そりゃ 当然でしょう
もう一週間近くも前だからニュースとは言えないが、大阪高裁で一つの原告逆転敗訴の判決が下された。
毎日新聞(1/23)から
大阪市北区の公園でテント生活をしているホームレスの男性が、区長を相手取り、公園を住所とする転居届の不受理処分の取り消しを求めた訴訟の控訴審判決が23日、大阪高裁であった。ホームレスの山内勇志(56)は98〜99年ごろ、扇町公園で暮らし始め、00年ごろからはテントを設置して生活している。01年2月、同区内の支援者宅に住民登録をしたところ、警察に違法性を指摘され、市側からは職権で住民登録を抹消すると通知された。このため04年、同公園に住民票を移す転居届けを同区役所に提出。区役所側は「公園の適正な利用を妨げる」として受理せず、市長に対する不服審査請求も棄却された。
(昨年1月の一審判決では「占有権限の有無とは無関係に、生活の本拠たる実態を備えており、転居届の不受理は許されない」と判断していた。)
公園を管理する大阪市は、一審判決以降も各地で撤去する動きを強めている。市によると、ホームレス人口は現在、市内に約5000人。このうち、テントや小屋の数660ケ所推定して公園を占拠する人は500〜600人に上るという。ベンチなどで眠る人を加えれば、公園はさらに多くの人の「ねぐら」になっているのが実情だ。さらに、市は「(公園など)利用者からの苦情が多い」などとして昨年1月、大阪城公園(中央区)や靭(うつぼ)公園(西区)でテント小屋を強制撤去。今年8月に世界陸上が開かれる長居公園(東住吉区)でも、同様の手続きを進めている、という。
大阪高裁の判決は、「住所」の形態を「健全な社会通念に基礎づけられた定型性を備えていることが必要」とした。居住地の占有権の有無に拘わらず、住んでいれば「住所」になるという法解釈上の原則は、公共用地などには適用できないという初めての司法判断となった。市民感覚からすれば、公園での住民登録を認めることは、「そこに住んでいい」というお墨付きを与えたと映る。判決も、こうした市民感覚や公園の公共性を重視し、自治体側の権限を柔軟に解釈したといえる。
この判決を受けて当の原告は「負けるとは思っていたが、我々を人間として認めていないあまりにひどい内容でショックを受けている」と語り、上告する方針だと話した。
また、大阪市長・関潤一氏は「主張が認められ、妥当な裁判。公園は公共施設で、そこに住所を設定することは社会通念からも認められない」と。
小林節・慶応大法学部教授(憲法)は「憲法を知っていれば当たり前の判断。とはいえ、「人権」を振りかざされると逆らえない社会の空気の中で、大阪高裁は立派に筋を通した。一審判決が認められれば、公園は先着順に占有され、まじめにローンを払っているのが、ばかばかしい社会になる。西部劇の世界のようなことが、大都会・大阪であっていいはずがない。人権の本質を定めた憲法12条でも、人権の乱用は認めていない」と語った。
小林教授の話は全くの正論だが、この正論が通用しない時代があった。現在の、ぬるま湯に浸かったような労働運度の時代では想像できないだろうが、何かあると、すぐにストライキが叫ばれる労働運動過激なころだ。巨大な国鉄労組は列車の運行を止め、全国の殆どの私鉄も運行を止め、日本中の通勤の脚が麻痺したことが、年中行事のように華やかに行われた時代だ。現在では子供や家族も参加する労働者のお祭り気分のメーデー(5/1)も、1952年には宮城前広場でデモ隊と警官隊の激突が発生し、血のメーデー事件と呼ばれる騒ぎまで起っていた。組合側の殺し文句は「おれたちは人間なんだ」あるいは「そんな人間性を無視したことが・・・」が頻繁に口の端に上っていた。 教授のいうように「人権」を口にした途端に議論は停滞する。不毛の会議になるのだ。その後の労働組合の分裂につづいて組合活動が低調化していく。戦闘的な組合は企業内組合の色をつよめ、やがて来る繁栄の時代の中で祝祭日の増加に伴ってレジャーを楽しむ時代へと突入していく。
今では「人間」や「人権」を叫んでも、冷静に受け止める社会が生まれた。敗戦後の家も失い、ガード下や道ばたで、地下道や公園で生活せざるを得なかった時代ではなくなったが、何らかの事情で公園生活を送っている人がいるのは事実だ。上野公園へ行けばそれぞれにテント生活者は多くいる。段ボールで囲んだ一角もある。とてもそこが住所と認められる様ではない。公衆便所が直ぐ近くにあるが、大木に向かって放尿する人間を必ず見かける。博物館がある、国立、都立の美術館がある、文化施設の林立する中の人の行き来は激しい。通行人には外国人も多い。目にして決していい気分ではない。
何年か前、新宿の都庁へ行くまでの通路の悪臭に苦情が出、段ボール生活の野宿ものの撤去を都が実施した。仮設住宅を準備したが、そんな窮屈なところには住めないと拒否する人間もいた。放浪に馴れて、普通に生活することが出来なくなる者も出ている。いま、格差社会を理由に、底辺の人たちに必要以上の同情がある。しかし、今回の大阪高裁の判決は、立派だと思う。
ただ、ホームレスを締め出して解決できる問題ではない。住む家がなければ自立や立ち直りの意欲を削ぐことにもなる。行政とはいっても単純に地方自治体だけで解決できる範囲ではない。大阪や東京だけではない、国としても具体的なホームレス支援策を検討するべきだ。
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