« 2006年10月 | トップページ | 2006年12月 »

2006年11月30日 (木)

企業内保育所

これも毎日新聞(11/27)から
何度か紹介して来た“上田理恵子(「マザーネット」社長)が担当するサポートします”コラムで触れている。会社内に保育室を置く企業が少しずつ増えている、と。

通勤に便利なだけで小荷物同然に扱われている一時預かり所のような託児所の育児方法に、家族破壊の根源を指摘し、ブログ開設以来、早くから問題提起して来た。遡れば香港から日本の歌謡界に登場し、「ひんなげしの はながー」と特徴的だった大きな犬歯を見せて可愛く歌ったアグネス・チャンが、その後大人になり、結婚、出産して子育てを始めた頃、実らずじまいではあったが話題を撒いた論争があった。ことはアグネスが乳飲み子を抱えてテレビ出演したことから始まった。(1988年2月9日)

最初に噛みついたのが時の歌謡界の大御所、淡谷のり子であった。これを切っ掛けにした所謂『アグネス論争』なるものだ。この問題は当時のページを参照していただければよいが、今回は、今年4月に「元気の木保育室」を併設(開設)した総菜製造・販売の「ロック・フィールド」(本社・神戸市)の話である。

安藤忠雄氏の設計による保育室は本社屋に隣接しており、1階ロビーからも保育室が見えるので、就職活動中の学生の間で評判になり、社員採用でも効果が出ているようだという。定員は30人で、現在は本社や工場勤務の社員の子どもたちが11人通っているそうだ。

企業内保育の利点として幾つか出ているが、18年前に起こった論争のようなものは見当たらない。企業内であろうと、育児は、だからこそ一層女性に押し付けられる、といような懸念を伺わせたが、時が、時期尚早であったのだろうか、それとも男には言っても結局は同じこと、ならいっそのこと企業内でも育児ができれば、まっいいか、となったのだろうか。
 1. 急な子どもの発熱にも社内電話で連絡ができる
 2. 昼休みに駆けつけることも可能
 3. 朝も従業員用送迎バスで子どもと一緒に出勤が可能
    そのバスの中では会話も弾む
などの項目が並ぶ。雨の日には子どもたちがオフィスの中を散歩ができるよう配慮されているらしい。

企業内保育室の開設と維持には、かなりの費用がかかるため、企業にとっては勇気がいるでしょう。中小企業を支援するため、企業内保育所の設置費用を低利で貸し出す融資制度創設の動きも出ているようです。と紹介しておいて、私の会社でも、と持ってくる、抜け目ないな。

マザーネットのような中小企業が、優秀な女性社員を確保するには、小さな子どもがいる社員でも働きやすくすることが不可欠だ。このためパート社員には、子連れ出勤ができるようにしたり、子供の昼寝用の部屋も設けましとさ。自分の会社で働くママ社員のニーズをしっかり把握し、どうすれば彼女たちがいきいきと働けるかを考え抜き、企業としてどんな支援をするかを決定して欲しいと思います、と結んでいる。

上の3つばかり上げられている中でも、時に起る発熱や怪我などよりも、毎日の母親(ロックフィールドの場合)と乗るバスの中で交わす会話の大事さは、他の利点と言われるものの何十倍も大きい。或いは会話を交わすことのできない乳幼児なら尚更だ。揺れる乗り物の中で、しっかりと抱きしめ、お互いの顔を見つめあい、心通わすことのできる至福の時が持てるのだ。一時預かり所に急いで放り込んで、そそくさと職場に向かっては、愛情の交換さえままならない。何度も書いてもきたから、これ以上繰り返すことをしないが、家にいる時間だけ猫可愛がりしていては、情緒不安定な子になっても仕方ないことだ。

身近において、しっかりと母乳を与えられる母は、こぼれる程の惜しみない愛情を注いでやって欲しいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (4)

2006年11月29日 (水)

好き嫌い

11/28新聞紙上の広告、週間朝日の目次から
プロ野球巨人入団が決まっている元日本ハムの小笠原道大について、渡辺会長が激白して「ヒゲだけは認めんぞ!」と宣って序でに付け加えて曰く「ピアスよりはいいけどな」だって。

物言う度に物議をかもすおっさんだ。じいさんかな。
しかし、言うことはそれ相応に納得する部分もある。彼の生まれ(1926:大正15年、昭和元年は12/25〜31日までの1週間だけ)から言っても私の昭和一桁とそう変わらない。戦前の教育で育った男だ。彼の生まれた当時も大人の男たちはヒゲをたくわえる流行に染まっていた。現在との違いは、カイゼル髯、コールマン髯、などの整えられた鼻の下に見えるそれで、そうでなければ顎に長々と貯えていた。古い明治の人たちの写真に見る例のやつだ。頬は清潔に剃り上げ、無精髭は男のたしなみとして見せなかった。

現在のプロ野球選手に流行の汚らしい無精髭、はしりが小笠原であり、渡米前のイチローだ。以来日本のプロ野球中継は、見苦しい面(つら)のオンパレードになった。小笠原の言でも分かるとおり、文字どおりのぶしょう者、剃るのが面倒、ということだ。汚らしいのはその所為だ。かれほどテレビに映って汚らしい顔はない。(彼の獲得のためには渡辺おっさんもどうやらそのままを認めるらしいが)

私流の心配を
ずっと以前、セシル・B・デミル監督のアメリカ映画「サムソンとデリラ」を観た。
時は紀元前11世紀のころ、所はパレスチナのガザ周辺。当時のヘブライ人はペリシテ人の支配下にあった。そんな時代のヘブライ人の英雄がサムソンだ。
子どもの授からない家に神のお告げで男の子が生まれる。サムソンだ。成長してペリシテ人の恋人ができる。彼女への求婚に姉が嫉妬する。妹との結婚式の席で姉デリラはサムソンを侮辱する。怒ったサムソンは大暴れして混乱のさ中に花嫁と花嫁の父を失う。後に大守の后となっていた姉は、大守をそそのかしてサムソンを捕らえさせるがまたもや大暴れして逃げる。追い掛けるデリラはサムソンに毒酒を飲ませ、サムソンの怪力の源泉となっている髪の毛を切ってしまう。力を失ったサムソンは捕らえられて目玉をくり抜かれてしまう。捕らえられ、柱に結わえ付けられているサムソンに神が・・・

そう、小笠原の汚らしい顔面が、サムソンの力の源泉のように、おっさんから嫌われて綺麗さっぱりになった途端に、平凡な只の野球好きの男になるのじゃないか、と心配したのだ。どうやらその後の報道によるとおっさんの方が、泣く泣く来期の成績を考えた結果、目をつぶることにしたようだ。おっさんが我慢してまで獲得した結果が、情けない成績に終わらないことを待ってみようか。

蛇足だが、おっさんの嫌ったピアス、女々しいあれには私も反吐がでた。巨人を出たその後の動きも、男らしい結論を出すかと思いきや、またまた女々しい限りだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月28日 (火)

そんなこと 出来るの?

毎日新聞(11/27)から
政府の教育再生会議(野依良治座長)が来年1月にまとめる中間報告の原案が27日、明らかになった。教員の指導力を適切に把握するため、保護者も評価に加わり、指導力不足の教員の研修や配置換えを徹底すること柱になっているようだ。それに教育委員会の見直しに、外部評価の検討も盛り込まれることになるようだ。29日に開く再生会議の第3回全体会合に提示される。

教員評価に関し、政府の規制改革・民間解放推進会議は昨年12月の答申で「児童・生徒・保護者による教員評価」の導入を提唱。学校運営協議会制度でも教員の任用に保護者の意見を反映させる制度が実施されている。再生会議はこうした枠組みを念頭に、指導力を多角的に把握しつつ、保護者の学校運営への参画を促していく。さらに、来年度導入される教員免許更新制度の厳格な運用を求めて行くとしている。

「無責任体質」などの批判がある教育委員会制度を巡っては、自治体の首長の下に監査組織を設けるなど、学校現場の問題への対応力を外部から評価する制度の導入を提言する。来年4月に全国的な学力テストが実施されるのを受け、学力の低い学校への支援も盛り込む考えだ。

また、11月27日付、読売新聞でも
上の提案の概要は、教育再生会議の野依座長や池田守男座長代理、義家弘介担当室長らが21日に開いた運営委員会でまとめ、文部科学省側にも伝えている。伊吹文部科学相は26日のNHK番組で「教師を信頼し、任せる代わりに教師の資質がしっかりしている裏付けが必要だ」と強調した。

同会議は教員の質向上に向け、「ダメ教員の追放と優秀な教員の処遇改善」が不可欠だとしている。素案では、教員の質を精査し、能力に応じた処遇を求める方針を明記する。具体的には、保護者や生徒による教員評価の仕組みを設けるほか、不適格な教員の排除を視野に、教員免許更新制の実効性ある運用を求める。指導力不足教員の研修が成果を上げているかどうか検証する案も出ているという。

教育委員会の見直し策としては、自治体による教育委員会を監査する機関の設置、小規模教委の統合や、広域化する考えなども盛り込む方針のようだ。

学力向上策の中核となるのは「ゆとり教育」からの脱却とし、来年の学力テストの結果を踏まえ、学力水準が著しく低い学校への早急な対策を打出していく。

2紙とも大上段に構え、“指導力不足教員”だの“ダメ教員”だの好き勝手な言葉で表現しているが、記事を書いた彼らは実際にその教員の教育現場を視察したことがあるのだろうか。それともダメとダメでない基準をどう明確に捉えて判断しているのだろうか。少なくとも現在、教員のダメ、ダメでない基準は、表に出て来ている限り、いじめがある、或いは頻発する学級かそうでないか、ぐらいの基準だろう。(この際変態教師は問題外だ)考えられるのは、子どもに受けがいいか、悪いかだけの問題に集約される範囲だろう。それ以外はすべて親のエゴであり子のエゴだ。

親が叱れないから代わりに教師が叱る。親神様が即座に駆け込み、電話が鳴り、教師が吊るし上げにあう。無理無体であっても校長ともども平謝りでこうべを垂れる。こんな親に評価されることになる教師という職業、なんと哀れなことか。碌な躾けもしていないから、学ぶための教室をぶらぶらと歩き回る、おしゃべりはやめない、騒ぎ回る、勝手に教室を出入りする、上げれば限りなくありそうだ。これみな親の育児責任の放棄から来ている。先生の責任など0%だ。大声で怒鳴りつける、コツンとやる他に手段はない筈だ。(昔なら即座にビンタが飛んでくる、廊下に立たされる、度重なるとバケツに水を張ったやつをぶら下げることになる。いまやっても決して悪いとは思わないのにしない)早速ダメ教師のレッテルが貼られる。

ダメ教師も指導力不足教師もメディアによる差別であり、いじめでしかない。第一、教育再生会議の面々は、こんな親に公平な教員評価ができると考えているのだろうか。親の無理無体は、枚挙に暇(いとま)がない程の情報が揃っている。従来とかく親の側から口にしていた教師の子どもへの依怙贔屓は、今度は教師への好意や反感が伴った親の評価となって表れる。どう考えてもまっとうな評価は難しい。それに言葉は悪いが、報道で知る限りにおいて害こそあれ、クソの役にも立っていない教育委員会などない方がいい。

ダメ教師のレッテルを貼られて配置換えや研修に出される教師の将来性は全くなくなる。1度網の目から外された人間の戻れる場は極めて少なく狭い。はやりの言葉で言うトラウマとなり、一生を台無しにすることだって起こりうるだろう。私は親がまともな保護者になれるまでは(恐らく見通しは100年も200年も先かも知れない)教師の評価などさせない方が良い、と考える。なぜなら、今そのようなことを親にさせれば、学校は、教育界は、もっと荒んだものになることがはっきりしているからだ。

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2006年11月27日 (月)

「なれ合い型」学級と いじめ

毎日新聞(11/24)から
記事を読むと「なれ合い型」とは頼りない教師の生徒へのスリ寄りのような表現になっているが、これは結果であって、そうせざるを得ない保護者との力関係があるように思える。現在では保護者は神様のような存在で、生徒たちは神様の子どもたちなのだ。今は亡き演歌の大御所が唱え始めた「お客さまは神様です」が一般に使われるようになり、意味が取り違えられて、客の我が侭が何を、どんな無理でも、口に出せば通る世の中になってしまった。

そもそも三波晴夫の神様はチケットを買ってくれて会場を埋めてくれる客ではなく、彼自身が信ずる神様のことで、その神様への奉納の心を持って誠実に客のために歌うことだった。その結果が思い掛けない力となって歌うことができた。だから「お客さまは神様です」となったのだ。それが何時か解釈が取り違えられて、金を払えば無理が通ることの同義語のように使われ、「金を払っているのだから、“給食にいただきますは、おかしい、必要ない”、或いは“義務教育なんだから、給食費を払う必要はない”と言って滞納(不払い)する。その金は数万円の携帯の電話料金に、或いは高級外車のローンに、というようなバカが生まれる世の中になった。この金額全国で1年間に8億3千万食分に当る(産経新聞調べ)としている。当然滞納の家庭の子も給食を口にする、予算は集まった額だけで賄うため、少なくなるから献立はどんどん貧しくなる。

ところによっては献立が貧しくなるのを心配して、滞納3年分を校長が支払った学校まである。給食だけではない。朝起きられない子の遅刻を予防するため、親神様は先生に子どもの神様を起すために電話するよう要求し、始めは受けていたが、面倒になって遂には先生の方から自宅までお伺いすることまで奉仕させられる。これが今の保護者の現実だ。勿論すべての保護者がそうでないことは分かるが、悪貨が良貨を駆逐するように、毒気の強いこの手の保護者が教室を、PTAを牛耳るのを見て、流れて行くのが現状の学校、校長、保護者、教育委員会との間のなれ合いの関係の図式になっているのではないか。

メディアは‘我らこそ正義’づらして学校や教師を槍玉に上げれば(マスコミの学校、教員へのいじめだ)世論の合意が得られる、とばかりに、本来最も取り上げなければならないいじめる側の子を育て、世間に送りだす親の問題に目を瞑ったままだ。教室内でのなれ合いは、ずっと以前に始まる。敗戦でアメリカから授かった民主主義、何が民主主義か分からないまま、平等だ、公平だ、などと手探りで歩み出し、元々は基本の違う文化の上面だけを真似ようとしたのがいけなかったのだ。目の前にいる相手に“YOU”で通じる文化と、状況によって千変万化する“あなた、や 君”を持つ文化の違いを見誤ったことから始まっている。当然のように年長者に対する礼、長上に対する礼、知者に対する尊敬、などは有名無実に等しいものになって行った。家庭において大黒柱がいなくなり、女性の権利が叫ばれ、家庭内での主婦の力が大きくなってくる。男社会であった労働の場にも女性の進出が始まる。

