ポール・モーリア死去
10月の末、フランス南部のペルピニャンの別荘に滞在中、体調不良を訴え検査入院したが、急性白血病であることが判明。11月3日午前1時、入院先のペルピニャンの病院で逝去(81歳)した。あまりにも急な死である。
ビートとリズムだけの現在のうるさい音の集まりではなく、音楽を音楽らしく聴かせることに神経を配った指揮者だった。1965年にフィリップスと契約、ポール・モーリア・グランド・オーケストラを結成。1968年に「恋はみずいろ」を世界的にヒットさせ、全米ヒットチャートで連続5週トップを記録、グラミー賞を受賞し、一躍名を上げた。全世界での売り上げは500万枚を記録し、自己最大のヒット曲ともなっている。
大の親日家で、1969年に初来日してから1987年まで毎年ツアーを行った。1998年の日本ツアーを最後に指揮者を引退したが、彼の名を冠したオーケストラはその後も活動を続けている。日本では馴染みの曲も多く、「エーゲ海の真珠」や「そよ風のメヌエット」はメルシャンワインのCMに使用され、一家に一枚ポールモーリアとも言われた程浸透していた。勿論わが家にもLPで数枚、CDになってからでも全集で揃えてある。上品で聴きやすい彼のサウンドは「イージーリスニング」というジャンルをも確立し、その後も数々の作品を生んで行った。来日は20回以上、公演回数は1200回に及ぶという。
1979年、日・伊合作映画「エーゲ海に捧ぐ」に続く1982年の「窓からローマが見える」はともに芥川賞作家で版画家の池田満寿夫の原作・監督になる作品だが、後の「窓から・・」はポール・モーリアがオリジナル・サウンド・トラックの音楽を担当している。
1995年の阪神大震災の折には「四重奏団・神戸」(フランク・プゥルセル:ヴァイオリン、フランシス・レイ:アコーディオン、ポール・ポーリア:ピアノ、レイモン・ルフェーブル:フルート)で、チャリティー録音を行いCD化した。
毎年、必ず虫干しでもないが、手持ちのSP、EP、LPレコードに始まって、CD、カセットテープを何ヶ月か掛けて音を出して時間を過ごす。たまたまCDの順に当っていて数日前にポール・モーリアを聴いたばかりだ。澄んだ音色のピアノに、クラシックとも違う心の安らいだ時間を持った。
イージーリスニングの世界は今、1925年生まれのポール・モーリアが逝き、1953年生まれのリチャード・クレイダーマン一人になった。耳をつんざく騒々しい雑音まがいの音から逃れたい世代には、音質などお構いなしで必要もない曲数が収録できるiPodなどの録音再生機器よりも、精々20曲程度の録音ができる機械があれば十分だ。
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