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2007年1月31日 (水)

こぼれ話し

早い、早い。もう今年も今日で12分の1が終わる。若い頃は「光陰矢のごとし」は想像することすら出来なかったが、この年になってみると、矢の例えが間違いであるような気さえして来る。一年なんて一瞬の間だ。

このたび文化庁が世界遺産候補に小笠原や富士山など5件を追加登録することを決定した。
日本人は、現在ある世界遺産に登録されたもの以上に、日本古来の文化遺産や自然を、ユネスコのお墨付きを押し戴かないと自国の遺産としての価値も認められないのだろうか。それほど権威に弱い国民なのだろうか。地方の自治体が、地域の活性化を模索しての結果ならまだ可愛い、文化庁までが付和雷同の大騒ぎを見せているのが、今回の軽重混じった候補だ。富士山はまあまあ仕方ない。アルピニストの野口氏の献身もあって糞尿の山から徐々に姿を取り戻しつつあるからだ。しかし、糞尿処理は数年前に始めたばかりだ。それまでは垂れ流しの山だった。長い年月金魚の糞か蟻の行列のごとき連中の糞尿が地中に染み込むに任せていた。副流水は数十年掛かって地上まで届く。全く汚染されず、病原菌のない浄化された水になっているのだろうか。文化庁は待っておられずに、急遽自然遺産から文化遺産に姑息な切り替えを行った。富士山の自然が秀麗な環境に復帰するには何時になるか想定もできず、悪知恵を働かせた。考えてみれば熊野があった、この際その手を使おう、ということになった。そして、自然遺産での登録を諦め、文化遺産として登録するために、もう一つの樹海のゴミに目を向けさせないように企んだ。

それはいい、今後文化遺産として認知された後のことだが、登山は許可制にして登山人口の制限をして、現在以上には環境破壊が起らないように厳しく制限するべきだ。

文化庁の選定理由は「著明か、諸外国との交流など世界史的価値がある」と認めるものとしたが、他の4件には「四国遍路」「長崎の教会群」「南アルプス」を文化遺産として、「小笠原諸島」を自然遺産候補として、併せて2月1日までに国連教育科学文化機関(ユネスコ)に提出する。

先に世界遺産としての熊野古道をふくむ「紀伊山地の霊場と参詣道」が登録されたが、以来、急激に増加した観光客による環境破壊が目立つようになった。一方、認知されたことで改めて土地の人たちのボランティア活動も活発化し、参詣道の手入れがされるようになり、却ってそのことが、環境破壊にもなっていることが言われている。自然が、自然ではなくなってきているのだ。同じく自然遺産でも白神山地の深いぶなの森林では、わいわいがやがやと競って観光客が訪れるところではない。他に比べると森林破壊は遅い。

熊野参詣道に立つ木々に、ペンキででかでかと世界遺産で増えた観光客によって被る村の被害が大書されていることが、テレビで報道された。観光客で潤おう村の経済がある反面、自然破壊のマイナスがすぐに訪れることは、世界遺産ならずとも、どこの観光地においても見られる光景だ。景観とはちぐはぐな建物が出現し、ちぐはぐな人たちが現れる。これが神社仏閣となると、一層の落書きが見られるようになる。

落書きも、その国民性を表わす。日本だけではない。古来から世界中のあらゆる所に落書きは残っている。古くは洞窟画などはその格好の例だろう。私は強く落書きを責めるつもりはないが、日本中の寺や神社には落書きはすぐに目につく。近代の道徳や価値観では、落書きを悪として窘めることが常識となっているので止めた方がいいのだろう。有名な落書きが、その場をより名高い観光地にしてきたこともある。ギリシャのスーニオン岬に建つポセイドン神殿(世界一夕日の美しいところとして有名)の柱には、後にギリシャが1821年に始まるオスマン帝国からの独立戦争を戦ったおり、義勇軍を率いて参加したイギリスの詩人、バイロンが若い時(1810年)に刻んだ落書きが残っており、夕日とともにその落書きを探すのも目玉とも言える。ほかにもまだ世界にはアンコールワットやローマの至るところ、マルタなど、落書きをあげれば切りがないほど多い。

今回の世界遺産登録、その全部に文化庁の言う条件が揃っているのだろうか、世界史的価値が。単に“おらが街に目玉が欲しい”を手助けするだけではないのか。

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2007年1月30日 (火)

子どもの幸せ 昔と今

毎日新聞(1/30)から
石田衣良の“白黒つけます”による「昔の子どもと今の子ども どっちが幸せ?」が集計された。
有効投票数4193(男性:1819、女性:2374)の73%以上が圧倒的に昔の子どもが幸せであった、と回答している。代表的な回答に選ばれた男女の年齢が書かれなくなって、それぞれの回答文から想像するよりないが、設問に問題がる。

『十年ひと昔』と言われたのは遠い昔の事。今では時の流れはそのような悠長なものでなくなった。技術革新の「ひと昔」はほんの数年、早い時は2、3年で様相が一変するからとても10年とはいかない。いつものように10代以下から70代以上までから回答が来ているが、10代以下の世代には、70代以上の人たちは前世紀の遺物に近いものに映っているだろう。その昔のことは想像することも不可能だ。全てに関して「時代が違う」で片付けられて来たのが今までだ。同じように30代以下の人たちにとっても、テレビは生まれた時から存在し、それ以前の昔は存在しない。逆に70代以上の人たちには、余ほど時代の変化を身近なものとして感じる時期を過ごしたか、仕事に携わってもいなければ、20年昔も、30年昔も同じグループに入る「昔」でくくることができる。テレビはおろか、今は何処の家庭にでもある電話さえ、たった50〜60年昔は限られた家庭にしかなかった。石田が「昔」をどのように定義したかが不明瞭なので、今回の集計の目的が何か分からないが、私が昭和一桁の70代半ばなので、その記憶のある(記憶力の乏しい頭脳なので幼稚園以前のことは数えるほどしか思い出にはない)時代まで遡って(当然、軍国少年の時代もあった)集計と照らし合わせてみたい。

       昔の方が幸せ 今の方が幸せ
 全体     74・4%  25・6%
  男     73・0%  27・0%
  女     75・4%  24・6%
 10代以下男  55・0%  45・0%
 10代以下女  59・4%  40・6%
 20代  男  63・8%  36・2%
 20代  女  73・6%  26・4%
 30代  男  75・7%  24・3%
 30代  女  76・3%  23・7%
 40代  男  77・5%  22・5%
 40代  女  77・8%  22・2%
 50代  男  78・9%  21・1%
 50代  女  77・2%  22・8%
 60代  男  67・2%  32・8%
 60代  女  67・6%  32・4%
 70代以上男  68・8%  31・2%
 70代以上女  81・8%  18・2%

先ず、「昔の子どもの方が幸せ」の回答から
 「生まれ持った能力や家庭環境を受け入れ、身の丈にあったことをやっていたのが昔の子。今の子は勉強を始め自分の実力以上を求め過ぎる傾向がある。親の期待や友だちの評判を気にしているのでしょうが、それってかなりキツイ」(富山県黒部市・匿名)「わたしの子どものころは未来への不安はありませんでした。ただたのしくてなにをして遊ぼうかということしか考えなかった。うちの子は退屈が口癖で、なにしたらいいのと聞いてきます。言われる度に切なくなる」(兵庫県姫路市・える)

《親も子も女性だと思う。年齢は不祥。私の時代は未来への不安が一杯の時代だった。戦争も敗戦濃い末期、子どもながらに男はいずれ戦争に行って、天皇陛下万歳、と叫んで死ぬことは避けられないと、思っていた。女の子は男がいなくなった家庭や銃後を守ることが使命と教えられ、訓練され、薙刀を振り回していた》

「子どものころ牛が田んぼを耕し、馬が荷馬車を牽いていた。子どもは七輪で火をおこすのが仕事だった。おばあちゃんがいつも昔話をしてくれて、寝入る前に桃太郎や金太郎を何度聞いたことか。数え切れないほどの素敵な心象風景がありありと浮かんできます。まだ50年も経っていないのにこの変わりようはなんでしょうか。今の子どもは忙しすぎます。エンデの『モモ』のとりになってしまいました。時間泥棒にしてやられてのです」(和歌山県橋本市・陽子)

ここで石田はコメントを入れる。「確かに子どもも大人もやられてしまった。みんな遮二無に目的地も知らず駆け回っている。子供用の栄養ドリンクが売られている国なんて、いつから日本はこうなってしまったのかな。でもね、思いではいつだって美しいものです。そこだけに目を向けてはいけません」と。

続いて、「今の方が幸せ」という回答
「子どもの死亡率は50年前の10分の1。犯罪に巻き込まれる子どもも、実は30年前の半分以下。徴兵におびえることも、飢えに苦しむこともない。ただ幸福すぎて不幸を知らないことが、今の子どもたちの不幸かもしれません」(川崎市・Y)「いじめられはしなかったが、学校が嫌いで嫌いで、日曜日の夕方から暗澹たる気持ちになったのを覚えている。今の子は週休二日制。これだけでわたしは昔の子より今の子が幸せと断言できる」(秋田市・満)《この人、現役の教員だそうだ。この程度の価値観、こんな先生に教えられる子どもたち、可哀想だな》

また「今の方がずっと幸せ。昔は世の中全体が貧乏、不衛生で、たべもの、着るもの、住まいと現代とは(ママ)比較にならない。子どもの人格は否定されていたし、男と大人の論理がすべて優先されていた。虐待もあったし子どもの人権なんて無視されても、あたりまえでまかりとおっていた」(北海道芽室町・木偶の坊)

ここで石田は彼の押す回答を引用して、まとめに入る。
 今回の投票結果は7割を超える圧倒的な得票差で、昔の子どものほうが幸せなんだけど、自分の独断で逆転させてもらう。それは、希望を込めてやっぱり、「今の子どものほうが幸せ」でいいじゃないですか。だって相手は嫌でも次の時代のバトンを渡すぼくらの子どもたちなのです。そして、もう一つメールを記している。
「非常に難しいです。なぜなら、僕は昔の子どもであって、今の子どもではないから。だから、えいやっ!で、今の子どもが幸せにしました。いつだって今が一番いいからです。今日は昨日より絶対にいいんです、きっと。街行く子どもが笑っているから、間違いないんです」(大津市・門久雄三)
そして、「ぼくもその意見に大賛成。みんなで今の子どもたちを幸せにしよう、と結んでいる。

《物が溢れ、放っておいても勝手(労働の対価としての経済観念も教えずに)に親や大人が与える金銭(小遣い)、或いは好きなものが要求すれば手に入る現在は、物質的には恵まれているが、それが幸せかどうかは幸せの価値観をどう捕らえるかによるし、子どもたちが置かれた環境による。私には黙っていても溜まる金銭(小遣い)や玩具よりも、喧嘩しあえる、喜び合える1人の兄や弟、或いは姉や妹がいる方が何十倍も嬉しく、幸せなことだと思えるのだ。どんなに貧しく苦しい時代でも、日本の子どもたちは笑って生きて来た。今、世界では貧困や予防接種も受けられないで、10秒間に3人の子が死んでいると言われる。幸いどんな不幸な時代にも、日本の子がそこまでの不幸を味わうことはなかった。あえて、幸せ、不幸せを問おうとしても、今も昔も変わらないと思う。ただ、少しだけ、昔の方が幸せだったのは、子どもを育てる環境が、現在よりも進歩していなかった分だけゆとりがあり、家族や家庭など、子を取り巻く情愛の部分で血の通った熱いものがあった。親の懐で肌の温もりを感じて生活できていた。子どもは親の背中を見て育つ、とは言われながら、今では背中を見て育ちたくても、子どもが起きている時間に背中を見せられる親は、少なくなっている。その分、家族愛の薄い今の子はちょっぴり幸せではない気がする》。

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2007年1月28日 (日)

そりゃ 当然でしょう

もう一週間近くも前だからニュースとは言えないが、大阪高裁で一つの原告逆転敗訴の判決が下された。

毎日新聞(1/23)から
大阪市北区の公園でテント生活をしているホームレスの男性が、区長を相手取り、公園を住所とする転居届の不受理処分の取り消しを求めた訴訟の控訴審判決が23日、大阪高裁であった。ホームレスの山内勇志(56)は98〜99年ごろ、扇町公園で暮らし始め、00年ごろからはテントを設置して生活している。01年2月、同区内の支援者宅に住民登録をしたところ、警察に違法性を指摘され、市側からは職権で住民登録を抹消すると通知された。このため04年、同公園に住民票を移す転居届けを同区役所に提出。区役所側は「公園の適正な利用を妨げる」として受理せず、市長に対する不服審査請求も棄却された。

(昨年1月の一審判決では「占有権限の有無とは無関係に、生活の本拠たる実態を備えており、転居届の不受理は許されない」と判断していた。)

公園を管理する大阪市は、一審判決以降も各地で撤去する動きを強めている。市によると、ホームレス人口は現在、市内に約5000人。このうち、テントや小屋の数660ケ所推定して公園を占拠する人は500〜600人に上るという。ベンチなどで眠る人を加えれば、公園はさらに多くの人の「ねぐら」になっているのが実情だ。さらに、市は「(公園など)利用者からの苦情が多い」などとして昨年1月、大阪城公園(中央区)や靭(うつぼ)公園(西区)でテント小屋を強制撤去。今年8月に世界陸上が開かれる長居公園(東住吉区)でも、同様の手続きを進めている、という。

大阪高裁の判決は、「住所」の形態を「健全な社会通念に基礎づけられた定型性を備えていることが必要」とした。居住地の占有権の有無に拘わらず、住んでいれば「住所」になるという法解釈上の原則は、公共用地などには適用できないという初めての司法判断となった。市民感覚からすれば、公園での住民登録を認めることは、「そこに住んでいい」というお墨付きを与えたと映る。判決も、こうした市民感覚や公園の公共性を重視し、自治体側の権限を柔軟に解釈したといえる。

この判決を受けて当の原告は「負けるとは思っていたが、我々を人間として認めていないあまりにひどい内容でショックを受けている」と語り、上告する方針だと話した。
また、大阪市長・関潤一氏は「主張が認められ、妥当な裁判。公園は公共施設で、そこに住所を設定することは社会通念からも認められない」と。
小林節・慶応大法学部教授(憲法)は「憲法を知っていれば当たり前の判断。とはいえ、「人権」を振りかざされると逆らえない社会の空気の中で、大阪高裁は立派に筋を通した。一審判決が認められれば、公園は先着順に占有され、まじめにローンを払っているのが、ばかばかしい社会になる。西部劇の世界のようなことが、大都会・大阪であっていいはずがない。人権の本質を定めた憲法12条でも、人権の乱用は認めていない」と語った。

小林教授の話は全くの正論だが、この正論が通用しない時代があった。現在の、ぬるま湯に浸かったような労働運度の時代では想像できないだろうが、何かあると、すぐにストライキが叫ばれる労働運動過激なころだ。巨大な国鉄労組は列車の運行を止め、全国の殆どの私鉄も運行を止め、日本中の通勤の脚が麻痺したことが、年中行事のように華やかに行われた時代だ。現在では子供や家族も参加する労働者のお祭り気分のメーデー(5/1)も、1952年には宮城前広場でデモ隊と警官隊の激突が発生し、血のメーデー事件と呼ばれる騒ぎまで起っていた。組合側の殺し文句は「おれたちは人間なんだ」あるいは「そんな人間性を無視したことが・・・」が頻繁に口の端に上っていた。 教授のいうように「人権」を口にした途端に議論は停滞する。不毛の会議になるのだ。その後の労働組合の分裂につづいて組合活動が低調化していく。戦闘的な組合は企業内組合の色をつよめ、やがて来る繁栄の時代の中で祝祭日の増加に伴ってレジャーを楽しむ時代へと突入していく。

