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2006年11月21日 (火)

いじめは ひきょうだ

毎日新聞(11/18)
文科相がアピール文を配信している。「文部科学大臣からのお願い」と題する2通のアピール文だ。この問題に関する文科相のアピール文は、96年以来10年振りという。
 子どもたちには「いじめられていることを話すゆうきをもとう。きっとみんなが助けてくれる」
 保護者らには「毎日少しでも言葉をかけ、子どもとの対話をして下さい」
と訴えるもの、である。

 文部科学大臣からのお願い
 未来のある君たちへ
 弱いたちばの友だちや同級生をいじめるのは、はずかしいこと。
 仲間といっしょに友だちをいじめるのは、ひきょうなこと。
と始まる文章になっている。 
 君たちもいじめられるたちばになることもあるんだよ。後になって、なぜあんなはずかしいことをしたのだろう、ばかだったなあと思うより、今、やっているじめをすぐにやめよう。
 いじめられて苦しんでいる君は、けっして一人ぼっちじゃないんだよ。
 お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、きょうだい、学校の先生、学校や近所の友達、だれにでもいいから、はずかしがらず、一人でくるしまず、いじめられていることを話すゆうきをもとう。話せば楽になるからね。きっとみんなが助けてくれる。
 平成十八(2006)年十一月十七日
      文部科学大臣 伊吹文明

何と空虚で白々しいアピールだろう。みんなだれにも話すことができないから自殺の道をえらぶことになったのだ。お父さん、お母さん、このようなほとんど死語になった言葉では利き目はない。今はみな甘え、甘やかすパパにママだ。特に女の子は中学生になってもパパ、ママだ。親は子どもの話は通り一遍で聞き流し、鸚鵡返しのように教師に、校長に、学校に、教育委員会に持ちも込んで責任転嫁だ。私たちは忙しいの、こんなことは先生の、或いは学校の責任でしょ、何とかしなさいよ、で終わる。幼い子どもたちの自殺が続いてメディアも連日紙面上で、賢(さか)しら顔の名のある人たちが、死ぬな、死ぬなのメッセージを発信している。いくら書いても小学生や中学生が読むわけもない。親が読み聞かせなければ子どもには届かない。そんな親はいまい。メッセージの半分の気持ちも届いてはいないだろう。いじめはひきょうだ、いけないことだと言ってみたところで、そんなことは承知でやっているのがいじめだ。いけない事と言われながら大人の飲酒運転がなくならない現実を、子どもたちはしっかり見ている。親はどんなこと、そう、どんなことをしてでもいじめをする子から、わが子を守らなければ他人が守ってくれるわけではない。

別の記事がある。『記者の目』を書いた女性記者(岐阜支局・中村かさね)
岐阜県瑞浪市の私立瑞浪中学2年の少女が、部活仲間4人を名指しして「これで、お荷物が減るからね」と記した遺書を残し自殺してから、間もなく1ヶ月になる。この事件のそれからを纏めた記事だ。
(省略)再び訪れた瑞浪市で、少女の父親にも会った。「娘は学校に殺された」と語気強く訴えていた父親は、一転して自分を責めていた、と言う。「わたしが子育ての場所に瑞浪市を選ばなければ。私立中学を受験させていれば」。父親は泣きながら悔やみ続けた。《それはちょっと違う気がする。私立中学ならいじめはない、と保証されるのか。どこへ行っても学校である限りいじめから逃げることはできない。男女、子どもたちを集めて好き勝手に喋らせた番組では、別室でその様子を観察する母親たちに寒気を催させるようないじめはあって当然の、凄まじい会話が飛び交った。「臭いやつは臭いのだ」などなど、と》

一方、校長は取材中、「今はもう前を向いて進んでいるんです。過去をほじくり返さないでください」と何度も懇願した、と言う。遺書で名指しされた同級生の保護者の一人も「娘も報道によるいじめの被害者。『いつかは思い出になるから今は我慢しようね』と娘を慰めています」と言ったそうな。

記者のまとめは「あなたをとても大事に思っている」というメッセージを直接伝え続けなければならない、としあ上で、一番苦しむのは、あなたを苦しめた人々ではなく、あなたが生きていることを何よりの喜びとしているあなたの両親や友人だ。「死んだ方がまし」「生きることに疲れた」と感じているのなら、周りの誰かにその気持ちを話してほしい。自殺以外の解決方法なら不登校でも転校でも構わない。一番大切なのは、あなたが今日も生きているということだから、と問責よりも大事なのは救う方法だと結んでいる。

校長や、遺書で名指しされた同級生の親の考えは一体何だろう。校長は「死んだ子は何を言っても生き返らないんだから、もう済んだことだ、ほじくり返すな」といい、いじめた側の親は「娘は報道によるいじめを受けている」という。盗人(ぬすっと)たけだけしいすり替えの被害者意識。今は我慢して頭の上を通り過ぎるのを待っていれば、人の噂も七十五日だ、その後は笑い話にでもしようよ、と慰めている、と言う。マスコミが問うているのは子どもじゃない。弱い者をいじめうような子に育てた己がその責任を問われていることに気がつかない。こんな親に慰められれば、いずれ又、ほとぼりの冷めた頃になって、きっと繰り返す。学校も親もどちらも反省もなければ真剣にいじめを考えようともしていない。

時が解決することだってあるだろうが、子を失った親も、死ぬほどに思いつめた苦しみを、打ち明けてもらえず、頼りにされなかった我が身を責めることだ。


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