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2006年11月22日 (水)

淘汰が始まる

慶応義塾(安西祐一郎塾長、東京都港区)と共立薬科大(橋本嘉幸理事長、同)は20日、両大学が合併協議に入ることを発表した。早ければ08年4月にも、慶応大が共立薬科大を吸収合併する見通しとなった。合併の申し入れは、共立薬科大側が今月6日に正式に行った。これを受けて、慶応大側は20日、評議委員会を開き
 1. 法人の合併を前提に協議に入る
 2. 07年3月をめどに合併協定書を締結する
 3. 08年4月1日をめどに慶応大に薬学部と大学院薬学研究科を設置する
の、3点を決定した。

「少子化」という言葉は使われ始めてからもう黴が生えるほど時間は経過している。何事によらずその時が来ないと対応しないのは日本人の特徴かも知れない。団塊の問題もそうだ。目の前にそれが来るまで対応しないで、慌てはじめる。それに反して企業は人員削減に、正社員減らしには素早い対応を見せる。同じことが大学にも言える。こうなることはもっと早くから予測はできた。出生率の低下と多過ぎる大学のバランスの崩れは、来るに決まていた。

膨らんだ世代の通り過ぎた後は、出生率の低下とともに、学級余りを生み、閉校しなければならない学校が増え続けた。大きな世代の塊は小学校から中・高、大学へと移ることは当然の流れであった。少子化の波は、増やし過ぎた大学の容れ物を満たすには数が足りない現象を惹き起した。大学の経営も一般の企業と同じことだろう。必要な額の集まらなくなった大学は、経営難ということで何等かの施策が求められる。その時期の見極めができる人材がいなかった。いわゆる5年15年の中長期計画をたてることのできる人材が不足していた。

暴言といわれかも知れないが、現在の大学の50パーセントはいらない。淘汰の時代は疾うに来ていた。それでも戦前の大学の何十倍も多い。昔の「最高学府」と尊敬された大学は、現在では、その名に相応しい大学はなくなり、甚だしくは遊興の場と化した観さえあるのが実情だ。高校をほどほどに学べば誰でも大学の門を潜ることが可能になり、それも適度の学力を修得することで足りる。現在の教育の結果は、幅広い知識が必要な一般教養に欠けた専門バカのような人間を育てることで足れりとしているようにさえ思える。これでグローバルな人材を創るなど、ほんとうに噴飯(ふんぱん)ものだ。それでも経営に必要な頭数には足りなくなった。先ずは大学の数を減らすこと以外に手段はない。

1990年代の大学教育の規制緩和のお陰で、大学の数は一気に膨らみ、程度の低いものでも簡単に大学生になれる道が開けた。ベビーブームから即席で生まれた大学の上に、更に高校の科目選択制による学力低下した小中学生程度の学生を吸収する低レベルの大学が増え続けた。

文部科学省が真剣に将来の勉学に励む若者たちのことを考えるなら、現在の学校余りの現象から絞り込んでいく大学の、再構築に取り組むための基本的な指針を示すことも必要になるはずだ。

参照「多すぎる大学」06/06/06
参照「続 多すぎる大学」06/07/25

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