センター試験「全教科義務化」
毎日新聞(11/9)から
8日、伊吹文明文部科学相は、高校の履修単位不足問題に関する大学入試センターについて「高校の必修課目すべてで一定以上の点数があるかどうか確認するために使うべきだ」と述べ、6教科すべての受験義務化を検討するように指示した。
衆議院の文部科学委員会で、自民党の馳浩国対副委員長の質問に答えたものである。
伊吹氏は「センター試験で、世界史と日本史が同時間に行われている」と指摘し、試験教科の設定が高校生の「日本史離れ」を招いているとの見方を示した。さらに「高校は予備校ではない。(習熟度の判断を)校長の認定する卒業証書だけに任せておくのは考えなければならない」と強調した。
6教科(国語、地理歴史、公民、数学、理科、外国語)は、いずれも学習指導要領で高校の必修科目だが、センター試験で受験生にどの教科の受験を課すかは、各大学や学部の判断に任されているのが実態だ。
来年1月に実施される07年度試験は、4年制大学で全国公立大157校と私大の8割に当る450校が利用。6教科すべてを課しているのは83校にとどまる。文科相の考えとは逆に、私立大は受験課目を絞り込む傾向にあり、実施するには大きな混乱が予想される。
伊吹氏は、センター試験を事実上の卒業認定試験として機能させる構想も打ち出し、省内に検討を指示したことも明らかにした。氏の発言の背景には、高校の必修10教科*と試験教科とのずれがある。履修不足を受け、一部には学習指導要領で義務付ける必修科目を減らすべきだとの意見もあるが、氏は「本末転倒」と一蹴する。むしろ、履修漏れを防ぐ方向性を鮮明にした形だ。全国一律の卒業認定試験は、フランスやドイツで実施されている。
*学習指導要領に定められている高校生の必修科目は
国語、地理歴史、公民、数学、理科、外国語、家庭、情報、保健体育、芸術の10教科。
この中から、センター試験で出題されるのは、国語から外国語の6教科だ。受験生は、受験する大学の指定した教科科目を選択し、受験することになる。最近の傾向として国立大は試験科目を増やし、6教科全部を課す国立大学は06年度62(総数87、文部科学省平成18年4月1日付)大学もあり、国立大に関して言えば、伊吹氏の発言は、ほぼ実現されていると見てもよさそうだ。
一方、私立大学は科目を減らす傾向で、1科目、2科目に絞る大学もある。少子化と大学全入時代を控え、学生の入り易さを重視してのことという。少ない学生を、大学間、大学と専門学校の間で奪い合う時代に、「教科を増やせ」と指示しても、私大側が容易に従うとは言えないのが実情のようだ。因に07年度の状況では、大学側の募集人員よりも受験生の数が下回り、いよいよバカでも大学生になれる時代に突入するようだ。
これまでに何度も何度も書いて来たが、日本は大学が多過ぎる。現在の団塊の世代に合わせて準備してきた得体の知れない名ばかりの大学も含めて、半分は淘汰して行かねばならないのが実態であるはずが、受験生の激減に合わせてレベルを下げられるだけ落とし、人数だけを確保してなんとか経営を続けようともがいているのが現在の実態だ。その中から受験科目を減らし、学費を修めてくれる頭数をなんとしても確保しようとする姑息な手段が生まれた。
タレントにも東大、京大、横浜大、外語大出が生まれ、何人も頻繁に顔を出すようになった。総じて学問は出来たのだろうが決して利口とは呼べない人間の多いのに驚く。頭が良い、ともてはやされて成長した人種なのだろうけれど、大勢の高校出のタレントと大した差がない。得意分野でこそ突出するが、一般常識や知識のことになると普通に競えるタレントは山といる。
来年度から小学校でグローバル化の旗を掲げた英語学習が実施されるが、英語だけが外国語ではないし、よしんば習うとしても、外国語による世界史を学ぶための基礎づくりならよい、或いは日本史の基礎づくりなら。どんな立派な大学を出ても、税金を無駄に使うために役人になるための高学歴では、国にとっては害になるだけだ。
国公私立を問わず、全教科義務化は絶対に必要だ。事変や事件、時代を幾ら語呂合わせで覚えても意味はない。それらが歴史の中でどのように位置付けられ、評価され近・現代に続いているか、世界の中で日本が外国とどのように係わって来たか、この先どのように係わるべきかなど、グローバル化とは人との係わり、世界との係わりなど幅広く考えられる人間であることだと思う。単純に英語をしゃべることができればそれを国際人と呼ぶのではない。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント