない人間から見ても見苦しい行為の何ものでもない。もう少したばこを愛する喫煙派の気持ちを汲んでやる余裕はないのだろうか。》

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2007年4月21日 (土)

ハヤシライス

毎日新聞(4/19)から
長野県塩尻市にお住まいの44歳のお母さん。3月31日、北海道の大学に合格してわが家にいなくなった息子のことを忍んで、寂しくなった気持ちを書いていらっしゃる。

合格すればこうなる旅立ちを気丈に受け止めて過ごしてきたが、いざ現実になってみるといかにも寂しい母親の心のうちが綴られている。見送りの日の午後、昼食をつくるために台所に立って牛肉とタマネギを炒め始めた途端、急に堪え切れずに、涙が溢れてきた、という。長男はこのハヤシライスが大好物だった・・・と。

次の日の朝も、居ないと解っている部屋を覗いてしまう。休みの日は寝坊ばかりしていたなあと、居なくなった長男を愛(いと)おしむ。いろいろなことが、一斉に頭の中を駆け巡めぐった、と。

山ほどある書きたいことをメモに「健康と火の元だけはには注意」と短く書いて、食料を詰め込んだ初めての荷物を送ろうと思う。と結んでおられる。

《ハヤシライスは私の遠い貧しかった頃の青春を思いださせた。》
時代はほぼ55年ほど遡る。JR(当時は国鉄)の有楽町駅近くに建っている有楽町マリオン(当時そこは「日劇」だった)と向い合せに建つB館が繋がっているが、当時はそこには別棟で「朝日新聞社」があって裏通りからはビル1面に張られたガラスを透して、巨大な輪転機の回転するさまや、新聞紙面の刷り上がる様子がよく見て取れた。

朝日新聞社と日劇の間の狭い通りの日劇側の地階に、ちょうど現在のピカデリー(当時のピカデリーでジュディー・ガーランドの「スター誕生」を観た)の辺りだろうか、道路から直接出入り可能なあまり大きくもない食堂があった。店の名前はとうの昔に失念している。親の反対を押し切って出てきた身は手許不如意だったが、ハヤシライスの文字に釣られてその店に入った。奥行きのない道路に沿った細長い店内は、都会に似合わず見窄らしい私が入っても目立たない、店構えであったように覚えている。

ハヤシライスが日本人の案になるものとはつゆ知らず、その色彩からカレーの何倍も辛いものを想像した舌に、びっくりするほど甘い味覚であったことに驚いた記憶が舌に残っている。後に知ったがハヤシライスは、何でも丸善の早矢仕有的(はやしゆうてき)が考案したとか、しかし異説があり、レストラン「上野精養軒」の林というコックの作った賄い食という説、ハッシュドビーフ・ウイズ・ライスの訛りであるとか、牛肉が受け入れられていなかった時代、食べると罰が当り「早死にする」ということから来た、など幾つかの説があるようだ。今では丸善の屋上のレストランで食することができると聞くが、和・洋の図書フロアにはしばしば行ったが、屋上まで上ったことがない。

《余談になるが、当時はこの朝日新聞社の横に川(数寄屋川はその後埋め立てられ、数寄屋橋は取り払われ、川の上にできたのが現在の西銀座でパートだ)が流れており、印刷インクの廃液が、ちょうど河川汚濁法が施行される直前まで真っ黒い重油のような状態で垂れ流していた。直後、現在の築地の地に引っ越しを終える(1980年11月)やいなや、鳴りを潜めていた朝日新聞は全国の工場廃液の汚濁摘発に精力を注ぎはじめた。》

当時の銀座界隈にはコーヒーがメインの純喫茶や、歌手が生の歌を聞かせるクラブのような店(銀巴里、ACBあしべ、など)が多くあった。銀巴里には丸山臣吾(当時痩身の美少年として噂の高かったシャンソン歌手で、現在改名してふとっちょのおじさんになった三輪明広だ)、沢たまき(故人)、彼女の夫となった山本四郎(彼のシャンソンは絶品であった)らが歌っていた。

天皇陛下と軍歌で育った青年には、映画やシャンソン、ジャズ、クラシックはカルチャーショック以外の何ものでもなかった。特にクラシックの曲は、NHK放送局でもなければレコードの持ち合わせは限られたマニアでない限り、聴けなくて当然だった。当時クラシックを聴かせてくれる名曲喫茶ではリクエスト形式で客に対応してくれていた。食うものを抜いてでも聴きたいライブラリの揃っている店を探し、あちこち聴きに通った。リクエストの順番が来るまでコーヒー1杯で数時間待つことはざらであった。中には髪振り乱し、指揮者然としたジェスチャーで陶酔の境地にいるものも混じっていた。コーヒーの専門店が多く、曲と同じく、好みの味を求めて日毎違うものを注文し、飲み比べること20〜30種を試した。当時の店で今もなお名を冠している喫茶店に「らんぶる」がある。

当時の日本は、世の中上げて外来文化に酔いしれていた。ジャズ喫茶が生まれ、シャンソン喫茶も増えた。銀座では7月14日、本国フランスの革命記念日をパリ祭と名付け、終日浮かれ続けたり、12月24日になると夜の数寄屋橋近辺は歩くのも困難になるほど酔っ払いが犇めき合った。この頃にはまだバレンタインやホワイトデーなど噂にもなっていなかった。

散髪には年に1回行ければよかった。後は自分で鋏で切った。貧しい中から岩波の「世界」や「思想」に目を通していた。敗戦の荒んだ気持ちに、少しずつ将来を見据える目を養い始めた頃の苦い青春時代だった。

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2007年4月20日 (金)

卵子の値段 約40万円

毎日新聞(4/19)から
不妊の女性が他の女性から卵子の提供を受けて妊娠・出産を目指す治療について、厚生労働省の研究班(主任研究者=吉村泰典・慶応大教授)が実施した国内初の意識調査の結果がまとまり、発表された。

調査は昨年12月、全国から選んだ20〜34歳の一般女性3744人にインターネットで調査票を送り、517人から回答を得た。国内での卵子提供による不妊治療の実施については52・6%が肯定的な答えになった。
 制度について、卵子提供に肯定的だったのは25・8%
        提供したくないなど否定的は42・9%
 理由(肯定) 不妊夫婦の役に立ちたい
   (否定) 自分の遺伝子を引き継ぐ子への抵抗感
        生まれた子と自分の家族との関係が複雑になる
 報酬     どんな報酬があっても提供しない、34・6%
        金銭報酬があるなら提供しても、 24・6%
        税控除等優遇措置があるなら、  21・9%
        実費以外は無償で提供する    15・1%

「自分の卵子を提供してもよい」「どちらかといえば提供してもい」と答えた女性が4分の1を超えた。
卵子提供にあたり金銭など何らかの報酬を求めた女性は全体の46・5%。具体的な希望報酬額で最も多かったのは10万円、極端に高額な希望額を除いた平均は約40万円であった。

《ボランティア精神での提供は15・1%、金になるなら提供するとの答えが圧倒的だ。毎月トイレに流して排泄するだけの卵子、金になるならそんな旨い話はないだろう。しかし、ちょっと待てよ、卵子の提供は街なかに停めて呼び掛ける献血車とはちょっと違うんだよ。ドナーとして登録されることになるまでには少なくとも3カ月程度の精密な検査を通らなければならないことを知ってか知らずにか。その検査たるや微に入り細に亙ってのものなのだ。体が幾ら丈夫でもお脳の軽い女性では先ずだめ、アメリカの不妊治療センター(例:ネバダ州)では500項目に上る筆記テストと体の検査がある。日本人ドナーには耐えることの難しい内容を知ってもう一度回答させれば、殆どの女性は辞退するだろう。
例えば、触診がある、視診、聴診に始まり、胸部、腹部、肛門、膣、子宮頚部、子宮、子宮付属器、心臓、肺、甲状腺、超音波による卵巣、子宮、子宮内膜検査もある。当然、性病も心配だ。クラミジアに梅毒検査、子宮頚部細胞異常検査。血液の方でもエイズ、肝炎(ABC)、梅毒に血液型と盛り沢山だが、金儲けを考えていた女性たち、それでも提供するかね。
日本女性には耐えられないような内容だが、海外へ出向いて卵子提供を受ける人たち、その国の女性たちはそのような経過を経た上で提供してくれていることを感謝するべきだ。》

卵子提供で生まれた子との関係については、「生まれた子は事実を知らされない方がよい」が45・1%に達したものの、匿名や実名での子どもとの接触を容認する人が1〜2割いた。

《流行りの‘子どもの人格’を口にするわりには、子どもの側にたった親を知る権利、に無関心とは驚きだ。‘卵が売れれば後は関係ない’ということのようだが、中には生まれた子が卵子提供者が誰かを知る可能性があると解った場合でも、「提供してもよい」という人が28・2%いたようだ。》

調査を実施した朝倉寛之・扇町レディースクリニック院長は「卵子提供では採卵時に副作用の可能性がある他、1カ月以上自由を制約されるため、提供者の確保には何らかの対価が必要と考えられる。提供に前向きな女性は提供後の夫婦や生まれた子との関係にも関心を示しており、心理面でのサポート体制が必要だ」と話した。

厚生労働省の生殖補助医療部会は03年、不妊治療としての卵子提供を容認する報告書をまとめたが、4年経過した現在も制度化は進んでいない。報告書は、卵子提供の際は提供者は匿名とするが、生まれた子が15歳になた段階で「出自を知る権利」を認めた。同省研究班の意識調査でも、提供相手の夫婦や生まれた子との関係で、何らかの情報開示や接触を容認するという人が多かった。卵子提供時点にとどまらない長期的な支援体制の整備が不可欠なことを明確に示している。

また、報告書は実費以外は無償の提供を条件とした。しかし、意識調査では、提供に前向きな女性に限ってみると、3分の2が何らかの報酬を求めた。研究班は「金儲けではなく、採卵に伴う拘束への対価と考えれば、もっともな要望といえる」と分析、再検討が必要になるかもしれない、という。


       

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2007年4月19日 (木)

銃規制 無理だろう

今朝のテレビが荷物をまとめて次々に帰国の途につく韓国人留学生の姿を写していた。去る16日、アメリカ・バージニア工科大学での乱射事件のあおりを受けて、韓国人への反感がつのることを恐れての早々の帰国だ。同大は韓国人留学生約500人近くが通う韓国の若者にとっての人気校だ。韓国では英語能力が出世するには必須とあって、ビザを取得した米国への留学生だけで9万人以上いる実態だ。ここ数年は小中学生が家族連れで米国留学するのがブームになっていることもあって、米国留学を目指す韓国人が学生や父母に動揺が走っていると言う。人種差別思想の強いアメリカだ、ことが大きくなり、事件になる前の帰国は賢明な対策だと思う。

毎日新聞(4/19)から
銃乱射事件の発生を受けて、銃規制に積極的な民主党議員から銃規制法案を求める意見書が出始めたことを報じている。しかし、同党指導部は銃規制立法が廃案の憂き目にあった過去の経過を踏まえ、及び腰になっている。08年大統領候補に立候補を表明した有力候補も、銃規制論議には慎重な態度を表明しており、盛り上がりに欠けているようだ。

銃規制推進派と反対派の意見を聞いてみよう。
【推進派】ストップ・ガン・バイオレンス連合広報代表:ラッド・エバリット氏
「銃を違法に使用した。犯罪者は法を守らないのだから、銃を規制しても仕方ないという声もある。しかし、94年成立の米連邦法「包括的犯罪防止法」(10年時限立法で04年、共和党の反対で失効となる)は150万件の違法な銃の密売を阻止した。適切な法は犯罪防止に必ず役に立つ。

