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2007年3月31日 (土)

さくら 咲く

まだまだ先かと思っていた矢先、満開の情報で正午過ぎに自宅近くの川辺に足を向けてみた。思いきり強い風に吹かれたが、まだ落ちる花びらもなく、日中で人込みが少なくて酒の臭いや、イカを焼く焦げる嫌な匂いも漂う時間ではなかった。近所の若いお母さんと乳母車の乳飲み子の親子のスナップに協力して上げたり、遡上してくる鯉の群れを(産卵期で40〜50センチのものが数知れず)追いながら両岸を往復した。

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対岸からの眺めは最悪だ、全く持って不粋極まる青テントに俄商売の出店が並ぶ。まあ、上野にしろ桜を眺めるのは子どもはいざ知らず、酒飲みの口実だ。こちらも昔はこんなでもなかったが、人口の増加とともに(7万から30万を超す)この時期酒飲みの集合場所に成り果てた。もう20年ほど前からしらふの人間には近寄れない酒のみ天国の場になってしまった。

さくらと言えば、日本の桜開花宣言の標準木、靖国のさくらが思い浮かぶ。この時期、小泉の靖国参拝で世間を賑わせた戦犯の、合祀、分祀問題がまたもや持ち上がってきた。この問題の経緯がどうあれ、戦犯が祀られていること自体が戦死した人たちに対する冒涜だろう。「死にに行け」と命じた人間と、命じられて死んだ人とが同格で住まうところであってはならない。今さらだが昭和天皇に関するメモ(富田メモ)が発見された昨年、その存在の信憑性を疑う論評を述べる人間もいたが、天皇の合祀への不快感は明瞭にうかがわれた。今回発表された国立国会図書館が公表した資料には、戦争放棄をした平和憲法を喜ぶ国民を逆なですることになる戦犯合祀はあくまでもこっそりと、密かに行う必要があったことの経過を明るみにだしたと言える。合祀に否定的であった皇族出身(明治天皇の孫)の前宮司・筑波藤麿の後を継いだ松平永芳宮司が、合祀に踏み切ることになる。政府は積極的に合祀の意向を靖国神社側に働きかけていったことを裏付けるものだ。この辺りのことについてはブログでも触れた。(参照:「分祀でなく、出てもらえばよい」06/08/04

私の主張は変らない、戦犯は早く靖国から追い出し、各人の先祖たちの眠る墓で休ませるが良い。国が係わっていたこともはっきりした。政教分離を口では称えておきながら、裏取引をしていたことは、歴史を多少とも齧っておれば察しはつくことだった。戦犯たち、軍人恩給がつくだけでもよしとするが良い。
 一刻も早く国に殉じて散った英霊たちが、心休める家となる靖国にしなければいけない。


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