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2006年10月25日 (水)

メイドカフェと痴漢騒ぎ

東京名物、アキバのメイド・カフェ或いはメイド喫茶。
秋葉原にはよく出かける。若い頃からラジオやアンプを組み立てるのが好きで、足繁く通った。一坪もない狭く小さい店が並ぶ筋を、人並みをくぐり、ぶつかりながら求める部品を血眼で捜して歩いた。何軒かの店の親父さんとも顔なじみが生まれ、短い会話だけでも交わして帰るのも楽しみな街だった。自分で組み立てていた頃から少し小遣いに余裕ができ、高級アンプ、プレーヤー、スピーカー、と部屋に次々に増える再生装置を眺めながら音の渦に酔う生活が生まれた。少ない小遣いを溜め、一枚、また次の月に一枚と買い溜めて来たLPレコードの上に用心深くカートリッジの針を下ろす。貧乏な青春時代を過ごした街だった。

今では変わり果てたこの街、ここで起きた痴漢騒ぎほど、つまらない出来事はない。「お帰りなさいませ、御主人さま」。私の幼かった頃から女の子は人形で遊ぶことは普通のことだった。メイドカフェがそのような少女時代が抜け切れない女たちの集う場所なら話は早い。幼稚なまま大きくなったんだな、で済ませられる。

ところが、いくら世界に誇る日本のマンガとはいえ、少女趣味見たさの男どもが誘いに乗って、のこのこと店に入って行く。今でも秋葉原にはよく行く。パソコンの街でもあるからだが、馴染みの店への行き帰り、あのスカートなどただの切れ端程度の風さいの女たちの姿が嫌でも目に飛び込んでくる。

秋葉原に限らない、若者の多い街、渋谷、原宿などにも出かけることがある。やはり顰蹙させられる風体の男女が目に付く。目を瞑って歩くわけには行かないからだ。ズボン(私の世代パンツとはズロース等下着で、いまのショーツやTバッグ男ならブリーフなどに相当するものだった)を下げ、前は汚らしく臍を出し、後ろは下着を見せて歩く。少しでも屈んだり、しゃがむと尻は半分は露出する。階段では少しでも目を上げれば見たくもないスカートの中まで丸見えになる。目のやり場に困る、どう判断しても猥褻物陳列に相当する。大学の学者さんでも血迷うぐらいだ。

これでは劣情を抱く男どもが出てもやむを得ないところだ。報道ではこれでもか、というようなスナップが写る。野次馬が集まって来ても蹴散らす訳にもいかないだろう。まるで誘蛾灯に集まる蛾の大群よろしく男どもが群れる。ずっと昔からそう、千姫の昔から、或いは1000年2000年の昔から、通りの男を呼止めて、春を鬻(ひさ)いで(今で言う売春)生きた女性はいた。いま、アキバに佇み、チラシを配り、店の勧誘をしている女性たち、どう説明してみたところで間違われても仕方ない。世界でも類を見ない我が国のハイティーン、20代女性は性モラルを持たない年齢層だ。

参照「性関係急ぐ必要ない」06/10/08

しかし、これは女性が悪いのではなく、路上に立たせチラシを配らせる店を案内させる経営者側の問題だ。一層あじをしめた経営者は、エスカレートする。すでに閉店する店が増え始めていると聞くが、それならば、ともっと年齢を下げて未成年とおぼしき年齢の女性を集め、いもうと喫茶なる店のオープンを始めた。「お帰り、おにいさん」の出迎えに、男どもがやに下がるのは言うまでもない。

店に出入りする層には二種類あって、マンガの延長上のコスチュームを眺めるのが愉しみの幼稚なレベルの男と、働いている女の子が目的の男と。後の方は祇園でよく使われる一見(イチゲン)さんと呼ぶんだそうだ。銭があって著名人の紹介がないと玄関払いの祇園と違い、小遣い銭程度で誰でも出入りできる。こちらのグループに、女の子に手を出す連中が混じっているらしい。また、女の子も結構入っていると聞くが、一体何を楽しむのだろう。

痴漢を擁護する気はさらさらないが、あのような風体の女を路上で見るのは耐えられない。猥褻物陳列罪で、それがきつ過ぎるのなら、風紀紊乱罪ででも警察の取締りの対象にすればいいのに。勿論経営者へは、路上での女性の猥褻物陳列に近い露出の禁止措置を取らせること、或いは風俗営業法での取締りが必要ではないのか。

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