だが、銃規制に反対する「全米ライフル協会」の力は大きい。豊富な資金力で議会に一定の影響力を保持し続けてきた。大統領選が近づく中、資金や支持率を左右する銃の問題は議員にとって敏感にならざるを得ない問題だ。米議会は民主党が多数派を占めるが、銃保有を支持する民主党議員も少なくない。ブッシュ政権下では銃規制についてはなされないまま、毎年3万人が銃で命を奪われている。今回の痛ましい事件を忘れず、規制強化の流れにつなげたい」。

【反対派】バージニア市民防衛同盟:フィリップ・バン・クリーブ氏
「犠牲者は銃を持った容疑者に抵抗できずに殺害された。社会には凶悪な犯罪が少なくない。罪もない人々から強奪し、強姦し、冷徹に殺す。銃の保持は犯罪から身を守る最適な方法だ。もしも、犠牲になった学生が1人でも銃を持っていたら、多くの命が救えたかもしれない。今回の事件を切っ掛けに、現在の銃規制を見直し、規制撤廃を目指すよい機会にできればと思う。

規制を強化しても従うのは善良な市民だけで、違法行為を厭わない犯罪者には意味がないのだ。憲法で保障された銃の所持をいくら規制しても、なくすことはできない。銃がある限り、犯罪者は必ず不正に入手する道をみつけ、不正に使う。しかし、銃があれば車椅子の女性でも犯罪者を撃退できるのも事実だ」。

《反対派のいう憲法で保障されている銃保持、一体現在の時代をどう捉えているのだろう。合衆国憲法が制定されたのが1789年、修正を含み実施されたのが1791年12月、今から216年前の話。時はあたかも初代大統領ジョージ・ワシントン(任期:1789〜1797年)の時代。南北戦争(1861〜1865年)すら70年後のことだ。列車強盗だ、銀行強盗だ、殺人だ、決闘だの狂乱の時代だ。未開の国に近かったアメリカは西部開拓とインディアン迫害の時代だ。銃も必要だったろう、身も守らねばならなかっただろう。それから216年が経過して時は21世紀に入った。それでもなおアメリカ人の多くが銃は必要だ、憲法で認められている、と声高に主張する。自らが、アメリカは200年前と変らない野蛮な銃社会、暴力社会であることを告白しているようなものだ。別の見方をすれば国がつくられて、たかだか200年あまり、まだまだ民主主義には程遠い国ということだろう。》

乱射事件から一夜明けた17日、民主党のリード上院院内総務は記者会見で銃規制の強化を検討するかどうかを聞かれ、次ぎのように答えている。「今は犠牲者のことを考え、捜査の進展を見守るべきだ。急いで何かをするのは望んでいない」と。同じく民主党の銃規制推進派のファインスタイン上院議員は16日の声明で「常識に見合った銃規制法を成立させる気運が高まることを期待している」と表明、ケネディ上院議員も「悲劇を回避するための議論をすべき時だ」と強調した。

もともと民主党は銃規制に積極的で、クリントン政権下には相次いで銃規制法案を成立させてきた。しかし、ゴア副大統領(当時)が00年の大統領選で敗北したのは銃規制新法を支持したことが一因と分析されている。04年には特定の半自動式銃の販売禁止を柱とする銃規制法の延長が認められず廃案になり、銃規制問題は下火になったままだ。民主党は今年1月、12年ぶりに上下両院で多数派となったが、銃規制を優先的に取り組む政策課題に含めていなかった。
 一方、大統領選に出馬表明しているヒラリー・クリントン上院議員や共和党のルドルフ・ジュリアーニ前ニューヨーク市長ら有力候補はそろって銃規制支持・容認派だが、規制強化を働きかける動きは鈍い。

《強力に銃規制問題を推進すれば、大統領とて暗殺されることの危険性が極めて高い国。今回の工科大学の乱射事件でも、被害にあった学生の側に、1人でも銃を持ったものが混じっていれば、「多くの命が救えたかもしれない」などと勝手なことを口にするお偉方のいる国だ。逆に開拓時代のようにお互いに銃撃戦になり、もっと多くの被害者が発生したかもしれない、と考えないのだろうか。西部劇映画のように何かというと先住民を殺戮した時代とは違うのだ。荒野を幌馬車が走り回っていた時代でもない。憲法が発布されてすでに200年以上が過ぎ、21世紀に入っているのだ。時の流れから何も学ぼうとせず、力こそ正義なり、と他国での戦争を繰り広げるブッシュにこそアメリカの銃社会そのものが見える気がする。とても銃規制ができる国ではないだろう。》

参照「銃社会の民主主義」06/10/4

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2007年4月17日 (火)

グローバル・メディア・スタディーズ学部

毎日新聞(4/16)から
グローバル・メディア・スタディーズ、続いて、ホスピタリティ・ツーリズム、そしてまた、シティライフ。よくもまたこんなばかげた名前を作りあげたものだ。これ等はみな、れっきとした日本の大学に増設された学部の名前だ。名前を聞いただけでは一体何を教える学部なのか全く理解できない。これでも大学内部では検討を重ねた結果まとまったものだという。何でも学問の範囲が広がって日本語では表現しにくくなっていることや、少子化を背景に「他大学と差別化を図りたい」との狙いがあるのだそうな。誰でも大学に入れる時代になって、カタカナ学部・学科はまだまだ増える予想がたてられている。

《少子化がなぜカタカナに結びつくのか推定することは難しいし、差別化が何故カタカナになるのかも解らない。それに友人同士の会話の中で「やあ、お前何学部?」「おれ、グローバル・メディア・スタディーズがくぶだよ」これじゃあ、落語のジュゲムの世界だ。多分、何でもかんでも短縮することの好きな人種だ、「G・M・S、ジー・エム・エス」とか「グロメス、グメスタ」にでもなるだろうけれど。碌に考えもせず安易に作った学部の名前。上っ面をあれこれ飾ってみても、問題は中身にあると思うのだが名付け親に話を聞いてみよう。》

グローバル・メディア・スタディーズ学部を考えたのは、東京都・世田谷区にある駒沢大学が、06年度に新設したものだ。お終いの「スタディーズ(研究)」については「学部を重ねるようなもの」との議論もあったというが、新学部設置準備室長だった各務(かがみ)洋子助(准)教授は「『新たな学問分野を作っていくための研究途上』という意味を込め、あえてつけた」と解説している。女性の言い分の通る世の中だが、中身のない得体の知れない容れ物だけを作って、寄ってくる獲物を掻き集める。

《兎にも角にも授業料を振込んでくれる数の確保だけはせねば大学が維持できない。何でもいい、外聞など構っていられない、何か変ったことをやればいいのだろう。》

カタカナ好きを逃したくない大学は駒沢大だけではない。東京都・豊島区の立教大は先月、異文化コミュニケーション学部を08年度に新設すると発表した。大橋英五総長は「ちょっと長いし、どこかで聞いたことがあるかもしれないが、立教が展開する異文化コミュニケーションの中身を教育と研究の実戦で示していく」と説明した。

《コミュニケーションが伝達(知覚・感情・思考などの)であることは広い年齢層にも理解されている。これなどは日本の大学が学部の名前に冠しても不似合いだが許されても良い範囲だろう。》

05年4月には千葉県浦安市の明海大にホスピタリティ・ツーリズム学部が開設されている。単に「観光学部」としなかったのは「旅行業界を主要なフィールドとして『ホスピタリティ』(もてなしの心)を学ぶ学部であって、表現する適切な日本語がなかった」(企画広報室)と説明した。カタカナ語にする必要はないだろう「観光接待学部」でよいが、これでは政治家からお呼びが掛かるお座敷接待のイメージが強いのだろうか。

この他にも栃木県の宇都宮共和大のシティライフ学部、東京都・法政大のキャリアデザイン学部、東洋大の埼玉県・朝霞キャンパスのライフデザイン学部などがあるが、シティライフは「市民生活学部」のままでも不都合は無いはずだが、キャリアデザイン、ライフデザインはいずれも「就職支援」(キャリア支援と呼んでいるようだが)のための学部に過ぎない。カタカナにつられて集まる稚魚が釣れるのを待つ体制のようだ。

なぜ、このようにカタカナ語を使った学部が増えることになったのかは、91年に文部科学省の大学設置基準の緩和があってからだ。大手予備校・河合塾によると、
学部名の種類は、91年度の1307に対して
        06年度は1915 と
       15年間で約600増えている。

神戸悟教育研究部チーフは「学部・学科の名称は学生募集への影響が大きく、他大学との差別化を図るという狙いがある。だが、インパクトが大きければいいというわけでもなく、名が体を表わさないと逆効果」と話している。
 
《漢字が理解できない大学生にはますます字面だけのカタカナ学部がもてはやされることだろう。しかし、キャリアデザイン学部にしろ、ライフデザイン学部にしろ、大学は、せめて小中学校卒業程度の漢字ぐらいは読み書き可能なレベルに再教育しておくことだ。先ずは大卒で入社して即座に困るのは、小中学生レベルの漢字すら読み書きできない人間の多さだろう。カタカナ、横文字だけでは仕事にならない。国語の未熟さは特に目に余る惨状のようだ。設問の意味が理解できなければ数学も解けない。会話も成り立たない。「1に国語、2に国語、3、4がなくて5に算数、パソコンや英語など100番以下だ」は数学者、藤原正彦氏の言葉だ。尤もなことだと思う。あらゆる分野で国語力・読解力がなければ(聞く耳持たない輩は別として)物事の解決はない。》

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2007年4月16日 (月)

中高生の小遣い

入学式を終え、小学生は新中学生に、中学生は新高校生になって、それぞれが希望を抱いて新しい仲間を拵えている最中だと思う。また、進学したことで毎月もらっていた小遣いにも、多少の上乗せをしてもらって計画を練っていることだろう。

貧しい時代、小遣いという習慣のなかった時代、特に貧しい家庭で育った私には、小遣いという概念すら持ち合わせていなかった。前にもブログに書いたが、中学、高校生活を通して父から買ってもらったのは、欲しくて堪らなかった創刊号の「芸術新潮」(日本初のシャガール特集)と、つい先日(3/30)書いた「LIFE」ミケランジェロとチントレットの特集号だけであった。授業料は免除の手続きを両親には内緒で自力で済ませていた。両親は、学業に最低限必要なものは惜しまず拠出してくれた。粗末だったが弁当も持参できていた。そのために学校では惨めな思いはしなかったし、当時(敗戦で世相は荒れていたが)はそのために起るいじめなどというものは誰に対しても、どこにも存在しなかった。今にして思えば小遣いは無ければ無いで不自由はしていなかった。

現在の子どもたちはどうだろうか。小遣いはいつの時代も大きな関心事だろう。中高生の小遣いはどのように変ったのか。参照(1971〜2005年のデータを記載) 金融広報中央委員会、金融教育プラザリーダーの園田耕三さんは「この間の物価上昇を考えると、実質的にはあまり変っていないのではないか」とみている。

ただ「近年、第二の小遣いが出現した」と話す。その第二の小遣いとは携帯電話料。同委員会が05年12月〜06年3月、全国の小中高生約8万7000人を調査したところ、中学生の月額利用料は5000〜1万円未満が32・7%で最多。1万円以上も11・1%いた。高校生もトップは5000〜1万円未満で53・1%。1万円以上は18・9%だった。大半は親が払っていると見られる。これを含めると、中高生たちは30年前の数倍の小遣いをもらっていると言えそうだ。

