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2006年12月24日 (日)

クリスマス イヴ

街中がクリスマスに浮かれ踊っている。仏教国の日本人にはどのような関わりがあるのだろう。街を歩けば安物のスピーカーから、歪んでうす汚い声のクリスマスソングが五月蝿く耳に飛び込んで来る。買い物に、店に入れば山と積まれたデコレーションに飾り物。何処のコーナーもジングルベルが天上から降り注ぐ。相変わらずの泣き叫ぶ子どもの声や、カートを並べての立ち話で通り抜けるのにイライラしながら何か追い立てられるようにして店を出る。

日本古来からある文化に対する外来の西洋文化だ。昔の子供達は極々上流の家庭でもない限り、クリスマスは知らない国の知らない行事であった。勿論トナカイに曵かれて走るサンタクロースの話など知る由もない。当世の子供達との違いは、クリスマスプレゼントという習慣があることを知る子どもたちが殆どいなかったことだろう。日本には古来から続いたお正月の祝い行事が存在していた。長い一年を指折り数えて「もう 幾つ寝ると お正月」と歌って待った。貧しいながらもお正月には母の仕立て直してくれた着物を着、男の子は独楽を回し、凧揚げに興じた。女の子は羽根つきをし、天候に恵まれない時は家の中でカルタ取りをして遊んだ。

小遣いの習慣がなかった一般の家庭では、子供達はお正月にだけ手にすることができるお年玉を手にして駄菓子やに走った。素朴な往時の日本には四季があり、季節や行事が巡ってきていた。今現在の日本には、毒された西洋文化と、決して進歩とは呼べないほどに季節感もなくなった。最近のクリスマスには当然の付き物のように昔は初夏にしかなかった苺がお目見えし、冬でもアイスクリームが口に入る。子供達だけではない、若者は当日のホテルの予約に目の色を変え、男と、女との一夜を楽しむ。このような下らない遊びごとを仕掛けたのは誰だろう。年の始めの正月は、歳の始めでもあった。みな、新年と同時に1歳年齢が増えた。それもなくなった今は、正月はお年玉だけの陋習(ろうしゅう)として辛うじて残しているのかも知れないとも思う。何処の家にも立てた日の丸の旗もない。不思議なことに初詣だけは毎年賑やかだ。

親になった大人にだけは1ヶ月に2度のクリスマスと正月は、出費のかさむ月になるようだ。毎月の小遣いを与え、携帯電話の通信費、パソコン、ゲームの経費を負担しているにも拘わらず、プレゼントや特別のお年玉の発生だ。これほど甘やかす親は世界中にいないだろう。その上、信仰心を持たない日本の親ではクリスマスが何かを説いて教える親は先ずいない。何故クリスマスソングが日本語訳で「きよし この夜」と歌うのかを説明できる親は滅多にいないだろう。親はシャンパンや酒が飲める日、子も、クリスマスは プレンゼトをもらえる日、程度にしか理解していないだろう。

例年、親が子どもへのクリスマスプレゼントに消費する金額を調べているが、今年のバンダイ調査した予算が纏められた。今年の子ども一人当りの平均予算額は前年より594円上がって7606円であった。品物では男の子、女の子ともにゲームソフトがトップだったらしい。予算増の背景には景気回復に加え、「ニンテンドーDS」人気があるようだ、と分析している。調査は11月2〜14日、0〜12歳の子どもを持つ父母計2000人にアンケートを実施した。
 予算額は 3000円超〜5000円  44・9%
      15000円超〜2万 円   6・4%
 プレゼントは ゲームソフト (男の子33・3%、女の子28・2%)男の子は他に電車の玩具、自転車が、女の子は本、縫いぐるみなどが上位になっていた。

金銭や物品を与えることで子へ愛情を注いでいると錯覚している親はいないだろうか。わが家では子が幼稚園児の間はケーキだけは用意したが、小学生になってからはケーキも中止したし、プレゼントは始めから小遣い同様与えたことはない。クリスマスに浮かれ騒ぐことのない普通の日本人として立派に育った。

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