三十後家
故事に言う。「二十後家は立つが、三十後家は立たぬ」と。毎週、毎日新聞に寄せられる三十歳から六十歳辺りの女性からの性(タイトルは‘恋’だが)の相談を見ていると、つい今は死語になったような言葉を思い出す。故事の言葉は、男尊女卑の時代、結婚は処女の身で床入りしたころに生まれた言葉だ。二十歳代で離別(死別)して寡婦になった女性は、夫婦生活の歓びも浅く、独り身を通すこともできるが、長く夫婦生活を味わって別れた寡婦は、再婚することが多い、ということを皮肉ったものだ。
ところが、翻って現在、だらしなく解放された性は、時には中学生の妊娠が起り、中高生の売春は末広がりの状態だ。性教育を云々する前に、週刊誌、女性誌を賑わす性病対策の記事が盛り沢山に書店に並ぶ。STD(性感染症:性行為によって感染する病気の総称)の性病の名が踊る。性器クラミジア、ヘルペス、淋病、エイズなどなど。当人たちは監視の義務を忘れた親の目を気にすることもなく、携帯電話は有害サイトへの接続も野放しの状況が見える。性病が男に原因があるのか女に原因があるのか分からない。おそらくはどちらの側にもあるだろう。売春は買う人間がいるから、と言われるが、今度の納豆騒動でも判る通り、金はあってもスーパーや店頭から消えた納豆は手に入らないのだ。売り物がなければ使い切れない金はあっても買えないのだ。
敗戦後、春を売って(売春)いたのは夫が戦死したり、外地からの引き揚げが遅れたり、どん底の生活でもなお苦しい女たちだった。売春禁止法が実施されるまでは国も厳しい性病検査(吉原などでは定期的な検査が義務づけられ、街頭に立つ女たちは警察の強制「いわゆる夜の女狩り」で性病検査を受けさせられた)で性病の蔓延を防止していた。現在の普通に生活している若者たちに広がっている性病は、当人たちの性病に対する知識や予防がなければ蔓延を防ぐ手だてはない。
嫁入りは処女で、なんて現代っ子たちには笑い話だろう。出来ちゃった結婚がもてはやされ、子どものうちに性体験を済ませる。故事の言葉がナンセンスになるのは当然のことだ。夫婦生活のマンネリは駆け足でやって来る。男にとっても女にとってもその隙間を埋めるように、携帯電話という便利な道具がその不満足を満たしてくれる。
毎新新聞(2/19、3/5)の相談から
30歳と32歳。30歳の方は結婚歴5年のセックスレス2年の夫婦。ある日、とあるだけでセックスレスになってどれくらい後かは分からない。最初の男との浮気が始まったが罪悪感で一カ月と持たず、次の男を探したが、これも同じく一カ月ともたない。又、別の男と交際しても一カ月と持たない。夫との生活がなくなるのは怖くて、いつも一カ月で別れる。夫が嫌いになれれば離婚も考える。離婚届を渡されれば判も押す。どうすればいいの、時間だけが過ぎて行く、だとさ。
《これが今時の30歳の女性の考えなのか。夫との会話はゼロなんだろうか。夫が別れてくれれば罪悪感なしに次々に男が取り替えられる、と言っているのだ。ここでやはり故事を思い浮かべる。罪悪感があるというのは建て前で、30女の性欲を浮気の形で満足させるのが目的だろう。夫の性欲が失われたのか、勃起不全なのか、結婚して5年の後、マンネリか、何らかの心配事か不都合が存在したことも考えられるだろう。それこそ仕事一辺倒のためのストレスだってあるだろう。もっと考えれば彼女に何らかの落ち度になる原因があるのかも知れない。平和な現在の日本では妻が夫を何年も待たなければならない戦争はない。その昔の女性は夫の留守を何年でも耐えて守った。浮気や不倫が全くなかったとは思わないが、夫との接触がなくなったまま遺骨となって帰ってくる夫を待つ妻も数多くいた。
《32歳の方は5歳の息子を連れて離婚。一年前から5歳年下の男と付合っている。今を時めく離婚後300日問題のケースかどうか不明だがやはり、30女の性(さが)なのか。男の携帯をチェックし、男を疑って自分から出合い系サイトで偽名をつかって呼び出す。吃驚する男に“もうしません”と言わせる。しかし、その後も男は書き込みを続けている(携帯を盗み見する女だ)。彼と付合いたければ、見ない振りをした方がいいでしょうか。彼を逃したら、もう新しい恋なんてない気もします、と言う。同棲している風ではないが、“合っている時は本当にしあわせです”は、子どもじゃあるまいし、逢ってお茶を飲むだけではないだろう。また、携帯を盗み見したとおり、恐らく若い男だ、ほかにも女性は何人もいて当然だ。優しくしておけば甘えさせてくれる、便利な小母さんで済んでいると思われる。32歳にもなって考えもなしに性欲に溺れきり、恋だの愛だの勝手に思い込んでいてどうする。5歳の息子を可愛がってくれるのも表向き、お駄賃になる女が待っていれば無理もするだろう。
《2人共に、そうそう欲情だけで日を送らないで、もう少し禁欲生活に耐えることを学んだらどうだろう。
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