《不思議なのは親たちが、毎月中学生に3000円程度、高校生には6、7000円の小遣いを与えながら、携帯電話料金の支払いまで何故負担するのだろう。なぜ、毎月の小遣いの範囲内で支払いの可能な使い方を指導しないのだろう。それこそが大事な家庭教育になるのだが。無計画に携帯を弄び、無計画に金銭を浪費させて親の養育責任が勤まるのか。これも何度も書いてきた。子どもが使う携帯の中身をどのように使われているかチェックしているか、親は監督責任において、庇護監督下にある子の行動を管理する義務と責任があるのだ。子にはチェックされることに関して逆らう権利はない。子の受け取る小遣いが、親が労働の対価として得たものであることを教えているか。中高生の分際で、毎月5000円も1万円も無駄遣いする子に、はい、はい、と支払い続けるバカ親からいい加減におさらばするがよい。親子でしっかりと話し合いをし、小遣いの額を決めたなら、超過に関してはビタ一文親は支払わないだけのけじめを見せるべきだ。それが金銭の価値を理解させ、金銭感覚を身につけさせることになる、と思うがどうだろう。》

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2007年4月15日 (日)

クスリ好きの日本人(タミフル問題)

Odamaki 
 おだまき は
 小学生の頃から
 耳にすると侘びしくなる
 6年生の折りに習った唱歌のせいだ


 唱歌「鎌倉」
 若宮堂の舞の袖
 しづのをだまき* くりかへし
 かへせし人をしのびつつ

Odamaki2 頼朝に追われる
 義経のために
 静御前が
 告別に舞い唄った
 故事があるからだ


(紡いだ麻糸(しづ)を、中が空洞になるように柔らかく円く巻き取ったもの(おだまき)。それをくり出す動きを静が繰り返し舞う動きの連想から、しづを静御前にかけた、と教えられた。)

毎日新聞(4/13夕刊)から
世界の7割を消費、タミフル*大国 日本なぜ?
先日来転落や飛び降りなどの異常行動が報告され、厚生省が10代への使用を原則禁止としたインフルエンザ治療薬「タミフル」。新型インフルエンザ対策の治療薬としての生産増大が続くが、これまで世界中でタミフルの投与を受けた約5000万人のうち、実に7割が日本だということだ。なぜ、日本はタミフル消費大国なのだろうか。

*タミフルは、インフルエンザ治療薬。リン酸オセルタミビルとして、スイスで開発され商品名「タミフル」として販売。日本では2000年に厚生省が承認している。従来のアマンタジン、商品名「シンメトレル」はA型にしか効果はなく、タミフルはA・B両型のインフルエンザに作用する(B型には効きにくい傾向があり)C型インフルエンザには効果がない。また、致死率が高いトリインフルエンザにも効果があるとみられている。

《世界の7割という数字が、如何に異常な数字であるかは、次の数字と照らし合わせてみれば理解が早い。世界の人口は2005年時点で64億6475人(国連統計資料より)、トップの中国の12億7500万人から9位の日本の1億2700万人までの合計では35億1400万人。日本は世界の総人口比では2・0%、多い国9カ国の人口比でも3・6%に過ぎない。その2%〜3・6%の人口の国が、世界のタミフルの70%を金にあかせて買い占めているのだ。これが異常ではなくてなんだろう。金が余っているからか、病気が怖いからか、日本人が余ほどクスリ好きのためか。》

《約4年前、スペインで開かれた世界保健機関(WHO)の臓器移植に関する委員会で、「日本は金にあかせて世界の臓器を買い漁るのか」と名指しで批判されたことがある。落ち着いて考えてみよう、インフルエンザとは医学的には風邪症候群、はやりの言葉でいうカゼ・シンドロームの一つだ。この中には急性鼻咽頭炎(普通のカゼ)から急性喉頭炎、咽頭結膜炎、インフルエンザ、マイコプラズマ肺炎などがあり、その総称。それらの中で、時には重症化することのある流行性感冒;流感(インフルエンザ)は、風邪とは区別して扱われることが多い、という違いがあるだけだ。ごく稀には急性脳炎や二次感染によって死亡することもあるが。》

タミフルは、体内でのインフルエンザウイルス増殖を抑えることで症状をやわらげ、高熱が出る期間を1日程度短くする効果を持つ。世界保健機関は「高病原性鳥インフルエンザ(H5N1型)」が変異して発生する可能性が高いとみられる新型インフルエンザ対策として「現時点ではベストの薬」と評価しており、日本を含む各国が備蓄を急いでいる。

ところが、99年にスイスと北米での販売が始まって以降、世界中で投与を受けた約5000万人のうち実に3500万人が日本、約1000万人が米国だった。そもそも欧米諸国では、従来のインフルエンザで投薬治療することは少ないため、タミフルを大量に消費する日本ほど服用後の異常行動も問題にはなっていないのが実情のようだ。スイス東部シュビーツ州の開業医、アレン・シーグバルトさん(48)は「タミフルを処方することはほとんどない。高齢者など合併症が心配な患者以外は、まずは一週間ほど休養を取ることが基本だ」と語る。

なぜ日本はこれだけの大量消費をするのか。日本薬剤師会が発行したタミフルの解説書には「一般にインフルエザは自然治癒する」とあるが、その一方でタミフルを「特効薬」と位置づける医師の説明も目立った。厚生労働省もホームページで「高い有用性が認められる」「通常のインフルエンザ及び新型インフルエンザ対策の上で必須の医薬品」などと持ち上げてきた。タミフルの処方に積極的な医師が少なくない上に、子どものインフルエンザにタミフルを欠かせないと考える親が、医師に医師に処方を求めたケースが多かったという。

こうした日本の姿勢に対し、世界保健機関の新型インフルエンザ対策部門スタッフは個人的見解と断わった上だが「従来のインフルエンザなら若い人には基本的には投薬は必要ない」と冷ややかに見ている。

《私の子どもの頃には風邪ぐらいでは親は少しも動ずることはなかった。風邪で鼻水でも垂らそうなら、逆に「鼻をかめ!」と叱ってもいた。風邪というと甘いコーヒー色のちびりちびり飲む水薬がもらえた。子育てと同じだ、小人数の家庭で蝶よ花よと育て、猫可愛がりで過剰な世話をやく。WHOのスタッフが言うように、風邪(‘従来のインフルエンザ’という呼び方で呼ぶことが紛らわしい)には単純に、熱さまし程度のもので心配ない。私はこれまで何度も書いてきた、アスピリン(これは非ピリン系であることを知っておこう)で治る。》

日本での異常行動多発のニュースに欧州連合(EU)はタミフルの注意書きに危険性を記す方針を打ち出し、韓国も10代患者への投与を自粛する方針を決めた。しかし、世界で少なくとも数百万人が死亡すると予測される新型インフルエンザに向けた備蓄強化を見直す動きはなく、世界中で「タミフル不足」が続いている。

《日本の買い占めはますます激しくなるのだろうか。》

WHOのハートル報道官は「タミフルを備蓄に回すか、治療に使うかは各国が判断すべき問題だ。ただ、多くの国はインフルエンザ治療には使わない。新型インフルエンザ用の備蓄に回しているようだ」と語っている。

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2007年4月14日 (土)

痩せすぎは不健康 

070414d

  孔雀さぼてん

  強い黄色い花の咲く一株もあったが、
  どうしたことか
  ここ数年一輪も咲かない

070413
「メタ・・、メタ・・、何とかシンドー・・」わが家の70歳を過ぎた横文字にはとんと弱い古女房が、最近(まだ1カ月程度だが)甘いものを極力口にしないように気をつけ始めた。若い頃薬学部を狙っていただけあって、私なんかとても太刀打ちできない知識を持っている。従来からずっと、惣菜やお菓子にも甘味としての味付けは、天然の砂糖以外は駄目、コーヒーや飲み物もサッカリンのような人工甘味料は避けるだけ避けてきた。ところがどういう風の吹き回しか近ごろは、甘味には砂糖を使っていないものを選ぶようにしているようだ。どう考えても手遅れなのだがそれで気が済むならと好きにさせている。

私は健康にはとんと無頓着だ。暴飲こそ経験したことはないが、これまでにも何度か書いてきたが、肉を殆ど口にしない魚に野菜党だ。日本海の旨い魚で育ったため、関東に東下りしてからは(もう関西の生活の2・5倍になる)旨い魚を口にしたことがない。それと、戦中、戦後の貧しい食生活に馴れているせいか肥りたくても太れない体質であった。ところが、そう、ところがである、現在腹だけが目立って出てきた。妻の気にするメタボリックである。(妻は元々肉好きで野菜嫌いだったが、私との生活で肉を断たれた。しかし、今は感謝しているようだ。姻戚筋には癌で亡くなった人が多くいたため、自分も長生きできない、と思い込んでいたが、もう肉を断って40年になる。野菜と魚で助かったということらしい。)だからといって、私は何をどうするつもりもない。頭が痛くても、腹が痛くても、風邪を惹いても、熱が40度あっても、歯が痛くても、寝込んだことはない。アスピリンを飲んでおけばけろりと治る。親や妻の心配をよそに、小学生の頃から決して丈夫な体でもないのに皆勤に次ぐ皆勤で、サラリーマン時代も有給は殆ど消化した年がない。

さて、本題に入ろう、毎日新聞(4/13)から。痩せ過ぎの怖さについて記事になった。
「生活習慣病予防のため、肥満改善に取り組む人が増える一方、痩せている女性が増加している。ところが海外では、若い女性への影響を考慮し、痩せ過ぎのモデルにショーへの出演を禁止するケースも出てきた。専門家が指摘する痩せ過ぎの怖さとは、という内容」。

「肥っていないと思うけれど、痩せたい」という茨城県内の女子大学生(20)は身長161センチ、体重50キロの体型だが、炭水化物を避けたり、特定の食物だけをとるなどの減量法を繰り返してきた、という。競技スポーツをしているので体力が落ちるような極端な減量は最近避けているが、「テレビに出ている人はみんな細くて憧れる。夏までにあと4キロ減らしたい」と話した。

《痩せ願望を持つと、見る目が限られてくる。テレビに出ている人はみんな細くて・・」とは肥った人を見ないようにしているだけで、肥った人もたくさん現れる。それだけ視野が狭く、それ以外が眼中になくなり、現在の自分の問題点、より痩せて細い人を探しては自分と比較することになる。その先にある極端に細い物体がモデルというキリギリスのような病的に細いものになる。

私の美の基準は女性の本質、母体としての肉体を見る。昔の日本女性の肉体の基準は、下半身がしっかりと太く備わり、両足は踵をつけ足先を60度に開いて直立の姿勢を取った時、太ももから脹ら脛までが一直線になり、隙間のないのが体型美とされていた。今、それは、針金のような脚の間は開きに開いて後ろの景色が丸見えになる体型がもてはやされ、見るも無惨なキリギリスの脚となっている。とても「美しい」と表現できる代物ではない。》

新聞の記事も同じことがイラストで書かれてある。「女性は下半身太めが健康的?」と。
 下半身の太めには心筋梗塞などのリスク因子*が少ない
 細いと心筋梗塞などのリスク因子が多い。
 *リスク因子 - 高血圧、高コレステロールなど

痩せている若い女性が、ここ20〜30年間増え続けている。厚生労働省の国民健康・栄養調査によると、体重(キロ)を身長(メートル)の2乗で割ったBMI(体格指数:ボディーマス指数)が18・5未満の「痩せ」の割合は、
 84年は14・8% だったが
 04年は21・4% と5人に1人を超えた。

一方、男性は若年層でもほぼ横這いで、30代は減少傾向にある。佐々木敏・東京大教授(社会予防学)によると、男女の傾向が逆になるのは世界的にも珍しい、という。「痩せた女性が増えているのは食習慣の変化によるのではなく、憧れる体型の変化など社会的要因が大きい」と話す。

