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2006年10月27日 (金)

高校必修単位不足

富山県立高岡南高校で発覚した履修単位不足問題で、新たに青森、岩手、山形、福島、石川、福井、愛媛、広島、栃木の各県の公私立高校でも必須課目を履修せず、同様の単位不足になっていることが分かった。単位不足はこれで10県65校、生徒数は約12000人に上った。と報じられたのは1日前の26日のことだ。それが一夜明けて今日27日になると、芋づる式に数を増やし、朝刊では35都道府県、生徒の数は3万人超となり、更に夕刊では長野県や愛知県などでさらに発覚し、単位不足の学校は35都道府県270校、生徒数は4万人を超えたとある。

制度の整備を後回しにして、実利ばかりを先行させたことが今度のような歪みを生じさせた。以前から大学でも受験する学部で受けなくてもよい課目はあった。それが昨今の少子化がもとで大学側が、一人でも多くの学生を確保するために(授業料が欲しいがためだが)高校では必須になっている課目まで受験課目を減らして行ったことが原因だろう。高校の教師は他校よりも合格者を増やすため、受験で求める課目に集中したカリキュラムを構成して行くのは当然のことだ。そうなれば、学生にとって受験校に不要な学科を学ばなくなるのは誰が考えても理解できる。

それを今から不足する単位の履修を修めるように強要するのは無理というよりも酷だろう。今大学に無理して行くよりは、ニートになることを目指していないなら、就職するほうが余程本人の人生のプラスになると思うのだが。事実現在のおおかたの大学は、学び舎と呼ばれた時代からは想像も出来ないほどレベルが低く、戦後ににょきにょきと生まれた落ちこぼれレベルの男女を収容するような容れ物だけのものが多く、キャンパスはそれら男と女が集う交友の場となり、その実力は精々小学校の高学年程度の脳みその連中で占められることになる。

特に最近の少子化は、受験、受験とは言っても、余程のバカででもない限り大学など楽々と入学が可能だ。定員割れの学校を捜せば大手を広げて大歓迎で迎えてくれよう。勉強などするほうがバカに見えるだろう。どうせ卒業してもニートや親の脛を齧ってなんとなく生きるだけだろう。役にも立たない大学卒の肩書きが欲しいだけだ。世界のレベルからも日本は少しずつ低下しているのも事実だ。勉強しなければ入学できない大学側の受け入れ体制に建て直すべきだと思う。特に、大学入試には必ず世界史、日本史を受けさせる制度にするべきだ。「美しい国」なんて必要ない。世界中美しい国なんて存在しない。何処の国も争いから誕生したのだ。その原因が宗教であろうと勢力圏の拡大であろうと全ての国はもれなくそこから誕生した。

大学を出ても、世界の中の日本を、或いは自国の歴史や文化について、あまりに無知な人間が多過ぎる。日本にやってくる外国人から質問を受けて、縄文や弥生、古墳時代や仏教文化について、世界の中の日本について、文学について、源氏物語について、茶の湯や茶道について、相撲について、どれだけの大学卒が語れるか。

古い記事(7月ごろだったか)だがメキシコのテオティワカン(紀元前150〜紀元650年ごろの遺跡で、87年に世界文化遺産に指定された)の発掘に44年の間携わって来て、現在テオティワカンの土器専門家として学生たちの指導に当っているオルテガ氏は言う。「外国人観光客の方がピラミッドについていろんな質問を浴びせてくる。それに比べてメキシコ人はピラミッドを上って下りて、それでおしまい。メキシコ人はもっと自分の国の歴史に目を向けなければならない」と不満そうに語っていたという。

「メキシコ人」を「日本人」と置き換えて、いろんなものについて考えてみればいい。わびやさびについて語るのは難しいだろうが、大学へ行っても携帯で写真を撮りまくるだけでは知識なんか増えるわけない。高校生活での幅広い学問の吸収は決して先の人生にプラスにはなっても、マイナスにはならないことを考えるべきだ。受験のためだけの学問がすべてではないのだから。どうせ大学へ行けば後は遊ぶのがおちだろう。

恐らく10年振り位だろうか、風邪を惹いた。微熱があってぼんやりしながらキーを叩いている。まともなことを書きたいが纏まらない。さあ、アスピリンでも飲んで暖まって蒲団に潜ろう。

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