今では「人間」や「人権」を叫んでも、冷静に受け止める社会が生まれた。敗戦後の家も失い、ガード下や道ばたで、地下道や公園で生活せざるを得なかった時代ではなくなったが、何らかの事情で公園生活を送っている人がいるのは事実だ。上野公園へ行けばそれぞれにテント生活者は多くいる。段ボールで囲んだ一角もある。とてもそこが住所と認められる様ではない。公衆便所が直ぐ近くにあるが、大木に向かって放尿する人間を必ず見かける。博物館がある、国立、都立の美術館がある、文化施設の林立する中の人の行き来は激しい。通行人には外国人も多い。目にして決していい気分ではない。

何年か前、新宿の都庁へ行くまでの通路の悪臭に苦情が出、段ボール生活の野宿ものの撤去を都が実施した。仮設住宅を準備したが、そんな窮屈なところには住めないと拒否する人間もいた。放浪に馴れて、普通に生活することが出来なくなる者も出ている。いま、格差社会を理由に、底辺の人たちに必要以上の同情がある。しかし、今回の大阪高裁の判決は、立派だと思う。

ただ、ホームレスを締め出して解決できる問題ではない。住む家がなければ自立や立ち直りの意欲を削ぐことにもなる。行政とはいっても単純に地方自治体だけで解決できる範囲ではない。大阪や東京だけではない、国としても具体的なホームレス支援策を検討するべきだ。

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2007年1月27日 (土)

いじめ調査(付 施政方針演説)

安倍の首相施政方針演説を聞いていた。始まって数分、またもや横文字の繰り返しだ、吐き気がしてチャンネルを変えた。夕刊で改めて目を通した。「教育再生」について次のように演説した。

『教育は内閣の最重要課題です。現在、いじめや子どもの自殺を始めとして、子どもたちのモラルや学ぶ意欲の低下、家庭や地域の教育力の低下といった問題が指摘されています。公共の精神や自律の精神、自分たちが生まれ育った地域や国に対する愛着愛情、道徳心、そういった価値観を今までおろそかにしてきたのではないでしょうか。こうした価値観を、しっかりと子どもたちに教えて行くことこそ、日本の将来にとって極めて重要であると考えます』と述べ、60年振りに改正した教育基本法を踏まえ『関係法律の改正案を今国会に提出し、新たに教育振興基本計画を早期に策定します。ゆとり教育を見直し、必要な授業時間を確保するとともに、学習指導要領を改定し、国語力の育成、理数教育、道徳教育の充実など、公教育の再生に取り組みます』と。

つづいていじめ問題に言及し、『いじめについては「どの学校でも、どの子にも起こりうる」という意識を持ち、教育現場においていじめ問題に正面から立ち向かうことを徹底します。いじめの早期発見、早期対応に努めるとともに、夜間、休日でも子どもの悩みや不安を受け止めることのできる電話相談を全国で実施します。放課後に子どもたちが自由に学び、遊んだり、地域の人たちとも触れあうことができるよう、「放課後子どもプラン」を全国で展開します』。

彼の頭の中には冒頭に何度も繰り替えした言葉“戦後レジーム(体制)”を大胆に見直す、という戦後体制からの脱却は、現行憲法が手枷足枷になってこれからの日本には邪魔になる、との考えで固められている。それではどうするのか、が今回の演説になった。要は明治の教育勅語の精神に還れ、だ。「公共の精神や自立の精神、地域や国に対する愛着愛情、道徳心などの価値観を教えていくことこそ・・云々」は、国民の精神構造の規範として存在した教育勅語、これに尽きる、と言っているようなものだ。これらは国が規則で規範として縛るものではない。今からちょうど半世紀も前になる。1957年、10月9日、時の戦犯総理安倍の祖父岸信介は、アメリカのNBC放送の記者と会見して「憲法9条は廃止の時」と口にした。安倍は祖父のこの言葉を遺言とでも捉えているかのように、憲法改正に政治生命を賭けようとしているかに見える。

【閑話休題】
毎日新聞(1/11、26)から
同紙1月10日、文部科学省は、いじめの実態調査を批判されていたことで、あらためて「いじめ」の定義*を示すとともに、国立・私立校も対象にする「いじめ調査」の具体的な見直しの方向性を示した。07年度(06年度分)から実施される新調査では、いじめの有無を児童・生徒の立場に立って判断することを強調する、こととし、調査対象校も公立校だけから国・私立も加えて調査範囲を広げて全国的に把握する、としている。

*文部科学省のいじめ定義
「いじめ」とは
 「⒈ 自分より弱いものに対して一方的に
  ⒉ 身体的・心理的な攻撃を継続的に加え
  ⒊ 相手が深刻な苦痛を感じているもの。
  なお、起った場所は学校の内外を問わない」とする。
なお、個々の行為がいじめに当るか否かの判断を表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童・生徒の立場に立っておこなうこと。

《これまで多くあった痴漢・セクハラ被害が、女性の訴えだけで簡単に加害者となって断罪された男性が生まれたような、一方的な被害者を生まないための歯止めはあるのか。また、学校外でのいじめを認めたとして、誰がそれをどう指導するのか、私は学校外で起ることは、学校には責任はない、という考えだ。一般社会では、外部で犯罪や事件(企業内部の問題は別)を惹起すれば企業イメージを損ねるとした処罰はあるが、企業は責任はない。学校も同じだ。学校外でのいじめには先生や教諭に責任はない。教育委員会や自治体や、世間でもない。管理監督の責任の管轄は保護者に移る。これこそ安倍が酸っぱく言う家庭教育、躾の問題になるのだ。》

文科省の通達より早く「いじめの実態調査」をした県教育委員会(埼玉県)がある。
県教育委員会が25日、速報結果をまとめた公立小中高校を対象にした「いじめ実態調査」は学校の報告ではなく、児童・生徒に直接アンケートする形式をとっている。
調査は12月11〜14日に実施。県内全域から小中高各8校を選び
  小学校4年
     6年
  中学校2年
  高校 2年 の5577人の無記名式 有効回答 5390人による
文科省のいういじめ、「一方的」や「継続的」にとらわれず、「あなたが『いじめ』と感じるものすべて」について、率直に意見を引き出そうとした。この結果
  いじめられたことがあるか 全体の39・3%が ある、と答え
  このうち今もいじめにあっているが10・9%と答えている。
 いじめられたことがあるかの問いには
  学年別     ある    ない
  小学4年   50・5%  49・5%
  小学6年   43・3%  56・7%
  中学2年   38・2%  61・8%
  高校2年   34・1%  65・9% 
同時に加害者になった経験を持つものも3割り〜4割りもおり、「加害者・被害者が入れ替わることもある」と分析している。いじめられていることを知り、或いはそこにいても、「何もしない」と回答したものが、中高生のおよそ3割の生徒が見て見ぬ振りをしていることも分かった。

続いては、いじめにあった時、あなたはどうするか、には
 我慢するとの答えが一番多く 各学年ほぼ 50〜55%
 相談した(担任には2〜3割り)     30〜40%
 相手にしなかった            30〜35%
 やり返した               15〜20%
 目立たないようにした          10〜15%
 直接相手と話し合った          10〜13%
 学校を休んだ               5〜 8%
 学級や部活で話し合った          3%弱 
 その他                  5%弱
  
細部にわたっての分析はこれからの作業になるようだが、傾向として、文部科学省が05年度に行った調査では、県内の児童・生徒数に対するいじめの発生率は各年代で軒並み1%未満であるとされていた。しかし、今回の調査では、小学4年で、半数の子どもたちが「ある」と答えている。いじめの形態はどの年代も「悪口」が最も多く4〜6割以上だが、年齢が上がるに従い「たかり」「暴力」が減り「ひやかし」「仲間外れ」のような心理的攻撃が増加する傾向が分かった。

兎に角、子どものいじめは結果として現れる抹消の現象だ。これだけは安倍と思いを一にするが、家庭を顧みない保護者の、家庭教育を放棄した現実が原因となっている。責任を制度や学校や教師に押し付け、「学ぶこと、学ばせることが義務」の義務教育の考えが逆転しているのが、現在の親たちの考えている義務教育だ。ここのところをきっちり保護者らに理解させないと、いじめ予備軍は各家庭で年々育てられているのだ。責任を学校だけに向けている親のいるうちは、いじめは永久に後を絶たないだろう。

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2007年1月26日 (金)

300日以内は前夫の子 今度は泣き落とし

たとえ離婚できても6ヶ月間は結婚できない(民法733条*)ことを無視し、もどかしく離婚を待ち、待切れないで子づくりを始め、月満ちて出産する。

*民法第733条(再婚禁止期間・・父を定めることを目的とする訴え)
 第1項 女は、前婚を解消し又は取り消しの日から6ヶ月を経過した後でなければ再婚をすることができない
 第2項 第1項の規定に違反して再婚した場合において、前条の規定により子の父を定めることができないときは、裁判所がこれを定める
 (民法第4編 親族 改正2003・7・16 施行2004・4・1) 

法律に違反して子づくりした場合には、裁判所に届け出なさい、と丁寧に案内までしてある。法律がある以上、現在起きて新聞種になっている問題は認められないのが当然だ。これを認めれば、スピード違反をしておいて、こんなスピード規制をするのがいけない、駐車違反をして法律がいけない、飲酒運転をしておいて、こんな法律を作るからいけない、逆走して事故を起しても、法律があるからいけない、というのと大同小異だ。それに、例外を設ければ例外が普通のものになることは分かり切ったことだ。例外を保護することは、法の理念、理想をないがしろにすることになる。

今日(1/26)の毎日新聞はこう書いた。「子に罪はない」と。遂に泣き落し戦術に転換してきた。愛くるしい子どもの笑顔も添えてある。わが子を今の夫の戸籍に登録するため裁判などを起した経験をもつ、何人かの親たちが25日、東京・永田町で、法律の見直しを求めて記者会見をした。「生まれ子に罪はない。前夫を巻き込んで法的手続きを取らなければならない法律を納得できるものにしてほしい」と訴えた。この後親たちは、法務省民事局や、自民、民主、公明、共産各党の議員事務所をまわり、要望書を提出して法律の改正をもとめた、とある。

時代の変化によって社会規範も変化をしていくが、日本の性モラルの低下は男女の性衝動を基準にして、法律までも変えようとするのだろうか。

 

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2007年1月25日 (木)

学校給食費不払い 22億円に

何回かこの問題は取り上げて来た。
遂に給食費の不払いによる総額が、22億円に嵩(かさ)ばった。食費を納めないで支払った家庭の子と同じように自分の子どもに昼食を食べさせている親がいるということになる。義務教育だから給食費は納めなくてもよい、或いは支払っていれば、いただきます、は言わなくてもよい、と主張する親もいて昨年は問題になった。充分な献立を提供するだけの給食費が集まらず、校長が献立が粗末になることを見かねて、自腹を切る学校も発生した。

日本で学校給食が始まったのは明治時代に遡るが、現在のような仕組みになったのは第2時大戦後のことである。敗戦で食べるものも底を尽き、子どもに弁当を持参させることの出来ない家庭がたくさんあった。昼時になって上手そうに食べる友だちの食事風景に耐えられない子供達が、空腹のまま外で遊ぶか、動けば減る腹を抱えたまま午後の授業を受けていた。

時代は今、飽食と云われ、子どもたちも自宅の我侭に馴れて、好き嫌いが顕著になり、必ずしも給食を美味しく食べている訳ではない。戦後の時代から一変して同じものを皆と同じに食べる、ということから、法によって現在では栄養や食習慣、食事マナーを学ばせるだけではなく、社交性や人間関係といったことの育成までも含めて学ばせようとしている。海外の学校にも給食制度をもつ国(オーストラリア、アメリカ、ブラジル、ネパールや台湾、韓国など)はあるようだが、単に昼食の便宜をはかっているだけで、日本の学校給食のような「教育」の一環としては位置付けられてはいないようだ。

【閑話休題】
毎日新聞(1/25)から
給食を提供している全国の小中学校で05年度、給食費の未納額が計22億2963万円に上ることが24日、文部科学省の初めての実態調査で分かった。未納者総数は全体の1%にあたる9万8993人で、回答した学校の6割が「保護者の責任感や規範意識」の欠如が主な原因と認識した。また、「保護者の経済的な問題」を原因に挙げた学校も33・1%あった、という。

調査の対象は(給食を提供している)、各界などで給食費の未納が増加しているという指摘を受けて調査した。
 国公私立の小中学校計3万1921校、1003万3348人
 うち未納の小中学校 1万3907校(43・6%)
 (未納の児童・生徒の割合:都道府県別)
  沖縄県  6・3%
  北海道  2・4%
  宮城県  1・9%
  因にゼロとした自治体はなかった。
これらのことに対して各学校の対応は(複数回答)
 ① 電話などでの説明・督促   1万3493校
 ② 家庭訪問での説明・督促     7691校
 ③ 支払いを求める法的措置      281校
♦未納分を補填せず徴集できた給食費で賄っている学校が4025校と最も多く、学校や教育委員会の予算から補填している学校もあるという。

学校給食法では「施設設備費や人件費以外の食材費等は保護者が負担する」などと定められている。ただし、経済的な理由で支払えない家庭には、就学援助制度や生活保護の教育扶助による給食費の給付制度がある。特に未納の割合が高い沖縄や北海道には地域経済の問題もあるのではないか、と見られている。

この調査で、給食費を滞納している保護者が児童・生徒100人あたりに1人いる実態が初めて浮かんだ。文科省のまとめでは05年度の月額給食費は公立小学校約3900円、中学校約4500円となった。学校現場からは、不況や貧困など経済的な問題を背景にした「払えない」だけではなく「払わない」ケースが多いとの声も洩れて来る。

自治体によっては保護者の給与の差し押え、滞納時の給食の一時停止、悪質な不払いをする保護者の該当者名の公表など、法的な措置を講じているところもある。広島県呉市の例では11〜29ヶ月分の支払いに応じなかった2世帯に対し、簡裁に申し立てたが、簡裁からの督促にさえ応じなかったため、市は保護者の給与を強制執行で差し押さえ、訴訟費用も含め計20万円を徴集したケースも発生している。別の1世帯についても近く差し押さえる予定であるという。また、自治体によっては全国に先駆けて03年度末から法的手段を使った回収策に乗り出した岩手県滝沢村おようなところもある。しかし、全ての保護者が支払ったわけではない。その後も村全体の未納額は03年度780万円、04年度880万円、05年度830万円と減少してはいない。

先に挙げたように生活保護による教育扶助を受け取りながら、学校に支払わない保護者のケースもあり、これからは問題のある保護者の場合には、学校長に直接交付することも制度上は可能なことだとしている。

ある公立小学校の担任教諭は「知っている児童のケースでも、未納者は生活が苦しい家庭であることは確かだ。でも、当事者の子どもは『携帯型のゲーム機を買ってもらった』『カラオケに行った』などと話しており、約4000円の給食費が払えないわけがない。払わなくても給食は食べられるから、まっ先に払おうとしないのではないか」と憤る。東京都足立区の男性教諭(57)は「お金がなくても、やり繰りして子どもをピシッと育てるという意識の欠けた親が出て来ている。経済的な余裕のなさで、精神的にも追い詰められているのではないか」と、現在の背景について語った。

