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2006年12月 7日 (木)

教師は聖職者か?

連日のように取り上げられるいじめと、教師、教育の問題、ここで時宜に合った話題を一つ。
毎日新聞(11/28)が『教師は聖職?聖職ではない?』で、いつものように(石田衣良の白黒つけます)、アンケートをまとめた。

その前に、聖職とは何か。聖職とは字のとおり神聖な職務のことであり、本来はキリスト教で聖務に献身するもの、司祭であり、宣教師(仏教でいえば僧正)などを指す言葉だ。ある宗教に対して信仰心が篤いだけでは聖職者ではなくただの信者にとどまる。

本来決して教師は聖職ではない。それなのに何故、今それが問われるのだろうか。宗教とは関係ないが、行う活動自体に公益性が高く、尊敬に値する職業についている場合に、時としてその人を聖職者と呼ぶこともあるが、果たして現在の教師たちが、それに値するのだろうか。

明治の始め、小泉信三が著わした「ペンは剣よりも強し」で言論に関わるものの責任を明らかにした精神を信奉し、一世紀を隔てた今もそれを武器とし、錦の御旗とするマスメディアによって、汚職、脱税、いじめと自殺などが取り上げられ、宗教以外の職業に従事する人間を聖職者とよぶ声は日増しに小さくなってきている。小泉信三の唱えた日本のジャーナリズムにおける不偏不党の精神は、今では単なるご都合主義の飾りに過ぎず、どっちつかずの、どっちでもない日和見の主張でしかないものに成り下がっている。

このようなジャーナリズムによって、教師はサンドバッグのように叩きのめされ、今や権威は地に落ちたも同然のところに貶められているのが実情だろう。世論はジャーナリズムの論調に流されるのも当然の帰結だ。早速アンケートを眺めてみよう。

《有効投票数3509・男1675.女1834》
       聖職    聖職でない
  全体  21・9%    78・1%
   男  23・1%    76・9%
   女  20・9%    79・1%

少数派の聖職と考える人の意見。「教師も人間、それはわかっています。でも、人の上に立つ人間は相応の使命感を持って職にあたってもらいたい」(静岡県・匿名)「倫理観の未熟な子どもに、大人が規範となるのは当然です。人間だから完璧にはいかないと思いますが、教師には子どもの規範として振る舞う義務があります。聖職として働くことを放棄した教師は不適格です」(大阪府箕面・黒田さん)「教師になる人が聖人であるわけがない。が、聖人ではない自分を仕事に捧げる覚悟が必要である」(千葉県松戸市・匿名)

続いて聖職でない、と考える人たちの意見。「聖職なら、もっと人を厳選するべきだ」(住所不明・パル)「聖職だなんてとんでもない! 心ない教師の言葉に何度傷つけられたことか。教員免許だって、片手間に取れました。まわりで教員になった人たちを見ても、この人が?と思うような学力や性格の人ばかり」(茨城県つくば市・匿名)《これを書いた匿名さん、自分を告白しているようなものだ。自分を含めてその仲間なら、そう書くべきで、周りだけが失格者のような文章は書くものじゃない》「聖職ではなく、一般の労働者と同じでいいと思う。しかし、子どもたちに対しては教育のプロである必要はある。ただ現場のあまりにも多い雑用と形骸化した業務のあれこれは、とても聖職とは呼べるようなものではない」(兵庫県三木市・匿名)

         聖職     聖職でない
 10代以下男   8・3%    91・7%
 10代以下女  12・2%    87・8%
 20代男    20・3%    79・3%
 20代女    16・9%    83・1%
 30代男    23・3%    76・7%
 30代女    18・4%    81・6%
 40代男    25・3%    74・7%
 40代女    27・2%    72・8%
 50代男    24・8%    75・2%
 50代女    30・0%    70・0%
 60代男    34・3%    65・7%
 60代女    40・0%    60・0%
 70代以上男  33・3%    66・7%
 70代以上女  50・0%    50・0%

私は、アンケートの最後の世代に含まれるが、教師という職業を決して聖職とは思わないし、崇(あが)め奉る別世界の聖職者である必要もない。普通に生きる自分の喜怒哀楽が、そして生徒の喜怒哀楽が理解できる人間であればいいと思う。

石田のまとめも「教師は聖職ではない」ということになるが、最後に印象に残ったアンケートを紹介している。
 「夫は教師ですが、いまやセブンイレブンといわれるほど、朝早くから夜遅くまで仕事をしています。帰宅しても学級通信やテストの採点、週末は部活の顧問があり、ゆっくり休むことができません。生徒を叱れば親からは抗議が、生徒が家出をすれば遅くまで捜しまわることもあります。わが家のふたりの子どもは、平日は父親と食事をすることも、入浴することもできません。でも、父親ががんばって仕事をしていることを理解しているので、父親の前ではがっかりせず、週末になると夕飯が一緒に食べられると喜んでいます。主人は言います。『大変なことは多いし、外野からの声もある。けれど自分が相手にしているのは目の前の子どもと、その子たちの未来だから、信念は曲げない』。一生懸命な教師はたくさんいます。そこをもっとマスコミは伝えて欲しい。わたしと家族はこれからも主人を支えていきます」(静岡県菊川市・匿名)。

権力におもね、世論を操作するのがマスコミの本分ではない。権力.権威に立ち向かってこそマスコミの存在価値はある。

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コメント

「教師は聖職者か」
この事を考えました。私の中では教師の仕事は「人が人を教えるのだから、聖職者的しごとである」と思っていました。でも、学ぶ立場から考えると、そうではない事に気づきました。
無断で申し訳ありません。
私のブログ内で、「教師は聖職者か?」の文章を引用させていただきました。
「生徒の喜怒哀楽が理解できる人間」教師も親もそのような人間でなければいけないですね。

投稿: minmi33 | 2006年12月17日 (日) 04時12分

教師は聖職者であってもらいたい。ですから敬わなくてはなりません。しかし教師の労働環境については看過できないことがあるようです。まずはモンスターペアレントに対応する専門的職員を設けて頂いて学校を犯罪者から守って頂きたい。犯罪者の対応は教師の仕事ではないですから。

投稿: みつば | 2012年12月 6日 (木) 19時44分

単に定義の問題だとおもいますが、聖職者とは「宗教上の」指導者のことをさすのが世界的に一般的です。

学校教育における教師は科学的な世界観を持ち、科学的な指導を行うべき存在です。つまり教師は、聖職者になどなってはなりませんし、そう呼ぶのも大変失礼です。

投稿: たろう | 2013年10月24日 (木) 08時52分

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