銃社会の民主主義
奇妙なタイトルになったが、アメリカを表現するのに適当な言葉がない。外に向かってはテロとは関係のない他国への侵略があり、内では相変わらずの銃による殺人が横行している。小国の核実験や、イランのウラン濃縮問題には強い態度で牽制し、自身は無制限な核実験を繰り返して憚(はばか)らず、超大国の強力な火力を備えた軍事力で他国へ攻め込み、力こそ正義、と多くの自国民を犠牲にすることも厭わない。その行為がテロを拡大させ、増加させていることにも気がつかない愚かなことを続けている。
閑話休題
米ペンシルバニア州ランカスター郡のニケル・マインズで、2日午前10時(現地時間)ごろ、またまたライフル銃の乱射事件が起こった。男がキリスト教プロテスタント系の一派「アーミッシュ」の学校に押し入り、女子児童・生徒ら3人を射殺し、自殺した。
全く同様の銃乱射事件は一昨年4月20日、コロンバイン高校で起こっており、この事件を切っ掛けにアメリカでも規制の強化を図った。従来拳銃の販売可能年齢は18歳であったが21歳に引き上げたり、ダイナマイト等の危険物の販売も銃同様に厳重な規制が検討された。また、銃問題に関して、正式な所有者以外が銃を使えないようにするロック装置の開発と取り付けの義務化を求める法案も提出されたが、全米ライフル協会*に関連する議員の反対が根強く、採択は難航したままだ。
*全米ライフル協会(Natiional Rifle Association「NRA」)は、1871年に設立され、アメリカ合衆国の銃愛好家の市民団体で、事実上の圧力団体である。会員は現在およそ400万人、そのスローガンとするところは「人を殺すのは人であって銃ではない」だ。日本人にアメリカの銃社会の恐ろしさを更(あらため)て教えてくれたのは、1992(平成4)年10月17日、ルイジアナ州バトンルージュで日本人留学生服部剛丈(当時16歳)が、ハロウインパーティに行く途中、間違って訪ねたある家庭で、銃を構えたその家の住人ロドニー・ピアーズ(当時30歳)に「Freeze=じっとしてろ」と声を掛けられたが、その意味が理解できず、仮装の衣装でふざけたところを銃で撃たれて死亡した事件が起きた時だ。
例の12人の陪審員制度による裁判が行われたが、1993年5月23日、全員一致の無罪判決で終わっている。アメリカ人の銃所持は合衆国憲法修正第2条「銃を所持する権利」で保障されていて、「玄関のベルが鳴ったら誰に対しても、銃を手にしてドアを開ける法的権利がある。それがこの国の法律だ」というのが理由だ。
続いて2000年10月28日、同じくハロウインパーティーの騒ぎが余りに激しくて、近所の苦情で警察官が出向き、処理に当っていたところ、黒人俳優がハロウインの仮装で玩具のピストルでふざけて銃を向けたところを、危険と判断した警察官に射殺される事件が起こっている。
何か凶悪事件が起こる度に、アメリカでも銃規制を厳しくする法の制定が持ち上がるが、常にその前に立ちはだかって前時代的な憲法条文を楯に、「人を殺すのは人、銃ではない」の詭弁を使い、規制の強化に反対するのがライフル協会という市民団体の圧力だ。1997年〜2003年までこの団体の会長を務めたのは映画俳優であったチャールトン・ヘストンだ。彼の会長であった期間、規制強化に対する強硬な反対姿勢は特に有名なものであった。開拓時代、奴隷売買の時代、南北戦争の時代から現代まで、銃に頼る国づくりは脈々と受け継がれ、“銃こそ国家”のあり方は、銃社会の民主主義ともいうべきで、古代ギリシャの奴隷制をベースにしたデモクラシーと共通するものだ。まだまだ国家として歴史の浅いアメリカ合衆国、傲慢な国から本当の民主主義の国になるには道はまだまだ遠い。
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