「共謀罪」成立を指示
「私の内閣」を口にする安倍が、またまた恐ろしいことを目論んでいるのが分かった。彼には背後霊のように戦犯総理・祖父岸信介が見え隠れする。19日、安倍は唐突に政府・与党に対し、*共謀罪創設法案(組織犯罪処罰法改正案)を通常国会で成立させるよう指示した。
*共謀罪・・政府案は、懲役・禁固4年以上の刑が「団体の活動として犯罪実行のための組織により行われる場合」実際に犯罪を実行しなくても事前に合意しただけで罪に問える。「死刑・無期、10年を超える懲役・禁固にあたる刑」の場合は5年以下の懲役・禁固が科される、というもの。
7年前の00年、国連で採択された「国際組織犯罪防止条約」を、日本でも03年5月の国会で承認した。これに伴って政府は、条約の批准には共謀罪の創設が必要として、
♦2004年2月20日 国会に提案するが、継続審議となる
♦2005年8月 8日 衆議院解散により廃案となる
♦2005年10月4日 特別国会で再提出、継続審議となる
♦2006年4月21日 与党修正案提出、その後撤回
♦2006年4月27日 民主党修正案提出
♦2006年5月19日 与党再修正案提出
♦2006年6月 1日 与党は民主党の修正案を受け入れる。一方、民主党案修正案では条約の批准は不可能、との意見が出て、次期国会で改正することを前提とすると、示唆した。
♦2006年6月 2日 民主党は委員会での採決を拒否。与党は国会での法案成立を断念した
♦2006年6月16日 与党は法務委員会で継続審議にすることを決議。その後、与党第3次修正案(正式な議案とはなっていない)を議事録に添付することを議決。法的には全ての修正案は廃案となった。このように2度の廃案になったものを、またまた安倍が持ち出して来たものである。
昨年9月、総理となり、恐い内閣「私の内閣」をつくった。その目指すところは憲法の改正であり、そのための準備を着々と進めている。
格差社会を作り上げ、世情を不安に陥れ、その原因を政治ではなく、教育の乱れにあるとしていじめやいじめによる自殺、或いは教員の問題に摺り替え、十分な審議も経ぬままに改正教育基本法を成立させ、防衛庁を省に昇格させて自衛隊の海外派兵を本来任務とし、NATOとの連携協力をも約束した。残業代不払い制度の法案こそ見送りになったが、参院選が終わればまたぞろ持ち出して来ることは間違いないだろう。その先には訳の分からない「美しい国」を掲げて最終目標の憲法の改正を目論んでいる。
「信じられない。なぜこんな話をしたんだ」と口にする公明党の国対幹部も、参院選の後でないことの思惑だけで、「寝耳に水」の政府・与党にも困惑が走った。自民党国対幹部も「首相からは何も聞いていない。知恵をつけて持って来てもらわないと」とこぼしているという。首相に近い政府筋でさえ「通常国会で通そうとは思っていなかった」と、事前の相談がなかったことを示唆。「強行採決はできるが、野党は寝る(審議拒否)でしょう」と国会運営の混乱を心配する。
《うがって考えれば、昨今の安倍の不人気、参院選を待っていては、次期首相の地位が危ないと踏んで、首相の席にある間に、無理にも数で強行採決を図ろうとの考えなのだろうか。爺さんの岸が、昭和23年にできた警察官職務執行法(警職法)の改正をしようとして、不成立(廃案)に終わったことへの無念を晴らそうとでも企んでいるようにさえ思える》
民主党はあくまで成立を阻止する考えであり、さらに秋の臨時国会では、日本弁護士連合会が昨年9月、「共謀罪を設けなくても国際組織犯罪防止条約の批准は可能」とする意見書にまとめたことなどを受けて、法案そのものの成立阻止に転換している。
遡れば祖父岸信介が世情騒然とする時代に辿った道と瓜二つだ。岸は戦時中の治安維持法で特高を使い、権力の力に酔っていた時代が忘れられず、警職法を改正して取締りの権限の強化を図って敗れた図式が、安倍のトラウマとなっているのだろう。現在の安倍と祖父岸の時代背景を比べてみよう。
