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2007年2月 1日 (木)

あるある 騒動

連日、捏造問題が報道される。新聞もテレビも週刊誌も、「他人の不幸は蜜の味」宜しく寄ってたかって次々に見つけ出す。何処のメディアも同じことをしゃべり、文字にする。あれもあった、これもそうだった、と引っ掛かるバカな消費者に、少しは利口になりましょう、とのコメントを付すこともない。飽きもせずレポートする。“お前たちのうち、罪なきもの先ず石を投げよ”とはキリスト様のお言葉だ。

しかし、メディアとなるとそう簡単に鉾を納めるわけにいかない。臆面もなく旨い蜜に飛びついていく。テレビはそのおこぼれを拾って歩く。そのうちに、目を冷ました消費者が、わいわい、がやがやと騒ぎ出す。オイルショックの年のトイレット・ペーパーを買いだめした阿呆と同じだ。このような一過性の出来事に右往左往するほど私はバカではない。その裏側を見れば必ず、仕掛けるやつがいる。労働組合華やかな時代、会議で、集会で叫ぶアジテーターだ。無関心層へも深く浸透していき、パニック状態になり、うねりは大きくなってトイレットペーパーと同じように、スーパーから商店から今回も納豆が買い占められて姿を消した。。必ずいる、己だけが良ければそれで良い、我(が)の強い欲張りが人よりも多くを求める。もともと醗酵させてつくる納豆だが、大量に買い占めた阿呆の助けに、とおせっかいなテレビ局は、もったいないことはするんではないよ、と料理方法を授ける。

他社を出し抜いて報道したくなるメディアは必死になって重箱の隅を突つき始める。そして見つけだす。やっぱりあったぞ!と勝鬨をあげる。捏造の構造を追求していくには納豆だけで十分なはずだ。あとは皆、似たり寄ったりで代わり映えするものが出ることはない。

私はこの手の類いの番組には全く興味がない。特にダイエットを標榜するとなると、放っておいてくれ、となる。痩せていようが、肥っていようが自分の身体だ、他人にあれこれ言われる筋合いはないし、聞く耳も持たない。それで寿命を縮めようと、死のうと、だ。若い頃から病院のベッドで死んだ人を幾人も見て来た。入院すれば死ぬことを学んだ。病院に行けば実験台になって殺される、と思い込んでいる。これから先も私は病院で死ぬことはない。身体は若い頃から酷使してきた。人間の身体がどこまで耐えられるか、睡眠時間も極度に短い労働(平均睡眠4時間、約15年間)に耐えてきた。病気一つしないで済んだ。健康診断も碌にしていない(会社には内緒だったが)。栄養ドリンクを飲んだこともない。人間のからだが如何に頑丈にできているか実感した。四十歳を過ぎてからの成人病検査も四十歳の年にしただけだ。何をしたところで死ぬ時は死ぬ、と思っているからだ。タバコも60歳近くまでは一日60本吸っていた。健康保険料はこの歳まで自分への還元は全くない。ひとさまへの貢献だけだ。2、3年、いや4、5年に一度、アスピリンを飲むことだけはある。私の身体はそれで回復する。

医学の発達とともに、余計な病気が増えた。シンドロームに、ストレス。これらは本当は病気じゃないのに、言われると病人になった気になってしまう。医者は病名が見つけられない病気につけるに困ってこれらの名前を冠した。薬を貰って安心する。それが「鼻糞丸めて万金丹」の単なるポリシーボ効果でしかないものまで有り難がる。そして精神が徐々に落ち込み、蝕まれていく。本当に病人になってしまう。世の中の痩せるための宣伝の9割は女性のためにあるようなものだ。手を変え品を変えて売り出される健康器具、美容器具、薬などなど。「食べて痩せられる」は女性にとってこれ以上ない心くすぐられるキャッチフレーズになった。このとき、「そんなアホな」と考える人がいなかったのか。聞いた途端にスーパーに走り込み、騒動の幕が開いた。やはりバカな連中だ。

災害は忘れた頃にやって来る。賢い消費者にならなければ、必ず、また同じことを繰り返すことになる。

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