ドラマ「14歳の母」
脚本家の井上由美子の書いたドラマがテレビで放映されている。私は見てはいないし、これから先にも見る気はない。11月6日の毎日新聞紙上で記者が井上に取材した記事が載った。
《虐待死、親殺し、いじめ、自殺・・・と、家族や学校を巡る事件が続いている。日本テレビ系で放送中の連続ドラマ「14歳の母」(水曜午後10時)は、中学2年生の女の子が妊娠するという刺激的な内容で、暗い事件の連続と相俟って「少年少女の性の乱れを描いた風俗ドラマ」と見る向きがあるかも知れない。だが、脚本家の井上由美子さんは「このところ続く事件で、命が軽くなったなあという思いがベースにあり、ドラマでは命の重さ、大切さを考えてほしかった」と語る。井上さんにドラマ制作の狙いを聞いた。》
女子中高生の妊娠という題材は、今までも幾つかのドラマで扱われて来た。学校内の不祥事として秘密裏に処理され、本人もすぐ中絶手術を決め、友人たちからカンパをもらって一件落着といったストーリーだ。
彼女は言う「立ち止まって考えてもらいたいと思った。今の子どもは性や中絶の知識はあっても、いざそうなったときに、事態をどう受け止めるか、考えることが少ないようだから」と、主人公を名門私立中学校の2年生に設定し、友だちの多い、普通の明るい少女とした。この少女の相手は塾の仲間でおとなしい中学3年生。二人が街で不良に絡まれ、逃げ込んだ公園で互いの思いを話すうちに結ばれて・・という自然な流れだ。井上は言う「決して特別なケースでなく、どこの家庭でも起こりうる話として受け取ってもらいたかった」。
2ヶ月後、妊娠が判明。すぐに母親に知られる。母は子をじっと抱きしめる。父親は、否定し、激怒し、混乱し、やがて諦め、受け入れ、収拾策を探す。結果は中絶を選択する。手術直前、母親は手術台に上がる順番を待つ娘に、娘が生まれて来た時の話を聞かせる。娘の心に何かが閃き、突然、出産を決意する。母親が話したのは自分が母親になった体験談。
井上の考えは「人の命って、いろいろな可能性の中で奇跡的に生まれてきたものだ」ということに主人公は気づいたんだ、ということにした。そして続ける「気づくことが大切です。命を生む性の母親目線で語っていくと、わかりやすいですね」という。14歳のママゴトを勝手に大人の性で決めてしまう。
中学生の妊娠に、世間は寛容ではない。この先ドラマの進展は、父親、男子の親、同級生、先生、さらにメディアを巻き込んで、混乱と非難などなどが用意されているようだ。井上は「どこの家庭でもおこりうる」と言うが、いみじくも自分の恋愛観を暴露したに過ぎない。性モラルに関しての己のだらしなさ(或いは渇望と言ってもいい、恐らく自身が欲求不満なんだろうな)をドラマに移し、問題提起した気になっただけのことだ。このような大人が周りにざくざくいることによって、少女売春が普通に行われ、世界でも有数の堕胎天国になっている日本の現実があるのだ。もっと言えば、そのような状況下で生まれた子は、ひっそりと海外へ運ばれ、養子のために売れらるケースさえ発生しているのだ(高倉正樹著「赤ちゃんの値段」)。『いのち』を書きたいのなら、こちらのことこそ書くことだ。「どこの家庭でも・・」は彼女の幻想で、そうあって欲しいとでも思っているのだろう。
不良に絡まれただけで性関係に走る娘と男(ただ好意を抱いていただけの)が普通なのだろうか。わざわざ堕胎の直前で話を聞かせる母親は、いったい病院に来るまでに何故、二人きりで時間の制約を心配しないでもよい自宅で話し合わなかったのか。第一次、第二次性徴期の時点で何も教えなかったのか。あまりにも簡単な性衝動を前提にしてドラマは作られたとしか思えない。現在の中学生の男女をバカな低能扱いしていないか。実際にわが家に娘がいて起こったこととして考えれば、私は二人を特に男を絶対に許さない。昔風に言えば、相手の男を殺すかも知れない、いや、きっと殺すだろう。
井上とは、ドラマ「火垂るの墓」で、歴史の認識も、価値観も持たないで、安っぽいドラマを拵えた脚本家だ。
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コメント
いつも拝見しております。その通りだと思いました。これからも楽しみにしています。
投稿: パンドロ | 2006年11月 9日 (木) 00時31分