《日本人特有の「みんながやっているから」「みんなと同じでないと」の烏合の衆心理から来るものだ。私だけ痩せていなくては恥ずかしい、誰かに肥っていると見られたり言われるのが嫌だ、という心理。‘あるある’の納豆に引っ掛かるのも同じ心理だ。チョコレートに大豆、小豆にサプリメント、宣伝に踊る没個性の人格ばかり、卒業式や成人式に羽織袴がその典型だ。没個性と見栄っ張りが共存する。あの幽霊のような長く伸ばした髪もそうだ。他人は他人、私はわたし、人それぞれが守れるか、流されるかだ。朱に交わっても赤くならない強さが必要だ。男の髯やハリネズミ頭も同じだが。》

具体的な因果関係は不明だが、肥満だけでなく痩せ過ぎでも死亡リスクが高くなる。国立癌センターは、40〜59歳の男女約4万人を対象にBMIと死亡率の関係を10年間追跡調査した。BMI23〜24・9のグループを基準にすると、男女とも「14〜18・9」「30以上」の死亡率はそれぞれ約2倍であった。
 【低体重による体の異常】
    (鈴木真理・政策研究大学院大教授による)
 標準体重の80%以下 拒食症の診断基準
      75%以下 低身長、骨粗鬆症が悪化
      70%以下 最低限の日常生活のみ可能
           (スポーツ、重労働は困難)
      65%以下 通常の食事では体重増加が困難
      60%以下 低栄養による合併症のリスク増
      50%以下 低血糖で昏睡の危険
(参考)標準体重(キロ)の計算方法
 身長160センチ以上は      :(身長-100)x0・9
   150超から160センチ未満  :(身長-150)x0・4+50
        150センチ以下  : 身長-100
 (例):160センチの場合は(160-100)x0・9=54キロ

痩せ過ぎが招く危険の1つに、骨密度の低下による骨折がある。米国で65歳以上の女性を対象に、体重と大腿骨骨折の関係を調べたところ、
「とても軽い(57・8キロ以下)グループは
「とても重い(73・3キロ以上)グループより
 骨折した人が2倍も多かった。肥満で骨に負担が掛かるよりも、痩せ過ぎで骨密度が低下することの方が骨折の危険度を高めていたとみられる。

肥満でも痩せ過ぎでもない、健康な体を保つにはどうしたらいいのだろうか。大蔵倫博・筑波大講師(健康体力学)は「どうしても体重を減らしたいなら、腹部を中心に。下半身は太めの方が心臓病につながる危険が少ない」と話した。

「痩せ願望」の女性は多いが、3カ月以上標準体重の80%以下の状態が続き、月経がないのに異常と思わないようなら、拒食症の可能性もある。鈴木真理教授(内科学)によると、拒食症は単なるダイエットの延長ではなく、心理的な原因があるため、心身ともに早期の治療が必要だと言う。「過激な減量後のリバウンドは体が正常な証拠。痩せ過ぎで無月経になると閉経後とほぼ同じ状態になり、放っておけば子どもから一気にお婆さんになってしまうようなもの。若々しい時代を失うことになる」と指摘している。

《痩せていては美しい着物やドレスを纏っても、少しも美しい女性には見えない。弱々しく不健康に見えるだけ。男なら馬子にも衣装とも言えるが、女には、何と言えば良いのか、お線香に衣装だろうか。》

「痩せすぎモデル」07/02/05

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2007年4月13日 (金)

移民の言葉は「ゲットー」の言葉

毎日新聞(4/13)から
人種差別の大国で相次いで差別発言が続いている。一昨年の10月、アメリカ共和党保守派のウイリアム・ベネット元教育長官の「黒人の胎児、中絶すれば犯罪が減る」で物議を醸したばかりだが、今度も1人は同じく共和党の中から出ている。ギングリッチ元下院議長(63)は移民の使う外国語を「ゲットー*の言葉」と貶したと受け取れる発言をし、人気ラジオ司会者のドン・アイマス氏(66)は番組中に黒人の女子大生バスケットボール選手を「縮れ毛の売春婦」と呼んだ。両者とも釈明や謝罪に追われたが人種団体などの反発は強く、米国に根強く残る人種間の緊張関係が露呈した格好だ。

*ゲットー 中世の西欧,南欧諸国の都市で、ユダヤ人が強制的に住まわされた居住区。キリスト教徒支配者の支配が及ばない場所として、宗教的な意味を持っていた。宗教弾圧の象徴であった。また、第二次世界大戦中、ドイツが東欧諸国に侵入してユダヤ人を強制的に住まわせたところ。或いは少数民族などが集まって住む地域を呼ぶことがあり、アメリカでは主にアフリカン・アメリカン(黒人)の居住するスラム街を指す。

08年には大統領への出馬を検討しているとされるギングリッチ氏が問題発言を行ったのは先月末、ワシントンで開催された全米女性共和党員連盟の会合だった、という。
 移民の子弟らを対象に行われている英語と外国語での二カ国語教育を批判したもので、「繁栄の言語」である英語を集中教育すべきで、それ以外の「ゲットーで生きるための言語」は教えるべきではないと訴えた。

米国の移民の多くはスペイン語を話すヒスパニック系だけに、住民団体から「憎しみに満ちた発言」との批判が続出した。ギングリッチ氏はテレビなどで「米国で成功するための英語の必要性を強調しただけ」と説明したが、追いかけるように今月4日には人気動画投稿サイト「ユーチューブ」に、英語とスペイン語で「言葉の選択が悪かった」などと釈明するビデオまで掲載した。

もう1人、刺激的な発言で人気を集め、全米70以上のラジオ局で番組が放送されているアイマス氏は4日、ラトガース大の黒人バスケット選手の試合に対するコメントで口を滑らした。彼は自らの番組で謝罪したうえ、9日には04年米大統領選の民主党予備選に立候補した黒人運動指導者、アル・シャープトン師のラジオ番組に出演し「行き過ぎだった」と謝罪したが、黒人指導者や団体の怒りは凄まじく、番組からの降板を求める声は止まない。アイマス氏と契約するCBSラジオは同日、番組の二週間放送中止を決めた、という。

《日本でもお粗末な大臣のお粗末な発言が続くが、アメリカという国、肌の色の違いを人間の優劣とする考えを根強く抱いているようだ。第二次大戦中の日本人移民の迫害は真珠湾の攻撃に端を発しているが、肌が黄色であることの人種差別の方が要因としては大きかった。特に奴隷制度を布き、黒人の売買を長く認めていた歴史は黒人蔑視の最大の問題点だ。

1964年7月に、ジョンソン大統領の下で公民権法(人種・宗教・性・出身国による差別禁止)が制定された。しかし、その後も先住民、ユダヤ系、日系、アフリカ系、ヒスパニックなどの少数民族に対する人種差別問題は解決されないまま、大きな社会問題として抱え込んだままだ。》

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2007年4月12日 (木)

振り上げた拳、さてどうする

ゴネにゴネてきた北朝鮮、とうとう核の放棄をせざるを得ない状況になった。日本にとっては大変なことになったぞ。「仮想敵北朝鮮」を声を大きくして唱え、国民を怯えさせ、恐いぞ恐いぞと煽り立て、今や日本中に迎撃ミサイルの放列を布こうと配備を始めた矢先だ。巨額の予算を分捕り、これから何年もかけて日本中をミサイル基地で埋め尽くそうと企んだ政府、防衛省、振り上げた拳の下ろしようがなくなったぞ。基地に金をかける大義名分がなくなったんだ。狙って来る敵もなくなり、狙うテポドンも飛んで来ない。それでも尚、仮想敵として今度は日本が海上から、陸から狙い続けるつもりか。将に安倍は憲法の改正を目指し『低い低いハードルの過半数』(投票率、有効絶対数などの枠決めもしないまま)を設定して、政府を私物化(私の政府)した上で、戦犯祖父総理の思いを達しようと目論んでいるさ中だ。

アメリカが譲歩に譲歩を重ね、最終的には不法資金と看做される分も含めた全額返還、となった。北朝鮮に核を放棄させる約束を実行(するか、しないかは北朝鮮任せ)するように追い詰めた。世界の金持ちにははした金の、たった30億円だが、北朝鮮の金さんには何が何でも欲しがった金だ。さて、次の手をどう打ってくるか。素直に核の放棄に繋がるのだろうか。それとも逆にナショナリスト安倍に力を貸すことになる、次のゴネる種をぶつけて来るか。

今朝(4/12)の毎日新聞社説は、米国務省とマカオ当局は10日、バンコ・デルタ・アジア(BDA)銀行の北朝鮮関連資金約2500万ドルについて全額凍結を解除すると発表した、と書いた。今後の焦点は、6カ国協議で合意された初期段階措置を北朝鮮が完全履行するかどうかに移った。
 米NBCテレビは10日、北朝鮮の金佳冠(キムゲグヮン)外務次官がリチャードソン・ニューメキシコ州知事との会談で、マカオのBDAの北朝鮮関連口座凍結解除を受け、30日以内の核施設の停止と国際原子力機関(IAEA)の査察官受け入れを約束したと伝えた。
 また、同知事は11日、南北軍事境界線上の板門店を越えてソウルに入り、記者会見の席で「北朝鮮は(6カ国会議で合意した核施設閉鎖など初期段階措置の実施期限である今月)14日までに国際原子力機関を呼び、寧辺の原子炉閉鎖に関する文献作成手続きに入るよう期待する」と述べ、北朝鮮に期限内に核施設閉鎖の作業に着手するよう促した。
 次いで知事は、金佳冠北朝鮮外務次官が9日の会談で、核施設閉鎖時期を「今後30日以内」と発言したことに関し、「BDA問題の解決の遅れから出た発言で、その問題はすでに解決したのでもっと早期に可能になる」と説明した。作業着手から数日程度で閉鎖できるとの認識を示した。

社説に戻って、今回、米国が強いられて妥協したことが少なからぬ問題を残した、と指摘する。
 1つは、米国の譲歩は自ら掲げた国際金融ルールに矛盾する内容をはらんでいる。それだけに、北朝鮮が今後、他の金融機関で非合法資金を操る前例として悪用しない保証はどこにもない。
 2つには、米国の金融制裁は北朝鮮に核問題の譲歩を促す効果的なカードであったことは疑う余地がない。制裁解除にあたっては慎重な対応が必要であったが、解除までのヒル米代表らの詰めの甘さがあった。

口座・資金問題が解決をみた以上、北朝鮮には速やかに初期段階措置を履行することが求められている。だが、直前になって新たな難題を持ち出してくるのが北朝鮮のやり方だった。今後も、テロ支援国指定解除問や軽水炉供与などを持ち出す恐れがなくはない。

日本政府は、北朝鮮に対する輸入禁止と船舶入港禁止などの独自制裁措置について半年間延長を決めた。6カ国協議では日朝作業部会も設置されたが、日本側の拉致問題には一切耳を貸さず、北朝鮮は誠意ある対応を示さなかった以上、制裁を解除する理由はない。

米政府内には「2500万ドルで寧辺の核施設を封印できれば高い買い物ではない」との政治判断があったと言われる。その判断が正しかったかどうかは今後の北朝鮮の対応を確認するまでわからない。

