「アル中」
アル中(慢性アルコール中毒)、現在の病名アルコール依存症の高齢者が増えている。周りがどれほど注意しようと、酒は百薬の長、適度な酒は薬になる、と宣って遂には酒に飲まれた人生を送る羽目になった老人たち。私の世代にはアル中こそ似つかわしい呼び名だ。
アル中の言葉には、大酒を喰らい、飲んだくれて、所構わずゲロを吐き、道路に転がって眠るどうしようもない人間、という蔑視のイメージが付きまとっていた。自らの意志で飲酒行動を繰り返すこの症状に「中毒」という表現は適切ではない、という専門家からの意見が主流になって「依存症」という立派な病名をつけてもらい、病気の仲間入りができるようになった。
何を言われようが止まない世間を騒がす飲酒運転なんかを見ていると、酒の及ぼす依存性は麻薬以上に怖いものを感じる。にも拘らず、誘惑に弱い酒飲みを誘うアルコール類のコマーシャルはこの時期一層花盛りになる。年末年始を目の前にして、酒作りの会社は、口では飲酒運転に警告を発しながらも、売れなければ困る宣伝を始めることになる。その口車に乗って忘年会、新年会に2次会、3次会だと自制の効かない酒飲みたちが売り上げに寄与する悪循環が繰り返される。百薬の長だ、少しぐらいは、と。その行き着く先が年老いてからの依存症の発症になることが見えているのに。
例えば、紙面で取り上げられた或る老人(仙台市内・66)のケースでは、部屋の中には空になった焼酎の2・7リットル入りのペットボトルが何本も並んでいた。その中には泡立った小便が入ったものも混じっていた。流しには便のついた下着がそのまま。部屋の主の男性の顔はむくみ、目が澱んでいた。66歳が80歳にも見えたそうだ。その男性は「おれ、酒やめればいいんだな。やめたいけどやめられねえんだ」とだけ話した。体調不良になってもかかりつけの病院も飲酒を理由に断わられ、専門外来を受診する。
「関西アルコール関連問題学会」が昨年、ホームヘルパーやケアマネージャーらを対象にアンケート調査をした。512人のうち、約8割のヘルパーらが飲酒に絡む問題を抱える高齢者を担当した経験を持っていた。
日中からの飲酒が最も多く 54%
失禁・転倒が増える 31%
暴れる・大声を出す 12%
のようなトラブルを起している。調査した新生会病院(大阪府和泉市)の和気浩三副院長によると、「介護サービスに支障が出るほどではないが、自力で排泄ができないほど重症化して、ようやく問題になる」と説明している。
酒を絶つことでしか回復の道はないのがアルコール依存症だ。「やめようと思ってもだめ。この手がコップに伸びる。飲んだら震えが止まる。その繰り返し」となる。半世紀も前になる、アメリカ映画に「黄金の腕」という麻薬まみれのジャズドラーマーが依存症から抜け出す凄まじい禁断症状の苦しみに耐えるシーンを捉えた映画があった。個室に閉じ込められ、3日間、床に転がされて水も与えられず苦しむフランク・シナトラの迫真の演技(1955年、アカデミー主演男優賞ノミネート)は観客を身震いさせるほどだったが、アル中から抜け出すのも、全く同じ覚悟が必要だろう。手の届くところにアルコールを置いておいて、止められない、止められない、のお題目を称えていて、どうして止められるか。禁断症状を乗り越えなければ断酒の成功の道はないだろう。
依存症の高齢者は「このまま死ぬなら本望だ」などと介護や治療を拒否することがあるという。これも症状の一つだが、かつては40代に多かった依存症。今は治療を受けることもなく、昼間から酒を飲む年寄りが増え、依存症の人も多いという。依存症と言われるように、アルコールは麻薬と同じような依存を形成する。ヘロインよりは少しは低いが、コカインやマリファナ、覚醒剤などよりも精神的にも肉体的にも酒の依存性ははるかに強い薬物なのだ。
酒を止めようにも町をぶらつけば、誰でも簡単に手にすることができる。しかし、老い先短い人生だ。好んでより一層短い人生を選択することはないだろう。医者や薬に頼る甘えがあるようじゃだめだろう。おのれの覚悟を持つことだ。絶対に断酒するぞ!!の覚悟を、強い意志を。
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