1957・3・13 文部省が各都道府県に越境入学をさせないように通達をだす
1957・3・18 文部省が小・中学の道徳教育実施要項を通達。4月から週1時間で実施。8月18日学校教育法施行規則を改定する
4・23 東京都教育委員会が都の勤務評定案を可決。都教組は勤評反対の10割休暇闘争に突入。以後、福岡、和歌山、高知でも10割休暇闘争実施。7月16日、都教育委員会は都教組組合員284人を処分する
4・30 刑法・刑事訴訟法各改正公布。斡旋収賄罪や兇器準備集合罪などを新設。暴行・脅迫罪に緊急逮捕を認める、5月20日施行
5・1 すし詰め学級解消のため文部省が公立小・中学校の学級定員を50人と定める。(1963・12・12 には45人となる)
5・23 防衛庁設置法・自衛隊法各改正公布
5・30 巣鴨プリズン閉鎖
6・6 山形県の日教組大会(第17回)で勤評反対闘争の方針を討議。条件闘争案を否決
6・8 憲法問題研究会発足。(第1回総会)
6・9 和歌山県の勤評反対闘争でピケ隊と警官隊が乱闘(16日にも)
57年度人口動態で出生率世界最低(1・72)となる
6・12 第2次岸内閣成立(蔵相に佐藤栄作「岸の実弟」就任)
6・16 アメリカ・イギリス両国と原子力一般協定を調印
7・13 中国から最後の引揚げ船「白山丸」が579人を乗せて舞鶴港入港
7・15 アメリカ軍レバノンに出兵。17日イギリスもヨルダンに派兵
8・15 総評が和歌山で勤評反対・民主教育を守る国民大会を開催。16日、デモ隊と右翼・警官隊とが衝突
9・6 文部省が東京国立博物館で警官隊に守られながら道徳教育の指導者講習会を開催。以後、各地で開催
9・11 ワシントンで外相・藤山愛一郎とダレス国務長官が会談し、日米安保条約の改定で同意
9・15 総評・日教組が勤評反対第1次全国統一行動を実施
10・4 日米安保条約改定第1回会談が東京で開かれる
10・8 政府が警察官職務執行法(警職法)改正案を国会に提出。社会党は即時撤回を要求
10・9 岸首相がアメリカNBC放送の記者と会見し、「憲法9条は廃止の時」と発言
10・13 社会党・総評など65団体が「警職法改正反対国民会議」を結成。10月中に全都道府県に共闘組織が成立。25日を第1次として全国統一行動を繰り返し展開
10・28 日教組が勤評反対で群馬・高知で10割り休暇闘争を実施
11・4 政府・自民党はん抜き打ちで衆議院の会期30日延長を強行。警職法改正案の成立を期してのことであったが、社会党は無効を主張して7日、院内から引き揚げる
11・5 警職法改正反対闘争が激化。総評・全労・中立系労組・文化人・学生・婦人団体などが共闘
11・22 自民党岸・社会党鈴木の両党首が会談。警職法改正案の審議未了。「デートも邪魔する警職法」と言われた警職法は衆議院自然休会で了解が成立し、廃案となる
12・9 神奈川県教育委員会と県教組が独自の勤務評定方式(神奈川方式)を決定。13日、文部省は反対。翌年2月17日、日教組大会はこの方式を評価
12・10 自民・社会両党幹部が会談し、国会正常化4項目の申し合わせで妥結
12・31 岸の党内人事に反発し、3閣僚が辞任
1958・1・21 和歌山県教組は高組・地評・部落解放同盟・和歌山大学自治会などと勤務評定反対闘争が起る
3・12 最高裁が公務員法による一般職公務員の政治活動禁止は合憲とする判決をくだす
その後、学校教育の世界に一般企業なみの勤務評定が持ち込まれ、板挟みになった校長が、何人も自殺する事件が起った。
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