《社説は問題点を北朝鮮に向けたものだが、私見のように着々とミサイル防衛を整備しようとしている日本の国内政治のことには一切触れていない。北朝鮮はすんなりと核廃棄には動くまい、と仮設を立ててご丁寧にアメリカにさえこれからも注意を怠るな、と警告を発しているのだ。それ以上に私は、盲蛇に怖じず、盲滅法、猪突猛進、独断専行して何が何でも憲法を改正しようとするナショナリスト安倍にこそ恐怖を感じている。北朝鮮に向かって日本が振り上げた拳、一体どうするつもりだ。拳にはしっかりと、自国民の頭上に落ちるかも知れないミサイルが握られているのだが。》

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2007年4月11日 (水)

『日韓歴史共通教材』完成

毎日新聞(4/4)から
歴史認識を巡っては、多くの紛争が繰り返される日韓で、共通の高校教科書をつくったらどんな内容になるか。こんな興味深い試みが『日韓歴史共通教材—先史から現代まで』としてまとまり、双方で同時発売された(日本語版元は明石書店)。両国の歴史研究者や教員が10年がかりで編集したものだ。日韓共通の通史は前例がなく、互いの歴史認識を深める土台として期待が大きい。

《日韓の作業に遅れはしたが、日中でも同じテーマの取り組みが緒に着いたようだ。3月19日、日中両国の学識研究者による「日中歴史共同研究」のメンバーが、麻生太郎を表敬訪問した。中国側座長の歩平・中国社会科学院近代史研究所長が「中国と日本は地理的には近い距離にあるが、心の距離は少し遠い。議論の中で理解が深まって行くことを期待する」と、研究を通じた相互理解への意欲を示した。

 これに対し、麻生は「自由率直に議論し、相手の意見を国内で紹介していける環境づくりが不可欠」と指摘、「(4月の)温家宝首相訪日を成功させる上でも、今回の研究が実りのあるものとなることを期待する」と応じている。この両国の共同研究は昨年12月に北京でスタートしていて、今回は19日から2日間の日程で行われた。なんと、12日間、20日間ではない。これだけのテーマを議論するのに本気でお互いに2日間でいいのか。本当に真面目にやる積もりはあるのだろうか。顔を合わせて挨拶をして、お茶を飲んでお終いだろう。》

日本側は東京学芸大の教員や卒業生ら、韓国側はソウル市立大の教員らが編集に参加。97年以降、15回もシンポジウムを重ね、一字一句の修正にも互いに相手の同意を得ながら記述を確定させていった。

(大意) こんな手間の掛かる遠大な企画が出版まで漕ぎ着けたのは、双方とも自国の歴史教科書に問題ありと考えていたからだという。戦前の侵略実態や責任をぼかそうとする日本の姿勢はよく批判されるが、韓国にも問題はあった。一例が古代における日韓の交流だ。百済など三国時代に日本に高度な文化を伝えたのは事実だが、その優越感や恩恵の施しぶりは韓国の研究者がみても「研究を越えて過度に強調されている」という。
 古代に関しては日韓に大きな対立が生じることはなかった。
 中・近世は「倭冦」が難題となった。最終的に本分では「朝鮮半島と中国の沿岸部を中心に活動した日本人の海賊」と記されている。
 近・現代はどうしたら日韓の理解が深まるかに議論の力点が置かれた、という。特色の一つは、植民地時代の韓国の抵抗を詳しく位置づける一方、「侵略と抵抗」という陥りがちな単純化を避けた点だ。日本からは植民地支配を批判した吉野作造や、朝鮮王宮の正門取壊しに反対した柳宗悦ら、逆に韓国から東学農民運動(かつて日本では東学党の乱と呼んだ)の指導者、全捧準(チョンポンジュン)、独立運動家申采浩(シンチェホ)ら、日本人には馴染みの薄い朝鮮人も出てくる。

日本側編集委員の1人、君島和彦・東京学芸大教授(日本近代史)は「吉野らの記載は、十数年前なら『侵略全体を合理化することになる』と絶対に反対された。韓国の日本理解が進んだ証拠であり、大きな進歩だ。逆に日本人も、知らない朝鮮人の名前に接したら『こういう人を理解しないと韓国は理解できない』と知ってほしい」と話している。

この他には放送や活字でしばしば目にしてきた日本の軍国主義、侵略、植民地政策をそう呼んだ「日帝」の表記はなく、日本政府、日本軍、日本人などと、実態に応じて書き分けられた。韓国の読者には新鮮に映るかも知れない、という。

10年の作業を終え、君島さんは「日韓が全く同じ歴史認識を持つ必要はないが、互いが知って欲しいこと、互いが話をするための共通認識は一致できると思う。妥協的な点もあるが、そのモデルができた」。また、別の編集委員・木村茂光・同大教授(日本古代・中世史)も「難しいところを分担執筆したが、両論を併記することもなく、双方のギリギリの線を探した。こんなことができるのだということが、みんなの驚きだった」と振り返っている。

《共通教科書の作業は、日本と韓国・中国との間の問題と同じように、ヨーロッパにおけるドイツ(ナチの虐殺)とフランス(植民地主義)との間の問題でもあった。欧州統合を牽引してきたドイツとフランスが共同で編纂した共通歴史教科書が、現在すでに学校現場で本格的に使われ始めている。共通教科書は03年、エリゼ条約(独仏友好協力条約)40周年に行われた両国の青年会議が、「偏見や誤解から両国が対立しないように」と提案したことから同年、独仏首脳が刊行に合意した。両国の専門家が委員会をつくって構成案を出し、歴史家や現場の教師が執筆した。三冊で構成され、第二次大戦後の分は06年5月に完成した。今後フランス革命まで、革命から第二次大戦まで、と刊行が予定されている。教科書全体の4分の3は共通、4分の1は自国の制作部分となる。負の歴史に目を背けず、戦争の記憶を両国の絆にするために取り組まれたものだ。両国とも日本と違って過去から何度となく国境線が変り、国家としての形態も変化してきた両国だ。考えようによっては日本よりは作業もし易い関係にあっただろう。

日中の歴史共同研究に当って(或いは歴史教科書をつくるに当って)近藤孝弘(教育学者)が1998年に中央公論より出版した『国際歴史教科書対話 ヨーロッパにおける過去の再編』で紹介しているバートランド・ラッセル*の次の一文を、特に歴史認識に疎い麻生に読ませたい。

*バートランド・ラッセル はイギリス生まれの論理学者、数学者、哲学者で、アリストテレス以来の論理学者と言われる。

『(子どもたちは)自分たちの国家が行った戦争はことごとく防衛のための戦争で、外国が戦った戦争は侵略戦争なのだと思うように導かれる。予期に反して、自国が外国を征服する時は、文明を広めるために、福音の光をともすために、高い道徳や禁制やその他の同じような高貴なことを広めるためにそうしたのだと信じるように教育される』(「教育と社会体制」1932年)

麻生が台湾について、韓国について語る時、あまりにラッセルの言葉どおりなのに驚く。ラッセルにはさぞかし(まるで子ども麻生)のままに映るであろう。その麻生が「日中歴史共同研究」のメンバーに、自由率直に議論し、相手の意見を国内で紹介していける環境づくりの不可欠性を説いてもまるで説得性はない。共同研究がまとまるのはまだずっと先になると思うが、相手国とお互いの歴史認識が共有できるよになれる結果を期待したい。》

参照 「麻生太郎、このばかなるもの」06/02/16

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2007年4月 9日 (月)

迎撃ミサイル配備

3月30日の毎日新聞一面に、恐ろしい記事が掲載された。
着々と仮想敵に対する軍備が進められている。本当に何処かの国(政府の頭の中にあるのは言わずもがなの北朝鮮だが)が攻撃を仕掛けて来るとでも思っているのだろうか。「備えあれば憂いなし」は、そこら日常の泥棒か地震、火事に対することだろう。何兆円もの税金を使ってミサイルを備え付けることじゃない。まるで挑発行為をしてでもいるかのように見える。

地上配備型迎撃ミサイル「PAC3*」のレーダー装置など装備一式が30日早朝、航空自衛隊入間基地(埼玉県狭山市)に到着し、自衛隊に初めて配備された。昨年7月の北朝鮮の線香花火のようなミサイル発射を受けて、07年度中に予定していた配備が前倒しされたもので、北朝鮮から飛来した弾道ミサイルを撃ち落とすミサイル防衛(MD)システム**の事実上のスタートとなった。入間基地の他には東京都の中心の皇居前広場や日比谷公園などの国有地や都の所有地の使用が検討されている。民有地や私有地の場合、地権者や自衛隊の出動に批判的な責任者の理解を得るのが困難である、と判断してのことだ。

 *パトリオットミサイルPAC-3 - パトリオット(Phased-Array TRacking Intercept Of Targetの略で『愛国者』の意味)。ナイキミサイルの後継としてアメリカ軍向けに開発したもので、広域防空用地対空ミサイルである。PAC(Patriot Advanced Capabilityの略)-3の型式は能力発展型第3段階ほどの意味。
 **MDシステム - (Missile Defenseの略)ミサイル防衛システムのこと。相手国から発射された弾道ミサイルを、着弾前に2段階(最終段階)で撃ち落とすシステム。第1段階は、海上からイージス艦による海上配備型迎撃ミサイルSM3***で大気圏外で迎撃。第2段階は、地上配備型のPAC-3で落下前に撃ち落とす構想。
 ***SM3 - (Standard Missileの略)アメリカ海軍が開発。

SM3は今年12月、イージス艦「こんごう」に初めて搭載される。その後4隻に10年度中に積み込まれ、海上配備が整うことになる。
 海上、地上の配備とともに、弾道ミサイルを捕らえる新型レーダーなど計6基も下甑島(鹿児島県)、佐渡(新潟県)などに整備される。これらシステムの総経費は8000億から1兆円に上るとされ、整備完了は12年度の予定となっている。

ただ、PAC-3の守備範囲は15〜20キロと狭く、事前に飛来する地域に移動しなければ役に立たない点や、命中精度に疑問の声もある。周辺国(北朝鮮を指すが)からミサイルが発射された場合、10分以内に迎撃する必要があり、即応体制も未知数のままだ。どこへ飛ぶか不安なミサイルは、自国民の頭の上に落下することもあるし、15〜20キロという極地範囲では、日本中隈なく配備して置かなければ日本は守れない、ということになる。北朝鮮がミサイルを日本に向けて発射する、という架空の話で国民の恐怖を煽りに煽る。

防衛省は、10年3月までに浜松(静岡県)、岐阜、春日(福岡県)の空自高射群にPAC-3を配備する予定で、それぞれ関東、近畿、北部九州の防禦を行う。その他の地域については、土地の借上げ手続きや土地使用料を必要としない市ヶ谷駐屯地(新宿区)や練摩駐屯地(練馬区)の土地を最優先で使用することを予定。既成事実を積み上げるやりかたは、自衛隊が膨らんできた道筋と同じで政府の常套手段だ。次の段階に移る時は既に国民は抵抗することが不可能な状況になっている。

現在、仮想敵北朝鮮は、核放棄に向かって動かざるを得なくなっている中、平和憲法を蔑ろに大国でもない日本は力の軍拡を進め、大国米・ソの冷戦時代の轍を踏む。それが如何に空しいものであったかを嘘のように忘れてしまって。

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2007年4月 8日 (日)

母の教え

毎日新聞(4/1)から
福岡県大牟田市明治町の永江茂夫さん方で5人の遺体が見つかった事件で、永江さんの子ども3人が福岡県警の調べに対し「亡くなっているのは私たちの家族。死者は生き返るという考え方を家に持ち込んだのは母だった。小さい頃から『死んだら生き返る』と言い聞かされていた」と話していることが判った。県警は3人が、死亡した家族が生き返ると信じ、遺体を放置していた可能性があるとみて、3人からの事情聴取を続ける、という。

