改正教育基本法成立
碌に審議もないままに、数の論理だけで法は成立した。改正派の多くが主張する、「(旧教育基本法)を敗戦後の占領下にあった時代に作られた」と。元テレビキャスターで、一家言(いっかげん)持つ 桜井よし子 もまたそれを口にする。戦争責任を有耶無耶にしたままの戦後教育で成長し、歴史を学んだ彼女の年齢は不祥だが、恐らく戦争を実体験としてはいないだろうと思える。体験者から直接聞かされたとしても、語る人の何分の一も理解することのできないことは、敗戦直前に生まれた麻生が歴史認識に全く欠けているのと同じようなものだ。人は生まれ育てられた環境でどのようにもものの見方、考え方も形作られて価値基準を形成して行く。彼女の認識では国連軍(主としてはアメリカだが)の日本占領が強迫観念のようにこびりついたもので、ジャーナリストとしての論拠は、国粋主義の価値観に貫かれている。日本国憲法も同一線上で捉えており、靖国参拝もまた、彼女は安倍と気脈を同じくしている。当然、教育基本法の後は憲法改正が明確に目指す的になる。これもアメリカに強制されて作らされたものとして。
しかし、旧教育基本法が本当に占領下において占領国におもねて作られたものだろうか。日本の教育界の人たちは、占領軍の顔色を窺いながら作業したのだろうか。今年84歳になる元文部官僚(文部省初等中等教育局長・文化庁長官などを歴任)の安嶋弥氏は12月15日の毎日新聞紙上で次のように当時を振り返った。1946(昭和21)年3月、日本の教育を方向付ける米国教育使節団が来日。「教育刷新委員会」の母体となる「日本側教育家委員会」も設置され、戦後の教育改革が始まった。安嶋さんは同年5月に文部省に入省する。6月には時の文部大臣・田中耕太郎が教育基本法の立案準備を明らかにする。安嶋さんは当時の学校教育局で学校教育法の法案づくりに携わりながら、教育基本法の具体的な策定作業を行った調査局審議課の雰囲気を肌で感じていた。
保守系政治家らが主張する米国に押し付けられた法律だという考えについて、「米国は『極端なる軍国主義、思想教育は困る』ということは言っていたと思うが、教育基本法のごとき法律を作れという空気はなかった。基本法を作りたいと言ったのはむしろ日本側であった」と振り返った。
具体的な策定作業には田中二郎・東京大教授が参画する一方、教育刷新委員会(初代委員長=安倍能成・元文部大臣)でも特別委員会が設けられ、天野貞祐・旧制第一高校長、島田孝一・早大総長ら8人が特別委員に指名された。「ここ(教育基本法)での審議は活発で、盛り込む文言を巡っても哲学問答が出た」というのは元文部省事務次官・天城勲氏だ。
安嶋さんは「教育の理念は狭く限定すべきではない。それに愛国心を法律に書いても実現できるものではない。いっぺん(一片)の法律で人の心が変わるなんてありえない」と力説する。教育基本法は、軍国主義の温床になったとされる教育勅語に替わる教育方針の役割を担った。「教育勅語に替わるべき何らかの指針は必要だという雰囲気があった。基本法の果たした役割は、教育勅語を否定したということに尽きる」と語る。
ここで時間を遡って見直したい。1947(昭和22)年法律第25号は次のように書いた。
【朕は、枢密機関*の諮詢**を経て、帝国議会の協賛を経た教育基本法を裁可し、ここにこれを公布せしめる。】
さらに、天皇の名前(御名)印(御璽)まで捺されて交付された。昭和22年3月29日付、内閣総理大臣・吉田茂、文部大臣・高橋誠一郎の連名だ。施行は3月31日。
*枢密機関(すうみつきかん)とは、国王、天皇、皇帝などの諮問機関で、大日本帝国憲法下における天皇の最高諮問機関であった。諮問機関は枢密院の他に、皇族会議、元帥府、軍事参議院の類いなどがあった。
**諮詢(しじゅん)とは、この場合天皇が他の機関の意志を参考として問い求めることで、諮詢に応じて意見を上奏した機関を諮詢機関と言った。
まるで明治の教育勅語と変わらない手続きである。占領軍への気兼ねや思惑が潜んでいると見るのは当時の日本の教育者や教育界への不信であり無理があるだろう。明らかに(昭和)天皇自らの意志で教育勅語の否定を宣言したのだ。にも拘らず、今又、明治の教育勅語の「父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し・・朋友相信じ」だけを切り取って、これが教育の根源であるかのように、或いは封建制度の根底を支えた「什の掟」なるものを持ち出し、何かと蘊蓄を述べるものが出てきた。
新しい教育基本法で、安倍は「愛国心」を盛り込んだが、逆に日本離れを惹起させることも懸念される。誰にしてもこれを愛せ、この人を愛せよ、と言われて、素直にはい、そうですか、そうしましょう、と応えるとは限らない。反発だってあり得る。安倍が言う美しい国、美しい人間、とは一体どんな国で、どんな人間か。ただ文学的な言葉だけで表現されてもそれだけのこと。頭の禿げた老評論家などは、日本が愛せないのなら日本から出て行け!とバカ丸出しで口角泡を飛ばすが、小泉の好きだったワンフレーズで言うならば、人はそれぞれであるはずだ。彼から言われる筋じゃない。ただ一つだけ、期待してもいいかも知れないものがある。第10条に盛り込まれた「家庭教育」でいう「保護者は子の教育に第一義的責任を有する」と明記したことだ。
親の家庭教育の放棄、躾の放棄に近い無責任さは、学校教育の場で学級崩壊を招き、止まるところのないまでにいじめを蔓延らし、教育の根底を揺すぶっている。しかし、これを教員の指導力不足とする意見も強く、第10条に謳う家庭教育と学校との連係をどのように指導し、明確化していくのかを見守る必要がある。
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