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2006年12月10日 (日)

「天の声」

テレビから聞こえてくる度に、また、新聞紙面の活字を目にする度に、私の知っている言葉の感覚からは、現実の事象と言葉の差異に、余りにも懸け離れた違いのわだかまりがある。「天の声」がそれだが、現在使用されているのは悪事を実行した、或いは企んだ、例えば宮崎県前知事が絡んだ官製談合事件の競売入札の折の妨害容疑のような内容で使われている。紙面では、県警は「安藤容疑者が県内であった談合の11件全部に「天の声」を出していたとみて・・・」と使われている。

そうすると、前知事の安藤は、「神様」ということなのか。権威を嵩に来たものへの比喩とは理解していても、しっくりこない。
元々「天」とは‘神’または‘大自然の力’をさす言葉であるはずだ。その「天の声」とは‘神がその意志を人間に伝える声’であり、「神託」ということになる。これを平明に言えば「神に祈って受けるお告げであったり、神が人に乗りうつり、夢などに現れて、その意志を告げ、知らせること」ということになる。神々しくも尊いご託宣となる。11件に絡んだ談合に顔を出していた連中は皆、有り難いご託宣、とそのまま有り難くお受けしたということだ。

同じ神様でも、厄病神や貧乏神もいる。現代の神様は迂闊には信じない方がよい、ということか。

もう一つ、こちらは貧乏神に魅入られて、貧乏くじを引いた話。
一人当り平均投資額1000万円以上と言われる「近未来通信」で一儲けを企んだ連中が、まるまる損をすることになりそうな話。年金暮しの身には一年掛けても10万円の貯えも難しい時代。旨い話に乗ってまんまと社長にとんずらされ、上を下への大騒ぎになったようだ。IT流行りとはいえ、満員電車に揺られ、労働の対価として僅かな給料で汗水流している人たちにすれば、大きな声では言えないが、痛快きわまりないできごとだ。

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