慣れぬAT車 妻を轢いてしまった
くじゃくサボテン
もうそろそろ開くだろうと思ってはいたが、
就寝前に覗いたらすでに咲いていて慌ててシャッターを切った。
ちょっと季節が違うのじゃなかろうか。
怖いタイトルだけれど、私めのことじゃない。昨4月1日の毎日新聞から。
昨年12月8日、土曜の朝。自宅から3キロ離れた行きつけの大形スーパーは、売り出し日の開店直前で、買い物客が列を作っていた。男性(79)は直進で駐車場に車を入れ、先に妻を降ろした。自分も降りようとしたが、車止めまでだいぶ空いていることに気づいて「もう少し前に動かそう」と操作したが、車止めを越えてしまい、慌ててブレーキを踏んだ積もりが、アクセルを踏んでいた。目前に並ぶ買い物客の列に突っ込んだ。悲鳴と怒号とサイレンの音。4人のけが人の中には、3歳の少女もいた。男性の妻は車の下敷きとなり、約一時間半後に病院で死亡が確認された。
男性は1963(昭和38)年に運転免許を取得して以来「前の車まではずっと無事故だった」という。ところが事故の2カ月前、初めてオートマチック(AT)車に買い替え、そのすぐ後に物損事故を起していた。新車は修理に出し、ATの代車が届いた。死亡事故は、その代車で起した。男性は、逮捕はされなかった。長野県警茅野署は温情による配慮を示唆している。「身内同士の事故。(妻の最期に立ち会うために)病院に行ってもらう必要もあった」。今年2月男性は業務上過失致死傷容疑で長野地検諏訪支部に書類送検された。
《私の車はマニュアル車だ。運転免許は1987(昭和62)年、当時でも市場の多くはマニュアル車であった。日本の車市場に最初のオートマチック車が登場したのは1959(昭和34)年、トヨタの商用車マスターラインにオプションとして採用されたのが始まりとなっている。私が教習所に通っていた頃(55歳の定年後)世間ではオートマチック車による事故やトラブルは日常的にマスコミに取り上げられていた。当時でも運転ミスの最も多いのがブレーキとアクセルの踏み違い。或いは前進、後進の切り返しのミス、急発進(前後ともに)などだった。今回のように身内を殺すことになった事故も次々に起っていた。私の場合は事前に情報を知っていたことでマニュアル車で免許を取得した。それ以来マニュアル車一辺倒だ。オートマチック車は怖くて乗れない。
オートマチック車では全く気にならないそうだが、当初マニュアル車で戸惑ったのは坂道発進だった。自分では20〜30センチ程度の後退であろうと思った時にはすでに1メートルは後退していた。普通に路上を走るようになってもちょっとした登り勾配で後続車が気になった。その後高齢者の講習で教習所のコースを久し振りに走ったが、教習所にマニュアル車がなくて、個人のものを準備してもらった。それほど市場にはマニュアル車が少なくなっていることを初めて知らされた。マニュアル車でも足元の3つのペダルの配列にデザイン上の違いもあって踏みづらく、久し振りにエンストを体験し、隣の教官と顔見合わせて苦笑した。私の所有する車とはハンドルの遊びにも差があり、何の苦もなく通過するはずのL字クランクに手こずった。
因に最近のオートマチック車(乗用)の市場での比率は次のようになっている。
1994年 77・5%
1995年 80・8%
1996年 84・2%
1997年 87・2%
1998年 87・7%
1999年 88・5%
2000年 91・2%
2001年 93・0%
2002年 94・8%
2003年 95・1%
2005年 96・6%
多くの車種でマニュアル車が買えなくなっているようだ。
これから退職する団塊の世代には、車の買い替えを予定している人もいるだろう。MT車、AT車のどちらにも馴れている人には問題ないだろうが、上の例の人のように、初めてオートマチックに乗ることになる人たちは、余ほどの老朽車でもない限り、買い換えはしないか、改めて教習所でオートマの講習を受けた方がよいだろう。
妻の買い物のお抱え運転手の感のある現況では、上の老人のような事故の起らないよう注意しているが、2010年には再度高齢者講習がある。それを機会に、誰かを傷つける前にそろそろ運転からは離れようか、とも考えている。》
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