県警の調べでは、永江さんは生きていれば99歳で8人家族だが、永江さん夫婦と次男、長女、次女の計5人の行方が判っていない。長男と、三女、四女は市内に別の住まいがある。長男の話によると、約20年前に永江さん、娘や妻が続き、約5年前に次男が死亡している。「両親は老衰、兄弟は病死した」と説明し、家族が死亡する度に「拝んでいたら生き返るかもしれない」とそのまま寝かせていたという。遺体が寝かされた部屋には神棚のような棚が作られており、小さな像が置かれ、線香を焚いた跡があった。

三女らは「うちは元々仏教だったが、母が神さまを信じるようになり、次に次女が『死んだら生き返る』というようになった」と話しているといい、永江さんの死亡時も次女が「お父さんは生き返るかもしれない」と言い、押し切られたとの説明をしているという。

《日本人の多くは、仏教と神道との違いについて理解していない。この家族はその本質的なことを理解していたようだ。》

現在まで永江さん夫妻に支給されている年金は三女、四女らが管理していたらしく、県警はさらに経緯を聴く方針だという。県警は4日、長男(69)の立ち会いのもと永江さん方の実況見分を始めた《年金詐取の疑いでもあったのか》。また同日、5遺体のうち2体の司法解剖を終えたが、白骨化が進んでおり、すべての遺体の解剖後に総合的に判断しないと死亡時期の特定も難しい状態であるという。

《今どき、と思うような話だが、思い返してみればよい。キリスト教では磔刑になったキリストが生き返ったことになっている。それは2000年以上の後の現在でも信じて入信する人が後を断たない。人間の自然発生的な素朴な感情として、命の復活を願う心があってもおかしくはないし、何かを信じるのに誰かの一言で、それが庭の草であろうと、イワシの頭だろうと森羅万象が対象になり得る。特にその対象が、命の存在の解り易い身近な愛する人間であれば尚更だろう。》


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2007年4月 7日 (土)

親のこころ 子知る・・?

Sweetpea2 真っ白なスイートピー
 別名 麝香豌豆
(馥郁とした、とにかくいい匂いだ)
 マメ科の植物だが
 観賞用に栽培されている
 花言葉:門出、思い出、別離など

すでに入学式の終わった大学、これからの大学、みなが思い思いの教育の場に、希望を抱いてゲートをくぐることになる。格差社会に揺れる中とは言いながら、楽に高額授業料が出せ、高級住宅に住み、或いは部屋が借りられ、充分な小遣いが手にできる家庭の子女には関係のない話になるけれど、一般の家庭の経済状態は、苦しいらしい。らしい、と書くのは学費は自分の体で稼ぎだし、安アパートの3畳、4畳半部屋で自炊し、痩せ細り、休学しながら何年も掛けて大学を卒業できればよい、休学のまま復学できず、労働者となっていく人間のいた時代を見てきた世代には、齧ると出てくる金蔓の、親の脛があるだけ羨ましい。

親はどこまでが親の責任と感じているのか知らないが、ハタチを過ぎた息子、娘にまで苦しい中から十分と言える援助をすることはない。現在話題になっている国民投票も、投票権を18歳という年齢にまで下げて、投票させようとしている。いずれ国会議員選挙の投票も18歳に下げられる時代が来ると思う。ということは立派な大人としての扱いがされるようになる。親の庇護下にあるとはいえ、大学生にもなれば小遣いぐらい自分で稼ぐことができなければ、生きていけまい。往時の大学生で最も多くいたのが家庭教師だった。と書いてみたが、しかし、ちょっと待てよ。現在のように小、中学生並みの大学生の多い時代だ。とても家庭教師が勤まる人材はそう多くはいまい。やはりここは痩せた脛でも親のお情けに縋るよりないだろう。

【閑話休題】小、中学生並みに言うけれど、この四字熟語の意味は、“ちょっと休憩”じゃないよ。これからいよいよ“本題に入ります”よ、ということだからね。

毎日新聞(3/20、4/1)から
首都圏の私立大学・短大に昨春入学した子供を持つ家庭の入学費用の平均借入額が初めて170万円に達したことが、東京地区私立大学教職員組合連合(東京私大教連)の調査で分かった。このうち自宅外通学者を持つ家庭の借入額は207万円となり、過去最高を更新した。一方で仕送りの月平均額は初めて10万円を割り込み、私大生を抱える家庭の厳しい台所事情が浮き彫りになった。

調査は85年度から毎年実施。今回は昨年5〜6月、1都4県(栃木、埼玉、千葉、神奈川)の計20大学・短大に進学した学生の保護者を対象に郵送で行い、3万2000世帯のうち4054世帯(回収率12・7%)から回答を得た。
 ♦自宅外通学者を持つ家庭でみると、初年度にかかる費用は前年比0・9%減の平均307万2420円だった。
しかし、93年度から調査項目に追加された入学費用の銀行その他からの借入れは30・8%(平均207万円)の世帯に上り、3世帯に1世帯は借金をして子供を大学に通わせている状況だ。
 ♦自宅通学者の家庭でも25・2%の世帯が平均138万9000円を借入れていた。
自宅通学と自宅外通学の平均借入額は174万3000円となり、過去最高を更新した。

また、1カ月の仕送り額(昨年6月時点)は6年連続の9万9200円にとどまり、調査開始以来初の10万円割れとなった。家賃平均を除いた生活費は3万9100円で、1日当たり約1300円で生活している計算になる。受験から入学までの費用の負担感について、89・7%の世帯が「たいへん重い」「重い」と回答した。

もう一つ別のデータを。全国大学生協連合会(加盟229校)は1963年からほぼ毎年「学生の消費生活に関する実態調査」をしている。これにょると、親からの仕送りの月額平均は70年以降96年までは右肩上がり(約2万から10万円弱)だが、その後は下降傾向になっている。バブル崩壊後もしばらくは、上がり続けており、同会広報担当は、「親は自分の生活が苦しくなっても、子どもへの仕送りは、減らせなかったのではないか」とみる。
一方、親の生活で支出のトップは居住費で、86年にそれまでトップの食費と逆転した。80年当時、マンション住まいは2・9%だったのが、06年には29・8%になり居住費が高額になっていった。携帯などの電話代は06年が月5860円だったのが、メールの普及や割引き制度の恩恵で、00年からは4割も減ったという。

仕送り額はここ数年、下降傾向にあるが、ぎりぎりのところで子どもを支えているからこそ、親は収入の減少に伴って仕送りも減らさざるを得ないのだろう。

親にそこまで苦しい思いをさせてまで大学は行くところだろうか。上のような一日1300円で生活しているような学生はおるまい。アルバイトや別収入のことに触れられていないから勝手な想像になるが、1300円で携帯片手にのんびりと生きられるわけがない。一日二食で、いや、一食で我慢してもいまい。コーヒーも飲めまいし、デートなどもっての他だろう。とても信じることのできるデータではない。結局頼るのは親になる。親は「重い、重い」負担と言いながらも骨や身を削る。親バカに支えられて子どもはのんびりと学園生活を送る。それでどこまで子は親への感謝の気持ちを持っているのだろう。

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2007年4月 6日 (金)

離婚後の再婚禁止期間6カ月は短縮いたしません

毎日新聞(4/6)から
真っ当なモラルの持ち主が政府にも法務省にもいたようだ。人間の出産までの期間がおよそ10月10日(とつきとうか)を大前提に、女性の再婚禁止期間が設けられた。どんなに理屈をこねようが、離婚後300日以内に赤ちゃんは産まれない。もしも、産まれれば、前夫の子以外にはあり得ない。昨今のように勝手気侭や我が侭が、自由であるかのように思い込む無責任さが、人権や人間性といった言葉の裏に隠されて、性道徳のけじめが失われてしまった。

夫が如何に暴力を振るおうが、酒癖が悪かろうが、浮気をしようが、何年別居をしようが、基本的には女性の妊娠期間に変化はない。法的な婚姻解消の6カ月後の、そのまた10月10日の後に産まれる。ということは、小学生でもできる簡単な算数だ。再婚禁止期間の6カ月プラス妊娠期間だ。何度計算しても、300日よりも短い日数にはならない。再婚禁止期間明けの当日に受胎したとすると、離婚からの300日目の胎児の日数は120日目で未熟児とも呼べない。日本の法律でいう「人」として、体外で生きることの可能な155日にすら達していない。まさしく受胎のメカニズムとの関係に根拠をおいた法になっている。その禁を破るから問題が発生しているのだ。破られている禁が、離婚前の夫以外の異性との肉体関係ということになる。暴力や酒乱、浮気や別居がなぜ夫以外の男との性関係に直結し、妥当性を主張する理由になるのか。そしてその結果がなぜ、法を変えなければならない理由になるのか。

法務省は5日、「離婚後300日以内に誕生した子は前夫の子」と推定する民法722条の運用を見直す民事局長通達を月内にも出す方針を決めた。離婚後に妊娠したことが医師の証明書で明らかな場合、離婚後300日以内に産まれた子でも、「前夫の子ではない」とする出生届けの市町村への提出を認めることになる。医療技術の向上で、妊娠期間を高い精度で確定できるようになったことから、運用で見直すことにした。

これで、離婚後の妊娠が明確なら、仮に早産で300日以内に出産しても、裁判をせずに現夫の子として出生届を出せることになる。一方、当然のことながら、離婚協議が長引いている間に新しいパートナーとの間の子を妊娠したケースは救済されないことになる。

新聞は次のように書いている。「救済2割程度」、「離婚前に妊娠するケースも多い。この通達だけでは2割程度しか救済されない」と。なぜ救済しなければならないのか。自ら勝手に行動して妊娠した結果だ。みずから責任を取れば良い。おかしいのは彼、彼女たちは「私たちは何も悪いことをしていない」と禁を犯していること、破っていること、不道徳の自覚が全くない。そしてマスコミは「産まれてくる子に罪はない」と問題を摺り替える。確かに子どもに罪はない。己の自由で生んだ親が、従来どおり自己責任において裁判所に申立てて解決するべきことなのだ。短絡的に法律を変えろ、と要求するべきではない。

一方、与党は300日規定を見直す特例新法案の準備を進めている。こちらは今回の通達内容のほか、再婚後であれば前夫が「自分の子でない」と認め、DNA鑑定でも証明できるケースについて、「前夫の子ではない」とする出生届けを認める内容。
 新法案は「離婚後300日以内に誕生した子は前夫の子」と推定する民法772条と、
 女性の再婚禁止期間を6カ月と定めた同733条の二つを見直すものだ。
このうち、再婚期間を100日に短縮することについては、もともと自民党内に慎重論が強く、中川昭一政調会長の指示で今国会中の実現は見送られる見通しとなった。一方、772条の見直しについては公明党が強く主張していることもあり、与党プロジェクトチームで再調整することになった。ただこの問題、自民党だ公明党だ、と党の違いの問題か。

法務省は、新法が施行された場合でも、同様の通達を出して出生届の取り扱い方法を指示する必要があることから、議員立法の動きとは別に、運用の見直しを優先することにした。自民党の中川政調会長と会談した長勢甚遠法相は「親子関係を推定するうえで772条の考え方は合理的だ」とし、現行法の維持を前提に法改正ではなく運用見直しで対応すべきだとの考えを示した。

長瀬が一番真っ当な考えを持っているようだ。妊娠のメカニズムを考えれば、現行法を変更する必要性は全くない。周りで騒ぎ立てているものは、医学の進歩をかたって現行法が如何にも時代遅れと指摘したいようだが、人間の妊娠期間が短縮されているのなら理解できなくもないが、10月10日に変化はない。現行法の骨子は明治の人間が作り上げたものだが、一世紀を経てもなお、色褪せたものとは言いがたい。悪法ではない限り、法律は破るためにあるのではない。守るためにあるのだから、どうしても我慢できなくなった時には、そう、バースコントロールをすることだ。そうすれば300日規定は沈静化すること間違いない。