それは教育の場にも持ち込まれ、聖職と尊敬された教職はまっ先に尊敬の対象から脱落し、外からの尊敬を失った教職は、自らが内部崩壊を加速させて行くことになった。そこに家庭内教育も躾もされず、ただ産み落とされただけの子どもたちが加わってくる。教師に対する言葉から尊敬が失われ、態度は友達との交友のレベルに落ちて行く。若い大学を出たばかりの教師たちは、こういった小・中学で学んだ世代だ。当初からなれ合いには馴れている。しかし、その間に一層子どもを甘やかす施策は進み、親の無責任な躾や教育の放棄は学級崩壊の根を広げて行った。些細な訓戒も体罰沙汰として攻撃の対象とされ、ジェンダーなる訳の分からない言葉で子どもたちの情操教育の芽を摘む結果となる。

人間に順番をつけることを否定した考えは、些末な運動会の1等2等までもを廃止したが、現実の社会は人間性を無視した競争原理を生み、勝ち組負け組をつくり出し、教育の嘘を暴き出している。

今回発表された河村茂雄・都留分科大教授(心理学)の調査で「なれ合い型」の学級でいじめが生まれ易いことが分かったとしているが、教師の教え子への接し方には、彼の分類によると、
 1. 有無を言わせず従わせる指導タイプ  (管理型)
 2. 子どもの言い分を尊重する援助タイプ (なれ合い型)とし、
子ども満足度の高い学級の教師は状況に応じて両方を使い分けている、としている。

なれ合い型では、当初は教師と子どが良好な関係を保つかに見えるが、最低限のルールを示さないため学級はまとまりを欠き、子ども同士の関係は不安定で喧嘩やいじめが生じ易い。教師の「・・してよ」という友達口調の指示を誰も聞かなくなり、放置すれば学級が崩壊するという。

昔は‘おい’‘こら’で始まった警察官でさえ、今は暴走族や酔っ払い運転の取り調べにさえ‘して下さい’‘・・なさい’の世の中だ。教師の言葉をいちいち論(あげつら)っていては話にならない。教師のしゃべり方次第では保護者の苦情の種になることは間違いない。教師の言葉尻の問題ではなかろう。親や世間、マスコミからの激しいバッシングで教師は潰され、親も子どもの前で教師を貶める言動を平気で面に表わす。馴れ馴れしく接するのは教師からではない。先生を先生と思わない保護者、子どもこそなれ合いを作り上げているのだ。

運動や勉強が得意、喧嘩が強いなどで教師が学級をまとめるのに便利な場合もあるが、その子どものグループが特定の子どもをいじめの標的にしたり、もっと広く学級全体が同調した場合は、教師が止めるのはもう困難で、いじめの助長や加担の恐れもあるという。

河村教授は「なれ合いを、どう回避し、いじめを生まない学級を作るか、教師が議論することが大切」と話している、と結ぶ。

旧来なら頬を張り飛ばして一件落着のような教師への暴言「バカ」や「死ね」に教師はどう答えたらいいのか。不馴れな教師は怒りを抑え、不安を抱えながらうわべでニコニコして見せる。これがなれ合いと表現される。私の子どもの頃は、長上に対して上のような言葉を吐こうものなら、頬つねられるか、張り飛ばされた。先生からではない、親の手で。それほど家庭の子どもへの躾や教育がしっかりとなされていた。教えを乞う人への最低限の礼儀だからだ。いじめを作っているのは子どもの育成を放棄している親たちの責任で、教授の言うような教師があれこれ議論して結論の出る問題じゃない。特にいじめる子の親との徹底的な話し合いの方が先決の問題だ。親は誰も自分の子がいじめる側にいることを信じたくないのだ。「うちの子に限って」は親の教育が出来ていない親ほど思い込みが激しく、常套句のように口にする。

河村教授の調査も、その対象を数だけは多い5万人の生徒の「QUテスト」(生徒にアンケートを取って集計すると学級のことが良く分かるという)と称する心理テストらしいが、パターンを単純な2種類に分類し、データを弄ぶだけの作業で何が理解できるというのか。
 これでは『労多くして益なし』の何ものでもない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年11月26日 (日)

奥さん殺してまで・・・

福島の酔っ払いの話、昨日の新聞記事から。
この阿呆、帰宅するまでにも散々飲んでいた上に、再び車で外出しようとして、奥さんの制止を聞かず、30〜40メートル引きずり、「何かにぶつかったとは思ったが、・・・」とそのまま100メートルほども走ってから戻ってきたようだ。

福島県鏡石町の町道で23日の夜、近くの自営業滝口陽子さん(43)が車に轢かれて死亡しているのが発見され、翌日夫の同県鏡石町成田、精密機械加工業、滝口重容疑者(45)を業務上過失致死と道交法違反(轢逃げ)の疑いで逮捕した。

調べでは、滝口容疑者は23日午後2時ごろから温泉旅館や知人宅で飲酒後、夕方にはタクシーで一旦帰宅した。その後、飲み直そうと車で外出するのを制止しようとした陽子さんを跳ねたと見られている。陽子さんが夫の乗る車の前部バンパーを掴んだような痕があることが25日、県警須賀川署の調べでわかった。奥さんは靴下も履かないまま急いで家の外まで追いかけたと見られている。

同署員が23日午後11時ごろ、自宅に駆け付けたところ、滝口容疑者は寝ていた。酩酊状態で、取り調べにも「何かにぶつかった気がする、まさか・・」と記憶が曖昧で奥さんを轢いたことを知らされてショックを受けているという。後の祭だ。

妻を殺してまで飲んだ酒だ、さぞや旨かったろう。この男、時間が経てばきっとまた同じことをやるだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月25日 (土)

携帯と若者の性体験

毎日新聞(11月22日)から
携帯メールの利用頻度が高い若者ほど性体験が早い傾向があることが、日本性教育協会の「青少年の性行動調査」で分かった。調査は昨年11月〜今年3月、12都道府県の中学、高校、大学・専門学校の5510人を対象に行われた。青少年の性体験率は、男子がほぼ横ばいなのに対し女子は上昇し、中・高校生はいずれも女子が男子を上回った。

それによると
        性体験率
 大学生男子  63・0%
 大学生女子  62・2%(6年前*より10ポイント増)
 高校生男子  26・6%
 高校生女子  30・3%
 中学生男子  3・6%
 中学生女子  4・2% であった。
*日本性教育協会では青少年の性行動などを約6年ごとに調査している。

携帯電話の所有率は99年調査時から急増ししており、
 前回半数程度だった高1男子が、 9割以上に
 殆ど持っていなかった中1男子  3割
             女子  5割になっている。

《1985年に日本初、NTTのポータブル電話機「ショルダーホン」発売以来ほぼ20年、この若者たちにには生まれた時にはすでに存在していた便利な道具だったことになる。爾来2003年の世帯普及率93・6パーセントを頂上に、メールやカメラ等の付属機能も付け加えられて来たが、激化する競争の中で04、05年と前年比でマイナスに転じている》

同教会は、携帯メールを1日20通以上する「メール派」と、休日にパソコンでネットを2時間以上見る「パソコン派」の2群に別けて、性体験率を分析している。その結果
            性体験率
 大学生「メール派」  86%
    「パソコン派」 61%
 高校生「メール派」  58%
    「パソコン派」 15%  《ものは序でなのか、すごいデータも取ったようだ》
 
 このうち、「3人以上とセックスした経験を持つ人」のデータだ。
 大学生「メール派」  47%
    「パソコン派」 25%
 高校生「メール派」  21%
    「パソコン派」 5%

また高校生の携帯所有者について、メールの利用状況とキス経験率の相関関係も分析している。
                 キス経験率
 「ほとんどメールをしない人」   2割
 「1日に1〜9通」        4割
 「   10〜19通」        6割
 「   20通以上」        8割 となっている。

分析を担当した山口大学人文学部の高橋征仁助教授は「メールはコミュニケーションの強化、拡大につながり易いため、性行動も活発になっているのだろう。逆にパソコンのネット閲覧は、直接行動とは結びつかないことが多いようだ」と言う。

《携帯を持たない私には、その内容がよく分からないが、パソコンで見る限り、‘出会い系’と呼ばれるサイトでも携帯に向かわせるような内容のものが目につく。曰く「出会い道なら携帯でOK. 欲求不満があるのは男も女も同じ、割り切った出合いもココならOK」「出会い系をつかう前に・・」など、携帯のメールに走らせる呼び込みがある。

 携帯電話利用料金(有料コンテンツ、通話料金、バケット料)から比較しても、若者の占める割合は圧倒的に高い。『総務省「平成18年情報通信白書」』による
 10代以下から50代以上までの合計では月額平均は
   男性   6490円
   女性   9679円
 10代以下  15798円
  20代    5960円 
  30代    9228円
  40代    4602円
  50代以上  4629円
と、なっているが、10代以下の高額料金を、本人に代わって毎月親が支払ってでもいれば、性体験のためのメール代を親が出資し、子の性体験を援助していることになる。そのためにも親の管理責任は重いと感じていなければならない。子の携帯電話は当然チェックの対象になるのだ。それとも年間ほぼ19万円にもなる携帯メール代を支払えるだけの小遣いを貰っているのだろうか。

大人の世代は『失楽園』に毒された不倫に明け暮れ、子は子で大人を見習ったように性体験を急ぐ。テレビは失楽園の不倫に憧れるかに思える女流脚本家による『14歳の母』なる愚でもないドラマを放映し、若い世代の性の放埒を推奨でもしているようだ。特に女性の性に対するタブーがなくなり、女性もこれこそ平等よ、とばかりに1990年以降の性行動の低年齢化に一層拍車をかけて進めているようだ。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月24日 (金)

「食育白書」と家族の崩壊

毎日新聞(11/24)から
世の中いじめ、いじめで大騒ぎだ。いじめはいけない、いけないことだと言うだけで、効果的な対策は何一つ立てられていないし、虐められる側への同情ばかりで肝心の、いじめる側の親の養育責任を放棄したような、子に対する躾や教育に関する意見を取り上げる論調が全くない。今時の、何事も責任転嫁して自己主張の激しい勝手気侭な親に気兼ねしてか、いじめる子を野放したままの親の問題を正面切って取り上げることがない。

親の教育は子どもがお腹に宿った時から始まっている。月満ちてこの世に生を享け、母の懐に抱かれ、ふくよかな乳房からおちちを授かって育った。

昔、『団欒』という言葉があった。‘家族団欒’或いは‘一家団欒’のように使う言葉だ。意味はまろやかなこと、集まって車座に座を占めること、集まって和やかに楽しむこと、親密で楽しい会合などを指すものだ。用例としては「いの一番」に一家団欒が挙げられるほどに、以前はどこの家にも見られた食事風景だった。その中でも会社勤めを終えた大黒柱の父親を囲む夕飯どきだった。戦後の復興に向けて先ず最初に父親が抜けた。そして現在、子どものいる家庭でも、食卓には父親どころか母親さえもいない家庭が増えている。両親共働きの家庭だ。このように曾(かつ)てあった団欒こそ家庭の大切な教育の場であり躾の施せる場であったのだ。現在では、家庭で最も欠落している部分になっているものだ。会話もなく、暖かいご飯も熱くてふうふうしながら飲んだ味噌汁の味も味わえず、出来合いのスーパーやコンビニで仕入れるもので取り敢えずお腹を満たす。家庭の団欒は学校へ上がるまでに学ぶべき最低の躾の場であった。ものの善悪、食べ物の大切さや、箸の持ち方も、食事の作法もすべて両親や祖父母が教えた。それでも道を外す人間も出ることは歴史の教えるところだが。

食事が終わっても子どもがこもる部屋はない家族が殆どであった。現在のように家庭内で子ども部屋と称する鍵の掛かる密室のある家はほとんどなかった。親は子どもの監視が楽にできていた。本当なら、現在でも親は子どもの養育義務から、監督し、監視する権利もあるのだ。施錠されていようが、いまいが部屋へ出入りする権利、持ち物を検査する権利、(携帯電話の内容を見る権利なども)を持ち合わせているのだが、子どもを怖がってそれもしない。どこの家庭でも門限はあった。子どもの夜間外出など許す親はいなかった。

その次の世代になると家つき、カーつき、ババア抜きで大事な人生の先輩を切り捨て、核家族へと変化して行った。続いて母親も仕事を持って家から大人が消えた。当初は心配だからと施錠して家を留守にしたが、不慮の失火や事件が発生すると託児所の必要性が求められるようになり、母親は授乳からも食事の支度からも手を引き、
女ばかりが育児をするのはおかしい、となったり、育児休暇が生まれてくる。しかし、ますます育児は親の手を離れ、小荷物一時預かりの他人任せに移行して行く。共働きで収入が増えるとどううしても生活は贅沢になる。それが基準になると、より高い基準を求め、一層忙しい忙しいで育児の放棄になり、監督責任の放棄になる。いじめる子の無分別も、虐められる子の弱さも、その根源は親の愛情を受けていない、或いは感じられない親子関係に内包している。その鉾先を学校に向けても、教師に向けてもお門違いだ。

今回の政府の「食育白書」では、朝食をとらない「欠食」や、一人で朝食をとる「孤食」が子どもに広がっていることに焦点を当て、「健全な食生活が失われつつある」と問題視している。《何を今ごろ、と思うのだが、問題意識がこの程度なのが現在の日本なのだろう。これは10年も20年も前から始まっていることなのに、未だに『食生活が・・・』の認識しかないのだ。現実は完全な家庭の崩壊の段階にまで来ているのに。登校して来ても昼まで持たず、よれよれの生徒に、見るに見かねた学校が、朝食をまかなうところも出現した。親の育児放棄以外の何ものでもない。》

もう20年も30年も以上も前になる。私の現役時代から、「男が朝飯も食わずに出社してきて、碌な仕事ができるか」と部下を叱った。現在ではそう叱ってくれる上司もいなのだろうか。一方、現在朝食と脳の働きの関係を取りあげた研究もされていて、国立教育政策研究所の調査(03年度)をもとに「朝食をきちんととる子ほどペーパーテストの得点が高い傾向にある」と指摘している。側面から食事の大切さを訴えかけようとするが、どこまで利き目があることか。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年11月23日 (木)

赤ちゃんポスト「こうのとりのゆりかご」

話題はいささか古くなるが、私は今朝のテレビが初耳になった。スイッチを入れた直後の数秒間だけの聞きかじりになるが、赤ちゃんポストの中で、死亡した赤ちゃんを見つけ、即刻ポストを閉めた、というものだったように聞き取った。耳なれないポストの存在に、何処の国のことかと早速調べてみたが、分からない。

テレビで聞きかじった死亡による閉鎖とは関係ないようだが、日本では今月11月9日に、熊本市島崎の慈恵病院(蓮田晶一院長)が、さまざまな事情で子育てができない親が新生児を匿名で託す「赤ちゃんポスト」の設置を検討していることを発表した記事(毎日新聞)を知った。

