成人式
今年の成人式も和服姿で白い化繊のショールを首に巻いた、判で押したような代わり映えしない女性たちが全国の会場を占めていた。どうしてああも、個性のない右へ倣え!が好きなんだろう。今年の新成人は最少の139万人。日本の人口の1・09%にあたる。
成人式を語るとき、多くは時代を遡っての元服を説き、結髪を説く。しかし現在日本で行われている成人式と呼ばれる行事には、いにしえの通過儀礼的な節目としての意義はなく、全く別のものだ。
敗戦に打ち拉(ひし)がれていた戦後の1946(昭和21)年11月22日、若者たちの虚脱状態を見かねた一人の青年、埼玉県北足立郡蕨町在住の青年団長・高橋庄次郎氏の呼びかけに応じた青年たちによって実施された「青年祭」が発祥となっているものだ。会場となったのは蕨第一学校の校庭にテントを張り、青年祭のプログラムとして行われた「成人式」が原型となっている。
この影響を受けて各地の市町村が引き続き行っていたことを知った国が、1948年に公布・施行された「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝い励ます」を趣旨に、翌年、1949(昭和24)年から1月15日を「成人の日」として制定した。その後、1998(平成10)年の祝日法改正(通称:ハッピーマンデー法⦅よくもまあ、ノーテンキなこんなお目出度い名を考えたものだ⦆)に伴って、2000年より成人の日は1月の第2月曜日へ移動し、今年も昨日行われている。
発祥の意義からすれば、現在日本で行われている「成人式」なるものは終止符を打つべきものだ。いつまでも敗戦の虚脱や混乱からの脱却に気を遣う必要はなくなっている。祝い品など贈ることもいらない。すべてが潤沢に、贅沢に身の回りの生活を包み込んでいる現在では、ポケットティッシュ1個も贈らないでよい。今年、良い見本を北海道・夕張の成人式が見せてくれた。炭坑の町として栄えた町も、閉山のあおりを受け、活気を失う中、市議、市議会の無計画な再建策で財政破綻した。そんな中、女性たちが中心になって立ち上がり、全国に応援を呼びかけた。昨年まで予算は60万円確保されていた。財政破綻はその全額をカットされることになったからだ。呼びかけに応じて全国から230万円の好意が寄せられた。各地に散っていた人たちも戻り、91名の新成人が集まった。こうなると、酒を食らっての傍若無人の振る舞いはできないし、起るわけもない。各人はしっかりと20歳を考えるだろう。式は1月7日に立派に行われた。
テレビが追いかけた幾つかの成人式、決まって大人になった自覚を口にする、責任を、投票を、社会の役に立つ人間にと、述べるが、やはり1番に大人としての期待は、男女とも酒が飲めることの喜びのようだ。比較的大騒ぎの少なくなった今年の成人式だが、式後にはやはり酒瓶、缶ビールが飛び散った。しかし、今年は後片付けをするいじらしい姿を見せる若者たちもいた。
いにしえの元服や結髪は、家々の個々人の行事で現在のような団体でするものではなかった。早ければ7歳で元服もあり、役に立つかどうかは疑問ながら、戦があれば出陣に加わり、死さえ辞さなかった。形骸化してしまった敗戦後の成人式など、すでに存在価値を失っていると見てもよいだろう。
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