敗戦後に生まれたもので、時代にそぐわなくなったものに、成人式を挙げたが、学校給食ももう必要のないものになった気がする。生きて行くのも辛かった敗戦後の時代に、ユネスコに助けられ、献立も貧しく美味しくはなかったが、生き延びることができた世代から見ると、今の世の中、限り無いほどの贅沢になった。弁当持参が出来ない貧しい子の多かった時代ではもうない。制度としての学校給食は廃止してもいい。

私の少年時代、長い間2歳〜3歳違いの兄妹を学校に送りだす母は、梅干し一つ、沢庵2、3切れの弁当を3人に持たせ、送りだしてくれた。敗戦時中学生だった私の下には未だ生まれていなかった末弟まで、ほとんど3人づつが小学校に在籍し、弁当を必要とした。暗いうちから起きた母は、何年も毎日毎日弁当を作ってくれた。時代は変わったが、弁当は母の手作りが何よりも旨いはず。子だくさんの家庭はそう多くない現在、弁当を作ることぐらい簡単なことだろう。

或いは給食制度の廃止がないのなら、給食費を払わない保護者の子には、給食は食べさせなければいい。それが、例えば‘いじめ’と思うなら、保護者は給食費を払えば簡単に解決する。払わないのは自由だが、それは‘食べられない’ということでその責任を取ることになるのだ。自由の本質とは責任ということなのだから。

参照「“いただきます”」06/01/22
参照「欠食児童」06/05/22
参照「食習慣が壊れている」- 2 - 06/09/25

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2007年1月24日 (水)

臭いものに蓋

人類が知恵の限りを尽くして開発し、作り上げたのはいいが、今、その残滓の捨て場所に苦しんでいる。X線利用から始まり、核を分裂させることに成功し原子爆弾に、或いは融合させて水素爆弾に、また分裂のエネルギーを利用して原子力発電にと、発展させてきたが、そこから生まれ出る放射性廃棄物という残滓になって、その処理に難しい問題を突き付けられている。

高レベルの放射性廃棄物は、現時点では、地下深くに埋蔵.保管する方法が検討されている。過去にはドラム缶に詰めて深度の深い海底に投棄する方法が採られたこともあった。地下に埋めるにしても地震や火山脈が走る日本では噴火などにも耐えられる強度を必要とし、地下水汚染がないよう地下300メートルに多重バリアを引いて処理する手法が提示されている。その上、現時点で放射性廃棄物を無害化することは不可能であるとも言われているのだ。

ドイツでは既に地下の岩塩層や廃鉱跡地に埋設処理することで具体的な対策を検討中であるという。日本でも米、英、独、仏などに続いて、高レベル放射性物質のガラスによる固化体を、防護対象とする、中間報告書を17日、経済産業省の総合資源エネルギー調査会原子力防災小委員会がまとめた。

また22日、経済産業省は原子炉中心部の廃材など「中レベル」の放射性廃棄物について、総合資源エネルギー調査会廃棄物安全小委員会は、地下に埋設する際は50メートル以深にするべきだとの報告書案をまとめた。

地球を、人類を、生活を脅かすものはまだ他にもある。地球温暖化を食い止める対策として、温室効果ガスの二酸化炭素(C02)を地中に封じ込める技術の開発が進められている。すでにポーランドではシレジア炭田の廃坑を利用した欧州連合のCCS実証実験「RECOPOL」場で実験の取り組みが行われている。仕組みは簡単で、石炭を採掘するために掘った深さ1キロの立て坑から、パイプを通じて高い圧力をかけたCO2を地中深くの石炭層に送り込み、石炭に吸着させて貯留する。いわば巨大な地下の貯蔵庫にするものだ。

世界屈指の石炭生産国であったポーランドも現在では石炭産業の効率向上を目指し、再構築の結果それまでの生産量が大幅に減少した。ポーランドの国立鉱業研究所所有の炭鉱が次々に閉山、新規のビジネスの開拓が課題となっていたという。最初はCO2を送り込んだ圧力で石炭層から天然ガスのメタンを取り出そうとしたが失敗。だが「今はCO2の吸収源としてビジネスとしての可能性がある」とみている。

シレジアはポーランドの主要炭田で、欧州4大炭田の一つ。石炭層は約40キロ四方に広がっている。具体的な容量は現在調査中というが、これまで掘削した石炭層に大量に封じ込めることができれば、排出権として京都議定書が定めた排出権取引で売却することができるとも見込んでいる。

国連の「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)特別報告書や経済産業省によると、全世界で少なくとも2兆トン、日本でも年間排出量の4〜110倍に当る推定52億〜1500億トンの貯留能力があるという。

日本では、海底の地層が見込まれており、洩れ出したCO2によって海水が酸性化し、生態系に影響するこが懸念材料だが、環境省は通常国会で関係法令を改正する方針で、すでに意見公募の手続きを進めている。

ポーランドのように、地下に埋設しても、海底であっても、時間の経過とともに少しずつ地上に或いは水中に漏れだして来る。地下の場合、住宅密集地などが近くにあれば、CO2が高濃度になれば、さまざまな健康被害を引き起こし、生態系への影響が現れる。これまでも安全を約束したはずの産業廃棄物場から洩れ出す種々の問題は、各地で被害を発生しており、地下への閉じ込めが必ずしも安全な対策ではあり得ず、なお研究の必要を残している。

現時点では、ポーランドのいうような巨大な地下空洞があって吸着貯蔵が可能だが、日本で50〜1500億トン、世界で2兆トンも何時かは限界が来る。一方、排出の方は一向に歯止めは掛からず増え続けている。臭いものに蓋の対策で地球は救えるのだろうか。

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2007年1月23日 (火)

プレゼント

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上から順に、ローマで購入
下は    今回のプレゼント品
右は上と同時に買った小銭入れ


弱って来た使用中のものが破れも生じて来たのを、見るに見かねた妻が買い替えてプレゼントしてくれた。長年苦労を掛けた罪滅ぼしに幾度か遊びに出かけた折りに購入し、気に入って使っていたものだった。旅行中の写真で‘ローマ 2’にあるコンドッティ通りを入り込んだ、日本料理店「濱清」の右に隣接する日本人の経営するこじんまりとした、土地の人を相手にする店だった。日本食を味わった後、気軽に見栄を張る必要のない買い物ができた。札入れはズボンの後ろポケットに入れ、座る時にもそのままになることもしばしばで、本当に痛みは酷くなっていた。小銭入れの方は店の推薦してくれたもので、頑丈で使い込むほどに味が出て来(汚れも加わったが)、まだまだ使い続けられる。

話は一転するが、毎日新聞(1/21)の記事が目にとまった。
上海からの特派員レポートだ。中国の各紙が19日に報じたとして、中国の上海市工商行政管理局が、同市で販売している有名ブランド衣料品の品質検査で、シャネルやアルマーニ、バーバリーなどの25品目を不合格と判定した、とある。

検査は国内にある百貨店など27ヵ所に出店している有名ブランド40社の衣料品59品目を対象に実施。25品目が不合格となり、うち24品目が輸入品だったという。不合格となったシャネルの衣類は、布地の酸性・アルカリ性検査で「PH(水素イオン濃度)が基準値を超えていた」という。アルマーニの皮製上着とバーバリーのズボンは「非常に色落ちが激しい」と指摘している。

同局は「一部の消費者がむやみに有名ブランドを崇拝している」と指摘し、今回の検査で「高級・有名・輸入」のブランド品の質が必ずしも良くないことが証明されたと強調しているらしい。中国ではこれまで「輸入品や外資系企業の製品は高品質」と信じ込む傾向が強かった。しかし、最近では当局が外資系企業の製造した電気製品や食品などの問題を相次いで指摘し、国民の間でも外国製品の質を疑問視する風潮が強くなっている。

製品テストの方法が何も明かされていないから、色褪せに劇薬を掛けていても分からない。やっぱり日本と同じように、市民の西洋崇拝、「西洋のブランド」ものに弱いのは、変わらないようだ。

ところで、妻のプレゼントの札入れには、FIGARO Paris 、made in china とある。この札入れ、折角買ってくれたはいいが、使えない。8枚のカードが挿入可能になっているが、きつくて入らない(もちろん8ケ所ともに)。紙幣もポケットが浅くて端っこが折れてしまう。今まで使って来たものと表向き変わったように見えないが、大金を入れることはないが、これでは複数枚の紙幣が入れられない。

中国さん、ひと様のことはいいから、自分の所で作る製品は、恥ずかしくないものに加工して、よそ様の国には輸出してほしいものだ。その昔、日本は安物、不良品を輸出する国として世界に名を轟かせていた。あなたの国がそう呼ばれないように気をつけるがよい。

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2007年1月22日 (月)

「共謀罪」成立を指示

「私の内閣」を口にする安倍が、またまた恐ろしいことを目論んでいるのが分かった。彼には背後霊のように戦犯総理・祖父岸信介が見え隠れする。19日、安倍は唐突に政府・与党に対し、*共謀罪創設法案(組織犯罪処罰法改正案)を通常国会で成立させるよう指示した。

*共謀罪・・政府案は、懲役・禁固4年以上の刑が「団体の活動として犯罪実行のための組織により行われる場合」実際に犯罪を実行しなくても事前に合意しただけで罪に問える。「死刑・無期、10年を超える懲役・禁固にあたる刑」の場合は5年以下の懲役・禁固が科される、というもの。

7年前の00年、国連で採択された「国際組織犯罪防止条約」を、日本でも03年5月の国会で承認した。これに伴って政府は、条約の批准には共謀罪の創設が必要として、
 ♦2004年2月20日 国会に提案するが、継続審議となる
 ♦2005年8月 8日  衆議院解散により廃案となる
 ♦2005年10月4日 特別国会で再提出、継続審議となる
 ♦2006年4月21日 与党修正案提出、その後撤回
 ♦2006年4月27日 民主党修正案提出
 ♦2006年5月19日 与党再修正案提出
 ♦2006年6月 1日  与党は民主党の修正案を受け入れる。一方、民主党案修正案では条約の批准は不可能、との意見が出て、次期国会で改正することを前提とすると、示唆した。
 ♦2006年6月 2日  民主党は委員会での採決を拒否。与党は国会での法案成立を断念した
 ♦2006年6月16日 与党は法務委員会で継続審議にすることを決議。その後、与党第3次修正案(正式な議案とはなっていない)を議事録に添付することを議決。法的には全ての修正案は廃案となった。このように2度の廃案になったものを、またまた安倍が持ち出して来たものである。

 昨年9月、総理となり、恐い内閣「私の内閣」をつくった。その目指すところは憲法の改正であり、そのための準備を着々と進めている。
 格差社会を作り上げ、世情を不安に陥れ、その原因を政治ではなく、教育の乱れにあるとしていじめやいじめによる自殺、或いは教員の問題に摺り替え、十分な審議も経ぬままに改正教育基本法を成立させ、防衛庁を省に昇格させて自衛隊の海外派兵を本来任務とし、NATOとの連携協力をも約束した。残業代不払い制度の法案こそ見送りになったが、参院選が終わればまたぞろ持ち出して来ることは間違いないだろう。その先には訳の分からない「美しい国」を掲げて最終目標の憲法の改正を目論んでいる。

「信じられない。なぜこんな話をしたんだ」と口にする公明党の国対幹部も、参院選の後でないことの思惑だけで、「寝耳に水」の政府・与党にも困惑が走った。自民党国対幹部も「首相からは何も聞いていない。知恵をつけて持って来てもらわないと」とこぼしているという。首相に近い政府筋でさえ「通常国会で通そうとは思っていなかった」と、事前の相談がなかったことを示唆。「強行採決はできるが、野党は寝る(審議拒否)でしょう」と国会運営の混乱を心配する。

《うがって考えれば、昨今の安倍の不人気、参院選を待っていては、次期首相の地位が危ないと踏んで、首相の席にある間に、無理にも数で強行採決を図ろうとの考えなのだろうか。爺さんの岸が、昭和23年にできた警察官職務執行法(警職法)の改正をしようとして、不成立(廃案)に終わったことへの無念を晴らそうとでも企んでいるようにさえ思える》

民主党はあくまで成立を阻止する考えであり、さらに秋の臨時国会では、日本弁護士連合会が昨年9月、「共謀罪を設けなくても国際組織犯罪防止条約の批准は可能」とする意見書にまとめたことなどを受けて、法案そのものの成立阻止に転換している。

遡れば祖父岸信介が世情騒然とする時代に辿った道と瓜二つだ。岸は戦時中の治安維持法で特高を使い、権力の力に酔っていた時代が忘れられず、警職法を改正して取締りの権限の強化を図って敗れた図式が、安倍のトラウマとなっているのだろう。現在の安倍と祖父岸の時代背景を比べてみよう。

1957・3・13 文部省が各都道府県に越境入学をさせないように通達をだす
1957・3・18 文部省が小・中学の道徳教育実施要項を通達。4月から週1時間で実施。8月18日学校教育法施行規則を改定する
    4・23 東京都教育委員会が都の勤務評定案を可決。都教組は勤評反対の10割休暇闘争に突入。以後、福岡、和歌山、高知でも10割休暇闘争実施。7月16日、都教育委員会は都教組組合員284人を処分する
    4・30 刑法・刑事訴訟法各改正公布。斡旋収賄罪や兇器準備集合罪などを新設。暴行・脅迫罪に緊急逮捕を認める、5月20日施行
   5・1  すし詰め学級解消のため文部省が公立小・中学校の学級定員を50人と定める。(1963・12・12 には45人となる)
   5・23 防衛庁設置法・自衛隊法各改正公布
   5・30 巣鴨プリズン閉鎖
   6・6   山形県の日教組大会(第17回)で勤評反対闘争の方針を討議。条件闘争案を否決
   6・8  憲法問題研究会発足。(第1回総会)
   6・9  和歌山県の勤評反対闘争でピケ隊と警官隊が乱闘(16日にも)
       57年度人口動態で出生率世界最低(1・72)となる
   6・12 第2次岸内閣成立(蔵相に佐藤栄作「岸の実弟」就任)
   6・16 アメリカ・イギリス両国と原子力一般協定を調印
   7・13 中国から最後の引揚げ船「白山丸」が579人を乗せて舞鶴港入港
   7・15 アメリカ軍レバノンに出兵。17日イギリスもヨルダンに派兵
   8・15 総評が和歌山で勤評反対・民主教育を守る国民大会を開催。16日、デモ隊と右翼・警官隊とが衝突
   9・6  文部省が東京国立博物館で警官隊に守られながら道徳教育の指導者講習会を開催。以後、各地で開催
   9・11 ワシントンで外相・藤山愛一郎とダレス国務長官が会談し、日米安保条約の改定で同意
   9・15 総評・日教組が勤評反対第1次全国統一行動を実施
   10・4  日米安保条約改定第1回会談が東京で開かれる
   10・8  政府が警察官職務執行法(警職法)改正案を国会に提出。社会党は即時撤回を要求
   10・9  岸首相がアメリカNBC放送の記者と会見し、「憲法9条は廃止の時」と発言
  10・13 社会党・総評など65団体が「警職法改正反対国民会議」を結成。10月中に全都道府県に共闘組織が成立。25日を第1次として全国統一行動を繰り返し展開
  10・28 日教組が勤評反対で群馬・高知で10割り休暇闘争を実施
  11・4  政府・自民党はん抜き打ちで衆議院の会期30日延長を強行。警職法改正案の成立を期してのことであったが、社会党は無効を主張して7日、院内から引き揚げる
  11・5 警職法改正反対闘争が激化。総評・全労・中立系労組・文化人・学生・婦人団体などが共闘
  11・22 自民党岸・社会党鈴木の両党首が会談。警職法改正案の審議未了。「デートも邪魔する警職法」と言われた警職法は衆議院自然休会で了解が成立し、廃案となる
  12・9  神奈川県教育委員会と県教組が独自の勤務評定方式(神奈川方式)を決定。13日、文部省は反対。翌年2月17日、日教組大会はこの方式を評価
  12・10 自民・社会両党幹部が会談し、国会正常化4項目の申し合わせで妥結
  12・31 岸の党内人事に反発し、3閣僚が辞任