その後賛否両論が渦巻いていることも始めて知った。私も常々関係する問題を取り上げて論じて来たので私なりに、設置することには否定の立場で述べてみたい。

そもそもこのシステムは2000年に取り組みが始まったドイツ・ハンブルクで立ち上げられたものらしいが、この国には中世から捨て子を預かるシステムがあったことから、法律的には問題がなく、病院には匿名*で預けることができ、後から刑事訴追されることはない。赤ちゃんを預けるベッド(病院の裏口に赤ちゃんを人目にふれず、ポストを設け、新生児に合わせた大きさのボックス内に敷物が用意され)には、母親宛に、置かれた赤ちゃんが今後どうなるのかについて記載された印刷物が置いてあり、もしも自分の手で育てたくなった場合は8週までの間に連絡すれば、受付番号を確認した上で、赤ちゃんは返すこと、8週間経過しても連絡がない場合は、赤ちゃんは養子縁組に出すこと、などが書かれている。そこに子どもが預けられるということは、母子ともに高いリスクの出産を回避するためであり、そのための匿名措置が取られているようだ。05年現在、78ケ所が存在する。以降増加の傾向にあって、ドイツ以外でも設置する国は増えているのが実情のようだ。

*匿名出産はドイツでは違法とされているが、出生届出官庁との合意を得て、その認可を受けている。匿名出産の目的は、堕胎の件数を減らすこと、整った設備の医療環境下での出産、なぜ匿名にしなければならないのかのその女性の環境を知ること、の三つのことを把握するためだ。

ドイツでも日本の若者と同じように性を遊びのように気楽に楽しみながら、一方では全国的に新生児が捨てられて死んでいく事件が起きており、新生児をいかに助けるかが大きな課題でもあるようだ。しかし、ドイツでも未だに法的な位置付けが曖昧で、設置以後の捨て子の増減のデータもなく、保護者による乳幼児殺害が減ったというデータもないようだ。

一方、慈恵病院は1898(明治31)年カトリックの神父とフランシスコ修道女によって開設された慈善診療所が前身の病院で、蓮田院長も9日午後の会見でも「(当院は)カトリック精神に基づき中絶手術も実施しておらず、世の中に折角生まれてきた命を幸せに育みたいと考えた」と設置の主旨を説明している。

日本の多くの産・病院が、金儲けの為の人工妊娠中絶を申告なしに行い、1949実施年以降の中絶数を、表向きの政府の発表では年間およそ30万件(05年度始めて30万件を下回ったと喜んでいるようだが)として来ているが、実際は100万件(累計では1億件)を超えると見られているのが実態だ。慈恵病院だけの範囲でとらえれば、戒律を守り、望まれない状況下に生まれて来た子に、救いの手を差し伸べることを兎や角いうことはないだろう。

現在同病院で考えているシステムは、ドイツに準じたものとなるようだが、乱れたとはいうものの、キリスト教の洗礼を受けたドイツ人と、無宗教の現代日本人とでは同列には語れない。受胎の瞬間から人間(命)とするカトリックと、妊娠155日以降が人間(命)とする決定的な差が存在するのだ。それ故に人工妊娠中絶を認めない国のドイツ人と、何等戒律を持たない日本人の妊娠とは、桁違いに数に差が生まれ、日本では、放置された医療機関による人工妊娠中絶が花盛りになっているのだ。心に罪の意識を持ちながら侵す禁と、放任の結果とにはおぞましい程の違いが出る。ドイツでのポストに預けられる赤ちゃんは、救済となるのだろうが、日本の赤ちゃんは、ただ捨てられることになるだけだろう。ただでさえ乱れ切った性モラルを助長することになるだけだ。

病院が預かった後、養子縁組が必ず成立するとは限らない。また、出自の知れない子どもが親を求めるような状況も起こりうる。預かる側の善意も、最初から要らない子として捨てる親の場合、生まれた子どもの心のケアについても配慮しておく必要もあるだろう。日本の法律にてらしては、子どもをポストに入れた親は、間違いなく保護責任遺棄に問われることになるし、制度として認めることになれば、社会全体に捨て子を容認する、もっと言えば奨励することにもなりかねない危険を孕んでいる。

参照 赤ちゃんポスト「こうのとりのゆりかご」 -2- 07/02/24

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年11月22日 (水)

淘汰が始まる

慶応義塾(安西祐一郎塾長、東京都港区)と共立薬科大(橋本嘉幸理事長、同)は20日、両大学が合併協議に入ることを発表した。早ければ08年4月にも、慶応大が共立薬科大を吸収合併する見通しとなった。合併の申し入れは、共立薬科大側が今月6日に正式に行った。これを受けて、慶応大側は20日、評議委員会を開き
 1. 法人の合併を前提に協議に入る
 2. 07年3月をめどに合併協定書を締結する
 3. 08年4月1日をめどに慶応大に薬学部と大学院薬学研究科を設置する
の、3点を決定した。

「少子化」という言葉は使われ始めてからもう黴が生えるほど時間は経過している。何事によらずその時が来ないと対応しないのは日本人の特徴かも知れない。団塊の問題もそうだ。目の前にそれが来るまで対応しないで、慌てはじめる。それに反して企業は人員削減に、正社員減らしには素早い対応を見せる。同じことが大学にも言える。こうなることはもっと早くから予測はできた。出生率の低下と多過ぎる大学のバランスの崩れは、来るに決まていた。

膨らんだ世代の通り過ぎた後は、出生率の低下とともに、学級余りを生み、閉校しなければならない学校が増え続けた。大きな世代の塊は小学校から中・高、大学へと移ることは当然の流れであった。少子化の波は、増やし過ぎた大学の容れ物を満たすには数が足りない現象を惹き起した。大学の経営も一般の企業と同じことだろう。必要な額の集まらなくなった大学は、経営難ということで何等かの施策が求められる。その時期の見極めができる人材がいなかった。いわゆる5年15年の中長期計画をたてることのできる人材が不足していた。

暴言といわれかも知れないが、現在の大学の50パーセントはいらない。淘汰の時代は疾うに来ていた。それでも戦前の大学の何十倍も多い。昔の「最高学府」と尊敬された大学は、現在では、その名に相応しい大学はなくなり、甚だしくは遊興の場と化した観さえあるのが実情だ。高校をほどほどに学べば誰でも大学の門を潜ることが可能になり、それも適度の学力を修得することで足りる。現在の教育の結果は、幅広い知識が必要な一般教養に欠けた専門バカのような人間を育てることで足れりとしているようにさえ思える。これでグローバルな人材を創るなど、ほんとうに噴飯(ふんぱん)ものだ。それでも経営に必要な頭数には足りなくなった。先ずは大学の数を減らすこと以外に手段はない。

1990年代の大学教育の規制緩和のお陰で、大学の数は一気に膨らみ、程度の低いものでも簡単に大学生になれる道が開けた。ベビーブームから即席で生まれた大学の上に、更に高校の科目選択制による学力低下した小中学生程度の学生を吸収する低レベルの大学が増え続けた。

文部科学省が真剣に将来の勉学に励む若者たちのことを考えるなら、現在の学校余りの現象から絞り込んでいく大学の、再構築に取り組むための基本的な指針を示すことも必要になるはずだ。

参照「多すぎる大学」06/06/06
参照「続 多すぎる大学」06/07/25

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月21日 (火)

いじめは ひきょうだ

毎日新聞(11/18)
文科相がアピール文を配信している。「文部科学大臣からのお願い」と題する2通のアピール文だ。この問題に関する文科相のアピール文は、96年以来10年振りという。
 子どもたちには「いじめられていることを話すゆうきをもとう。きっとみんなが助けてくれる」
 保護者らには「毎日少しでも言葉をかけ、子どもとの対話をして下さい」
と訴えるもの、である。

 文部科学大臣からのお願い
 未来のある君たちへ
 弱いたちばの友だちや同級生をいじめるのは、はずかしいこと。
 仲間といっしょに友だちをいじめるのは、ひきょうなこと。
と始まる文章になっている。 
 君たちもいじめられるたちばになることもあるんだよ。後になって、なぜあんなはずかしいことをしたのだろう、ばかだったなあと思うより、今、やっているじめをすぐにやめよう。
 いじめられて苦しんでいる君は、けっして一人ぼっちじゃないんだよ。
 お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、きょうだい、学校の先生、学校や近所の友達、だれにでもいいから、はずかしがらず、一人でくるしまず、いじめられていることを話すゆうきをもとう。話せば楽になるからね。きっとみんなが助けてくれる。
 平成十八(2006)年十一月十七日
      文部科学大臣 伊吹文明

何と空虚で白々しいアピールだろう。みんなだれにも話すことができないから自殺の道をえらぶことになったのだ。お父さん、お母さん、このようなほとんど死語になった言葉では利き目はない。今はみな甘え、甘やかすパパにママだ。特に女の子は中学生になってもパパ、ママだ。親は子どもの話は通り一遍で聞き流し、鸚鵡返しのように教師に、校長に、学校に、教育委員会に持ちも込んで責任転嫁だ。私たちは忙しいの、こんなことは先生の、或いは学校の責任でしょ、何とかしなさいよ、で終わる。幼い子どもたちの自殺が続いてメディアも連日紙面上で、賢(さか)しら顔の名のある人たちが、死ぬな、死ぬなのメッセージを発信している。いくら書いても小学生や中学生が読むわけもない。親が読み聞かせなければ子どもには届かない。そんな親はいまい。メッセージの半分の気持ちも届いてはいないだろう。いじめはひきょうだ、いけないことだと言ってみたところで、そんなことは承知でやっているのがいじめだ。いけない事と言われながら大人の飲酒運転がなくならない現実を、子どもたちはしっかり見ている。親はどんなこと、そう、どんなことをしてでもいじめをする子から、わが子を守らなければ他人が守ってくれるわけではない。

別の記事がある。『記者の目』を書いた女性記者(岐阜支局・中村かさね)
岐阜県瑞浪市の私立瑞浪中学2年の少女が、部活仲間4人を名指しして「これで、お荷物が減るからね」と記した遺書を残し自殺してから、間もなく1ヶ月になる。この事件のそれからを纏めた記事だ。
(省略)再び訪れた瑞浪市で、少女の父親にも会った。「娘は学校に殺された」と語気強く訴えていた父親は、一転して自分を責めていた、と言う。「わたしが子育ての場所に瑞浪市を選ばなければ。私立中学を受験させていれば」。父親は泣きながら悔やみ続けた。《それはちょっと違う気がする。私立中学ならいじめはない、と保証されるのか。どこへ行っても学校である限りいじめから逃げることはできない。男女、子どもたちを集めて好き勝手に喋らせた番組では、別室でその様子を観察する母親たちに寒気を催させるようないじめはあって当然の、凄まじい会話が飛び交った。「臭いやつは臭いのだ」などなど、と》

一方、校長は取材中、「今はもう前を向いて進んでいるんです。過去をほじくり返さないでください」と何度も懇願した、と言う。遺書で名指しされた同級生の保護者の一人も「娘も報道によるいじめの被害者。『いつかは思い出になるから今は我慢しようね』と娘を慰めています」と言ったそうな。

記者のまとめは「あなたをとても大事に思っている」というメッセージを直接伝え続けなければならない、としあ上で、一番苦しむのは、あなたを苦しめた人々ではなく、あなたが生きていることを何よりの喜びとしているあなたの両親や友人だ。「死んだ方がまし」「生きることに疲れた」と感じているのなら、周りの誰かにその気持ちを話してほしい。自殺以外の解決方法なら不登校でも転校でも構わない。一番大切なのは、あなたが今日も生きているということだから、と問責よりも大事なのは救う方法だと結んでいる。

校長や、遺書で名指しされた同級生の親の考えは一体何だろう。校長は「死んだ子は何を言っても生き返らないんだから、もう済んだことだ、ほじくり返すな」といい、いじめた側の親は「娘は報道によるいじめを受けている」という。盗人(ぬすっと)たけだけしいすり替えの被害者意識。今は我慢して頭の上を通り過ぎるのを待っていれば、人の噂も七十五日だ、その後は笑い話にでもしようよ、と慰めている、と言う。マスコミが問うているのは子どもじゃない。弱い者をいじめうような子に育てた己がその責任を問われていることに気がつかない。こんな親に慰められれば、いずれ又、ほとぼりの冷めた頃になって、きっと繰り返す。学校も親もどちらも反省もなければ真剣にいじめを考えようともしていない。

時が解決することだってあるだろうが、子を失った親も、死ぬほどに思いつめた苦しみを、打ち明けてもらえず、頼りにされなかった我が身を責めることだ。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月20日 (月)

「基地」存続を選んだ沖縄県民

来春のフランス大統領選挙で社会党の公認候補となることが決まったロワイヤル元家庭・児童担当相(53)の党員投票での最大の勝因は「女性」ということだった。《なんだか、男性諸子の負け惜しみのように聞こえるが》
仏ジュルナル・ディマンシュ紙は19日、投票理由を巡る世論調査結果をそう報じでいる。

同紙によると、「ロワイヤル氏の何に最も惹かれたか」の問いに対し、合計801人の電話調査の回答は、
 1. 彼女が女性だから(37%)
 2. 左派刷新を具現化するから(21%)
 3. 右派最有力候補、サルコジ内相に唯一勝ち得るから(18%)-- の順だった。

ロワイヤル氏は選挙戦で自身が四人の子の母である点を紹介し、「この国の子供たちに何かしたい」としばしば訴えた。サルコジ陣営幹部は「われわれが、どうにも対抗できない点が一つある。彼女が女性だという事実だ。それだけでも彼女を新鮮に見せる」と認めている。

《彼女、写真で拝むかぎり、如何にも「女傑」の名が相応しいような風貌だが、6月のフランスの男性誌で「世界で最もセクシーな女性100人」で並みいる世界のトップモデルやハリウッドの女優たちを押さえて、6位に選ばれた女性だ。》

翻って我が日本では、小泉の集めたちゃらちゃらしたおなご衆は、面白半分に選ばれ、その結果、“使い捨て”は政治家である限り、当然のことと開き直られる悲しい最後を迎えようとしている。フランスではどうか、現政権への批判政党として、左派刷新への希望を抱かれての選出だ。日本の100年一日のようなぬるま湯に浸かったような政党に、一石を投ずる勢力が生まれる望みはないのだろうか。

その意味でも、今回の沖縄選には常々基地問題に揺れる現地の選挙に期待したが、口にしている程でもないかの如く、基地はあってもよい、とする自民党が推す仲井真弘多(67)を選び、米軍再編容認の判決を下す結果となった。沖縄県民は、轟音・犯罪などに苦しんでいるにも拘わらず、嘉手納も、普天間も移設予定の名護市のキャンプ・シュワブでも、中井真の得票数は対立候補を上回り、経済振興をセットとする餌の方を取り、経済効果を選んだのだろうか。もう一つ、この選挙に追い風となったのは、北朝鮮のテポドンに続く核地下実験を大騒ぎしてナショナリズムを喧伝することで、特に沖縄の米軍の存在を再認識させる効果をもたらした、と見るべきか。

