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2006年11月 5日 (日)

いじめ 3

いじめで泣く子や自殺する子に同情するだけでは、いじめはなくならないことは、繰り返し言って来た。それはいじめを行う加害者の問題だからだ。被害者を取り上げても、今日で幾つ発生したかといった数を数えるだけに終わる。ここで1件、あちらで1件、続いてまた1件、合計3件も起こった。大変なことだ。これでいじめが解決するなら幾らでも数えていればよいが、そうじゃなかろう。

どんなヤツが、或いはヤツらが、それにどんな親に育てられたヤツらが人を虐めるのか。そこに迫らなければ、いじめは可哀想に、ああ可哀想に、で終わる。学校の責任ではないことも、校長の責任でないことも何度も言って来た。犬や猫と同じ、ただ産み落としただけで後の躾も教育もしない無責任親に育てられた子供達(男も女も)が、人をいじめる快感に浸っているのだ。多く世の中の親は、わが子がいじめられているのではないかを心配するが、本当は自分の子は他人(ひと)さまをいじめてはいないだろうかを心配するのが先だ。

軍隊では上官のいじめは伝統という隠れ蓑で引き継がれ、年々繰り越されて初年兵の涙の種になり(消灯ラッパのメロディーをなぞり、「新兵さんは可哀想だなー、また寝て泣くのかヨー」と口ずさまれ)、それこそ発狂したり、脱走するものまで排出した。これを真似たように続いているのがスポーツの世界で見られる下級生へのいじめだ。精神を鍛える、との美名の元、しごきになって続けられている。加害行為は陰湿に、見えないところで行われる。教師や校長が知らなくて当然のことだ。

いじめる側はいじめることに楽しさを覚える場合。ストレスの発散の場がない場合。自分の力を他人に見せつけたい場合。自分にないものを持つものに対する憎しみ、偏見、恐怖、無視などから来る場合などが考えられるが、得てして本人には悪意がなくても傍観することがいじめになっていることもある。

今日の新聞記事。「いじめ自殺」16件 と書いた。いじめが主な原因で自殺した公立小中高校の児童生徒を文部科学省がゼロと発表していた99〜05年度の7年間に、いじめが原因と疑われる自殺が全国で少なくとも16件ある(あった、だろう)ことが分かった。このうち、いじめを訴えたり示唆する遺書や走り書きが残されていたケースが11件、いじめを学校が認めた事案が10件あった。文科省や教育委員会、学校によるいじめ実態把握の不十分さが厳しく問われそうだ、と。

いかにも独自スクープよろしく詰問調で書いているが、このように死んだ子の年を数えるようなことをして偉ぶってみても、いじめの解決には程遠く、何の解決もできない。ただ単なるデータの集計にミスが存在したというあら探しをしただけのことだ。

それよりも、中2男子生徒(13)がいじめを苦に自殺した福岡県筑前町立三輪中学で、この男子生徒をいじめていたとされるグループが事件後も別の生徒にいじめを繰り返していたことが分かった。複数の関係者によると、新たな受けているのは自殺した男子生徒と同じ学年の別の男子生徒。暴力的な行為はないものの、言葉によるいじめだという。日常的ないじめのグループは顔も知られているし、親も分かっている。この親たちを表に出して来なければこれからもいじめはなくならない。先に自殺した子の事件の後、この親たちが子どもをどう諭したか、何を言い、何を教えたか。それを追求して行くのがメディアの仕事だろう。過去に幾つ事件があったかなど、調べても何の役にもたたない。新聞社が被害者の子の親と一緒になって教師や校長を吊るし上げる前に、しなければならないことが分かっていない。

学校も実際にいじめた7人とも言われている生徒たちに登校禁止、自宅待機、乃至は退学(義務教育の場合は不可能なのか)だって考えるべきだ。強制的にでも親と子でじっくり話し合う時間を与えて納得のいくまで会話させるべきだ。世の中もいじめられる側に同情するだけではなく、いじめる子の親を明るみに出させるように働きかけることが大事なことだ。問題はいじめる側にあることを解らせることが必要だ。その根源にはいじめる子の親が、育児の責任を放棄している現実があることをもっとマスコミは強く主張していくべきだろう。

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