1958・1・21  和歌山県教組は高組・地評・部落解放同盟・和歌山大学自治会などと勤務評定反対闘争が起る
    3・12 最高裁が公務員法による一般職公務員の政治活動禁止は合憲とする判決をくだす

 その後、学校教育の世界に一般企業なみの勤務評定が持ち込まれ、板挟みになった校長が、何人も自殺する事件が起った。


 

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2007年1月21日 (日)

納豆騒動

毎日新聞(1/21)から
思わず吹き出した。『関西テレビがねつ造』として、スーパーから消えた納豆のダイエット効果がまやかしであることを報じている。あさましい痩せ願望の女ごころの隙をついた番組であった。

どう考えても食べて痩せられる食品なんて、毒草くらいのものだろうに、必要以上に痩せて骸骨か針金のようになりたい人間たちが、我先にと押しかけて、店の陳列棚から納豆の姿を消し去った。哀れなものよ、と見ながら通り過ぎていたが、案の定だ。仕掛けた関西テレビは1番に悪いが、それに踊らされる知恵のない消費者が哀れで面白い。昼の帝王とあだ名される著明司会者の番組(スタジオに集まる人に男性の姿を見かけることはない、司会者の言う「昔のお嬢様たち」)が取り上げる種々の物品でも、同じような話題を提供し続けているが、人と同じでないと不安な人たちの右往左往を面白く聞いている。その極端な例が今回の納豆になっただけだ。

世の中を騒がし続けているいろいろな詐欺事件の納豆版だ。痩せたいのなら、食べないことが一番。美食に馴れ、飽食の世の中、何を食べても必ず太る。特に敗戦後の日本人は肉の魔力に取り憑かれ、体格も少しは西洋人並に脚も伸び、世界一と言われた短足も返上できる勢いだ。反面、魚や野菜を摂取しないために、それまでなかった肉食から来る病気が増えた。日本人には比較的少なかった年をとってからの肥満体の人間が街中に目立つようになった。西洋の老人が、まっ先に弱る身体の部分は、脚だ。男であれ、女であれ、沢山の老人のヨボヨボと歩く姿は何処の国、何処の街の何処を写しても溢れている。肥満した上体を支えるための脚に負担が掛かるからだ。今に、日本人もこのような体格の老人が増えるだろう。

儲かるぞ、儲かるぞ!と大喜びでメーカーはいち早く増産体制を敷き、完全に打っちゃリを喰らう結果になった。金儲けは余ほど慎重に準備しないとばかを見ることになる。日本の専門家(ナットウキナーゼ「血栓を溶かす作用がる」を発見した)の須見洋行・倉敷芸術科学大教授(食品機能学)は、日本人は1000年以上も前から納豆を日常的に食べてきたが、痩せるという作用は聞いたことがない。ものを食べているのに痩せるというのは異常なことで、そんなことがあれば身体に毒だ、と語っている。偉い学者の話を聞くこともない。食べれば太ることは前から分かっていることだ。

19日に‘子どもむけ防犯携帯’でも書いた、視聴者は宣伝に踊らないよう、もっと賢くならなければこのようなことは、これからも幾らでも起るだろう。

何事も疑うことで生きて来た私には、何事も、ちょっと待て、と考える間を取る。敗戦で学んだ知恵だ。大きくは国の施策から、小さな新聞記事まで、自分の価値基準で捕らえる。風説にも流行にも捕らわれない、流されない。多勢に無勢で言えば、多くは無勢の側になる。何処の会社にもある勢力分布でも、非力の味方を通した。別の部だが後輩の課長の中の1人に光る人材がいた。ある日、役員から将来の幹部候補を尋ねられた。その彼が将来の会社を背負って立つでしょう、と答えた。私の退職後、事実、後年その彼が代表取締役に就任した。何事もちょっと間をおいて、ぐるりと周りを見回す目を持つことが大事なことだ。勿論価値判断が下せるための自分自身の目を養う努力は惜しまないことだ。

痩せた、肥ったと別人の写真を使用したらしいが、皆はそれを信じたのだろうか。今どきコンピューターを使えば、どんな姿にでも変身は可能だ。江戸時代、街頭で‘寄ってお出で、見てお出で’とやったガマの油(薬)売りの宣伝効果と変わらない口車に乗るような消費者では、可哀想だがこれからも惑わされ続けることになるだろう。

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2007年1月20日 (土)

痴漢冤罪

毎日新聞(1/20)夕刊から
本の題名「お父さんはやってない」(太田出版)が出版された。痴漢で起訴され、無罪が確定した東京都内の会社員、谷田部孝司(43)と妻あつ子(40)の共著になるものだ。

00年12月5日突然の逮捕、会社からの退職要請、心中未遂・・、苦悩の2年間が克明につづられている、という。その後、この事件をヒントにした映画「それでもボクはやっていない」(周防正行監督)も20日、上映が始まっている。夫妻は「冤罪に巻き込まれた家族の味わう恐怖を知って欲しい」と話している。

孝司氏は電車内で痴漢行為をしたとして現行犯逮捕される。取り調べで刑事から「電車内の様子を思い出せ」と追求されて、詳しく説明すると、副検事は「痴漢をやろうと様子を窺っていたからだ」と取る。01年7月5日、心中を決心し、長男の首を絞める、妻が慌てて夫から長男を引き離す。起訴されると会社は自己退職を迫る。

一審の懲役1年2月を覆し、東京高裁で無罪を勝ち取るまでに2年かかっている。03年に会社への復職が認められたが、中途入社扱いになる。年収が元に戻ったのが05年になってから。

孝司氏は「裁判官が簡単に有罪にするから捜査が杜撰になる。ぜひ本を読んでほしい」、と語っている。

犯罪が成立するためには、訴える側が、犯人が犯罪を犯した証拠を提出する必要があるが、通常の犯罪と違うのは、痴漢の場合は訴える側の証拠の提出を必要としていないことだ。「この男が痴漢です」と証言するだけで犯罪が成立してしまう。痴漢を証明することは必要なく、していないことの証明は殆ど不可能に近い。そのために、痴漢行為をしていない者が告発され、無実が証明されず、痴漢冤罪となるケースが幾つも生まれ、社会問題ともなったこともある。中には個人的な怨嗟や、示談金欲しさで故意に起した冤罪事件まで発生し、マスコミにも取り上げられることにもなった。

私のほぼ30年の通勤手段は、都電、国鉄、地下鉄、バスなどの乗り物であったが、満員状態を味わったのは地下鉄を利用した15年間であった。時には息もできない程の窮屈も経験したが、例外なく毎日続いていた。時には車輌の中央にまで押し込まれ、下車駅で降りられなくなり、泣き出す女性が出ることも珍しいことではないほどであった。ある日のことだ、目の前の20歳代と思われる女性がしきりに私の顔を見ては、もじもじと動き、動いては又見る。痴漢と間違えられている、と思った瞬間女性を怒鳴り付けていた。「何をもじもじしてるんだ!」口にしてその女性を睨み付けていた。女はおとなしくなった。(周りに痴漢行為をした人間が居たのかもしれない)その後、同じようことを数回経験して、その都度声を荒げた。よほど間違えられ易い顔つきなんだろう。帰宅して妻にも話した。もしも万が一、痴漢行為をするにしても、こちらにも選ぶ権利があるんだ、と。

反対に、満員電車ならではのことが起る。女であることを最大限に利用する女がいる。自分はつり革には一切手を伸ばさず、隣の男に(私だが)凭り掛かって来る。走る車輌は慣性で体重が移動するがその度に、男を利用して凭り掛かって来る。始発に乗れる駅ではないからこちらも倒れまいとして必死でつり革を握る。人の波に揺られて停車の時には前方に、スタート時には後方に、大勢の重さが掛かって来る。苦しい、女を避ける、もたれて来る、どう避けてもついて来る。何十回でもお構いなしについて来る。女性の側に揺れる時、必死に凭れるまいとするから女性との間には身体に僅かながら隙間が空く、当然、女性は楽になるから隣の男性の踏ん張りを理解するはずだが、次の瞬間、どっと凭れて来る。これが殆ど毎日だ。夏など肌が触れて気持ちが悪くなる。男と女が逆ならセクハラで訴えられるだろう。極力女性の姿の少ない位置を、と願うが満員では望みどおりの位置に必ずしも立てない。残念ながら私が通勤地獄を味わっていた頃には女性専用車輌はなかった。もっと早くたくさんの女性専用車輌を作ってくれていれば助かったのにと、思う。

時代は代わって今や女尊男卑の世の中になったと言ってもいいほどだ。取って代わった男性差別と男性蔑視の風潮が、痴漢行為の無実の証拠の提示の難しさ故に、痴漢冤罪を作ってもいるのだ。ただ、現在では被害者側の客観的な証拠、物的証拠(衣服に残る指紋やDNA鑑定など)が求められ、起訴や審理おいても重要視されるようになって来ている。それにしても、「痴漢事件には必ず加害者が存在する」ことは事実としても、谷田部氏のように、濡れ衣を着せられ、人間性を否定されるような辱めを受けた男性と家族への見返りは、何があるのだろう。そして、訴えた被害者と呼ばれた女性には、どのような罰があるのだろう。ひとこと「すみません、間違いでした」で済むことなのだろうか。

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2007年1月19日 (金)

子ども向け 防犯携帯

1月10日、KDDI(au)は、防犯機能を高めた子ども向け携帯電話2機種を1月下旬に発売すると発表した。子どもが携帯電話の防犯ブザーを押すと、メールで親に自動的に連絡し、GPS(全地球測位システム)を活用して、親の携帯電話から子どもの移動経路を確認できる機能を付加したものである。携帯電話の電源が切れると自動的にカメラが作動して状況を撮影し、親の携帯にメールで通知する。GPS機能を使って1分ごとに子どもの位置情報を記録し、2時間にわたって親の携帯電話から確認できる。事前に設定した時間帯に子どもの居場所をメールで通知する機能もある。

携帯の基本料金とメールの送受信の料金で、合計1890円から利用することがでる。端末本体の価格は1万円前後の見通しだという。

こんなもの、役に立たないことは既に書いた。子どもがブザーボタンを押す間がなければどうなる。子どもが常に携帯を手にしているとは限らないだろう。子どもより早く、加害者(取り敢えずこう呼んでおこう)が、携帯を取り上げればどのように対処が可能か。加害者よりも、子どもがより早くブザーボタンを押したことが分かれば、加害者は、それを取り上げ放棄すれば、或いは破壊してしまえば被害発生場所は特定できるが追跡は不可能になる。加害者が呑気に持ち歩くことなど想定する方がおかしい。電源が切れた時の対応も同じことだ。移動するトラックに投げ込めば捜査の目を誤魔化すことも簡単だ。放棄すれば草むらで、空ばかり写し続けることだってある。水中でも撮影可能なら、メダカばかりを写すことだって考えられる。

現時点で考えられる1番安心できる対応は、GPSのマイクロチップを、子どもの体内に埋め込むことだろう。これは動物の移動範囲、テリトリーやカルチャーの調査に用いられ、活用されている。どうしても心配な親は、こうするより手はないだろう。兎に角、携帯電話でどうこうしようなどとは考えないことだ。宣伝に惑わされない賢い消費者であって欲しいと思う。

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2007年1月18日 (木)

男の作法

一般家庭ではめったに目にしなくなった男性用、女性用が別れているトイレ。わが家でも25年前に建て替えをするまでは、便所(この言葉もそろそろ死語になりつつあるのではないか)は男女は分離されていた。当時小用は、男は立ってするもの、が一般常識(投書の主の言う‘作法’)であった。その常識もそろそろ常識ではなくなりかけているのだろうか。早い時期から西洋式便器を施設した公団で育った世代には、立ってする古い男性用便所は公園のトイレや、駅、公共の施設でしか見なかったことだろう。数日前にブログで書いた地下鉄駅のトイレのスケッチのように、立って用を足す足元へこぼした雫から醗酵するアンモニアの臭いは鼻を衝く。

面白い投書があった。男性のトイレの用の足し方について。
投書の主は、72歳だから私よりは少々若い。この男性は外国映画で見た、妻から「座って使って・・・」と厳命され、男の自尊心をいたく傷つけられる、という例を上げて話を始めておられるが、このような話は日本でも前から奥さんに頭が上がらない情けない亭主の例に上ったり、コマーシャルでもタレントの親子が「男の責任」として便器を汚さないように使用し、清潔を心掛けよう、と掃除をして呼び掛ける。

投書の男性も『長年飛び散る飛沫を始末するのは妻の仕事、と思って過ごしていた。そこで思い出したのが例の映画だった。ものは試しで、便座に腰掛けて用を足してみた。粗相をしなかった。腰を下ろすまでには準備作業は増えるけれど、大したことではない。何よりも零さないという安心感が大きい。で、男の自尊心とやらは?別に何でもなかった』と。彼は考えてみた、『思うに、映画の主人公は有史以来の“男の特権”を奪われ、女性と同じポーズをとらされる屈辱感に耐えられなかったのではないか』。

彼は続ける「しかし、そんな大げさな問題かな。私の場合は誰に知られるわけでもないから自発的にやめたまでだ。ただし、もし、妻に強要されたら、私とて別な反応と感想があったかもしれない。この辺が男の自意識のやっかいなところだ。この作法に切り替えてから3ヶ月が経ち、全く汚さない日が続いている。それでも妻からお褒めの言葉はない。床を汚さないことは当たり前と思っているのだろう。そう、男はその当たり前を破って知らんぷりをしていたのだ、と反省した』。と結ぶ。

考えてみれば男も古い和式の便所の時代でも厳密に大小を別けた使い方をしていたわけではない。大を足しに入って、小の方を少しも足さないで出ることは先ずない。女性のように尻をだし、ついでに小用を足していた。それが洋式になったからとて便器に座ることが男の自尊心でも面子が潰れることでもないと思えるのだが。私は小用のために座ったことは1度もない。

私は何度もブログに書いた。トイレの掃除に関しては家の建て替え後は、100パーセント私がやっている。好きでやっているわけではないが、ただの習慣といえばいいだろう。これも何度も書いたことだが敗戦直後、兵役を経験した1年、2年先輩が復学し、兵役で上官に苦しめられ、敗戦を味わった腹いせのように、下級生をしごいた。その中に便所の掃除があったのだ。何人かが整列し、号令とともに便器を取り外し、校庭へ持ち出し、即製の荒縄で拵えたタワシでただ水だけを掛けた便器を素手で擦り上げるのだ。今、これをやらせれば父兄らは何を言うことやら想像することすらできないが、しかし、このことが60年以上経っても進んで便所を綺麗にし、家庭内のどこよりも清潔なトイレを保つことができているのだ。男は立ったまま使用するのなら、汚したら言われる前に、床だろうと、便器だろうと自分で掃除をすればいい、簡単な理屈だ。