数の多いことが民主主義と喜ぶ現政権にとっては、選挙の結果は嬉しい限りとなったであろう。早速、郵政での造反組の復帰への足掛かりにも言及し、更には沖縄選とは関係のない臨時国会での教育基本法改正案まで数を限りの戦術を臭わせる始末だ。この勢いだと、安倍念願の憲法改変にも弾みをつけることになるだろう。

一方、何かと騒ぎの続いている福岡県、19日の福岡市長の選挙では、民主党推薦、社民党支持の新人、元新聞記者、吉田宏(50)が初当選した。現職の山崎市長の巨額の市債残高を抱えながらの五輪誘致を進めたなど、当初の公約との隔たりが見え始めた氏に、不信任の引導を渡したものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月19日 (日)

戦場に行くのは いつも若者です

昨日の「硫黄島」の米兵の戦争体験の原作を翻訳した大島英美(東京都出身52歳)について紹介記事が載っている(毎日新聞18日)。

61年前の激戦地硫黄島。この地に星条旗を打ち立てた米兵6人を描いたノンフィクション「父親たちの星条旗」を翻訳した。「この本を訳すことは運命だと感じた」と彼女は言う。

33年前、日本に留学中の作者ジェームズ・ブラッドリーさん(52)と知り合い、米国の別荘に招待された。星条旗を掲げた6人の中の1人の父親ジョンさんがいた。彼女の挨拶は「日本人は敵でした。お邪魔しても不快ではないですか」と聞くと「硫黄島は、はるか昔。歓迎するよ」と言われた、という。

この会話の重さを実感したのは、02年にニューヨークの本の見本市でこの作品を見つけたことだ。ジョンさんは生前、硫黄島の体験を家族には語らなかったとあった。「本当の勇者は多くの戦死者」との理由からだったという。そして、彼女への笑顔には戦争の凄惨さを知り尽くしたからこその「互いに理解しあう大切さ」が込められていると気づいた、と言う。

原作を翻訳中、何度も涙があふれて本を閉じたという。「これは、女性のための本だ」とも思った。彼女の息子(19)と同じ年頃の、ごく普通の若者たちが時代の熱気に煽られて戦場を志願した。《日本の徴兵で集められた兵隊たちと根本的に違うところだが、彼ら若者たちは、開戦の宣告もなしに行った真珠湾への攻撃に対する“日本憎し”で続々と志願していたのだ》原作には、戦死を伝える電報を自分で読めず、配達人に「あなたが電報を開けなさい」と迫った母親のエピソードも書かれている。《いずこの女性も、夫やこどもを失った悲しみに違いはないだろう》。

「戦争を肌で感じれば母性が疼く。女性は戦争を止める大きな力になる。戦争を始めるのは大人で、戦地に向かうのが若者なのです」と結んである。

《大人の皆が戦争を始めるのではない。国政を動かし、命令できる立場にあって、自分自身は決して戦場に出ることのない大人が始めるのだ。それに、忘れてならないのは、飛行機を作り、軍艦を造り、銃器、銃弾をこしらえて、戦争で利益を得る立場の人間が必ずいるということを。》

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年11月18日 (土)

硫黄島

今朝のテレビでチャンネルは昨夜のままで写し出された画面。ハリウッドスターとして紹介されたのは日本人俳優・渡辺謙。たまたま来月公開されるクリントイーストウッド監督による映画「硫黄島」の舞台挨拶のために、戻って来てのインタビューであった。

彼は、撮影に当ってのエピソードを交えながら、第2次世界大戦で、日本の最後の砦とも言うべき要衝の地にあった硫黄島を語った。アメリカ軍にあっては日本本土全域を爆撃するためのB29爆撃機の燃料補給の地、日本にとってはそれをさせてはならず絶対死守せねばならない島であった。敗戦で戦争が集結するまで、あと五ヶ月の時だ。そこでの日米の軍隊の間で行われたのが硫黄島の戦いだった。3月、硫黄島で敗れた日本の軍隊は、アメリカ軍の進攻を防ぎようもなく、民間人を巻き込んだ沖縄戦へと突入して行く。そして、8月の原爆投下による敗戦となる。

驚くことを耳にした。渡辺謙、彼の年齢でこの硫黄島のことを“知らなかった”と発言したのだ。周りにいた戦後生まれの番組常連の一員もまた同じだった。心の底から寒々とした心境になった。国会では教育基本法をいじって「愛国心」を植え付け、またもや日本に外地でも戦える軍隊を持つ方向へと舵を切ろうとしているのだ。敗戦から60年以上もの間、教育は現代史、戦争の歴史については何も教えて来なかったのだ。

未履修問題に触れて書いた際、歴史の必要性を強く論じた。年表を丸暗記するだけで通り過ぎる歴史の学び方で、流行語のようにまでなったグローバル化が実現できると本気で考えているのだろうか。事件は何故起り、後の人はそこから何を学び、次の世代には何をどのように引き継いで来たのか。従来の日本の教育は、本来学ばねばならない日本の歴史を軽んじ、明治維新の時代から何も進歩しないで、世界史と呼ぶ西洋を中心とした歴史を吸収することに汲々としてきたとしか思えない。自国の足元も見ず、日本の近・現代の歴史でも最も重要な戦争・敗戦の身近に起った戦争という現実には目を背け、反省もないから教え、伝えられない。歴史からは何一つ学んでいない。

今現在、硫黄島には自衛隊基地があり、日本本土ではできない軍事利用が可能な島として、また、近海ではアメリカ海軍の空母艦載機の夜間離発着訓練も行われいる。折角自衛隊が駐屯しているのだ。60年以上も放置されたままの日本軍人の遺骸の回収ぐらいしたらどうだ。無駄に国費を食いつぶしているくらいなら、せめて腐り果てて眠る10000人を越える亡骸の回収ぐらいしてもいいのではないか。君たちの先輩たちは、島に派遣された時点で、生きて会えない覚悟で親、兄妹、恋人や故郷から離れ、日本という国を護るために命を捧げたのだ。そして、死んでもなお親にも兄妹にも恋人にも会えないまま、多くは土の下で、地下壕で、白骨となって帰還する日を待っているのだ。

47歳の渡辺謙ですら知らなかった硫黄島の激戦。敗戦の14年後に生まれた彼は、その後の教育では学校で何も教えられなかったようだ。日本は敗戦後、原子爆弾が投下された被爆国としては、世界にその惨(むご)たらしさを発信して来たが、被害者意識だけがクローズアップされて来た。何故原爆が投下されるに至ったのか、それが世にも恐ろしい原子爆弾であることが、明るみに出るまでは、日本全土に降るB29からの爆弾の雨、それよりも何十倍も多い焼夷弾の火の中を逃げ惑っていた国民は、敗戦であるにしろ、逃げなくてもよくなった、死なずにすむ安堵感に、胸をなで下ろして戦争が終わったことを喜んだ。

それからしばらくしてからだ。広島や長崎の実態が日本の国民にも明らかになって行った。階段に腰掛けて、そこにいたはずの人間の姿は石に焼け焦げた痕を残して溶けて消えていた。生きて残った人の身体の皮膚は剥けて、ぼろがぶら下がったように垂れ、肉は溶けていた。日本の戦略の中で原爆が投下されずにすんだであろう判断に、戦争指導者の無謀が存在した事実の責任を問う人はいなかった。戦勝国アメリカの、戦争を早期に終結させるためにはそれが(投下)最善であった、とする考え方を批判するのもいいが、それならば、日本が敗戦国になった戦争責任の追求を、ようしなかったその後の日本の為政者たちもまた、批判されなければならない対象であるはずだ。

“もったいない”にしろ、今回の「硫黄島」にしろ、逆に外国人から教えられることになったが、日本文化に日本歴史、日本人自身が自国の文化や歴史を学び直す必要がありそうだ。今回の一俳優の一言に、日本の教育の空洞化が恐ろしく、その再生を願うばかりだ。

参照「1945(昭和20)年 8月」05/08/16
参照「遺骨収集事業」05/12/25
参照「南方戦没者遺骨収集」05/12/12

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006年11月17日 (金)

飲酒運転 その後

Heavenly_1

  今年も夏と冬が競演している
  さすが朝顔は 早朝は寒そうだ



いじめ、自殺、子殺し、お手盛り教育基本法改正案の衆議院通過。民主主義の原則は“会議に出て意見を述べること”という政府の意見。ちょっと待て、最初からこの国会、安倍の好きな‘愛国心’にも触れず、教育の国と地方の役割などなど、碌に審議もしないで無理矢理党利党略で通過させようとの魂胆が見え見えだった。、結局勝手な言い分で、数を頼みに無理矢理通過させた。目の前には教育行政の信頼に係わる問題が幾つもあるのを無視するように、民主党ほか野党議員欠席のまま通す無茶を敢えて侵した。今度の内閣、誕生から危険な雰囲気を内包していた。北朝鮮を仮想敵とすることでナショナリズム色を強くし、教育における戦時下への後戻りを始める危険を孕んでいた。心配していたことが現実に起ころうとしている。放送権の自由を侵したり、憲法の改正(悪)に手を染めようとするのもその一つ。

このように、次々に起こる問題に、このところ陽の目を見ずに、忘れがちになった酒飲みによる自動車事故。しばらく振りに記事になった。

警視庁は15日、10月の飲酒運転取り締り結果を発表した。全国の警察は酒酔い、酒気帯びなど飲酒運転で8749件(前年同月比23・4パーセント減)を検挙した。そのうち逃走の恐れがあるとして515人を逮捕した。ほかに飲酒運転幇助、教唆容疑で同乗者ら47人を検挙した。飲酒運転による死亡事故は25件(前年同月より26件減)
 飲酒運転の内訳は
  酒酔い運転が113件
  酒気帯び(行政処分点数 13点 4271件
    〃 (行政処分点数  6点 4365件

これで減ったという、毎日全国の何処かで平均で280台以上の酔っ払いの車が道路を走っているのだ。特に多かった大阪が681件、沖縄662件、東京都544件、神奈川544件・・と続いている。ボジョレヌーボも試飲会に配慮してみたり、年末に向かって飲酒運転への警告を刷り込んだチラシを作ってみたり、気を配っているようだが、役には立つまい。それほど酒飲みは協力的じゃない。忘年会、つづく新年会、うなぎ上りに禁を侵す奴らは警察を手こずらせるだろう。

調査は10月5日〜15日、全国の成人男女3000人を対象に、面接方式で実施し、1704人(回収率56・8%)から回答を得たものだ。 それを元に内閣府が16日発表した「交通安全に関する特別世論調査」で、飲酒運転への罰則強化を求める人の割合が72・8パーセントに上り、世論が厳しい目を向けていることがデータで裏付けられた。ただ、運転者への酒の提供など間接的に飲酒に関与した人への罰則強化を求める人は4割台にとどまり、直接の飲酒運転に比べると緩やかだった。

飲酒運転の質問では、罰則を強化すべき対象を7つの選択肢から複数回答してもらった。
 飲酒運転をした運転者 72・8%
 飲酒運転で交通事故現場から逃走した場合 67・2%
一方、
 飲酒運転の車に同乗した人 44・1%
 運転者に酒を提供した人 43・0%
と、ドライバー以外の罰則強化は割合が低く、
 「今のままでよい」との回答も8・5%あった。

道交法では、酒酔い運転には3年以下の懲役または50万円以下の罰金が科される。より悪質な運転で刑法の危険運転致死傷罪が適用されれば、死亡事故は懲役一年以上20年以下、負傷事故は同15年以下となるが、後を絶たない飲酒運転に罰則強化を求める声が強まっている。

それでも日本から飲酒運転がなくなることはないだろう。
  

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年11月16日 (木)

何とやわに

14日の午後9時ごろ、新潟県神林村福田の民家の納屋で、村立平林中学校(勝間修二校長、生徒数121人)2年の男子生徒(14)が首を吊っているのを母親が発見し、119番通報した。男子生徒は病院に運ばれたが、間もなく死亡が確認された。遺書は見つかっていないが、男子生徒は同日、同級生にズボンと下着を下ろされ、周囲に「死にたい」などと話していたという。

同日午後の掃除時間中に、複数の生徒が見ている前で同級生の1人にズボンなどを下げられ、その後の授業は泣きながら受けていたという。異変に気づいて声を掛けた担任教諭には「大丈夫」「魚が釣れないから」などと答えてはぐらかしている。男子生徒は午後5時半ごろ、同級生3人と徒歩で帰宅。その途中に彼らに「死にたい」などと洩らしていた。同6時半ごろに夕食を食べた後、行方が分からなくなっていた。

同日の放課後の委員会や部活動にはいつもどおり参加していた。同校ではふざけてズボンを下げる遊びがはやっていた。男子生徒はこれまでにも、2、3回、同級生にからかわれるなどしたという。勝間校長らは15日未明と朝に男子生徒の自宅を訪れたが、その時にはズボンを下ろされたことなどは、遺族に説明していなかった。

勝間校長は「優しくてコツコツ努力するまじめな子で、挨拶もよくしてくれた。誠に痛ましい事件で厳粛に受け止めたい」としながらも、「ズボンを下げられたことがいじめに当るのか、自殺との因果関係も含め時間をかけて判断したい」と述べるにとどめた。

同級生は「2人は仲良し。ふざけ合っていたのだと思う。信じられない」と話す。2人は小学校も同じで親友だったという。男子生徒はズボンを下ろされた際、泣きながら同級生に「消えろ」と呟いたという。同級生は放課後、「僕がやりました」と名乗り出て謝ったという。同級生は15日、学校を休んだ。

亡くなった子の祖父(80)によると、男子生徒は14日夜、家族で食事をした際は、変わった様子はなかったという。

上の一連の事件をいじめととるか、遊びととるかは難しいところだ。近ごろの幼稚園では男の子、女の子どうしの好きだ、嫌いだは普通に口にされ、抱き合ってのチューさえ保護者はにやにやしながら眺めるだけだ。昔のスカートめくりはどうなったのだろう。こちらには保護者は目くじら立てるが、チューはにやにやだ。時代の違う私の幼稚園の頃の遊びは、「お山の大将、おれ1人 後から来るもの突き落とせ」で男の子は強さを競った。

女の子の遊びは知らない。長じて男の子は、ズボンを下ろしては逃げ、下ろしては逃げ、何時誰が下ろされるか分かったものじゃなかった。皆ひとかどの少年になるための、通過儀礼のようなものだった。その最後が修学旅行だ。賑やかな枕投げの後は、夜、皆が寝静まったころを見計らって、ガキ大将を先頭に真っ暗な中を蒲団を剥ぎ、次々に下半身をむき出しにして逃げた。ただ、今回のような中学生になってもこのようなことをやっているような幼稚なバカはいなかった。

私の時代、中学生になれば精神は立派に大人の仲間入りだ。格好だけであってもよかった。義務教育でなかったこともあったかも知れない。難しい書物に目を通し、入隊、やがて赴く戦場のことを考えた。武士道とは・・。しかし、すぐに敗戦を味わった。

