硫黄島
今朝のテレビでチャンネルは昨夜のままで写し出された画面。ハリウッドスターとして紹介されたのは日本人俳優・渡辺謙。たまたま来月公開されるクリントイーストウッド監督による映画「硫黄島」の舞台挨拶のために、戻って来てのインタビューであった。
彼は、撮影に当ってのエピソードを交えながら、第2次世界大戦で、日本の最後の砦とも言うべき要衝の地にあった硫黄島を語った。アメリカ軍にあっては日本本土全域を爆撃するためのB29爆撃機の燃料補給の地、日本にとってはそれをさせてはならず絶対死守せねばならない島であった。敗戦で戦争が集結するまで、あと五ヶ月の時だ。そこでの日米の軍隊の間で行われたのが硫黄島の戦いだった。3月、硫黄島で敗れた日本の軍隊は、アメリカ軍の進攻を防ぎようもなく、民間人を巻き込んだ沖縄戦へと突入して行く。そして、8月の原爆投下による敗戦となる。
驚くことを耳にした。渡辺謙、彼の年齢でこの硫黄島のことを“知らなかった”と発言したのだ。周りにいた戦後生まれの番組常連の一員もまた同じだった。心の底から寒々とした心境になった。国会では教育基本法をいじって「愛国心」を植え付け、またもや日本に外地でも戦える軍隊を持つ方向へと舵を切ろうとしているのだ。敗戦から60年以上もの間、教育は現代史、戦争の歴史については何も教えて来なかったのだ。
未履修問題に触れて書いた際、歴史の必要性を強く論じた。年表を丸暗記するだけで通り過ぎる歴史の学び方で、流行語のようにまでなったグローバル化が実現できると本気で考えているのだろうか。事件は何故起り、後の人はそこから何を学び、次の世代には何をどのように引き継いで来たのか。従来の日本の教育は、本来学ばねばならない日本の歴史を軽んじ、明治維新の時代から何も進歩しないで、世界史と呼ぶ西洋を中心とした歴史を吸収することに汲々としてきたとしか思えない。自国の足元も見ず、日本の近・現代の歴史でも最も重要な戦争・敗戦の身近に起った戦争という現実には目を背け、反省もないから教え、伝えられない。歴史からは何一つ学んでいない。
今現在、硫黄島には自衛隊基地があり、日本本土ではできない軍事利用が可能な島として、また、近海ではアメリカ海軍の空母艦載機の夜間離発着訓練も行われいる。折角自衛隊が駐屯しているのだ。60年以上も放置されたままの日本軍人の遺骸の回収ぐらいしたらどうだ。無駄に国費を食いつぶしているくらいなら、せめて腐り果てて眠る10000人を越える亡骸の回収ぐらいしてもいいのではないか。君たちの先輩たちは、島に派遣された時点で、生きて会えない覚悟で親、兄妹、恋人や故郷から離れ、日本という国を護るために命を捧げたのだ。そして、死んでもなお親にも兄妹にも恋人にも会えないまま、多くは土の下で、地下壕で、白骨となって帰還する日を待っているのだ。
47歳の渡辺謙ですら知らなかった硫黄島の激戦。敗戦の14年後に生まれた彼は、その後の教育では学校で何も教えられなかったようだ。日本は敗戦後、原子爆弾が投下された被爆国としては、世界にその惨(むご)たらしさを発信して来たが、被害者意識だけがクローズアップされて来た。何故原爆が投下されるに至ったのか、それが世にも恐ろしい原子爆弾であることが、明るみに出るまでは、日本全土に降るB29からの爆弾の雨、それよりも何十倍も多い焼夷弾の火の中を逃げ惑っていた国民は、敗戦であるにしろ、逃げなくてもよくなった、死なずにすむ安堵感に、胸をなで下ろして戦争が終わったことを喜んだ。
それからしばらくしてからだ。広島や長崎の実態が日本の国民にも明らかになって行った。階段に腰掛けて、そこにいたはずの人間の姿は石に焼け焦げた痕を残して溶けて消えていた。生きて残った人の身体の皮膚は剥けて、ぼろがぶら下がったように垂れ、肉は溶けていた。日本の戦略の中で原爆が投下されずにすんだであろう判断に、戦争指導者の無謀が存在した事実の責任を問う人はいなかった。戦勝国アメリカの、戦争を早期に終結させるためにはそれが(投下)最善であった、とする考え方を批判するのもいいが、それならば、日本が敗戦国になった戦争責任の追求を、ようしなかったその後の日本の為政者たちもまた、批判されなければならない対象であるはずだ。
“もったいない”にしろ、今回の「硫黄島」にしろ、逆に外国人から教えられることになったが、日本文化に日本歴史、日本人自身が自国の文化や歴史を学び直す必要がありそうだ。今回の一俳優の一言に、日本の教育の空洞化が恐ろしく、その再生を願うばかりだ。
参照「1945(昭和20)年 8月」05/08/16
参照「遺骨収集事業」05/12/25
参照「南方戦没者遺骨収集」05/12/12
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コメント
トラックバックさせていただきました。トラックバックは初めてなのですが・・・私も渡辺謙さんと同じ世代です。ただ、今の勉強にとても疑問を感じながら過ごしてきました。戦後60年が過ぎ、私たちはもっと戦時中の本当の姿を知らされなければいけないと思います。
モニュメント化された原爆投下被爆国のみでなく、引き上げの実態、優秀な人が死にいく姿。
私の想像ですが、生き残った人たちが何かを引きずるかのように、敗戦により荒れた国を立て直してくれたのだと思います。
戦争時に生き残った人たちが見て、経験した事を私たちの世代は知らされていないのです。ただ、物に満たされた生活を送っているだけです。
コメントも初めてです。長い文章ですみません。読んでくださり、ありがとうございました。
投稿: minmi33 | 2006年11月19日 (日) 15時41分
「なぜ勉強するの?」にコメントをいただき、ありがとうございます。
「世相」のブログを読ませていただきました。
勉強不足のまま、ブログを発信している事に恥ずかしさを覚えます。
教育勅語が 『この言葉の後に続く文章に「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」とあり、これらすべてはいざという時には万世一系の天皇のために命を投げ出すことを遵守するための教育であった』(『世相』ブログから、引用させていただきました) この事が、これから絶対にあってはならないことですね。
ただ、『「世相」の小言こうべい』さん達の世代の人たちは、この部分を除いては、道徳心を教育されてきているのだと思います。戦後の世代に一番欠けている部分です。
これからも、勉強していくつもりです。
良い言葉をかけてくださり、ありがとうございました。
投稿: minmi33 | 2006年11月19日 (日) 23時28分