トイレ絡みで笑える話を1つ披露してみよう。どこのサービスエリアでも見られる風景だが、恥も外聞もなくとはこのことだが、老若を問わず、男性トイレに飛び込む女たちがいる。逆を考えれば警察沙汰になることだが、男性に比べ尿道の短い女性は、堪えることができない解剖学的な理由があるから見逃すが、男にだって女性以上に羞恥心はあるのだ。ところがである、日本と同じように郊外の競技場(だったか)のトイレであった混乱を、見事に解消した外国の解決策が放映された。それまでは日本と同じようにお構いなしに女性の男性トイレへの侵入があったのだが、女性も男性と同じように立ったままで小用が足せる補助具が考案され、一気に混乱が解決されたのだ。短いインターバルの時間に、混雑する女子トイレを避け、木立の中の男性のすぐ近くで衣服の中で筒状の補助具を当て、女性たちが立ったまま樹木の幹を囲んで根元に放尿を始める姿を映像として流したのだ。シャーシャーと、アッケラカンとした愉快なスナップだった。女性へのインタビューも行われたが、好評そのものだった。

女性も子どもの頃、男が立ったまま小用を足すのを羨望の目を持って眺めた幼いころがあったと思う。それを真似、衣服を濡らし、親から叱られた経験を持つ女性は多いだろう。私の祖母は驚く私をしり目に、道ばたで、ひょい、と裾をまくり前屈みになり、草の中に飛ばしたのを見たことがあった。家の中では2歳上の姉も、隣で大を足す私の横(戸1枚隔てて)で、男性便器でさっさと済ませ、立ち去ったのを何度か知っている。

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2007年1月17日 (水)

「私の内閣」

毎日新聞(1/17)から
防衛庁を省に変えて、先週、ブリュッセルの北大西洋条約機構(NATO)に顔をだし、「私の内閣」が決めたからには、自衛隊は本来任務として、どんどん海外活動をしますよ、とNATOとの連携強化を約束して帰って来た。平和主義国家を軍事国家に衣替えしようと目論む安倍「私の内閣」のことを、イラク戦争をアメリカの他国侵略と見抜き、派兵を拒否した日本と同じ敗戦国となったドイツの新聞、ハンブルガー・アーベントブラット紙は「(日本を)平和主義時代の終わり」と書き、「冷戦終結と同盟国・米国の要求で日本はますます国際的なイニシアチブを発揮するよう求めれられている」と論評している。今直ぐにも海外派兵の軍事貢献はないにしても、これまでのように巨額の資金援助を、これまで以上に期待されることになるのは間違いない。

NATOは、日本では憲法が禁じる集団的自衛権を行使する最大にして最強の軍事機構だ。安倍は言う「憲法の諸原則を遵守しつつ」だと。たしかに、憲法だとて、今まで何度も屁理屈で拡大解釈をして運用して来た。殆ど憲法の精神は骨抜きに近くなっていたが、ここに来て、安倍は、完全に軍事国家への道を進み始め、戦犯祖父・岸信介の満州の、或いは東條とともに、大東亜共栄圏への果たせなかった幻想の実現に「私の内閣」を導いて行こうとしている。単なるアジテーターで終わった小泉に代わり、私はその実現を、『恐い内閣』と見た安倍の「私の内閣」が、いよいよ本性を剥き出しにして来た。

国民に向かっては、北朝鮮の拉致問題への取り組みで、人道的な面を強調してみせ、人気の凋落をなんとか食い止めようとするが、一方的に金さんに振り回されるだけで進展させることも出来ず、次々とほころび始めた閣僚の不祥事に人事掌握、統括の無能力を曝し続けている。

急遽「私の内閣」のこれ以上の不人気を煽りたくない安倍は、参議院選挙をにらんで「残業代ゼロ制度」の導入を盛り込んだ労働基準法の改正案は、次期通常国会への提出を断念せざるを得ないところまで追い込まれて来た。その以前、安倍は11日記者団に《「私の内閣」では、仕事と生活のバランスを見直して行こうと考えて行く》と話し、あくまでも提出を目指す考えでいたのだが。

「私の内閣」をわざわざ括弧をつけて書いて来たのにはそれなりの理由がある。内閣は「私の家族」や「私の妻」のように、彼のものではない。全ての権力を掌握したヒットラーのように独裁者気取りで口にするほど彼は、危ない男なのか、それとも私と内閣が区別できないほどバカなのか。

参照「恐い内閣誕生」06/09/27

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2007年1月16日 (火)

相手の浮気、黙認か、確認か?

毎日新聞(1/16)から、いつもの石田衣良担当のアンケート。
石田は触れていないが、そもそも浮気の定義をどのように考えるかだが、面白いことにたった今、あるテレビ局がこのテーマで面白おかしく取り上げていた。道行く人を捉まえての街頭アンケートだ。年齢層は高校生風から60〜70代女性に限る50名へのインタビューで成り立っていた。用意した設問に答える形式であるが、

   ( 浮気 )    ( 浮気じゃない )
①スナック・クラブなどに通うのは、浮気か
    1人           49人
②店の外でするデートは浮気か
   31人           19人
 《浮気ではないとする意見に、女に遊ばれているだけだから浮気でない、というのがあった》
③性風俗店に行くのは浮気か
   36人           14人
 《浮気ではないとする意見に、金を払っているのだかから(どこかで聞いた台詞だ)浮気ではない》があったが単なる性処理、或いは‘女を買った’だけと思う女性もいるようだ。
④キスをすることは浮気か
   22人           28人
となった。それではこれらを元に、浮気を黙認するか、確認するかを訪ねると、
  黙認が・・19人   確認するが・・31人
《黙認の中には自分にも何か落ち度があるのかも、と考えてみる。相手がボロを出すのを待つ。喧嘩するのが面倒くさいなどがあった》。

さて本論の石田の集計に移るが、こちらは総計6178名、男:2803、女3375名となっている。
こういうテーマになると俄然メール数が急増するらしい。
       (黙認派)   (確認派)
 全体     29・4%   70・6%
   男性   29・8%   70・2%
   女性   29・1%   70・9%
 10代以下男  22・8%   77・2%
 10代以下女  29・2%   70・8%
 20代  男  20・3%   79・7%
 20代  女  23・2%   76・8%
 30代  男  24・8%   75・2%
 30代  女  26・2%   73・8%
 40代  男  34・3%   65・7%
 40代  女  37・6%   62・4%
 50代  男  39・7%   60・3%
 50代  女  41・8%   58・2%
 60代  男  49・6%   50・4%
 60代  女  32・4%   67・6%
 70代以上男  58・8%   41・2%
 70代以上女  33・3%   66・7%

まず、黙認派の意見から「しらんぷりしますが、別れます」(京都市右京区・匿名)「しらんぷりできるくらいの浮気ならいいのかも。バレないように上手にできればの話しだと思う」(東京都大田区・ふみつん)「問いつめれば帰って来る訳でもない。まずは様子見。一時的ならば知らない方がいい場合もある」(愛知県知多郡・匿名)また、幼い頃、父の浮気で家庭崩壊の危機があった現在主婦の女性からは「所詮浮気です。うまく自分の元に引き戻すのも、生活を円満に過ごすために必要な技です」(熊本県人吉市・あーすけ)《いかにも大人の意見だが、実際にはそのように綺麗に割り切れるものではない、と思う》。

圧倒的に多い確認派には、「絶対しらんぷりはしません! 真相を究明したあとは、食器を全部投げつけ暴れます。大声を出して、泣くだけ泣いて体当たりし許します。それから気持ちが離れないように努力します」(東京都足立区・ゴングは鳴ったぜ)《なんとも可愛い奥さんだ》「できません、できる人の気が知れない。私の嫉妬深さを知っている夫は、怖くて浮気はしないとおもいます」(埼玉県川越市・H美)《毎日奥さんの顔色を窺いながら、痩せる思いの旦那さま、さぞやわが家が恐怖の館になっていることだろう。満員電車でうっかり長ーい髪の毛でもくっつけたまま帰宅しようものなら殺されかねないでしょう》

石田のまとめは『あれこれメールを読んでみると、やはりパートナーの浮気をしらんぷりするのは難しいようです。70%を超える圧倒的な支持率で、今回の白黒は「浮気はしらんぷりしない(できない)」に決定します』だって。

ただ、上の数字から違った見方もできる。10代から50代までの女性に黙認する派が男性よりもうんと多いのは何故だろう。そして、60代、70代になると、圧倒的に確認する派が増えているのだ。穿った見方をすれば、女性も50代までは機会があれば浮気のチャンスがあることの裏返しじゃないのだろうか。私は黙認するから、あなたもよ、と。しばらく前になるが、絶対に夫にばれないで浮気ができれば、あなたは浮気しますか、の質問には、67パーセントの女性が、する、と答えているのだ。60代で男性が半数近く、70代になると半数以上が黙認するのも、逆にまた、その裏返し(その歳で浮気が)、できるならやってみろ、が数字になっているものとも思える。

いずれにしても、今回の意見は女性の側からの発言に絞られている。“パートナーの浮気”に関する設問ならば、男性の意見も紹介されてもいいと思うのに、男だけどバイセクシュアルで生活している1名の意見があるだけで、全く紹介されていない。2800通を越す男性の中に参考になる意見はなかったのだろうか。
   

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2007年1月15日 (月)

行くとし来るとし

♦2006年12月14日 神奈川県警は女性宅への住居侵入と窃盗の疑いで二人を逮捕
♦2006年12月15日 みどり市の郵便局強盗で44歳男性を別の強盗罪で前橋地検が起訴
♦2006年12月16日 連続郵便強強盗で3回目の逮捕
♦2006年12月19日 交差点で出合い頭に衝突事故
♦2006年12月21日 泥酔して書類紛失
♦2006年12月22日 かばんに隠しカメラを仕込み女性盗撮
♦2007年  1月4日 少年を平手打ちして軽傷を負わす
♦2007年 1月8日 交差点で出合い頭に衝突事故
♦2007年 1月11日 知人の女性への強制猥褻で逮捕
♦2007年 1月11日 酔ってタクシー運転手に暴行
♦2007年 1月13日 パチンコ店内で女性のスカートの中を盗撮

正月を挟んで1ヶ月の間に起きた何でもありのような不祥事だが、これが皆日本各地の警察官絡みの不祥事や事件だ。盗撮の25歳と33歳の巡査長、タクシー運転手と大げんかをした58歳の巡査部長。年齢も幅広い、治安を守る立場の人間が、こうも世の治安を乱すとは世も末か。これで模倣、流行の気配がするバラバラ殺人でも起れば、本当に何でもありになる。

息苦しいほどのがんじ搦めの規則に縛られる職務には、同じく自衛隊の人間も同じだが、自衛隊の場合、行動は個々人ですることよりも団体、集合で行うことが多くなる。一方、警察官は、街中へ出ると派出所など、小さな単位に分かれ、単純な最小単位のペアであったり、単独行動になることが多くなる。細かく厳しい規則に窮屈に縛られていた反動として、一気に開放感を味あうことになるだろう。それこそ普通の人間に戻る瞬間だ。普通の人間とは毎日新聞だねを供給する世間の人間たちだ。事件を起した後で、「そんな風には見えない普通の人ですよ」と言われる殺人を犯し、人を騙し、盗みをし、猥褻で、酒を喰らう普通の人だ。警察官だからといって変わった人種ではない。一瞬の気のゆるみが引き起こす犯罪につながるのだ。

昔のような泣く子も黙るお巡りさんはいなくなり、優しい弱々しいお巡りになり、逆襲を受けても簡単には返すことは禁じられ、ご丁寧な言葉にお優しい行動となる。余ほどのことがないと暴走族にも酔っ払いの暴言にも敬語を使った(肚の中は煮えくり返っている筈だ)対応が強いられる。それに育てられた親からは、甘やかされるか放任で、倫理や道徳は教えられてもいない。基本的な人間教育が何もなされていないで、警察官になってわずかな数年間にそれを学んでも人間性など身につくものではない。警察官だけが清く正しい生活を送ることを望んでも無理だろう。

まともな日本を取り戻すには、日本にこれから先があるのなら、100年、200年先の日本のために(軌道修正には必要な時間だ)、根無し草のようなお題目のグローバル化など必要ない、人の心の痛み、喜び、哀しみ、怒りが理解できる人間作りこそ必要だろう。

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2007年1月14日 (日)

トイレットペーパー

毎日新聞「1/14)から
愛媛県西条市でパートで働いていらっしゃる50歳女性の投書が載った。「日本人の公共マナーの低下に、この国の将来を憂えます」と。デパートか、駅か、公園、遊園地のトイレを掃除していらっしゃるのか書いてないが、投書の文章からはどうやら女性用のトイレが書かれているいると思われる。

それにつけても思い当たることがあった。昨年の暮に、用あって神保町の図書街に出かけた日のことだ。午前は10時ごろだった、地下鉄の乗り換え駅で便意を催し、中年の女性が清掃中であったトイレに頼んで入らせてもらって用を足した時のことだった。水が撒かれた床を滑らないように足元に気をつけながら奥へ進んだ。トイレの中は例のアンモニアの臭気が満ちていて、鼻を突いた。小用を済ませ、足元を引いて手洗いに向かうため、振り返った先の4室の個室のドアが開いているのが目に止まった。しまった!、見ないでも良いものが目に飛び込んでしまった。そこには用を足した後、流すことのマナーさえ躾けられていない文字どおりの“糞っ垂れ”が使用した1室に汚れたままの金隠しがあった。思わず清掃中の女性に声を掛けて作業をねぎらった。

「すみませんね、こんな同性の後始末をしてもらって」しかし、それに続いた女性の言葉に仰天した。「ありがとうございます、男のトイレはこれでもまだキレイですよ、女のは・・・」と口籠った。洗面で手を洗いながら話を続けた。「そうですか、女性がね」「そうですよ、よほど男性トイレの方が汚れてないですよ。今の女の子たちはどうしようもないですよ。駅はまだ良い方ですよ、今までデパートのトイレだったんですが、それは、物凄いですよ」「まさか」「本当にどうしようもないほど・・」それ以上は話を続けることはしなかったが、男女共に公共のマナーを躾けられていないことは間違いないだろう。そして、「ご苦労さんです」とねぎらって地上へ出た。

夫婦で外出することが多くなった最近は、トイレタイムが頻繁になった妻を待つことが多い。時には同じトイレでも珍しく綺麗だった、という言葉はそれでも10回に1回はあるが概ね顔を顰めてトイレを出て来ることになる。

投書の女性は毎日の現場での体験を元に書いておられるから現実味がある。『トイレットペーパーの取り口を、小さな三角に折っているのを、よく見かけます。次に使う人のための小さな気配りかなと思うぐらいで、今まで別に気にも止めませんでした。それが、数カ月前から、仕事でトイレ掃除の係りになり、いろいろな場面に遭遇し、あまりのひどさにあぜんとすることがしばしばあります。』そして冒頭に書いたマナーを憂う言葉になる。『ひどい人たちはさておき、注意して見るとペーパーをちぎる時、床にたくさん落ちるんですね。自宅のトイレなら落ちないようにちぎるはずです。そうした状況を少しでも回避しようと掃除をする人は、小さな三角を作るのだと、この年になって悟った次第です。皆さん、公共のトイレを利用する時、出来れば小さな三角を作って下さい。そして掃除をする人の身になって、きれいに使ってあげてください。』

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2007年1月13日 (土)