当世の中学生の何と軟弱になったことだろう。襁褓もまだ取れていないようだ。本人がそう感じたら、それはそれでいじめ、だという。昔は町中に銭湯というものがあった。銭湯と散髪屋は男にとっても女にとっても市民文化の中心だった。良きにつけ、悪しきにつけて町中の情報が手にとるように集まった。そこでは大人や爺さんたちの会話を聞きかじり、子どもも情報を豊かにして行った。街では名の知れた人も、身に着けたものを丸ごと剥いで素っ裸の付き合いをした。今は皆、自宅に風呂を持ち、完全な密室文化の生活に変わった。極々小さな自己中心の世界を作り上げ、他からの干渉を受けつけず、世間のつながりを自らが絶つ。そこからは人間的なつながりが無くなってもちっともおかしくない。家庭での会話もなくなった現代社会では、子どもに引き継ぐべき大人の知恵はほとんど伝わらないのが実態だろう。打たれるとすぐに折れる子が増えた。躾けを放棄し、叱ることのできない親の下で、甘やかされ、踏まれて育つ麦のように、力強い男の子が少なくなった。自分の子だけが正しくて、他は皆敵、教師も校長も、学校も、教育委員会もものの数ではない。保護者が天下を取っている。

今回の事件、私にはいじめとは映らない。小学生時代からの仲良しの友だちだ。単なるふざけ合いの範囲だ。そのために相手の少年は自分がやったことを認め、教師にふざけ過ぎを謝っているのだ。心配はこちらの子だ。翌日学校を休んでいる。自分の軽はずみな行為が引き金になって、いつも一緒にいた友人を失ったショックだろう。校長は、自殺と少年の行為との因果関係を調査する、というが、残った方の少年のケアも忘れないで欲しい。生涯立ち直れない負い目を背負うことになることも考えられるから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月15日 (水)

今は昔のはなし 3

昨日の予告のとおり、結婚後の恋愛はあり? なし?
何時の頃から不倫を恋愛と呼ぶようになっているのか知らない。ここで言う恋愛は明らかに肉体関係を伴うものだろう。だったら姦通であり、不義密通と言うものだ。夫婦である限り夫の不義であり、妻の不義である。オブラートにくるまれた言葉で恋愛などと呼べるものではない。4000人近い男女の考え方を聞いてみよう。
いつものように、MSNインタラクティブの「暮らし」のページ、携帯電話の「毎日新聞・スポニチ」サイト。
 <有効投票数>3862(男1893、女1969)
        あり    なし
 全体    52・6%  47・4%
  男    50・8   49・2
  女    54・3   45・7
なんと、男族は女に比べ、浮気には戦々恐々の様が見える。ここでも参考にはならない10代以下の投票もあるが。
  
        あり    なし
 10代以下男 48・0%  52・0%
 10代以下女 42・6   57・4
 20代男   39・9   60・1
 20代女   46・9   53・1
 30代男   51・5   48・5
 30代女   55・5   44・5
 40代男   61・6   38・4
 40代女   64・4   35・6
 50代男   72・5   27・5
 50代女   47・5   52・5
 60代男   73・0   27・0
 60代女   38・9   61・1
 70代以上男 36・2   63・8
 70代以上女 60・9   39・1

平均的なモラルとして20代以下の男女は浮気はいけないものとしての認識を持っているように見受けられる。しかし、お互いに男と女を知ってみると、こんな筈ではなかった、との思いを抱くようになり、もっと違った刺激を求め、それが相手への不満へと重なって行く。一般に言われる男盛り、女盛りの30代、40代になると、その傾向は一段と顕著になり、特に女性の浮気願望は遥かに男をしのぎ、40代がピークとなる。面白いことに男は50代から60代にかけて身体の衰えに逆らうようにピークを作る。そしてもう1度、今度は男が役に立たなくなる頃に70代の女の頂点がやってくる。

石田のまとめに行ってみよう。浮気肯定派の多い30代そんな世代だが、次のような女性もまたいるのも事実。
「そんな軽いものじゃない!!」と少々怒りモードです。「今、わが家はその渦中。職場の部下と恋に落ちた主人は家庭を捨てようとしています。結婚後に恋愛するなら、どれだけ周りを傷つけるか理解してから行動すべきです」(大阪府・匿名・33歳)

いみじくも俳優石田純一が喝破したように、不倫は文化であることも事実なのだ。日本が世界に誇る“源氏物語”を始め、“アンナ・カレーニナ”“風とともに去りぬ”など、洋の東西の文学作品は、人間の生命の根幹のテーマに性を置いて書き上げているのだ。文学だけが文化と言うのでは勿論ないが・・・。続いて浮気否定派の意見。

「結婚した時にどのような気持ちだったのか、とても不思議に思います。おそらく、この人しかいないと考えて結婚したと思うのですが。わたしは14年前に結婚しましたが、いまだに主人のことが大好きです」(広島市西区・匿名・36歳)「パートナーより好みのタイプの異性が現れても、感情をコントロールできるのが大人です。気がついたら恋に落ちていたというのは無責任」(東京都世田谷区・匿名・49歳男性)「結婚後の恋愛?なに眠たいこと言ってんねん! そんなんなしに決まってるやん! 1番好きで大事やと思うから結婚するんや。毎日平凡に過ごすことが、どれだけ大事で難しいか、そんなんわからんバカタレばかりやから、倫理がなくなるんや」(大阪市平野区・みつこさん・49歳)

この人たちのように皆が強い倫理観や、道徳率で自分を制禦できれば不倫も浮気も起こらない。自分を禦し切れなくて、泥沼に落ち込み、苦しむ人もいるし、本来がだらしなくて楽しければ良い、とする人だっている。こちら側の人たちの話も聴いてみよう。

「夫がパニック障害*になり、家庭での暴言が始まり、喧嘩ばかりの生活に疲れ果てている時出会った人と恋に落ちました。子どももいる人妻を相手にする男性がいるなんて想像もできなかった」(千葉市中央区・月夜のうさぎ・35歳)《*パニック障害とは日本語で言えば自律神経失調症のこと。この女性、夫の病気をいいことに不倫を楽しんでいるだけのことだ。相手の男も遊び相手が、夫も子どももいて浮気をする女、これほど責任を持たなくてよい女性もいるまい。女も自分を月夜のうさぎと名のるほどノーテンキな女だ。》「数年前に夫を亡くし、今つき合っている人には妻子があります。お互いとお互いの抱える状況をこの上なく大切にしたいのです。この愛を諦めると、死ぬ時に激しく後悔する、そう腹をくくって恋しています」(広島市・匿名・40代)《40代、そうだね、まだまだ女だものね、姿かたちのない“愛”という字で誤魔化す。以前記事にしたが、千葉の漁村の70歳を超えたやはり夫をずっと前に亡くした女性が叫んだ声が忘れられない。「私は男が好きだ、男が欲しい」と。こちらの方がどれだけ真実の言葉であることか。》

もう1つ、小説風に綴ったものを。「結婚後、初恋の人と偶然再会して、不倫関係で何年か過ごしました。相手は地位のある身で、毎日電話だけでつながる日々でしたが、後悔はしていません。彼は5年前に突然、心筋梗塞で亡くなりました。倒れる日の朝、会いたいから来てくれと電話がありました。約束の場所はなんと病院。会ったとたん倒れた彼を入院させたのはわたしでした。2ヶ月後、彼は帰らぬ人となりましたが、人と人の不思議な縁を実体験したので、道ならぬ恋でもお互いの魂の交流は、誰にも侵すことはできないと思います」(愛知県豊田市・Rara) 記事をまとめた石田氏も、美しく綴った文章の読後感をこう記した。「Raraさんのメール、いつか短編にしちゃおかな」と。

これらのことをすべてまとめて石田純一は、不倫は文化と言ったのだろう。いずれにしても、女性が性に関してこれだけあからさまにものが言える時代になったということだ。今は昔のはなしを。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月14日 (火)

今は昔のはなし 2

秋田・男児(4歳)の殺人容疑で母(31歳)と交際相手の男性(43歳、畠山博・県立大館高校非常勤技師)が逮捕された。色の道に走った母によって邪魔者扱いされた結果の殺人だ。

進藤(母)容疑者は昨年の12月ごろ、子どもを連れて秋田県潟上市から現在の自宅(秋田県大仙市大曲住吉町)に移り住み、50代の会社員(新潟県中越地震の復興工事で長岡市に長期出張)と同居を始めた。進藤容疑者は、同居の男性の留守の間はほとんど子どもと2人で暮らしていた。

普段はおとなしく目立たない母親だったようだが、子どもの顔には青あざがついていたり、自宅からは毎日のように鳴き声が聞こえたという、近所の人の話もある。保育園に通わせ、送り迎えはよくしていたようだ。帰宅後は2人で犬を散歩に連れ、親子手をつないで歩く姿を見た人たちは、仲のよい親子と映っていたらしい。この一方では複数の住民が、母親が日頃から子どもを虐待していたと指摘するものもいる。ごく近所に住む男性は、「母親が子どもを叱る声をよく聞いた」「今時の母親としてはよく叱るな、と思っていた」と話している。

どこまでを虐待と見るのかは、端からでは何とも言えない。前に取り上げた隣家の奥さん、旦那と別れて(?追い出してだろうと、思うが)1年もしない内に女児を産み、翌年、翌々年と続けさまに女児を産んだ。先の旦那の女子は、わが家にも上げて可愛がった子だが、中学生になって高校受験を目指しながら妹たちの面倒をよく見ている。というよりも母親の怒鳴り声が喧(かまびす)しい。兎に角声がでかい。妹たちも走り回るちびっ子になった。鳴き声も響く。妹たちの面倒を見るのは当然とばかりに学校から帰りつくなり、大声が響き渡る。1、2年前まではただ黙って従っていたが、今では母親に食って懸かる娘の声が混じるようになっている。例えば事件が起こって聞き込みが来たとしても、私は虐待があったとは話せない。隣家であろうと他人の家の事、軽々しく口にはするまい。

どのようなつながりがあった人なのか、今回の聞き込みの近所の人や、住民であろうと、絶対に悪意がないとは言い切れない。進藤容疑者は10月23日朝、秋田に来ていることを保育園に連絡してからあと、同日夕方、大仙市内の「道の駅」で子どもと一緒にいるところを目撃されて以降、足取りが途絶えていた。

調べに対し、母親は「午後5時頃、秋田市から帰宅し、夕食の準備をしていたが、5時半頃子どものいないのに気づいて、110番通報した」と説明していたが、死体発見の現場の状況に不自然な点が多いことから任意で情報を聴いていた。その後の調べで進藤、畠山両容疑者は、10月23日午後4時頃、大仙市北楢岡の駐車場に止めて密会中に、うるさくする子どもが邪魔だとして、(畠山容疑者が唆せたとの報道もある)子どもの頭や顔を殴り、口を塞ぐなどした上、同5時頃、自宅から約400メートル離れた農業用水路(幅2メートル、深さ74センチ)に放置したまま窒息死させた疑いがある。

そっくりだ、この春に同県で起こった連続幼児殺人と余りに似ている。春の事件は母親の畠山(33歳)が、交際中の男を部屋に上がらせている間、邪魔な女児を外に放り出し、密会を重ねていた。今回も車の中での逢い引きに、邪魔になると娘を黙らせるために頭部を殴って殺す。畠山の方は決まった夫は居ないだけ、昨日の新聞投書への回答から判断すれば、恋愛は自由、ということになる。娘が邪魔になるだけだ。しかし、今度の女は、同居の夫(?)は震災地の復興工事のために長い間家を留守にしている妻の立場だ。栗原美和子流に言えば、絶好のチャンス到来だ。知らぬが佛の夫に話す必要もなく、大いに恋愛を楽しみなさい、ということになる。しかし、ここにも邪魔になる娘がいた。

どのように説明をしようとどちらも女の性(さが)で癒されない身を男に委ねたものと見る以外にないだろう。それを手に入れるためにはたとえわが子であろうと邪魔になれば抹殺することに躊躇しない。時代が変わればこうもモラルは脆く崩れるものか。たった半世紀前、戦争に命をかける男たちがぞくぞくと戦場へ駆り出されて家を留守にした。夫や恋人たちがいなくなった。内地に残った女たちは夫や、男のいない家を、そして恋人を送りだした女たちは操を誇り高く守り、無事の帰還を祈った。単純に時代が違う、とだけで済まされるものではない。

いい気になるな、と言われかも知れない、そんなのは封建時代の男尊女卑の名残り、いや、そのものだと。
今日の毎日新聞に、例の石田衣良の「白黒つけます」が格好の話題を提供してくれた。曰く、結婚後の恋愛はあり?か なし? かと。今は昔のはなし はまだ続く。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月13日 (月)

今は昔のはなし

むかし、浮気は男の専売特許のようなものだった。それはもう幻想の時代になったようだ。現代の社会、浮気は女性がたの専売に様変わりしたように思える。

幼い頃からの盛り沢山の情報に埋もれ、性知識を備え、早くから異性を追い掛ける。思春期に入るや売春を覚え、身体で稼いだ金で身を飾る。何をするにも携帯は必要な道具になり、情報の収集や交換は落ち度なく万遍なく整える。‘結婚までは清い身体で’は今は昔のはなし。それまでには性病も含めた十分な経験を積み、フィットする男を捕まえると、お腹を大きくしてから式を挙げる。子どもができるや否や、飽きの来た男から次の男に目が移る。捨てる前にはこれぞといった代わりになるブツを物色済みだ。子どもを連れて出ていったならば早速だ、男と2人して虐待が始まる。マスコミが拾って歩く鼻糞のような話題には事欠かない。浮気に不倫などあって当然の世の中になった。結果産院に駆け込み、引っ掻き出してもらって、さあ、次の浮気だ。来年からは年金の分割制度が発足することになって、一気に離婚の件数が減っている。女性からの問合せが90パーセントにもなっている。年金が手にできるまでは我慢に我慢だ。いやな旦那と縁を切り、真直ぐお見合いパーティーにお出かけだ。それまでは内心でする浮気、不倫で我慢しておこう、という魂胆だ。一緒にお墓に入るのはまっぴらご免だそうだしね。

毎日新聞には、女性週刊誌のような記事が連載のかたちで毎週載る。「恋したい」コーナーだ。すごい相談だ。「自分がほかの人を好きになって離婚したのに、元夫が忘れられない」次の週には「お見合い結婚の夫。尊敬はしてますが、ほかの人への気持ちが抑えきれません」と続く色気違いのような内容だ。先の女性は23歳で結婚、不倫で26歳の時離婚。見つけた新しい男に飽きて元夫に「やり直せないか、という手紙を書いて、その間に連れ合いを持った元夫から拒否にあう。

2人目の女性は33歳。親が厳しかったことで恋愛をほとんど経験せず《ということを理由にして》見合い結婚をした。身体が会わない、受け入れられない《セックスが下手ということか、自分が不感症ということか》と浮気した。相手には28歳と偽ってつき合った。この男にも飽きた。次の男が欲しい。という相談。夫とは夫婦のままだ。

