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2007年3月25日 (日)

行列はごめんだ、 ほか

♦創業46年目というから、私が東京へ出て来たあとに店を開いたことになる。つけ麺発祥の店として知られる東京・東池袋の「大勝軒」が、20日にのれんを下ろした。再開発による立ち退きで半世紀近い歴史にピリオドを打つ。古くから「おやじ」と慕われた店長、山岸一雄さん(72)の人柄と味に魅せられた馴染みの客が、店じまいの噂を聞いて、連日100メートル近い行列を作った、という。

会社勤めをしていた頃からそうだが、昼休みになると、近所の(青山界隈)には必ずといってもよいほど行列ができる食事どころや、小さな喫茶店があった。私はねっから行列が嫌いだ。どんなに味は劣っても、行列しないで食べられる店を探した。サラリーマンにとって一時間の短い昼休みに、行列に費やす無駄な時間を惜しんだからだ。近くには結婚式場があるため誰でも入れる青学の食堂があった。結婚式の客で溢れることもあったが、行列を作って無駄な時間を費やすことはなかった。ほかにもラーメン、和食、洋食、うどんなど、数分歩けば必ず何処かに並ばないで腹を満たす店はあった。並ばなければ食べられないなら、食べない方がよかった。一度の昼飯を抜くことぐらいは平気だった。昼だけではない、休日でも外食する時は必ず行列は避けた。

これほど並ぶことの嫌いな私だが、この歳になるまでの間に一度だけ、3時間、4時間、いや、それ以上の時間を並んだことがあった。社員5、6人で並んだが、耐えられずに女性社員の一人は途中で貧血を起して倒れた。1964(昭和39)年、上野の美術館脇に臨時の展示館を準備し、そこにルーブル美術館が門外不出の彫像、ヴィーナスを展示した。敗戦によって西洋史を学ぶことになり、激しいカルチャーショックを受け、古代ギリシャを知る機会を得た。絵を選んで学び始め、エーゲ海のミロ島生まれのヴィーナスを知り、以来彼女の頭部は何度もデッサンしていた。石膏の頭部も自費で購入し、自宅でも描き続けていた(東京へ出る時、母校へ置いてきた)。大人になってギリシャの地を踏む夢を抱いて成長した。体は確かに大きくはなったが、目指した画家には成れずにサラリーマンの道に入った。サモトラケ島の海底から上がったニケもルーブルにはあることを知った。いずれ見に行くことを心に誓った。

そのヴィーナスが日本にやって来た。何をさて置いても見なければ悔やまれる。いずれルーブルに会いに行くことを誓っていても、夢で終わる公算も大きい。東京会場は4月8日〜5月15日。何度も引っ越しを重ね、入場券を紛失し、出かけた日にちが定かではないが、休日が取れるような会社でなかったから日曜か、祭日だった。晴天の中長蛇の列が延びていた。

Venus 写真最上部の円筒形の建物が展示館。
 延々と延びる行列が終わりの見えないほど続いている。
 東京会場には開館中、83万2382名が、続いて京都会場(5月21日〜6月25日)には89万1094名が訪れた。

朝日新聞社刊 LA VENUS DE MILO より、(4月29日撮影)

気分が悪くなるのは女性だけではない。のろのろとは進むが、あちらに廻り、こちらに折れ、肝心の建物にはなかなか近付けない。堪え難い時間が経過してやっと展示館に入ることができたが、大混雑の館内に辟易するだけだった。係員が声をからして人ごみを導くが鮨詰めの解消には程遠い。しかも見る物はただ一点だけ、ぐるりと自分の足の長さ分だけよちよち歩いて心太(ところてん)式に出口に押し出される。疲れ果てて何の感動もない。案内して連れ立った仲間を悪い目に合わせたような心苦しい思いをして帰途についた。「いいや、どうせ、何時か会いに行ってやる」と、この時決心した。

このあと会社の命で海外へ行く機会に恵まれ、1976年に思いは届いてゆっくりと見ることが出来、その後、引退後に妻を連れて2度会うことが出来た。フランスのルーブルにあるが、彼女はギリシャ出身、またルーブルのもう一つの白眉、サモトラケのニケもギリシャ出身だ。

世の中には行列好きは多い。大売り出し、大安売り、開店祝い、開幕戦、デパートの福袋、並んでも何の益もなさそうな宝籤発売日、贔屓チームの戦い、海外ブランドの日本進出開店、そして、うまいと評判の食い物屋、などなど、ああいやだ、中の一人にはなりたくない。

♦初めて知ったこと。
パソコンを初められた東京都にお住まいの73歳の女性の投書から。「パソコンを始めて一番先にやることは、自分の名を検索することと書いてあった記事を思いだした」とある。彼女は早速試してみたらしい。名もなき自分が検索できるとは、ゆめ思わなかったと。しかし、自分の名を検索して驚かれたらしい。映画の試写会に応募したり、新聞記事に感動して投書したところ、採用されて掲載されたことがあったことかららしい。「私の名前が出て仰天した」と書かれている。

不肖、私の与り知らないことだった。彼女の記事を目にしてからも結構日が経つが、自分を検索などしようとは思わないし、誰がいつごろそんな話を何のためにしたのか理解に苦しむ。ただひたすらにパソコンに興味を持たせるためだけの策なのか、他に何か意味のあることなのか、何故一番先にやることなのか、私にはどうでもいいことのように思えるのだが。私が最初にやったのは、ゲームであった。まだパソコンが一般的でなく、Windowsも存在しなかった頃だった。会社でゲームを自分でプログラミングして、少しずつ馴れて行った。社員が上の人間が仕事中にゲームで遊んでいる、と告げ口に走る時代だった。世の中まだ真空管の全盛時代であった。いけない、回顧趣味人間にはならないでおこう。

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