世継ぎ問題

紀子さんが坊や(悠仁くん)を生んで、ばったり日本の天皇の世継ぎ問題が要人や有識者と呼ばれる人や、マスコミの口に上らなくなった。いま治まったかに見える世継ぎ問題は、いずれ遠からず取り上げなければこれからもついて廻る。大勢の女を侍(はべ)らせて、男がうまれるまでせっせと励んだ天皇の性事(まつりごと)は、疾うに不可能な世の中になっている。世の中には男が生まれない、或いは女が生まれない夫婦は幾らでも存在する。しかし、現代医学で男女生み別けは(私個人は悠仁くんもその例だと思っているが)、十分に可能だから、タイミングさえ逸しなければ何も心配はないのかも知れないが、動物の摂理からすれば、懐胎は自然のままがいいのに決まっている。その結果が男になろうが、女になろうが、生まれるまで知らないが良い。そこで現在の皇室典範が定める天皇の世継ぎ問題となるのだ。男女平等の世の中、私はすでに歴史上にも存在する女性天皇や、女系天皇が今後生じても何ら不都合はない、と主張して来た。

同じようにヨーロッパで王室制度をとっている国のうち、王位継承に男子優先を守って来た数少ない国の一つスペイン王室にも変化が起きようとしている。来年春に憲法を改正し、男女平等の実現に動き出そうとしている。現在の皇太子夫妻の間の第1子(レオノール王女)が将来の女王となる可能性が高まっている。

スウェーデンやオランダなどでは王位継承権はすでに男女平等となっているが、スペインの現行憲法では「姉がいても長男が王位継承の最優先権を持つ」と規定されている。左派社会党のサパテロ政権は05年3月、「男子優先廃止」とする憲法改正案を発表した。右派の野党・国民党も憲法改正に同意を示しており、政府が来年3月の総選挙に合わせて改憲案を提出すれば、手続きはスムーズに進むと見られている。憲法の改正には複雑な手続きを必要としており、
1. 上下両院の3分の2以上の賛成
2. その上で議会を解散し総選挙
3. 新議会の3分の2以上が改憲案を支持
4. その上で国民投票を実施する
というものである。国民投票は総選挙から半年以内に行われるとみている。

現在、皇太子妃は第2子を懐胎しているが、5月に誕生予定のこちらも女児と発表しているが、「レクトゥーラ」誌で33年間スペイン王室を担当して来たハビエル・モンティーニ前編集長は「たとえ男児が誕生しても改憲の流れは動かなかった」と断言している。

サビノ・フェルナンデス・カンポス元王室長も「たとえ第2子、第3子に男児が生まれても、男女同権の意識が強いヨーロッパの中で、男子優先への固執は無理だろう。王室が古い体質では世論の支持を失い、王室の存続自体に疑問を投げかけられかねない」と話す。

ピカソに「ゲルニカ」を描かせ、カザルスをして国を捨てさせた独裁政権を築いたフランコの独裁体制の「後継」として復活した経緯もあり、左派政権下で反フランコ・ムードが強い現在、スペイン王室は国民に近いというイメージを持ちたいとの思いが強いようだ。

参照「それほど慶ばしいこと?」06/09/16

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2007年1月12日 (金)

続・離婚後300日以内は前夫の子

1月8日にブログに載せたが、その後も同じテーマで毎日新聞は取り上げている。「民法の壁、民法の壁」とやかましい。今日(1/11)は先に記事になったケースと違うのは、早産の場合を取り上げた。9日足りずにその「民法の壁」が邪魔をした、と。その根拠となる民法は722条だが、733条を故意に記事にしていない。それは、『女は、前婚の解消または取り消しの日から6ヶ月を経過した後でなければ再婚をすることができない』、とある条文だ。

今回の相談者は、東京都墨田区の女性(38)が、11日、予定日より約2ヶ月早い切迫早産(羊水が減り、胎児の成長が止まっていたため、帝王切開)で292日目の出産したが、出生届を区役所に提出したところ、前記の条文を理由に受理されなかった。当然のことで、離婚後6ヶ月を経過しなければ再婚が出来ないのならば、この期間の懐胎はあり得ないことになる。もしも懐胎していれば、それが不倫の子であろうが、浮気の子であろうが、愛人の子であろうが、別居中であろうが、それは前夫との婚姻中に懐胎した前夫の子とするのが民法の考えだ。今回の女性の主張では、出産予定日は離婚後343日目となる筈であったが、前記のように早産となった。

この女性の懐胎までの経緯を考えてみれば、前夫との離別後、ほぼ1ヶ月後の妊娠となる。出産は、母子ともに緊急を要する手術であったようだが、法とは何の関係もない。離婚後1ヶ月も経たないうちに欲情に身を任し、妊娠したことがそもそもの原因となっているのだ。妊娠するのは本人たちの自由だが、自由とは責任ということ、法に文句を言うのは筋違いというものだろう。法律はそのことをも考慮に入れて、トラブルとならないための6ヶ月と言う再婚を禁じる期間を設けているのだ。現在ほどにも乱れる性道徳を想定していたかどうかは定かではないが、改正、施行されたのは平成16年4月1日というごくごく最近のものだ。

豊島区区民課では「300日以内に生まれた場合は、前夫の子と推定することが大前提。早産の例外を認めることはできない」と話す。家族法に詳しい榊原富士子弁護士は「気の毒だが、区役所は法律に従うしかないだろう。法務省が通達を出すなどして、早産など明らかに前夫の子でない証明がある場合に「現夫の子」として扱えるようにするか、法的手続きなしで妻が父親を申告できるように民法を改正するしかない」と言う。尤もな話だ。

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2007年1月11日 (木)

風力発電機倒壊だけではない

青森県東通村岩屋の風力発電施設「岩屋ウインドファーム」で8日夜、高さ約68メートルの風力発電機1基(出力1300キロワット)が基部のところから倒壊していたことが分かった。同施設を運営する事業会社「ユーラスエナジー岩屋」(本社・同村)によると、8日午後9時55分ごろに停電があったため、東北電力が点検したところ、25基あるうちの1基が倒壊しているのが見つかった。

当日は強風が吹いた記録はなく同社は現時点では「原因はわからない。うちの風力発電機が倒壊したのは初めて」と話している。同施設は01年11月操業。風力発電機は風速60メートルに耐えられる設計になっているという。原子力安全・保安院によると、事故機はデンマークの風力発電機メーカー「ボーナス」社(04年にドイツの「シーメンス」社が買収)で製造されたものである。倒壊の事故の報告を受けて、原子力安全・保安院は10日、職員2人を現地に派遣し事故原因を調査する。

風力発電機には風を受けてブレード(羽)に回転力を与える方法に二通りあって、風の吹いて来る方向を自動的に感知してその方向にナセル(頭頂部)を向けるものと、その部分を電気で回転させ、ブレードを効率良く受けられるようにコントロールするものとがある。たまたま同施設は後者のタイプであったが停電中で、風の方向へブレードを向けさせるための通電は、停電のために流れていなかった。例えば、風を正面から受けられず、横から受けたとしても、気象台のデータでは当日の瞬間風速は同位置で7メートル程度、強風と呼べるものではなかった。風速60メートルに耐えるからには、その許容範囲には十分な余裕がある。同じく設計上の耐用年数も20年といわれ、老朽化したものでもない。調査の結果を待つだけのようだ。

青森で起る以前、日本には風力発電機の倒壊・破損事故が発生したことがあった。2003年9月、颱風14号が沖縄県宮古島を襲った時だ。この時の風速は70メートル、25基ある風力発電機のうち倒壊したのが3基、ブレードの破損が2基、ナセルの損傷が1基発生している。この宮古島の事故を受け、保安院では耐風設計強度の見直しの検討会を重ねている最中であった。

問題は風力発電機に限らない。高度成長期の1950年〜70年代、アメリカにほぼ30年遅れて急ピッチで建設された全国の道路に架かった橋梁が、21世紀に入って急速に「高齢化」しているのだ。50年という期間で道路の損傷が目立ち、改修を必要とするケースが増えて来るとされる目安でもある。かつてアメリカ全土で80年代に交通インフラの崩壊が目立ち、荒廃するアメリカの象徴とまで表された時代があった。

高度成長期に建設された橋梁は、旧設計基準に基づいて設計されたため、床板が薄く、鉄筋量も少ないと推定されている。また海岸に沿って走る道路では塩害の影響を強く受け、鋼材の錆も目立っている。鉄道に代わる輸送手段は激しい大型貨物車の通行で、定期的な整備を行っても橋桁の亀裂は生じ易い。04年度の国のまとめでも、国管理の橋梁9400橋のうち約2500橋で、点検の結果、緊急対策が必要とされた。国交省道路局は「大きな損傷になる前に、定期的、丁寧に修繕をすれば、100年でも健全な状況を保てる」と、重要性を説明している。

政府のおっしゃる100年が眉唾であっても、何事も「その時点では私は担当ではありませんでした」で誰1人責任は取らないのが我が国のお役所仕事だが、問題であるとの認識は持っていてもらわないと、国民が事故の悲劇にあう危険性がなくならない。

まだある、マンションの耐震問題で湧いた昨年だが、そのマンションのスラム(貧民窟)化が進んでいる。全国のマンションストックはすでに500万戸近くに達し、およそ1000万人が暮らしているが、今後はこれらの老朽化が急速に進展して行く。マンションに住むことのメリットは、居住空間の安全性と、連帯意識が薄くなった現代人の、人との関わりのない安心感にあると思われる。分譲マンションは昭和40年代後半から本格化し、年々その数を増やして来た。それ以前はごく僅かな数だったが、昭和46年ごろから急激に増え出した。その後もマンション市場は大きな需要期を迎え、大量に建てられて行った。そのつけが今になって来たもので、不適格な高齢マンションが数多く出現するようになった。10年後には全国で100万戸近い高齢化マンションが出現すると見られている。

昭和45年以前に建てられて、築後30年以上を超えるマンションは4〜5階の中層が最も多く、古いマンションほど団地型とみられる。空き家の割合も高くなっており、エレベーターの設置率も低く、バリアフリーになっておらず、住む人の高齢化に適さない建物になっている。建物が古ければ古いほど空き家率が高く、歯抜け常置のマンションも増えている。マンションのスラム化は建物自体以上に人が住まなくなった時から急激に進む。空き家が増えると次には当然管理費が不足する状態が来る。管理や修繕ができなくなる、その先にはスラム化がやってくる。オクションとよばれる建物でも、鉄とコンクリートで作っている以上は必ず耐用年数の限界はある。せいぜい50〜60、よくても70年だろう。ちょっと恐ろしい話だが、マンションのスラム化は必ず来るし、これからは加速度的にそれはやってくるのは間違いない。

風力発電機の倒壊から話は広がったが、日頃頭に引っ掛かっていた懸念を文字にしてみた。

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2007年1月10日 (水)

かね、かね、金

又もや欲に目が眩んで金儲けを企んだ情けない女性たちが詐取の被害にあった。総額4億円に上る絵画リースだ。

今を遡ること300年以上の昔、井原西鶴は“日本永代蔵”で如何にして金持ちになるかを描いた。先生は、西鶴を教え、かね、かね、金の人生を蔑んだ教訓として話した。たしか中学生の頃だった。明治時代の俄か成り金の話も聞かされた。芸者遊びの帰り際、うすぐらい玄関で履物を探すのに懐から財布の紙幣を取り出し、灯り代わりにマッチで火をつけ、揃えさせた、と言うものだった。

私の心にはそれ以来、余計な金を儲け、貯えることには一切無頓着な人生を歩んで来た。拝金主義者たちを軽蔑し、清貧を尊んで生きて来た。ニュースはそのような欲の皮の張ったものが受ける被害を繰り返し報道する。騙されるのは宝石であったり、金塊のように優越感をそそる物品であったり、今度の絵画のように金儲けの元手となるものであることが多い。(おれおれ詐欺、今を時めくネットオークションの落札詐欺、他愛ない「レッサーパンダの卵」詐欺などとは異質のものだが)

昨今のように、額に汗した労働の対価としての貨幣価値は、ITや、株の一獲千金が取って変わり、終日パソコンを睨み、金儲けを企む人種の根を広げ続けている。情報は街に溢れるが、知識やその情報を整理する能力を持たないままに、張られた網に飛び込むことになる。特に今度のような絵画には、真贋や価値を見極める確たる能力がなくては絵は持ち腐れになることが確実だ。それに需要先に付いての市場調査も知識も必要だろうし、何を持って行っても借りてくれるわけではない。人任せにすることは尚更だ。

山口組系組員らが嘘を付いて現金をだまし取ったとして10日、絵画販売会社「アートクラシックス」(東京都新宿区)の経営者佐藤幸雄容疑者(50)ら7人を組織犯罪処罰法違反(組織的詐欺)容疑で逮捕した。指定暴力団絡みの今回の事件では、埼玉県桶川市の女性(25)ら4人に「絵画のオーナーになってレンタル会社に貸し出せば、多額のレンタル料が得られる」と持ちかけ、計470万円を騙し取った疑い。被害は現在までに28都道府県に及び、多くはキャッチセールスなどで「美顔器」と呼ばれる美容器具や高額化粧品を購入した経験のある20代の女性であった。

佐藤容疑者等は、このような商品の購入歴がある女性の名簿を入手し、商品購入での失敗を指摘し、損を取り戻せると勧誘していた。レンタル料は数カ月だけ振込み、事業実態があるように装っていた。4億円のうち、経費を除いた約1億3000万円が、佐藤容疑者を通じて組織に流れた疑いがあるという。佐藤容疑者は容疑を否認している。

女性起業家としての魅力が宣伝され、実際に成功した人たちのことが広く誌面でも紹介され、セミナーで聞きかじりの知識を元に、後に続く女性たちが輩出している。勿論成功している人たちも沢山いるが、専門知識の必要な分野の開拓は一朝一夕でできるものではない。楽して儲けようとの考えで、落とし穴に嵌らない知恵こそ先に身につけることだ。

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2007年1月 9日 (火)

成人式

今年の成人式も和服姿で白い化繊のショールを首に巻いた、判で押したような代わり映えしない女性たちが全国の会場を占めていた。どうしてああも、個性のない右へ倣え!が好きなんだろう。今年の新成人は最少の139万人。日本の人口の1・09%にあたる。

成人式を語るとき、多くは時代を遡っての元服を説き、結髪を説く。しかし現在日本で行われている成人式と呼ばれる行事には、いにしえの通過儀礼的な節目としての意義はなく、全く別のものだ。

敗戦に打ち拉(ひし)がれていた戦後の1946(昭和21)年11月22日、若者たちの虚脱状態を見かねた一人の青年、埼玉県北足立郡蕨町在住の青年団長・高橋庄次郎氏の呼びかけに応じた青年たちによって実施された「青年祭」が発祥となっているものだ。会場となったのは蕨第一学校の校庭にテントを張り、青年祭のプログラムとして行われた「成人式」が原型となっている。

この影響を受けて各地の市町村が引き続き行っていたことを知った国が、1948年に公布・施行された「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝い励ます」を趣旨に、翌年、1949(昭和24)年から1月15日を「成人の日」として制定した。その後、1998(平成10)年の祝日法改正(通称:ハッピーマンデー法⦅よくもまあ、ノーテンキなこんなお目出度い名を考えたものだ⦆)に伴って、2000年より成人の日は1月の第2月曜日へ移動し、今年も昨日行われている。