少なくとも腐っても天下の毎日新聞と思うのに、よくもこんなコーナーを設けたものだが、ずっと続いている。今までも男性からの相談はゼロ、相談者の年齢層は30〜40代の女性。皆揃って性に関する相談だ。タイトルの「恋」が泣く。回答者は前にも書いたことがあるが、フジテレビのドラマ制作畠の栗原美和子。この回答も凄い。
「夫婦だから肉体関係や恋愛感情を持ち続けなければならない」と、捕われなくていい。結婚のキープ《ボトルと間違ってるのか》の仕方は、いろいろあっていいと思います。とした上で、「ただ、うそをついて恋することには《え、不倫することだろう》賛成できません。28歳と年齢を偽ったということは、独身と伝えていたのではないでしょうか。相手と夫と両方に対して誠意がない態度です。《ほー、夫には裏切り、相手は不倫、このどちらに対して元々ない誠意を示せというのか》相手の存在が不用意に家庭に知られて、しっぺ返しを喰らうことにもなりかねない。「夫は夫としては素晴らしい人」と相手に告げた上で恋愛をするのが、《栗原にはこれが恋愛か。明解な姦通だろう、姦通罪という罪名はなくなったが、している行為は間違いない姦通だ》この人にとっては一番ストレスがたまらず、精神的な安定が得られる思います。《私の夫は何も知らないのよ、安心して、と言うのがよい、それが相手に罪悪感を持たさないで姦通できる方法と教授なさる。》

そもそも自分を偽っていては、それは恋愛ではなく恋愛ごっこ。もう一人の自分のもう一人の世界で、恋愛ごっこを楽しんでいるだけなのです。自分の置かれている状況や、抱えている問題も含めて愛してもらえることが大事。恋愛相手には本音をぶつけていい。逆に本音を隠してでも長く関係性を維持するのが夫婦で、子どもがいる場合はなおのことです。《むかし、同時に2人の女を愛することができる、とよく男は口にした。そしてそれは顰蹙をかい袋だたきにあった。今は女は夫にはばれないように上手く立ち回り、姦通相手とはうんと楽しむのが正しい恋愛だと教えるのか。》

私の世代は男尊女卑の思想と敗戦後の民主主義とをあわせ持ち、心は戦前、頭は戦後を理解しようともがいて人格形成や価値基準を作り上げて来た。その目には、男は益々弱く頼りなく、女にかしずき、女は男にとって代わって性を謳歌しているように写る。

参照「汝 姦淫するなかれ」06/06/05

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年11月12日 (日)

自殺予告さわぎ

一通、続いて一通、重ねて5通の自殺を予告する文書が文部科学相に送られて来て、安倍総理も「日本にとり深刻な問題」と話した。

そして、最初に予告して来た11日と12日には特に郵便物の消印から該当することが懸念される学校も、監視態勢をとってことの成りゆきを見守った。幸いにして何事もなく該当する日時は過ぎて行こうとしている。

何か事が起これば大騒ぎする今の日本では政府、マスコミ、を先頭に、どっと後を追うような大波になる傾向がある。そして、続いては「人の噂も・・・」とやらで、次の大騒ぎの起こるのを待つ。見ていると、どうやら子どもたちのいじめも起きた結果だけを追いかけて、ああでもない、こうでもない、と騒いでいるようにしか思えない。

その辺りを冷静な目で 見ている石原東京都知事が、10日の定例の会見で、自殺を予告する手紙について「あんなものは大人の文章だ。理路整然としていて、私は違うと思う」と述べ、大人による悪戯の可能性が高いとの見方を示した。先に私も私の長男がいじめを受けたおり、「耳でも鼻でも噛み切れ」と教えたように*、石原氏もいじめに関しては「親が関与するべきではないか。私なんか、子どもに喧嘩をの仕方を教えた。たちまち相手を倒したら小学校で番長になっちゃった」と自身の子育て経験に触れ、その上で「自分で戦ったらいい。ファイティングスピリットがなければ、一生どこへ行ってもいじめられるのではないか」と語っている。全く同感だ。

このような中で小学生女児による「たかり」の連鎖が起こっている。たかりにあった女児が、同じたかりを他の7人に混じってやっていたことが分かった。北九州市八幡東区の皿倉小学校(児童数519人)で、5年生の女児(10)が同級生らに頻繁に金をたかられ、多額の現金を渡していたことが分かった。被害額は少なくとも十数万円に上ると見られている。

同市教育委員会によると、9月26日、被害女児の両親から学校に相談があったことから、教頭らが保護者や児童に事情を聞き、5、6年生の複数のグループ計8人が、繰り返し現金を渡すように女児に要求していたことがわかった。

女児は両親の財布や自宅金庫から現金を持ち出し、1回に数千円から1万5000円を渡していた。被害額は7月以降だけで十数万円に上っている。女児の両親は「4年生の時からたかられていた」と訴えているというが、5年生になるまでの長い間、子どもが金を持ち出すことを止めさせる働きかけをして来なかったのだろうか。普通の生活をしている家庭で財布から数千円、或いは1万円以上の金が消えれば気がつくはずだ。

学校の調査の過程で、5年生の別の女児(11)も男児2人にたかられ、計3万円を渡したことも判明したが、この女児が最初に記した他の7人に混じって10歳の女児に金を要求していた子だ。やられてやり返す、これじゃ、親に相談もできなかったのは当然かも知れない。

*参照「いじめ 1」06/10/31

【追記】
夕刻、テレビがたかり事件のあった皿倉小学校の校長が、自殺(と思われる)していたことがわかった、と報道した。たかりのあったことを知っていたが、単なる金銭トラブルの認識しかなかった、との報道による譴責に耐えられなくなったようだ。死んで責任が取れるのだろうか、呑気なものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月11日 (土)

「ココログの本」到着した

当選して製本された本がココログ出版から11月中には送られてくる、と前もって知らせを受けてから楽しみにしていた本を受け取った。ハードカバーで手にとって、いかにも「書籍」といった感じの仕上がりだ。表紙にはブログのタイトル『世相』とURLアドレスが小さく印刷されている。一般に書物のタイトルは背表紙も含めて大きく目立つように書かれるものだが、ココログ出版の製本では本文の文字と変わらない大きさだ。選んだデザインの効果で純白の仕上がりに見える。100パーセント自分の書いたものと思えば、何だか面映い感じがする。帯がまた良い、サブタイトルに選んだ昭和ひと桁の独断と偏見が白抜きされた簡潔なものだ。「簡素こそ最良」をデザインの真骨頂と考えている美的感覚にぴったりで、遠慮勝ちの同心円風に絵ががれたデザインは帯を外さないと見えない。

Book

  3册を早速写真に撮った。



比較的写真が少ないブログなので、200ページの殆どが読み物となった。
ソフトを使わずにHTMLの勉強を始め、ホームページを開設したが、70歳を過ぎてからの記事づくりは時間ばかりが経ってなかなか捗らずに苦しんでいた。その頃ブログを知り、切り替えることにして現在の『世相』を立ち上げた。最初は先に開設したホームページの中からの転用になったが、一段落し、今に続いている。

こんなことを書きたい、と話した当初、長男(そろそろ40歳になるが)は、年寄りの独断や偏見など読む者はいないよ、と評価しなかったが、今は理解者になってくれている。それに嬉しいことに、わざわざ‘小言こうべい’のブログに立ち寄ってくれる人も増えて来た。

今日は新聞記事からも、世間のことからも離れて自分の喜びにひたっていたい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年11月10日 (金)

センター試験「全教科義務化」

毎日新聞(11/9)から
8日、伊吹文明文部科学相は、高校の履修単位不足問題に関する大学入試センターについて「高校の必修課目すべてで一定以上の点数があるかどうか確認するために使うべきだ」と述べ、6教科すべての受験義務化を検討するように指示した。

衆議院の文部科学委員会で、自民党の馳浩国対副委員長の質問に答えたものである。

伊吹氏は「センター試験で、世界史と日本史が同時間に行われている」と指摘し、試験教科の設定が高校生の「日本史離れ」を招いているとの見方を示した。さらに「高校は予備校ではない。(習熟度の判断を)校長の認定する卒業証書だけに任せておくのは考えなければならない」と強調した。

6教科(国語、地理歴史、公民、数学、理科、外国語)は、いずれも学習指導要領で高校の必修科目だが、センター試験で受験生にどの教科の受験を課すかは、各大学や学部の判断に任されているのが実態だ。
 来年1月に実施される07年度試験は、4年制大学で全国公立大157校と私大の8割に当る450校が利用。6教科すべてを課しているのは83校にとどまる。文科相の考えとは逆に、私立大は受験課目を絞り込む傾向にあり、実施するには大きな混乱が予想される。

伊吹氏は、センター試験を事実上の卒業認定試験として機能させる構想も打ち出し、省内に検討を指示したことも明らかにした。氏の発言の背景には、高校の必修10教科*と試験教科とのずれがある。履修不足を受け、一部には学習指導要領で義務付ける必修科目を減らすべきだとの意見もあるが、氏は「本末転倒」と一蹴する。むしろ、履修漏れを防ぐ方向性を鮮明にした形だ。全国一律の卒業認定試験は、フランスやドイツで実施されている。

*学習指導要領に定められている高校生の必修科目は
 国語、地理歴史、公民、数学、理科、外国語、家庭、情報、保健体育、芸術の10教科。

この中から、センター試験で出題されるのは、国語から外国語の6教科だ。受験生は、受験する大学の指定した教科科目を選択し、受験することになる。最近の傾向として国立大は試験科目を増やし、6教科全部を課す国立大学は06年度62(総数87、文部科学省平成18年4月1日付)大学もあり、国立大に関して言えば、伊吹氏の発言は、ほぼ実現されていると見てもよさそうだ。

一方、私立大学は科目を減らす傾向で、1科目、2科目に絞る大学もある。少子化と大学全入時代を控え、学生の入り易さを重視してのことという。少ない学生を、大学間、大学と専門学校の間で奪い合う時代に、「教科を増やせ」と指示しても、私大側が容易に従うとは言えないのが実情のようだ。因に07年度の状況では、大学側の募集人員よりも受験生の数が下回り、いよいよバカでも大学生になれる時代に突入するようだ。

これまでに何度も何度も書いて来たが、日本は大学が多過ぎる。現在の団塊の世代に合わせて準備してきた得体の知れない名ばかりの大学も含めて、半分は淘汰して行かねばならないのが実態であるはずが、受験生の激減に合わせてレベルを下げられるだけ落とし、人数だけを確保してなんとか経営を続けようともがいているのが現在の実態だ。その中から受験科目を減らし、学費を修めてくれる頭数をなんとしても確保しようとする姑息な手段が生まれた。

タレントにも東大、京大、横浜大、外語大出が生まれ、何人も頻繁に顔を出すようになった。総じて学問は出来たのだろうが決して利口とは呼べない人間の多いのに驚く。頭が良い、ともてはやされて成長した人種なのだろうけれど、大勢の高校出のタレントと大した差がない。得意分野でこそ突出するが、一般常識や知識のことになると普通に競えるタレントは山といる。

来年度から小学校でグローバル化の旗を掲げた英語学習が実施されるが、英語だけが外国語ではないし、よしんば習うとしても、外国語による世界史を学ぶための基礎づくりならよい、或いは日本史の基礎づくりなら。どんな立派な大学を出ても、税金を無駄に使うために役人になるための高学歴では、国にとっては害になるだけだ。

国公私立を問わず、全教科義務化は絶対に必要だ。事変や事件、時代を幾ら語呂合わせで覚えても意味はない。それらが歴史の中でどのように位置付けられ、評価され近・現代に続いているか、世界の中で日本が外国とどのように係わって来たか、この先どのように係わるべきかなど、グローバル化とは人との係わり、世界との係わりなど幅広く考えられる人間であることだと思う。単純に英語をしゃべることができればそれを国際人と呼ぶのではない。

参照「高校必修単位不足」06/10/27

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2006年11月 9日 (木)

誰のための「シェルター」

狂気の戦争屋ブッシュが惨敗した。アメリカ国民が望んだアメリカ兵の早期イラクからの撤退が、彼の残り二年の間に徐々に行われることになるだろう。そして、日本は、小泉のようにブッシュの足元で尻尾を振っていればよかった時代とは違った対応を迫れらることになるだろう。

北朝鮮のテポドン騒動から声高に、北朝鮮を仮装敵とした敵対的な対抗「核保有論議」を叫び続けた中川や麻生に対し、「このまま発言を続ければ罷免も止むなし」と自民党・山崎拓前副総裁が8日、東京都内で講演し、二人が核保有論議を容認する発言をしたことについて「最高指導者のかなえの軽重がが問われる。発言を止めさせるか、職責を辞めさせるべきだ」と述べた。この中で、山崎氏は日本の核武装論に関し「政府・与党の要職のものが言うことは自己矛盾だ」と批判し「閣外に出たり、党三役を辞めて議論しましょう、と言うのなら分からないでもないが、最高指導者の言うこと(北朝鮮が核武装を宣言しようとも、非核三原則は国是としてしっかり守っていくと明言)を聞かないのは政権内不統一だ」と語った。

中川は8日、言を翻し「私なりに高度な政治的、安全保障的観点から発言しない」と述べ、当面は自粛する考えを示した。与野党から核保有論議に対する懸念が強まっており、事態の沈静化を狙ったものとみられる。「米国の中間選挙の結果に伴う北朝鮮への方針の変化や、6ヶ国協議への北朝鮮の対応など、2、3週間、状況を注目しないといけない時期に入って来た」と説明した。

世界の先行きの状況も読めず、目には目を、で騒ぎ立て、自己の主張を高度的な政治判断とか、安全保障的観点であったなどと、破れかぶれの説明で済ましてしまう。中川は草々に口をつぐむことになったが、さて、麻生は何と言ってどうするか。

このバカ二人がしばらくの間騒いだお陰で、長らく話題から遠ざかっていたものが、絶好の銭儲け、とばかりに表通りに飛び出して来た企業がある。『核爆弾が落ちて放射能から皆さんどう逃げる』とますます北朝鮮の怖さを大声で叫び始めた。地下核シェルター建設などを手掛ける「織部精機製作所」(神戸市垂水区)だ。

今夏以降、モデルハウスの視察や問い合わせが急増している、という。放射能に汚染された空気も浄化するスイス製の換気装置(大型170万、小型38万8000円)の輸入販売のほか、シェルター一式の建設も請け負っている。同市須磨区のモデルハウスは広さ約50平方メートル、厚さ約50センチの壁に囲まれ、換気装置、防爆ドア、酸素濃度測定器、緊急脱出口などを備える。

同社によると、地下約50センチ程度に埋めたこのシェルター内にいれば、広島級の原爆が投下されても、爆心地から660メートル以上の距離なら影響を受けないという。人体に影響を及ぼす放射線量は通常、2週間程で激減するとされている。同社取締役の織部信子(62)は「最初の2週間をここで過ごすことで残りの生涯を守ることがでいます。その投資としては決して高くはないでしょう」と語っている。