【追記】2008/6/11
妊娠期間300日問題について、関連する内容でおよそ40本の記事を書いている。日かずの数え方についてご指摘下さる方がいらっしゃる。ありがたいことだが、私の文意が伝わっていない。どのような理由(暴力、浮気、酒乱、別居等)があれ、離婚(法における)後6ヶ月(100日とする案でも同様)の再婚禁止期間経過後の出産が、物理的に不可能な300日以内であるわけがない。どれだけ長く別居していようが、法律上の夫は存在し、離婚したことにはならない。そのことにも触れて書いた次の記事を参照して下されば有難く思います。『300日問題の家族、法相と面会』08/05/21

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2007年4月 5日 (木)

“ソロモン”地震

毎日新聞(4/3)から
4月2日朝発生した南太平洋のソロモン諸島近海の大地震で、首都ホニアラの警察本部は同日午後、震源に近く、最も被害が大きいとみられる西部ギゾ島周辺にヘリコプターを派遣し、被害の実態調査と救援活動を開始した。警察本部は、同国で少なくとも14人が死亡したとしているが、通信が途絶えている地域もあり、被害はさらに拡大する可能性もあるとみている。チョイスル島など少なくとも二つの島で警察署が津波によって水没したという。ギゾ島の警察によると、50棟以上の家屋が倒壊し、電力も途絶えており、少なくとも数百人が自宅から避難しているとみられている。

《地震のニュースは大変気の毒なことだが、同情するだけの心の余裕はない。“ソロモン”の響きを聞いた途端に忘れかけていた思い出が急遽蘇ってきた。今を去る65年前、当時海軍軍人であった上の従兄弟が海戦で艦とともに海の藻屑となったのだ。1941年12月8日、ハワイの真珠湾攻撃で日本中がその戦果に酔いしれ、提灯行列で万歳を叫んでから半年後、1942年6月5日のミッドウェー海戦で日本の連合艦隊は大打撃を受け、敗戦への道を辿る羽目に陥る。続く1942年8月9日の第1次ソロモン海戦から11月14日の第3次ソロモン海戦に亙る海戦で、日本の海軍力は戦えば負ける海戦を繰り返した。ソロモン群島の一つ、激戦の島ガダルカナルから1943年2月1日撤退する。遂に1943年5月29日アッツ島の玉砕に始まる玉砕戦が始まった。1943年11月25日マキン・タラワから、44年6月19日マリアナ沖海戦に敗れ、44年7月7日サイパン島の玉砕、44年10月24日レイテ沖海戦に敗れ、遂には日本領土に撤退し、45年3月1日硫黄島が陥落する。

政府や軍は、最期の一兵まで戦え、本土決戦に備え、内地に残った女子にまで竹槍を持たせ、1人1殺を叩き込んでいた。日本は狂気の状態になっていたのだ。アメリカを主軸とする連合軍は、45年4月1日沖縄に上陸し、日本軍が住民を巻き込んで戦った沖縄戦は6月23日終結、占領されることになる。広島に原子爆弾が落ちるのはこの後、たった44日後のことになり、決定的な敗北を味わうことになった。

“ソロモン”、今なお私の心には毛髪1本の遺品もない、従兄弟の死が犬死でないことを祈る気持ちでいっぱいだ。戦犯総理の孫、安倍が狂気の憲法改正を仕掛け、日本が再び戦争が可能な国にしようとする魂胆は、先の戦争で国に命を捧げた軍人や戦火に逃げ惑った多くの日本国民の願いなのだろうか。戦後生まれで戦争を知らない、その上歴史から何も学んでいない人間たちが国を操縦することの恐ろしさを昨今ひしひしと感じている。》

参照 「1943(昭和18)年」2005/12/26

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2007年4月 4日 (水)

赤坂議員宿舎

毎日新聞(4/4)から
東京都港区に建った衆議院赤坂議員宿舎、建物の立派さと格安家賃の不釣り合いが批判され、連日マスコミで取り上げられ、取り敢えず、選挙が終わるまでは表向き気の弱いことを見せて置こう、と‘せんせい’たちが入りたがらない。そこで昨3日、衆議院運営委員会の逢沢一郎委員長が、家賃は妥当である、と議員に入居を促す異例の「委員長談話」を発表した。

それによると、宿舎は「地方選出議員が地元との二重生活を余儀なくされながら議員活動を行っていくために設置された」、「東京での居住環境を合理的な自己負担の下に保障することで、国政に専念できる環境を整備することで、国民の負託に応える上で必要不可欠」と訴えている。

さらに、都心の一等地ながら3LDKで月額約9万2000円の家賃についても「国家公務員宿舎合法施行令により算定した額に、5%を加算した額」と説明した。各党に対し「使用料による国庫収入を確保していくためにも速やかな入居」を所属議員に働きかけるよう求めている。

同宿舎は辞退や保留が相次ぎ3分の1程度が空室になる可能性がでている。3日の議員運営理事会で民主党が「衆議院として宿舎の必要性を国民に説明する必要がある」と提案、自民、民主、公明3党の理事が協議し、逢沢の談話発表となった。

《国民の税金を自分の小遣いと勘違いしていらっしゃる、‘せんせい’のご発言。そもそも貨幣価値の基準が違うところにあるようだ。赤坂近辺の不動産業者の見積もりは、とても10万以下で入居できる代物ではないようだ。何かと言うと「国民のために働いている」とおっしゃるが、今のところどう見ても国民の納めた税金を無駄遣いするために右往左往しているだけとしか思えない。国民の多くが毎日の生活に苦しんでいるのに、これを問うこともせず、右往左往に空で行く航空運賃は「タダ」、陸を行く新幹線も「タダ」、はがき、通信費には多額の援助。植木等風に言うと、『気楽な家業(稼業であって欲しいが、望めないだろう)ときたもんだ』だ。国民の平均年間所得(2004年)約580万円に較べ、国会議員さまの平均は4400万円(厚生労働省調べ)。これで格安家賃の言い訳になるか。‘せんせい’たち、それほど立派なお仕事をしていらっしゃるのだろうか。政治には金が掛かる、とは常に口にする言い訳だが、一方で湯水のように無駄を垂れ流している。》

また、昨年省に昇格後、初代防衛相になった久間が、3日の会見で赤坂宿舎入居の意思を問われると「私は行くつもりだ」と即答し、批判は筋違いだと反論した。このおっさん、暴言、妄言の絶えないことで名前を上げているが、「東京で豪邸を持っていない人は(家賃を心配して)選挙に出られないような雰囲気(になるの)はだめ」と語ったという。

《逢沢も久間も同列だ。議員には金儲けのために出てきたのか。無一文でも、借金してでも国民のために働きたい人だけが、出るのが本来だ。東京に豪華な家を持つ議員は、祖父伝来の土地で、安穏に暮らしてきたのは事実だろう。だからといって、それを引き合いに出すのは本末転倒のことだ。七光で優雅に暮らす連中と比較して、格安家賃の宿舎にはいることを正当化しても納得できるものではない。久間は焼け石に水のような使用料を口実に「使用料による国庫収入を確保していくためにもすみやかな入居」をと、全く逢沢と同じだ。どちらも手前味噌で作り上げてきた法律を楯に、法に添ってやるだけ、とは余りにも傲慢に過ぎないか。それほど宿舎に正当性があるのなら、こんなのはどうだ。赤坂近辺の不動産やさんたちに入居費の査定をして決めて貰うってのは、それなら逢沢や久間が言う「国庫への収入確保」を、多少とも国民が理解しようとするのではないか。》

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2007年4月 3日 (火)

幼児の夜泣き

Rengeso_1 やはり野に置け蓮華草、
 が、
 プランターで窮屈そう


Tsutsuji_1 いつ植えたのか
 覚えていないつつじだが、
 サザンカの根本で
 毎年奇麗な花を咲かせる

毎日新聞(4/1)から
紙面構成が多少変って新しく「子ども相談室」が設けられた。絶えることのない親の子ども虐待、生み捨て、殺人など、親になる資格のない人間たちのことが報道される中、子育てに苦しんでいる親たちに、参考になる事例が載ればいいが。

先ず最初に記事になったのが、1歳半になる男児の夜泣きに困っているお母さんからの相談だ。「1歳半の男児。生まれてからずっと、夜1時間おきに起きて泣きます。おなかがすいているわけではなさそうで、添い寝をし、おっぱいをくわえさせればすぐ寝ます。朝7時に起き、午後は1時間半ほど昼寝、夜9時には寝るというリズムはできています。外でも毎日、活発に遊んでいます。どうすれば朝まで続けて眠るようになるでしょうか。」(神奈川県・35歳女性)

答えるのは小児科医・加部一彦。
 寝る前までは特に機嫌も悪くなかったのに、夜中に突然泣き出してどうにも泣き止まない、などという状態を「夜泣き」といい、「特に泣き出す原因が見当たらない」ことが特徴です、と言う。《こんなこと知らないお母さんがいるのかな? 突然泣き出して、何の原因も分からないから困って相談するお母さんが多いのだろう。》

一般に夜泣きは、生後2カ月頃から1歳半ごろまでの間にみられ、特に生後6〜9カ月ごろに多いといわれいますが、3歳近くなっても夜泣きが続く場合もあります。夜泣きが起る時間帯や泣き方は、お子さんによってさまざまですが、一度泣き出すとなかなか寝ついてくれないことが多いため、お父さん、お母さんにとって何とも厄介な状態です。

夜泣きは、子どもの睡眠サイクルが未発達であることが原因と考えられ、成長に従ってやがては治まっていきます。乳児期を過ぎても夜泣きが続く場合は、単に睡眠のリズムの問題だけではなく、日中の出来事(怖い目にあった、お母さんに叱られた、友だちと喧嘩したなど)が影響したり、「ゆめ」を見たり、おねしょがきっかけになって泣き出してしまう、などどいったことも考えられます。

「おっぱいをくわえさせればすぐに寝る」とうのは心理的な安心感を得ているのでしょう。「添い寝」や「添い乳」は子どもを甘やかすことになる、という意見もありますが、情緒安定のためには添い寝が効果的であるともいわれます。直ちに止める必要があるとまでは言えません。

《核家族の中で身近に弟や妹がいないで育てられたお父さんや、お母さん、乳飲み子の生態を知らずに子どもをもうけ、どうしていいか分からなくて困っている様子が伺えるが、乳飲み子が夜泣きするのは成長過程での当たり前のこと。乳飲み子は、泣く以外に運動のしようがないのです。24時間横になって寝ていては、多少のエネルギーも消費するだろうけれど、泣かなければお腹も空かない。泣いて運動し、おっぱいの要求をしているのです。よく泣かせればよくおっぱいも飲んでくれます。乳飲み子の泣くことを気にすることはない。

お母さんたちの子育てサイトでは「うちの子は2ヶ月でおっぱいを離れました」「うちの子は2歳になるのにまだおっぱいを欲しがります」などなど、賑やかだが、他人の子どもと比べるのは愚の骨頂です。先進国でも子どもの授乳は欲しがれば3歳になっても、それ以上でも与える方がいい、とさえ言われています。一般的には(飽くまでも一般的)離乳食が食べられるようになる生後9ヶ月頃には夜中の授乳は減ってくる。1歳半になってもおっぱいを欲しがる子どものどこにも変なところはない。人は皆個性を持って生まれて来る。他の子と違って当然のことだ。赤ん坊だから「こうあるべき」と言った基準はない。断乳の早いことは自慢することではない。2ヶ月だろうと、2歳半だろうと、それこそ人それぞれだ。