発祥の意義からすれば、現在日本で行われている「成人式」なるものは終止符を打つべきものだ。いつまでも敗戦の虚脱や混乱からの脱却に気を遣う必要はなくなっている。祝い品など贈ることもいらない。すべてが潤沢に、贅沢に身の回りの生活を包み込んでいる現在では、ポケットティッシュ1個も贈らないでよい。今年、良い見本を北海道・夕張の成人式が見せてくれた。炭坑の町として栄えた町も、閉山のあおりを受け、活気を失う中、市議、市議会の無計画な再建策で財政破綻した。そんな中、女性たちが中心になって立ち上がり、全国に応援を呼びかけた。昨年まで予算は60万円確保されていた。財政破綻はその全額をカットされることになったからだ。呼びかけに応じて全国から230万円の好意が寄せられた。各地に散っていた人たちも戻り、91名の新成人が集まった。こうなると、酒を食らっての傍若無人の振る舞いはできないし、起るわけもない。各人はしっかりと20歳を考えるだろう。式は1月7日に立派に行われた。

テレビが追いかけた幾つかの成人式、決まって大人になった自覚を口にする、責任を、投票を、社会の役に立つ人間にと、述べるが、やはり1番に大人としての期待は、男女とも酒が飲めることの喜びのようだ。比較的大騒ぎの少なくなった今年の成人式だが、式後にはやはり酒瓶、缶ビールが飛び散った。しかし、今年は後片付けをするいじらしい姿を見せる若者たちもいた。

いにしえの元服や結髪は、家々の個々人の行事で現在のような団体でするものではなかった。早ければ7歳で元服もあり、役に立つかどうかは疑問ながら、戦があれば出陣に加わり、死さえ辞さなかった。形骸化してしまった敗戦後の成人式など、すでに存在価値を失っていると見てもよいだろう。

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2007年1月 8日 (月)

離婚後300日以内誕生の子は前夫の子

酒乱、暴力、浮気など離婚(法的な婚姻関係の解消、或いは解消以前の別居)の理由はさまざまだが、離別後に早々に子をなし、出生届を提出しても、多くの夫婦が「今の夫の子」として受理されない例が増えている。「えっ、なぜ」と「法の壁」に戸惑っている。

厚生労働省の人口動態統計によると、04年の婚姻件数は72万417件あり、再婚率は夫17・8%、妻15・9%。94年の夫12・9%、妻11・4%に比べるとそれぞれ高くなっていることから、同様のケースは増えているとみられている。05年に設立されたNPO「親子法改正研究会」(大阪市)には、20件以上の相談が寄せられている。同会は「裁判など手続きの大変さから、子を戸籍登録しないままの人は少なくないのではないか」と問題の重大さを指摘している。

問題は重大であるかも知れないが、法治国である以上は現行法に従うのがもっと大事なことだ。ないも同然の性道徳、不倫、浮気を恋愛と呼び、男女の仲は乱れ放題の世の中だが、民法(改正第5編法律134号、施行2004(平成16)年4月1日)の第2章 婚姻、第733条(再婚禁止期間)には、◎女は、前婚を解消し又は取り消しの日から6箇月を経過した後でなければ、再婚をすることができない。◎女が前婚の解消又は取り消しの前から懐胎していた場合には、その出産の日から、前項の規定を適用しない。

とし、当然のことながら第3章 親子 第1節で定める 実子の項第722条(摘出の推定)で、◎妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子とする。続いて ◎婚姻の成立の日から200日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取り消しの日から300日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する、とある。

異常がなければ通常は受胎の後10月10日して赤子は生まれて来る。法律を守れば、再婚の禁止期間を考慮に入れ、6ヶ月後に再婚しその日に懐胎したとして、どんなに早くても出産は前婚の解消後およそ480日後でなければならない。初婚であっても出来ちゃった婚がはやる当世だ、夫が暴力を振るおうが、酒乱だろうが、300日以内の出産は、前夫の子でなければ、古くは不義密通として、発覚すれば裸馬に男女後ろ手に縄掛けられて、市中引き回しの辱めの上、磔刑となるところだ。現在でも不倫であり、裏切りだ。それを『「法の壁」当事者に負担』とは勝手に過ぎる言い分ではなかろうか。再婚禁止の6ヶ月前の懐胎であれば、法律違反の適用をうけても文句は言えまい。

新聞には東京都世田谷区に住む女性(32)の相談がある。
03年8月、前夫と別居。離婚は04年6月だった。新しい相手は別居から4ヶ月後。1年間の交際を経て、離婚から半年後の04年12月に結婚。05年1月に女児を出産。《法的には前夫と婚姻中に、他の男性との間の子を懐胎したことになる。しかし、法としては婚姻中である前夫の子として受理することが正しい。これを次の夫との間の子として戸籍に登録するためには、前夫に「親子関係はない」と裁判で証言してもらうことが原則として必要になる。顔も見たくはない、と別居した前夫に逢わねば解決できない。この女性はDNAによる親子鑑定書などの資料をもとに、娘の親権者として今の夫を相手に認知を求める調停にこぎつけた。》
 前夫の証言がいらない手続きで、家裁からは「特別に事情を考慮した」と言われたという。05年4月から3回の調停で、6月に娘と現夫との親子関係が認められた。

次は盛岡市に住む女性(39)の例
17年間の結婚生活で子ができず、「どうしても子どもがほしい」と思っていた時、今の夫と知り合い、06年2月に前夫と離婚。離婚後266日に女児出産。こちらも再婚禁止期間を置いた少なくとも480日以降の出産ではない。出産時38歳を考えれば再婚を焦っていたこともあるだろうが、いとも簡単に男と女の関係に入れるものだ。民法の規定を知ったのは、夫が市役所に出生を届け出た時だった。12月に前夫を相手取り、親子関係不存在確認の訴えを家裁に提出。調停は4回ほどになるらしい。DNA鑑定も行うことになる。彼女は「裁判所とは無縁と思っていたのに、まるで悪いことをしたみたい」と言うが、《そのとおり、法律を破る悪いことをしたのだ。「知らない」ことで何事も済ませられれば気楽な世の中になるだろうが、世の中、そんなに甘いものじゃない。子づくりを急ぐ前に、男と女、結婚、離婚、性モラル、社会規範などのことをよくよく考えて行動することだ。》


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2007年1月 7日 (日)

携帯電話

携帯嫌いの私は持っていないが、殆ど利用しないで通信費だけは払い続けている妻が、今まで持っていた電話会社が近々サービスを停止することになるため、機種の変更をするのに手続きに立ち会った。これまでにも外出先から掛けて来て、固定電話の明瞭な声に比べ、デジタルの聞き取りにくいいらいらする交信には我慢ならない思いをしたことがあった。以来二度と出先からは携帯で掛けて来ないように言ってからは、公衆電話以外は交信していない。妻も自分から所望して手にしたものではなく、長男からのプレゼントであったため、捨てることもできないままで、充電を繰り返し、通信費だけは毎月支払っていた。

今回も、わざわざ機種変更までして所持する必要もないのに、捨てたくない、と更新をした。テンキーだけ並んだ簡単なものがあったが、気に食わず、カメラ機能だけは付いたものにしたが、無用となるだろう。デジタルカメラも長男からのプレゼントだが、その前にプレゼントされていたフィルム使用のカメラがお気に入りで、未だにフィルムの銀塩写真だけをせっせと利用している。確かに仕上がりはデジタルよりも数段は上の品質に仕上がる。わざわざ携帯で品質の悪い写真を撮ることもないだろう。

今まで全く携帯の情報に疎いままで来たが、先日の毎日新聞で目にした記事には吃驚した。「携帯端末、世界の壁」日本10社でシェア8・8%とあった。円グラフも載っている。クレジットの決済機能やワンセグ放送、音楽ダウンロードなど高機能化が進む日本の携帯電話に関する情報は、しばしば耳にもするし、テレビでも目にする。当然世界の中でも大きくシェアを広げているものと思っていた。しかし、日本メーカーの世界における販売シェアは10社合計で8・8%に低迷しており、欧米や韓国の企業に大きく水をあけられているという。この現状を打開し、世界に通用する産業にしようという論議が政府内で活発化し始めたらしい。ただ、日本と海外の携帯電話会社のビジネスモデルの違いも根底にあって、簡単ではなさそうだ。

総務省によると、携帯電話端末の05年のシェアは
 フィンランドのノキアが    33・5% で首位
 米モトローラが        18・8%
 韓国(サムスン・LGの2社) 19・9%
 日本(10社)         8・8%
 スウェーデン         6・4%
 その他            12・6%
となっており、日本は10社併せてもサムスン電子の単独12・9%にも及ばない。

昨年10月の菅総務相の私的懇談会「ICT国際競争力懇談会」の初会合でメンバーの1人が「海外は音声主体の安い端末が中心。高機能端末が売れる日本とは違う」と問題の根深さを指摘した。

《文化面の価値観の違いは携帯電話に始まらない。30〜40年前にも言われたことだが、カラー写真が一般家庭に普及した頃、西洋の写真に対する評価と、日本人の評価には根本的に大きなに差があった。西洋での写真の見方はあくまでも写真本来の写っている風景であれ、人間であれ、現実(或いは事象)の瞬間や時間が切り取られ、定着していれば、色彩の芸術的レベルは2の次であった。それに比べ、日本人は写真は美しくなければ満足しなかった。結婚式、花嫁、花、景色、誕生した赤子であれ、すべて写真は美しく仕上がっていなければ及第点としなかった。芸術の先進国で美術を学ぶためには遊学の憧れの地であったフランスで仕上がるカラー写真も、例外なく日本のカラー写真と比べると、嘘のように見劣りする仕上がりでユーザーの手に渡されていた。私自身のヨーロッパ各地の現地の市場調査からだが》

《それから数十年経過した。西洋はそのままで、日本人が西洋化されて行った。写真は事象が写されいればほぼ満足し、色再現が少々悪くても、解像度が悪くてもデジタル写真に慣らされて行った。銀塩写真の美しさも稀少価値でしかなくなった。ゲームセンターに置かれ、頭を突っ込んでピースで写る玩具のような写真でも満足するほど美的センスが低下した。それが携帯電話に付け加えられた。複合商品として次の抱き合わせを開発する方では音楽に目をつけた。音も同じような道を辿っていた。じっくりと鑑賞する音楽が消え、喚き立て、叫び、爆音が轟く音の洪水になった音楽には、音質は不要のものだった。レコードからCD、MDへとどんどん音質が低下して行った。若者たちは音質よりもその簡便性に価値を見い出した。だから簡単に音を無視した携帯電話に組み込まれた。現在は、その悪い音質を少しでも改善しようと取り組んでいるようだが。》

《上の懇談会出席者の発言のように、日本の携帯電話を「高機能機」だから世界の競争力への参加を危ぶむ発言は、ひとりよがりのもので、「高機能」との考えは、世界では差ほど必要とされない要らない機能が余分にくっついているだけのこと、との認識がない。開発者のユーザーを考えない自己満足で生み出されたものに過ぎないのだ。あれもできる、これもできる、ではすべて虻蜂取らずの中途半端なものになるだけだ。それを「高機能機」と嘯(うそぶ)いてみても単なる複合商品であるに過ぎない。電話機としての機能さえ持っていれば、不作法、無礼なカメラ代わりの使い方もしないで済むし、ディスプレイから顔も上げないで話す無礼もなくなる。》

日本の携帯電話契約者数は昨年11月末で約9400万件と世界第4位の市場だが、市場は飽和状態でメーカーの採算も悪化している。「成熟した国内市場に目を向け過ぎた結果」との批判もある。しかし、問題は高機能化だけではなく、菅総務相は「携帯電話の1円販売はビジネスモデルがおかしい」と指摘する。本体価格4〜5万円の端末を1円で売る販売代理店もあるが、この安売りが可能なのは、電話会社が代理店に支払う1台3万円前後の販売奨励金のおかげだ。代理店はこの奨励金を原資に、仕入れ値よりも安く端末を販売する。結局、奨励金は利用者の月々の基本料や通話料に転嫁される仕組みだ。日本の割高な携帯電話料金の原因がここにもある。

この奨励金による値引き販売は国内市場の拡大に貢献したが、市場の飽和を生むことになり、買い換え需要が減り、安売りをしても販売の延びが期待できなくなる。総務省の懇談会の議論は、規制緩和や法人税優選などでノキアを後押ししたフィンランド政府にならい「官民一体の欧米式セールス」で模索するようだ。

《それもいいだろうが、くっつけ過ぎた余計なものを削ぎ落とし、電話機本来の機能をもう1度見直して掛かることの方が大事ではないのか。》

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2007年1月 6日 (土)

脳死移植

昨年12月17日、臓器移植法*に基づく50例目の脳死臓器移植が、大阪府吹田市の国立循環器センターなどで行われた。17日、高知市の赤十字病院に入院中の成人女性が臓器移法に基づく脳死と判定され、本人が臓器提供の意思を示すカードを持ち、家族も同意したことで行われたものだ。昨年1年間の脳死移植は10例目になり、97年10月に同法が施行されてから年間での移植が最多となった。女性は意思カードで、提供を希望する臓器として心臓、肺、肝臓、腎臓、膵臓に◯をつけていた。提供された臓器は、心臓の移植が行われた国立センターのほか、片肺、肝臓、膵臓と片方の腎臓は東北大病院(仙台市)、もう片方の腎臓は岡山大病院(岡山市)で移植。もう一方の片肺は医学的理由で断念した。

 臓器移植法* 議員立法で97年6月成立、同10月施行。移植のために臓器を提供する場合に限り脳死を人の死と定めたほか、基本的理念として提供意思の尊重、臓器提供の任意性、移植機会の公平性などが盛られた。提供可能なのは15歳以上で、提供意思は書面で表示していた場合に限られる。
(同法に基づき99年2月、1例目の脳死判定が下されたのは、51例目になった同じ高知赤十字病院であった。)

日本臓器移植ネットワークによると、同ネットに登録している移植希望者は、延べ、12,303人(06年11月末現在)。登録開始以降の総数は30,747人に上る。また、法施行後、50人からの臓器提供による移植を受けた患者は計192人で、臓器別では同時移植の重複を含め、腎臓82人、心臓39人、肝臓35人、肺、膵臓各30人、小腸1人となっている。99年2月の脳死移植1例目で心臓移植手術を受けた50歳代の男性は、自分が手術を受けた当初は、法が施行されて多くの人が移植を受けられると思っていたが、実際には進まない現実を「まだ50例目か」と話す。

臓器提供の意思表示カードやシールの配布枚数は昨年11月末には計1億3700万枚を超え、健康保険証に意思表示欄を設けるケースも増えているという。しかし、このような運用面の工夫にも拘わらず、臓器提供は増加傾向にあるとは言えない。大久保通方・日本移植者協議会理事長は「移植を待つ患者、家族から見れば少な過ぎるというのが実感。1人1人が自分自身や家族が移植が必要になったらと考え、法改正するしかない」と話す。

言うことは尤もなことだ。しかし、身内の不幸と他人とは全く違う。家族のためなら命も捨てられる。しかし、赤の他人に死んだ後でも身を削るつもりはない。医学は心臓移植という神の領域にまで手を染め、博愛を押し付けようとしている。動物世界を眺めれば簡単に理解できる。病弱な動物は淘汰されるのが必定だ。人間も等しくみな動物として生を享けている。生きるも死ぬも神のみぞ知る、だ。

毎日新聞1月1日朝刊が、「2チャンネル」を取り上げた。1億円以上の募金を集め、日本では、12,303人のうち何人が心臓移植を待っているのか知らないが、その待っている人たちを飛び越えて、アメリカに渡り、早々と移植を受けようとする4歳女児への中傷の書き込みを取り上げたものだ。それは、昨年9月22日、新聞各紙に「さくらちゃんを救う会」の募金活動の記事が掲載されたことから始まったらしい。「また死ぬ死ぬ詐欺ですかw」。「w」は笑いの意味だそうだ。父親がつとに悪名高いNHKの職員だと分かって一層拍車が掛かる。「高給取りを隠して同情を買おうなんて詐欺だな」、「騙されて募金したので返してほしい」、「家を売ればいい」などが続いたらしい。