シェルターは核爆発以外にも、震度7級の地震にも耐えられ、企業経営者や住宅の新築予定者からの問合せは、北朝鮮の弾道ミサイル騒動の7月以降最大15件もあった日もあり、既に契約を含め18件の契約が成立しているという。

書いていて胸が悪くなってくる。先の大戦中、何処の家庭もお互いに協力して全員が避難できる防空壕を掘って命を守って生き延びた。しかし、このシェルターでどんな人間が何人生き延びることができるのか。指折り数えられる数だろう。大戦中、長野県松代の山中深く大本営を移し、天皇を避難させ、指導者たちは完全防備の地下にあって、そこから戦争を指導しようとしたこともあった。完全な防備が可能なのは、一握りの限られたものになり、国民の大多数は死滅することになる。このシェルターは家庭用なら約1000万円だとか、狭い国土に上に上にと積み上げたマンション住まいの国民は、何処に穴を掘れというのか。大企業だけが神武以上とも言われる好景気のさなか、生きることも叶わずに自殺する人まで出ている世の中だ。格差社会の象徴とも言える商品がこのシェルターだろう。シェルターの買えない人間に核保有の軍隊を持たせ、どう戦え、と言うつもりか。

10月下旬、東京都内で開かれた「機器管理産業展2006」では「消防や自衛隊、医療関係者からの照会が続きました」とは担当の今井達也氏の話だ。

それにしても中川、麻生さま、君たちが恐れるように北朝鮮が核爆弾を落としたとして、焼け野原の日本に、ぽつりぽつりと生き延びた人たちで、どう生きる? あ、そうか、その前に北朝鮮を叩き潰したいんだね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 8日 (水)

米大統領は平和の脅威か

イラク高等法廷(旧フセイン政権の犯罪を裁くため、03年12月に米英占領当局とイラク統治評議会によって「特別法廷」として設置され、後に現行の名称に変わった)は、イラク国内法に基づき5人の判事によって審理が進められ、2審制になっている。米英占領下で設置されたために、フセイン元大統領や弁護団は正当性に異義を唱えている。

ウサマ・ビンラディンを捕まえるために出かけ、雲隠れされて捜し出せずに手近なフセインをひっ捕らえることで誤魔化し、9・11の目をイラクに向けさせて来た。イラクに梃入れして法廷を開かせ、完全にテロから反れ、大量破壊兵器に名目を切り替えたが、3年を経過してもそれらしい兵器を見つけることもできず、戦争だけは続けているのが現在のブッシュ大統領だ。アメリカ国内でさえ疲れ切った国民はブッシュから離れ、ブッシュの強い味方であったキリスト教右派もすでにブッシュを見限ったようだ。

こんな時、バグダッドのイラク高等法廷は5日、フセイン元大統領の判決公判で、アブドルラフマン裁判長が求刑どおり死刑(絞首刑)を言い渡した。中間選挙の遊説に向かう途上のブッシュ大統領はテキサス州の飛行場で、フセイン元大統領に死刑判決を言い渡したことについて「日の浅いイラクの民主主義にとって大きな成果だ」と語り、民主化が進展したとアピールした。ブッシュは「フセイン裁判は独裁者の支配を法の支配に転換しようと努力するイラク国民にとり、画期的な出来事だ」と評価した。

しかし、これより先3日付のイギリスのガーディアン紙は、ブッシュ米大統領は北朝鮮の金正日総書記や、イランのアフマディネジャド大統領よりも危険、とする世論調査の結果を掲載した。世界の指導者で誰が平和への脅威かなどを英国民に尋ねた結果だが、ブッシュはかつて自分が「悪の枢軸」と呼んだ国の指導者より、危険視されるようになったとしている。

調査結果によると、75%がブッシュについて危険と回答。北朝鮮の金正日は69%、アフマディネジャド大統領は62%だった。最も危険とされたのは未だに捕まえられない国際テロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディン容疑者で、87%に上った。

ガーディアン紙のほか、イスラエル、カナダ、メキシコの有力紙も連携し、それぞれの国で同様の調査を実施した。イスラエルを除く3ヶ国では、イラク戦争を正当化できないとする意見が圧倒的多数を占めた。親米のイスラエルでも米国の政策を支持する比率が減ったという。

アメリカ国内ではニューヨーク・タイムズは5日付の社説で、「ブッシュ政権で議会を主導して来た共和党の仕事振りはひどかった」として、7日の中間選挙で共和党候補を一切支持しないことを明らかにした。1951年から発行している同紙だが、「記憶に残る限り初めてのこと」(社説)としている。

初めてにしろ、これだけのことが社説として表明できることに驚く。例えば日本で朝日、毎日、読売、産経などのどれかが書くとすれば、NHKの短波放送でやったごとく、権力を使った統制が即座に実施されるだろう。いや、腰抜けのメディアにはそんな骨のあることが書けるところはあるまい。どこも一様に特色もなく、波風立たない論調で、どの新聞を読もうと違いのないことが日本のメディアの伝統になっているのだから。

今日にもアメリカは中間選挙の結果が明らかになるのだろうが、アメリカ国民の期待どり、2大政党間での転換は起こるのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 7日 (火)

ドラマ「14歳の母」

脚本家の井上由美子の書いたドラマがテレビで放映されている。私は見てはいないし、これから先にも見る気はない。11月6日の毎日新聞紙上で記者が井上に取材した記事が載った。

《虐待死、親殺し、いじめ、自殺・・・と、家族や学校を巡る事件が続いている。日本テレビ系で放送中の連続ドラマ「14歳の母」(水曜午後10時)は、中学2年生の女の子が妊娠するという刺激的な内容で、暗い事件の連続と相俟って「少年少女の性の乱れを描いた風俗ドラマ」と見る向きがあるかも知れない。だが、脚本家の井上由美子さんは「このところ続く事件で、命が軽くなったなあという思いがベースにあり、ドラマでは命の重さ、大切さを考えてほしかった」と語る。井上さんにドラマ制作の狙いを聞いた。》

女子中高生の妊娠という題材は、今までも幾つかのドラマで扱われて来た。学校内の不祥事として秘密裏に処理され、本人もすぐ中絶手術を決め、友人たちからカンパをもらって一件落着といったストーリーだ。

彼女は言う「立ち止まって考えてもらいたいと思った。今の子どもは性や中絶の知識はあっても、いざそうなったときに、事態をどう受け止めるか、考えることが少ないようだから」と、主人公を名門私立中学校の2年生に設定し、友だちの多い、普通の明るい少女とした。この少女の相手は塾の仲間でおとなしい中学3年生。二人が街で不良に絡まれ、逃げ込んだ公園で互いの思いを話すうちに結ばれて・・という自然な流れだ。井上は言う「決して特別なケースでなく、どこの家庭でも起こりうる話として受け取ってもらいたかった」。

2ヶ月後、妊娠が判明。すぐに母親に知られる。母は子をじっと抱きしめる。父親は、否定し、激怒し、混乱し、やがて諦め、受け入れ、収拾策を探す。結果は中絶を選択する。手術直前、母親は手術台に上がる順番を待つ娘に、娘が生まれて来た時の話を聞かせる。娘の心に何かが閃き、突然、出産を決意する。母親が話したのは自分が母親になった体験談。

井上の考えは「人の命って、いろいろな可能性の中で奇跡的に生まれてきたものだ」ということに主人公は気づいたんだ、ということにした。そして続ける「気づくことが大切です。命を生む性の母親目線で語っていくと、わかりやすいですね」という。14歳のママゴトを勝手に大人の性で決めてしまう。

中学生の妊娠に、世間は寛容ではない。この先ドラマの進展は、父親、男子の親、同級生、先生、さらにメディアを巻き込んで、混乱と非難などなどが用意されているようだ。井上は「どこの家庭でもおこりうる」と言うが、いみじくも自分の恋愛観を暴露したに過ぎない。性モラルに関しての己のだらしなさ(或いは渇望と言ってもいい、恐らく自身が欲求不満なんだろうな)をドラマに移し、問題提起した気になっただけのことだ。このような大人が周りにざくざくいることによって、少女売春が普通に行われ、世界でも有数の堕胎天国になっている日本の現実があるのだ。もっと言えば、そのような状況下で生まれた子は、ひっそりと海外へ運ばれ、養子のために売れらるケースさえ発生しているのだ(高倉正樹著「赤ちゃんの値段」)。『いのち』を書きたいのなら、こちらのことこそ書くことだ。「どこの家庭でも・・」は彼女の幻想で、そうあって欲しいとでも思っているのだろう。

不良に絡まれただけで性関係に走る娘と男(ただ好意を抱いていただけの)が普通なのだろうか。わざわざ堕胎の直前で話を聞かせる母親は、いったい病院に来るまでに何故、二人きりで時間の制約を心配しないでもよい自宅で話し合わなかったのか。第一次、第二次性徴期の時点で何も教えなかったのか。あまりにも簡単な性衝動を前提にしてドラマは作られたとしか思えない。現在の中学生の男女をバカな低能扱いしていないか。実際にわが家に娘がいて起こったこととして考えれば、私は二人を特に男を絶対に許さない。昔風に言えば、相手の男を殺すかも知れない、いや、きっと殺すだろう。

井上とは、ドラマ「火垂るの墓」で、歴史の認識も、価値観も持たないで、安っぽいドラマを拵えた脚本家だ。

参照「火垂るの墓」05/11/02

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年11月 6日 (月)

ポール・モーリア死去

10月の末、フランス南部のペルピニャンの別荘に滞在中、体調不良を訴え検査入院したが、急性白血病であることが判明。11月3日午前1時、入院先のペルピニャンの病院で逝去(81歳)した。あまりにも急な死である。

ビートとリズムだけの現在のうるさい音の集まりではなく、音楽を音楽らしく聴かせることに神経を配った指揮者だった。1965年にフィリップスと契約、ポール・モーリア・グランド・オーケストラを結成。1968年に「恋はみずいろ」を世界的にヒットさせ、全米ヒットチャートで連続5週トップを記録、グラミー賞を受賞し、一躍名を上げた。全世界での売り上げは500万枚を記録し、自己最大のヒット曲ともなっている。

大の親日家で、1969年に初来日してから1987年まで毎年ツアーを行った。1998年の日本ツアーを最後に指揮者を引退したが、彼の名を冠したオーケストラはその後も活動を続けている。日本では馴染みの曲も多く、「エーゲ海の真珠」や「そよ風のメヌエット」はメルシャンワインのCMに使用され、一家に一枚ポールモーリアとも言われた程浸透していた。勿論わが家にもLPで数枚、CDになってからでも全集で揃えてある。上品で聴きやすい彼のサウンドは「イージーリスニング」というジャンルをも確立し、その後も数々の作品を生んで行った。来日は20回以上、公演回数は1200回に及ぶという。

1979年、日・伊合作映画「エーゲ海に捧ぐ」に続く1982年の「窓からローマが見える」はともに芥川賞作家で版画家の池田満寿夫の原作・監督になる作品だが、後の「窓から・・」はポール・モーリアがオリジナル・サウンド・トラックの音楽を担当している。

1995年の阪神大震災の折には「四重奏団・神戸」(フランク・プゥルセル:ヴァイオリン、フランシス・レイ:アコーディオン、ポール・ポーリア:ピアノ、レイモン・ルフェーブル:フルート)で、チャリティー録音を行いCD化した。

毎年、必ず虫干しでもないが、手持ちのSP、EP、LPレコードに始まって、CD、カセットテープを何ヶ月か掛けて音を出して時間を過ごす。たまたまCDの順に当っていて数日前にポール・モーリアを聴いたばかりだ。澄んだ音色のピアノに、クラシックとも違う心の安らいだ時間を持った。

イージーリスニングの世界は今、1925年生まれのポール・モーリアが逝き、1953年生まれのリチャード・クレイダーマン一人になった。耳をつんざく騒々しい雑音まがいの音から逃れたい世代には、音質などお構いなしで必要もない曲数が収録できるiPodなどの録音再生機器よりも、精々20曲程度の録音ができる機械があれば十分だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 5日 (日)

いじめ 3

いじめで泣く子や自殺する子に同情するだけでは、いじめはなくならないことは、繰り返し言って来た。それはいじめを行う加害者の問題だからだ。被害者を取り上げても、今日で幾つ発生したかといった数を数えるだけに終わる。ここで1件、あちらで1件、続いてまた1件、合計3件も起こった。大変なことだ。これでいじめが解決するなら幾らでも数えていればよいが、そうじゃなかろう。

どんなヤツが、或いはヤツらが、それにどんな親に育てられたヤツらが人を虐めるのか。そこに迫らなければ、いじめは可哀想に、ああ可哀想に、で終わる。学校の責任ではないことも、校長の責任でないことも何度も言って来た。犬や猫と同じ、ただ産み落としただけで後の躾も教育もしない無責任親に育てられた子供達(男も女も)が、人をいじめる快感に浸っているのだ。多く世の中の親は、わが子がいじめられているのではないかを心配するが、本当は自分の子は他人(ひと)さまをいじめてはいないだろうかを心配するのが先だ。

軍隊では上官のいじめは伝統という隠れ蓑で引き継がれ、年々繰り越されて初年兵の涙の種になり(消灯ラッパのメロディーをなぞり、「新兵さんは可哀想だなー、また寝て泣くのかヨー」と口ずさまれ)、それこそ発狂したり、脱走するものまで排出した。これを真似たように続いているのがスポーツの世界で見られる下級生へのいじめだ。精神を鍛える、との美名の元、しごきになって続けられている。加害行為は陰湿に、見えないところで行われる。教師や校長が知らなくて当然のことだ。

いじめる側はいじめることに楽しさを覚える場合。ストレスの発散の場がない場合。自分の力を他人に見せつけたい場合。自分にないものを持つものに対する憎しみ、偏見、恐怖、無視などから来る場合などが考えられるが、得てして本人には悪意がなくても傍観することがいじめになっていることもある。

今日の新聞記事。「いじめ自殺」16件 と書いた。いじめが主な原因で自殺した公立小中高校の児童生徒を文部科学省がゼロと発表していた99〜05年度の7年間に、いじめが原因と疑われる自殺が全国で少なくとも16件ある(あった、だろう)ことが分かった。このうち、いじめを訴えたり示唆する遺書や走り書きが残されていたケースが11件、いじめを学校が認めた事案が10件あった。文科省や教育委員会、学校によるいじめ実態把握の不十分さが厳しく問われそうだ、と。

いかにも独自スクープよろしく詰問調で書いているが、このように死んだ子の年を数えるようなことをして偉ぶってみても、いじめの解決には程遠く、何の解決もできない。ただ単なるデータの集計にミスが存在したというあら探しをしただけのことだ。