我が家の子の同時期は、ちょうど私の死ぬほどに働いていた頃だ。家庭を構ってやれない、遊んでやれないで当然の世代だ。夜中によく泣いた。夜勤もあった、子どもは泣き始めると止まらない。つい、かっとなって大声を出したこともしばしばだった。今にして思えば残酷だったが、妻は余りに激しく泣く時には、ねんねこにくるんで夜中でも子どもを寝かしつけるための散歩をしていた。しかし、お互いに子どもに八つ当たりしたことは只の1度もなかった。うるさいのは困ったが、泣くことが子どもの仕事、とさえ考えていたのが、夫婦の気持ちだった。普段は子どもが泣き始めると、泣き疲れるまでなかせておいた。やがて激しい運動量で疲れ果てて静かに眠りに入って行った。妻は100%母乳で育てた。目を覚ました時は勢い良く乳房に飛びついた、子育ての真骨頂の時間だ。》

再び加部医師に喋ってもらおう。
「毎晩泣く夜泣きに、残念ながら特効薬はありません。お父さんや、お母さんは、寝不足になり、疲れ果ててしまうかもしれませんが、夜泣きは必ず治ります。周囲の人たちがイライラすることが、かえって夜泣きを悪化させてしまう場合もあります。毎晩ですから、泣きっぱなしの状態で放っておくのはよくありません。子どもが安心感を得られるよう、子守唄などの歌をうたったり、静かな音楽を流す、お話をしてあげる、といった工夫が必要になります。」

《泣く子に困ってイライラして相談している母親だ。悠長に子守唄なんか歌えるか、泣く子に静かな音楽が耳に入るか、イライラして話す母親の話はかえって子どもの神経を逆撫でする。妥当な回答にはなっていない。ただ、夜鳴きに効く特効薬がないことだけは当たっている。そして、いつの間にか治まっていくのも事実だ。さあ、お母さんたち、がんばろう。決して足首つかんで振り回したり、つねったり、殴ったり、放り投げたりしないで。》

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2007年4月 2日 (月)

慣れぬAT車 妻を轢いてしまった

Kujaku くじゃくサボテン
 もうそろそろ開くだろうと思ってはいたが、
 就寝前に覗いたらすでに咲いていて慌ててシャッターを切った。
 ちょっと季節が違うのじゃなかろうか。

怖いタイトルだけれど、私めのことじゃない。昨4月1日の毎日新聞から。
昨年12月8日、土曜の朝。自宅から3キロ離れた行きつけの大形スーパーは、売り出し日の開店直前で、買い物客が列を作っていた。男性(79)は直進で駐車場に車を入れ、先に妻を降ろした。自分も降りようとしたが、車止めまでだいぶ空いていることに気づいて「もう少し前に動かそう」と操作したが、車止めを越えてしまい、慌ててブレーキを踏んだ積もりが、アクセルを踏んでいた。目前に並ぶ買い物客の列に突っ込んだ。悲鳴と怒号とサイレンの音。4人のけが人の中には、3歳の少女もいた。男性の妻は車の下敷きとなり、約一時間半後に病院で死亡が確認された。

男性は1963(昭和38)年に運転免許を取得して以来「前の車まではずっと無事故だった」という。ところが事故の2カ月前、初めてオートマチック(AT)車に買い替え、そのすぐ後に物損事故を起していた。新車は修理に出し、ATの代車が届いた。死亡事故は、その代車で起した。男性は、逮捕はされなかった。長野県警茅野署は温情による配慮を示唆している。「身内同士の事故。(妻の最期に立ち会うために)病院に行ってもらう必要もあった」。今年2月男性は業務上過失致死傷容疑で長野地検諏訪支部に書類送検された。

《私の車はマニュアル車だ。運転免許は1987(昭和62)年、当時でも市場の多くはマニュアル車であった。日本の車市場に最初のオートマチック車が登場したのは1959(昭和34)年、トヨタの商用車マスターラインにオプションとして採用されたのが始まりとなっている。私が教習所に通っていた頃(55歳の定年後)世間ではオートマチック車による事故やトラブルは日常的にマスコミに取り上げられていた。当時でも運転ミスの最も多いのがブレーキとアクセルの踏み違い。或いは前進、後進の切り返しのミス、急発進(前後ともに)などだった。今回のように身内を殺すことになった事故も次々に起っていた。私の場合は事前に情報を知っていたことでマニュアル車で免許を取得した。それ以来マニュアル車一辺倒だ。オートマチック車は怖くて乗れない。

オートマチック車では全く気にならないそうだが、当初マニュアル車で戸惑ったのは坂道発進だった。自分では20〜30センチ程度の後退であろうと思った時にはすでに1メートルは後退していた。普通に路上を走るようになってもちょっとした登り勾配で後続車が気になった。その後高齢者の講習で教習所のコースを久し振りに走ったが、教習所にマニュアル車がなくて、個人のものを準備してもらった。それほど市場にはマニュアル車が少なくなっていることを初めて知らされた。マニュアル車でも足元の3つのペダルの配列にデザイン上の違いもあって踏みづらく、久し振りにエンストを体験し、隣の教官と顔見合わせて苦笑した。私の所有する車とはハンドルの遊びにも差があり、何の苦もなく通過するはずのL字クランクに手こずった。

因に最近のオートマチック車(乗用)の市場での比率は次のようになっている。
   1994年  77・5%
   1995年  80・8%
   1996年  84・2%
   1997年  87・2%
   1998年  87・7%
   1999年  88・5%
   2000年  91・2%
   2001年  93・0%
   2002年  94・8%
   2003年  95・1%
   2005年  96・6%
 多くの車種でマニュアル車が買えなくなっているようだ。
これから退職する団塊の世代には、車の買い替えを予定している人もいるだろう。MT車、AT車のどちらにも馴れている人には問題ないだろうが、上の例の人のように、初めてオートマチックに乗ることになる人たちは、余ほどの老朽車でもない限り、買い換えはしないか、改めて教習所でオートマの講習を受けた方がよいだろう。
 妻の買い物のお抱え運転手の感のある現況では、上の老人のような事故の起らないよう注意しているが、2010年には再度高齢者講習がある。それを機会に、誰かを傷つける前にそろそろ運転からは離れようか、とも考えている。》

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2007年4月 1日 (日)

沖縄戦集団自決について(教科書検定問題)

Musukri_1

 こぼれた種から発芽し、一株だけが咲いた
  ムスカリ


毎日新聞(3/31)から
主として高校2年生以上が使用する06年度教科書検定で、沖縄の集団自決における日本軍の強制・命令について、新たな検定意見が示された。「日本軍の強制は明らかとは言い切れない」と。

大江健三郎が1970年に著わした「沖縄ノート」を読んで、中に記載されている当時の沖縄・座間味島守備隊の将校・海上挺身隊第一戦隊長の梅沢裕・少佐(90)が05年8月、誤った記載で名誉を傷つけられたとして、出版社(岩波書店)と著作者を相手に出版差し止めと計2000万円の損害賠償を求める訴えを大阪地裁に起した。

書物が出版されて35年も経過した今、何故か。出版された当時でも著名な作家の書物だ、話題にもなった。当時責任ある立場にあって指揮命令をしていた本人が、耳を塞いでいたのだろうか。当年90歳になる梅沢が、今になって冤罪を申立てるなど変な話だ。世の中は、従軍慰安婦問題でも軍の命令はなかった、との見解が大っぴらに口にされることが目立つようになっている。梅沢も当世風の波に乗って、「自決を命令したことはなく、到底納得できない」と訴えたとしか思えない。誰かが支えてくれるだろうことを願っているのだろう。信じられないことだが、早速歴史を学ばないまま味方する弁護団も出た。

梅沢は命令を出したことはない、と言うが、当時の軍隊は絶対的な権力を持つ権威集団であった。文書が存在する命令もあるが、口頭で指示する場合もある。或いは何も指示しなくても、部下や徴発されて集団に加わっている住民が、配られて手にした手榴弾が、何を意味するかは説明などなくても理解していたのが戦争と言う極限状況下での人間の心理だろう。雨霰と降り注ぐアメリカ軍の砲弾に壕や洞窟から出ることも出来ず、武器も持たず、傷ついた体でどう戦え、どう逃げろ、と言えるか。兵はおろか、住民にも捕虜になることを厳しく戒めていた。捕虜になることを禁じたのは敵の手に、味方の情報が洩れるのを恐れたからだ。兵も住民もない。手にした手榴弾は「死ねの命令」と同義だ。

いじめ問題を考えてみればよい。‘いじめを見て見ぬ振りは犯罪だ’と頻りに書き立てるマスコミがある。梅沢は、自分の知らないところで手榴弾を部下がこっそり盗んで住民や兵に配っていたとでも言うのだろうか。戦場とはいえ兵器の一丁、銃弾の一発も、天皇陛下から賜ったもの、として員数は厳しく管理されていたものだ。手榴弾が住民に手渡されることは当然、知って許可していなければ部下の統括は出来ない。梅沢は見てみぬ振りをしていたのだ。

梅沢は大阪地裁の陳述で「軍の命令はなかった。当時は、軍の命令があったことにすれば、国からの補償を住民が得られるため、私一人が悪者になった」としたことを、文科省も梅沢の陳述を配慮してのことだろうか。梅沢は、自己犠牲の精神で住民の利益を守ったかのような言い分だが、それが真実か嘘かは、今さら新しい証拠が出ない限り、証明することは出来ないだろう。梅沢の言い分では、住民たちは命令もしないのに、勝手に死んで行ったとでも言うのか。当時の軍隊の指揮命令系統は「絶対」であって、極限の状態の中で住民を追い詰めたのが軍隊であることは間違いのない事実だ。

図書検定調査審議会では、今回の方針転換に否定的な意見はでなかったというものの、一部学者は「ここ最近は新しい研究といえるものはなく、なぜ今(見解を)変えるのか。政治的な理由しか背景にあり得ない」と首を捻る。

文部科学省の見解は次のようなものだ。
『従来は、「日本軍の命令」説が多数だった。沖縄返還(72年)前後から疑念や異説が出ており、05年は座間味島の集団自決を命令したとされる元日本軍少佐が裁判で命令を否定するなど、異説を補強する状況が出てきた。最近は、命令の有無よりも住民が自決を受け入れた精神状態に考察を加える学説が多い。極限的な状態に置かれるなどさまざまな状況が絡まって、自決に追い込まれたとも指摘される。「軍の命令」と断定するのはいかがなものか。』

と冤罪を主張する裁かれるべき張本人の供述を正当と看做すかのような見解を述べている。彼が言う冤罪が本当なら何故今頃ノコノコ出てきたのか。文部科学省が挙げる異説を補強する状況とは何か。日本国首相安倍が口にした「日本軍の狭義の強制性(命令)」はなかったという言葉の遊びが罷り通る状況を指すのか。

大きなテーマに対して見方は一つではない。幾つもの取り組み方がある。拠って立つ立場も多様だ。思想、政治、学識、派閥、学閥、閨閥など、力関係、利害損得が絡む。大先生の向こうを張った論陣は出世の妨げになる、避けて通るのは日本の研究者の慣わしだ。答えが一つなんてある訳がない。梅沢も、命令したかも知れないし、しなかったかも知れない。しかし、現実に大勢の沖縄の住民は自決して死んで行った。そして、時の権力者の軍人は「絶対の権限」を持っていた。何せ、天皇の軍隊であったから。

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