ここのところ格差社会が問題になり、富めるものと貧するものとの差は、政治の貧困も加わって益々顕著になっている。世界でも貧しいものの富めるものへの妬みは社会主義思想をも生み出した。そして革命から1つの国家を創ったが七十年の短い歴史を刻んで潰(つい)え去った。所謂左翼思想をアカと呼ぶ思想団体は日本人が忌み嫌う一つだが、日の当らない層に所属する日本人の多くは、その嫌うはずの思想の根源、富めるものへの反感は一様に心の底では持っている。それが今度の「2チャンネル」事件として報道されることになっただけだ。

毎日新聞の取材に「2チャンネル」の管理人、ひろゆき氏は「ネットの仕組みだから仕方ない」と答え、規制は難しいとする認識を示した。取材の中の会話の幾つかには次のようなものがある。匿名性の良さについて「例えば安倍首相が実名で掲示板に書き込んだら議論どころではなくなる。純粋に議論するのなら、人格はないほうがし易い」「中傷を面白がる人間の本質は変えるべきだと思うが、仕組みとしては無理。それができたらノーベル賞が取れる」。或いは誤った情報が独り歩きすることについては「既存のメディアが『冤罪報道』をした松本サリン事件と一緒。ただネットの方が間違う可能性は高いと思う。ネットはうさん臭いもので良い。大事なのは使い方を教育すること」そして、情報はいろいろあるから面白い、中傷は国民性の問題だという。

今、私の手許に1通の封書がある。日本ユニセフ協会からのもの、中には数枚の書類と振込み用紙。書類の1枚にはこのように書かれ、付箋の付いたものも混じっている。○○ ○○様 この手紙を開け、ここまで目を通された間にも、世界のどこかで栄養不良や病気のために命を落としている子どもたちがいるということ ─ わずか10秒の間に3人の幼い命が失われていること ─ を知っていただければと思います。そして、付箋のメモには「たとえば3000円で458人の子どもの命を救う方法があります。」と書いてある。

1億円も使えれば、何人の子どもが救えるか。同じ命を救うのなら、私はユニセフを選ぶ。

参照「臓器移植」06/05/30

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2007年1月 5日 (金)

残業代不払い制度

昨年暮(12/28)のブログで触れた、ホワイトカラー・エグゼンプション(管理職手前の事務職労働時間規制適用除外制度)、簡単に言ってしまえば『一般職残業代不払い制度』となる。何でも横文字大事で考えるから、言った後ですぐに日本語、漢字で補わねばならないことになる。バカな習慣を拵えたものだ。

前回触れて心配したとおり、こんな法が認められるか、と声が上がっている。手厚い労働基準法で守られ、高賃金の安定した生活に馴れた現在のサラリーマンには、その労働条件を基礎に入手したマイホームの返済金、高い家賃の家に済み、溢れるほどの家具に囲まれ、ブランド物を纏い、温泉に、旅行、マイカーの支払いだ、と決まった高額の出費がある。

しかし、一方では企業だけが潤おう‘いざなぎ景気’の矛盾した社会の仕組みの中で、一向に上がらない給料をやり繰りしても疲弊して行く層もある。 メディアは頻りに景気を口にし、活字にするが、差別社会の格差はますます広がって行く。

通常国会に提出する予定であった改正案を、与党としては見送ることになりそうだ。労働法案の欠点を見直すことで先送りするわけではなく、与党としては「選挙に悪影響」があるとしての肚のようだ。サラリーマンのことを考えてのことではない。既に過労死は社会問題ともなっているなか、それ以上の激務が想定される条件下にサラリーマンを追い込むことになる法律を作ろうとしているのだ。

毎日新聞(1/5)から
個人が働く時間を自らの裁量で決められる一方、残業代は一切払われない「日本版ホワイト・エグゼンプション」制度導入を盛り込んだ労働基準法など労働法制改正案について通常国会(25日召集)への提出見送り論が4日、与党内で強まった。「残業代を取り上げ、働き過ぎを助長する」など労働側からの批判が強く、4月の統一選や7月の参院選への悪影響は避けられないとの判断から、と見られる。

厚生労働省は今国会提出を目指す構えだが、協議会設置で「時間切れ」を狙う案も与党内には浮上している。自民党の丹羽雄哉総務会長は4日、茨城県石岡市での講演会会合で「賃金抑制や長時間労働を正当化する危険性をはらんでいるという指摘もある。改正には慎重に対応しなければならない」と述べた。

《改正案では、彼が口にする危険性など、だれでも読み取ることができる。彼自身の頭では指摘をされないと理解できないことなのだろうか。危険性ははらまれているのではない、必ずそうなると言ってもよい。別の見方をすれば、部下の実力を見極め、仕事を案分するのは上司(この場合管理職)の仕事だ。部下の実力が同一、均一であるわけはない。その部下に応じて仕事量は案分されなければならない。誰でもが同量、同質の仕事が消化できるのなら、出来高評価などするのはナンセンスだ。それぞれの部下の力に応じて与えるのが上司の力量となり、その結果が出来高となるのだ。力不足で残業が見込まれるものの仕事量は、できる人間と同じ時刻に終えるためには、素晴らしくできる人間に回せばよいことになる。それが出来高の差となり、給料の差となるものだ。それを案分するのが上司の仕事だ。「あいつは鈍い」で評価するのは、逆に言えば、部下の評価が出来ない上司、ということになる。》

公明党の太田昭宏代表も2日、東京・新宿の街頭演説で「『残業代がなくなる』『こんな制度を作ったら大変だ』という声が溢れている。与党の中で協議するシステムを作らないとならない」と述べている。

《時間内に消化可能な仕事を故意に残業までくい込ませ、生活の糧にする考えは以前も存在した。給与水準が低く、生活レベルも低いなりに、少しでも超過勤務手当てが必要な若者たちもいた。必需品や、贅沢品のこともあったが、その購入を予定し、マイホームなど夢でも、充当する金額を稼ぐためにも時間外手当てを必要とするものもいた。》

同制度は管理職一歩手前の事務職を対象に、労働基準法に基づく1日8時間の労働時間規制を除外し、成果などを基に賃金を支払うとするもの。厚労相の諮問機関「労働政策審議会」の分科会が12月27日にまとめた最終報告の条件として
1. 労働時間では成果を適切に評価できない
2. 重要な権限と責任を伴う
3. 年収が相当程度高い
などを挙げている。

民主党は導入に強く反対しており、改正案が提出されれば徹底抗戦をする構えでいる。次期通常国会は参院選を控え6月23日までの会期の延長も難しいことから、与党内の自民党国対幹部は「成立は無理。反対をアピールする野党が得をするだけ」との慎重論が強まっている。

以上は朝刊の記事からだが、夕刊では柳沢厚労相は、5日の定例記者会見で「通常国会に法案を出す方針はまったく変えない」と述べている。「(与党内にも慎重論があるが)企画立案をやるホワイトカラー労働者はルーチンワークをするホワイトカラーと違い、クリエーティブにやっていく意識が必要。力を十二分に発揮してもらうには必要な制度」という。

今度の法案も今までと同じように、結局は政府与党の言う民主主義の数の論理で通過してしまうのだろうか。

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2007年1月 2日 (火)

一億総白痴化

「一億総白痴化」この言葉が使われるようになったのはもう半世紀も昔になる。現在では「白痴」という語に一部の身体障害者に対する差別的な意味合いが含まれているとして使わないようだが、現在でも、品質が低い番組を批判する時、敢えて引用される場合がある。

1957年当時、テレビがまだメディアとしては正当な評価を受けるほど映像文化としての位置付けがされていなくて、暗中模索の時代であった。戦後の日本を代表するジャーナリストで、毒舌評論家でもあった大宅壮一(現在各方面で幅広く活躍している大宅映子はその三女)が、たまたま2月発刊の「週間東京」である番組を批評した時に使用したのが始まりで、その後、続いて松本清張も朝日放送の広報誌「放送朝日」の8月号で当時の放送内容から、将来を危惧して「日本人一億総白痴となりかねない」とも書いたことがあった。

一部の身体障害者に気兼ねして、ロシアの文豪ドストイエフスキーの名作「白痴」をどのように呼べば良いのだろう。或いは小説の世界を日本に移して映画化した黒澤明の「白痴」をどのように紹介すれば良いのだろうか。

奇しくも毎日新聞(1/1)一面記事から子どものモデルを扱うエージェントのことが目についた。途端に頭に浮かんだのが冒頭の6文字だった。半世紀を経てそう呼んでもいいような親子がいることを知った。日毎のように移り変わるプロフェッショナルのいないタレント集団。いつ誰が名乗り出ても、その日からタレントで通用するように生まれ続ける素人集団。年々低年齢化する素人集団。いつ姿を消してもおかしくないレベルの花も実もないタレントたち。にも拘わらず、優れたもの、つまらないものの見分けもつけられない取り巻き連中がいる。

一見華やかな世界を指を咥えて眺める保護者と呼ばれる親たちが、欲の皮を突っ張らせて、あわよくばわが子を・・・、あの高嶺の花になれるならと、ただの親の欲目だけで叶わない夢を見る。エージェンシーに預ける親たちは、わが子を見るのに己の目しか持っていない。身びいきとは怖いもの、うちの子が1番、となっていて2番でも3番でもない。集団の中にいても、親は自分の子しか見えない。誰が見ても10番でも親には1番でしかない。そのような親たちが預けた子の数が2万人。

東京都豊島区に本社を置く子供モデルエージェンシー(斡旋会社)が、「スカウト」と称して街頭で親子連れに声をかける勧誘活動を全国的に行っていることが分かった。モデルになる場合、写真撮影や宣伝費として5万円の負担金を求めているという。

同社の社長によると、現在、登録している子供は約2万人だが、モデルの仕事があるのは約1割という。同社はコマーシャルや商品広告ポスターやチラシなどに登場する15歳未満の子供モデルを募集している。社長によると、登録期間は1年間で、これまで登録した子供は延べ5万〜6万に上り、「会社の収入の9割は新規登録者が支払う5万円となっている。モデルの仕事があるのは全体の約1割で、約7割には声も掛からないが、そのことは保護者に説明をしており、クレームはない」と話している。

登録までの流れについて
1. 従業員が、ショッピングセンターなどで子供連れの親に声をかけ、名前や連絡先を聞く
2. 後日、電話で面接の案内をし、希望者は面接に参加
3. 面接合格者には電話連絡し、5万円の振り込みを待って写真撮影
4. 写真を300〜400人分の顔写真のカタログを製作し、登録者に郵送する

登録の1年間はカタログが到着してからの期間となり、「面接すれば8割は合格」となる。業界内からは「金集めが目的の勧誘ではないか」との声が出ているが、登録料が収入の大半を占めていることに対して社長は「我が社はカタログ製作販売会社だである。言い方は悪いけれど在庫(モデルの)が必要。7割の皆さんには泣いてもらう、スカウトのどこが悪いのか、必ず仕事(モデルの)があるとは言っていない」と話している。

金儲けが問題になる以前に、保護者の上手い話に乗ってわが子を見極められない寄り掛かりがある。いかがわしい面があるものなら、その筋が動いてもいるだろう。テレビに毒されて、品物の良否の分別もけじめもつけられない世の中の風潮もある。呼び込む方も銭かねなら、群がる方も金の欲。何万分の1の確率が、ひょっとしてわが子もタレントにと、群がる保護者の子が集められて2万人となる。それが捨て銭になっても自分が招いた結果だ。宝籤の賭博性と何も変わらない。問題にすることもない、全ては自己責任の範疇というものだ。

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2007年1月 1日 (月)

平成19年正月元日

年末に続きタバコについて。
今日も元旦早々からタバコのみが、禁煙できないことを記事にしている。日本人の4人に1人が禁煙に挑戦したが、半数の人間が「断念」した、と。

タバコ増税や禁煙を進める施策が目立った06年だったが、喫煙者の4人に1人が禁煙に挑戦しながら「仕事のストレス」やその他のことからほぼ2人に1人は途中で断念していたことが、製薬会社「ノバルティスファーマー」 アンケートで分かった。禁煙の方法は「気合いと我慢」など精神力で挑むケースがめだつ一方、禁煙外来が06年度から認められたことを知らない人の多く、受診例は50人に1人にとどまった。

同社が06年10月、20〜50代の喫煙者(過去に喫煙していた人を含む)7091人を対象に、インターネットで調査したものである。
 06年に1度でも禁煙に取り組んだ人は23・8%(1689人)。このうち1209人を対象に禁煙の動機などを尋ねたところ、増税に伴う06年7月の値上げを機に約6割は禁煙を一旦は決意していた。だが、回答時にはすでに禁煙を断念した人は636人と過半数に上った。

禁煙するのに“決意”などは不要だ。決意など邪魔になるだけだ、本当に止めたければタバコのことは忘れるのが一番だ。考えるから思い出す、あれ?俺は一体何を決意したんだっけ?ああ、そうだタバコだ、タバコどこ行った?ない、無い、どうしよう、どうしよう、となる。前にも書いた、わたしは1日60本以上を吸うヘビースモーカーだった。忙しければ忙しいほど本数が増えていた。1本を一息、二息吸っては次の一本に火を着けるのが面倒になった。上手くも美味しくもなかった。ちょっと休んでみようか、家にある買い溜め(両切り、フィルター付き、パイプなど)を吸いつくすと次の日から綺麗さっぱりタバコから縁を切った。薬も菓子もタバコに代わる嗜好品も一切必要なかった、ただ吸いたいとも思わなかった。それから15年以上が経過した。気軽に休んでいる。吸っていた時も身体への害など考えたこともなかった。吸わなくなったからといって、健康が良くなったとも思わない。食事が美味しくなったとも思わない。何一つ変化はない。女性ではないからダイエット効果を狙ってもいないし、その効果もない。

タバコの害として発表されている医学的データの信憑性は一切信じない。タバコで直接死に至ることなど信じない。にも拘わらず、米国における一般的な死亡の実際原因が、米疾病対策センターの調査(2000年)では、
 第1位にタバコが突出しており   ---435000人
 続いて不適切な食生活と運動不足  ---400000人
 アルコール            ----85000人
 インフルエンザ等         ----75000人

同じく日本でも タバコによる死亡男 ----90000人
                女 ----24000人
               合計 ---114000人
この11万4000人のタバコが原因とされる内訳をみると
  癌     62000人(約55%)
      うち肺癌 42000人
 心血管疾患  21000人(約19%)
 呼吸器疾患  20000人(約18%)
 その他    10000人(約 9%) となっている。

アメリカでも日本でも、糞も味噌も一緒くただ。疑わしきものはすべてタバコにして恐慌を煽る。現段階で、癌や肺疾患、呼吸器疾患の原因がタバコである決定的なことは解明されてはいない。何故このようなことになったのか、非喫煙者に比べると、その発症率が高いから、というに過ぎない。それを皆現段階ではタバコのせいにしているだけのことだ。
ということで禁煙は気楽にやればいい、覚悟だ、決意だ、で取り組むものではないことを知っていれば、もっと楽に禁煙は可能になる。私はしばらく(ほぼ16年間)休んだから、そろそろ再開して喫煙を始めようか、とも考えている。

今日は初夢を見る夜、一富士、二鷹、三茄子、どれにしようかな、それとも子どもの頃よく見たあの夢、そう、自由に空を泳ぎ回る、あの夢をもう一度見たい。
   

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