それよりも、中2男子生徒(13)がいじめを苦に自殺した福岡県筑前町立三輪中学で、この男子生徒をいじめていたとされるグループが事件後も別の生徒にいじめを繰り返していたことが分かった。複数の関係者によると、新たな受けているのは自殺した男子生徒と同じ学年の別の男子生徒。暴力的な行為はないものの、言葉によるいじめだという。日常的ないじめのグループは顔も知られているし、親も分かっている。この親たちを表に出して来なければこれからもいじめはなくならない。先に自殺した子の事件の後、この親たちが子どもをどう諭したか、何を言い、何を教えたか。それを追求して行くのがメディアの仕事だろう。過去に幾つ事件があったかなど、調べても何の役にもたたない。新聞社が被害者の子の親と一緒になって教師や校長を吊るし上げる前に、しなければならないことが分かっていない。

学校も実際にいじめた7人とも言われている生徒たちに登校禁止、自宅待機、乃至は退学(義務教育の場合は不可能なのか)だって考えるべきだ。強制的にでも親と子でじっくり話し合う時間を与えて納得のいくまで会話させるべきだ。世の中もいじめられる側に同情するだけではなく、いじめる子の親を明るみに出させるように働きかけることが大事なことだ。問題はいじめる側にあることを解らせることが必要だ。その根源にはいじめる子の親が、育児の責任を放棄している現実があることをもっとマスコミは強く主張していくべきだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 4日 (土)

流行 スパッツ

spat(s)はもともと靴の甲かけのこと。しかし、現在は女性が多く好んで着用していて、男の股引のような着用のされ方だ。男ならズボンの下に隠して着用するが、女性は堂々と人の目に曝す。

「暮らし豊かに・・」東京ストリート時装、もっとすてきに!、ほどよくセクシー、原宿で。全身が写された乞食スタイルのスカートとズボンの二人連れと、スカートから覘く股引を履いた足元を撮られた別の女性一人。キャッチフレーズのようなセクシーさもなければ女性らしさは、どちらの写真からも微塵も見受けられない。

押し入れの奥から引っぱりだしてきたようなボロを何枚も重ね着し、見苦しく染めた不揃いの髪を垂らし、頭には鳥打ち帽を載せ、下着の覘くジーパンの足下はよれよれのルーズソックスが巻き付いている。連れの方はと見れば、これまた染めた髪の上からうず高く巻き付けた襟巻で、不似合いの眼鏡を掛けた顔半分が隠れ、首に巻き付き、紐だらけの上着を着て、ポケットに詰め込んで飛び出した何本もの紐(ストラップに非ず)をぶら下げたスカートの下に、皺だらけの股引を履いた足は、O脚がなお目立つ内股にして、二人並んで紙袋の中の食い物にかぶりついている。何処から見ても反吐が出そうな見苦しさだ。足元だけが写っている女性は全体像が解らないが、スカートの下にまたスカートが覘き、足首にレース飾りの付いた股引だ。

これらの記事を書いた伊藤忠ファッションシステム・コンシューマーアナリスト(あっ、この名前、以前にも取り上げたことがあった)の表現を借りるとこうなるから驚きだ。
《写真下の20歳の学生さん(足元だけ撮られた女性)は黒のスパッツのすそに紫のレースがついている。トレンチコートからのぞくシフォンワンピースのプリントの一色にも紫が使われている。その女性は「タイツは蒸れるし、着脱が結構面倒。その点スパッツは快適だし、夏場は足の無駄毛処理をし忘れた時にも便利」「無地ものからひょう柄まで20本は持っている。組み合わせるものの色目やデザインによってコーディネートしている」と話した。その一方では裾がクシュクシュしたスパッツは、ギャルを思わせるためはかない。ちょっとしたシルエットの違いにも敏感に反応し選択をしているようだ、となる。

続いて二人連れ「履くならスパッツかロングソックス。タイツなら柄物。今年は無地タイツの気分じゃない。レッグウオーマーを会わせるなど、人と同じにならない工夫をしたい」など、便利なものから一歩抜け出し、気分を左右するひとつのファッションアイテムに昇格している様子が窺われる。》となる。

私の美的センスがおかしいのか、どう見ても襤褸が歩いているようにしか見えない。確かに絵画の世界にピカソが現れた時代、それまでの写実的な古典調からシュールレアリズム、抽象派、ブラックやグリスらと挑んで確立した立体派(キュービズム)があるように、ファッション界の波なのかも知れないが、それにしても余りにも汚らしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 3日 (金)

人工妊娠中絶 過去最少

毎日新聞から
全国で昨年度実施された人工妊娠中絶件数が、記録が残る1955年以降、初めて30万件を切り過去最少となったことが、厚生労働省の保健・衛生行政業務報告で分かった。

母体保護法で都道府県知事への届け出が義務付けられている妊娠22週未満の中絶件数が対象になっている。実施件数が極く少ない50歳以上を除くと、すべての年代で前年より減少した。特に若年層で減少率が大きく、
 20歳以上は減少率が0・2〜3・7%なのに対し、
 20歳未満は13・3%減少、
 15歳未満では32・5%も減少している。

人工妊娠中絶件数・年次.年齢階級別(保健・衛生行政報告)
      平成15年度  平成16年度   平成17年度
         (   件      数  )
 総数    319831   301673    289127  
 15歳未満    483     456      308
 15歳     1548    1274     1056
 16歳     4795    3875     3277
 17歳     7915    6447     5607
 18歳     11087    9747     8236
 19歳     14647    12946     11635
 20歳未満   40475    34745     30119
 20〜24   77469    74711     72217
 25〜29   66297    61881     59911
 30〜34   63923    61628     59748
 35〜39   48687    46878     46038
 40〜44   20950    20067     19319
 45〜49    1853    1666     1663
 50歳以上     28      16      28
 不 詳     149      81      84
                   
   妊娠中絶を年齢階級別でみてみると
        実施率(女子人口1000対)
       平成2年 平成12年 平成15年 平成17年
 総数    14・5  11・7  11・2   10・3  
 15歳               2・4    1・7
 16歳               7・3    5・3
 17歳              11・8     8・7
 18歳              15・7   12・5
 19歳              19・9   17・2
 20歳未満   6・6  12・1  11・9    9・4
 20〜24   19・8  20・5  20・2   19・6
 25〜29   19・7  15・4  14・8   14・5
 30〜34   25・4  14・5  13・3   12・3
 35〜39   22・7  13・2  11・6   10・6
 40〜44   10・3   6・2   5・4    4・8
 45〜49    0・8   0・5   0・5    0・4 

15歳から49歳の女子人口1000人当たりの人口妊娠中絶率も10・3と過去最少となった。
20歳から24歳では19・6と最も高く
20歳未満では9・4だった。

中央大学経済学部の大淵寛教授(経済人口学)は「少子化が続いている中、最も出産し易い年齢の女性の人口そのものが減少しているのが、大きな要因ではないかと」と指摘している。

それだけではない、中絶実施率の総数では15年前の14・5から10・3と大きく減少している中、15歳からの合計、20歳未満では平成2(1990)年の6・6を大きく上回ってから少しも減少していないのだ。大淵教授のいうように、絶対数の減少は少子化の影響を受けていることも考えられるが、相変わらず年少者の性の乱れは続いていると見なければならないだろう。

日本では中絶は、母体保護法で知事への届け出が義務付けられているとはいえ、母体への危険がある場合と、暴行や脅迫、またはレイプされて妊娠した場合のほかは中絶できないことになっているが、実際の中絶は無責任な性交渉の結果が殆どであり、簡単に医者の門を叩く、医者も金儲けで簡単に掻き出す。日本では人工中絶は無法化している。

アメリカ辺りでは中絶を女性の権利として争った裁判もあるが、結局は暴行や脅迫、レイプ、近親相姦による妊娠の中絶も認めないとしたままだ。(記事参照)

中絶天国日本!ばんざい!。

参照 中絶胎児は「一般ごみ」か 05/08/09 
参照「中絶禁止法案を可決」06/02/25

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 2日 (木)

バイオエタノール

安倍首相が1日、現状日本ではまだ実証試験段階で生産は年間30キロリットルに過ぎないバイオエタノールの国内生産を、年間ガソリン消費量の約一割に当る600万キロリットルに増やす目標を設定し、実現のための工程表を関係省庁で作成するよう指示した。達成時期は今後の検討だが、15〜20年程度先とみられ、高い目標を置くことで、米国やブラジルなど海外では大規模に利用されていることを意識した発言になったようだ。

バイオエタノールはサトウキビやトウモロコシなどから作られ、原料の植物が成長する過程で大気中の二酸化炭素を吸収し、地球の温暖化防止に貢献することから、ガソリンの代替役として期待されている。

安倍は農相に、テンサイやサトウキビなどの原料を得易い北海道と沖縄を先ず製造拠点とするよう提案した、とある。早くから開発が進められ、すでに利用段階に入っているが、国内での原料調達が可能かどうか、低コストの生産が可能かどうか。加えて大規模な製造設備が必要になろう。

休耕地を増やし、農業人工の激減が現実の国内で、十分な原料の供給体制をつくることができるのか。農水産省は07年度予算で、製造設備の支援のために85億円を要求している。JAグループが北海道で年製造量1・5万キロリットルの工場建設を発表、本格的な生産の動きが出ているが、目標の数字を達成するには同規模の工場が数百ケ所必要な計算といわれる。

将来に亘って膨大な数の車に恒久的に供給することが可能なことなのか、小さな国土では、すぐに資源の枯渇が次の問題として浮上することも十分考えられる。増産の問題も多岐に渡ってあるが、地球資源は無限ではないことを考えればその先のことも検討しておく必要があるだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年11月 1日 (水)

いじめ 2

Dscf0001_1

 冬の花山茶花を
     見上げて咲く朝顔


11_01

 (蕾をいっぱい持って)
 クローズアップ
  

毎日新聞(11/1)から
岐阜・中2自殺の問題で、これまで「自殺に結びつくいじめの事実なかった」としていた同市教育委員会と同校は、市役所で記者会見し「少女の気持ちを汲み取れば、いじめと認めざるを得ない」と正式に認め、少女の遺族に謝罪した。

謝らせたこれから、少女の両親はどのように行動するつもりだろう。名前が明記されていたクラブのチームメイトの両親も、自殺した少女の自宅を訪れて、自分たちの娘によるいじめが少女の自殺につながったことを認め、謝罪した、とある。

本名を書かれては逃げ隠れするわけにはいかなかったのだろうが、どうしてマスコミは校長たちの写真は発表して、こちらを出さないのか。校長たちはいじめ事件では脇の人間だ。彼らが知らなくて当たり前のことだ。いじめがあったかどうかを知らされるだけだ。直接関与したのは名前を書かれた四人のチームメイトだろう。チーム競技で大事なのは「和や協調」(頭も悪いのだろう4人には理解できなかったのか)であるはずだ。個人的には彼女たちの両親の顔など隠す必要はない。ただ産み落としただけで人に優しくすることすら教えていない親たちだ。庇う必要などまったくない。マスコミの前で謝罪するべきだ。

万物の霊長と言って人間が1番偉いとする考えは何時頃生まれたのだろう。人間もただ生まれただけでは下等動物と何も変わらない。社会的動物である人間とはいえない。成長して人間らしく生活できるための最も基本的な教育として、乳幼児の段階から成長するに応じた教育をするのが家庭教育という社会の最小単位になるのだ。言葉や生活習慣、コミュニケーションなど生きて行く上でのわざ(技術や躾け))を援助してやることが、家庭教育として親に科される責任だ。

今、いじめ問題に苦しむ教育現場では、民主党の渡部恒三前国会対策委員長(74)も口にしたこともある江戸時代、会津藩の子供たち(6歳〜9歳)の「什の掟」なる規律、規範に注目し、問い合わせが集中している現象が起きているという。「什」(じゅう)は「十」のことで古代の中国の軍隊は10人を1組としたことでつけられた。以下のような内容で書かれてある。

一. 年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
二. 年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
三. 虚言を言ふことはなりませぬ
四. 卑怯なる振る舞いをしてはなりませぬ
五. 弱いものをいぢめてはなりませぬ
六. 戸外で物を食べてはなりませぬ
七. 戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならむものです

現代っ子が見れば吹き出すような内容も含まれている。戸外での物食いは、子どもに限らず何処でも見受けられ、戸外で女性と会話することを禁じられれば、手を繋いだり抱き合っている若者たちをどう処理すればいいのか。それより何より何故この「什の掟」が注目されるのか。問い合わせに忙しい教育現場の人間たち、ものの本質が何も見えていないのか。この「什の掟」は封建制度の武士社会を維持するための掟なのだ。君主への忠義を目的に、子どもの頃からの洗脳教育を施していたのだ。歴史に歴然として残っているではないか。あの有名な飯盛山の白虎隊だ。炎に包まれる若松城を最後に目にしながら、年端も行かない少年(15歳から17歳)武士が、お互いの胸を突いて自刃して行った戦争だ(戊辰戦争)。君に忠の典型ではないか。“卑怯なる振る舞いをしてはなりませぬ”は東條の言った生きて虜囚の辱かしめを受けず、に通ずるものではないか。

「什の掟」が教師たちの求める規律ならば、明治の教育勅語もまた同じことを説いた規範ではないか。「爾(なんじ)臣民父母ニ孝ニ兄弟(けいてい)ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ(じ)恭倹(きょうけん)己(おのれ)ヲ持(じ)シ博愛衆ニ及ホ(ぼ)シ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以(もっ)テ知能ヲ啓発シ徳器(とっき)ヲ成就シ進テ(んで)公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ(んじ)国法ニ遵ヒ(したがい)一旦緩急アレハ(ば)・・・・」と。これが教育の淵源(えんげん)とされたのだ。現在教育勅語が問題外とされるのは、会津藩とも共通の滅私奉公の精神なのだ。教育勅語がいけないのなら、「什の掟」もまた、退けなければならない規律ではないのか。何故いまこれを欲しがるのか理解に苦しむ。

家庭教育を受けていない現代っ子たちは、勝手とも思えるメッセージを大人に突き付ける。
(広島県教育委員会指導第三課)いじめの問題のホームページより
 わたしのSOSに気づいて
 わたしの話を聞いて
 わたしに勇気を与えて
 わたしに生きるすばらしさを教えて
 わたしに気づかせて
これらのことは、おとなに聞く前に家庭で親に聞いておくべきだ。それほど今の親たちはわが子への教育をしていないのだろうか。「子は親の背を見て育つ」とは古くからの教えだ。それを言えば、今背中を見せて歩ける親が少ないのも現実だ。子が目を背けることの方が多いのだから。

母子家庭、父子家庭、核家族、共働きなど、家庭の難しさはあるが、生きる力の源泉、心の居場所は家庭にある。何でも話し合える家庭、人間としてのあり方や生き方、周りの人への配慮心遣いなど、団欒の中に躾ける厳しさを持ってわが子を守る親の真剣さを伝えることが大切だ。

参照「心の傷」06/05/25
参照「中2少女殺害」06/04/30
参照「小5男児自殺」06/03/21
参照「キレる小学生」05/09/26

| | コメント (0) | トラックバック (1)

« 2006年10月 | トップページ | 2006年12月 »