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2006年10月31日 (火)

いじめ 1

ちょうど75年前の今日、この世に生を享けた。随分長く生きて来た、いや生かされて来たものだ。この先どれくらいの余命が残されているのか解らないが、考える力が衰えず、キーを叩く指が動く限りは、言いたいことは言い続けていこう、どうせ、憎まれもの世に蔓延るだから。

子どもの頃、近所のおじいちゃん、おばあちゃんの殆どは60歳前後のお年寄りだったように思えた。私の生まれた1931(昭和6)年のころの日本人の平均寿命は男性が44・8歳、女性が46・5歳だった。
  (昭和37年度版 厚生白書から)
           男性    女性
  明治24〜31年  42・8   44・3
  大正10〜14   42・1   43・2
    15〜昭和5  44・8   46・5
  昭和10〜11   46・9   49・6
     20     23・9   37・5
     25     58・0   61・3
          ・
          ・
 このあとは順調に伸びて現在の世界1の長寿国になっているが、上の表でも簡単に解る昭和20年の落ち込みは、特に今次大戦での男性の戦死者を含む、戦災者の数の多さを物語る数字になっている。“人間わずか50年、下天のうちをくらぶれば・・・”と謡った信長の時代の半ばにも達しない人生を終えた人たちだったのだ。私はその三倍にもなる人生を生きて来た。海の果て、地の果てに眠り、未だ還らぬ英霊(身内も含め)たちをこれからも生涯忘れることのないように、思考回路に齟齬を来さない限り、英霊たちが思いもしなかった筈の世の中の汚れについて、言いたいことを書き残しておきたい。
 
 《閑話休題》
 連日のように報道されるいじめ。幾つもの事件が輻輳した形で報道されている。権力を嵩に着た上司から部下へ、校長の部下への事件、親(継父母も含めて)が子への事件、上級生の下級生への、趣味同好のグループ内の事件、そしてクラス内での事件などだ。企業内や校長の事件は子どもの問題とは切り離して論じなければならないが、メディアも並行して起こる事件に整理し切れないままに活字化しているように見える。

わたしは子供達同士の間での事件に限って論じたいと思う。世間の論調は、異口同音でいじめを受けた被害者の側に多く目が向けられているが、どうも少し違うような気がする。これまでも指摘して来たが、いじめは学校の問題でもない、教育委員会の問題でも、教師の問題でもない。現在マスコミを含めて取り上げるのは、起こったことの結果を云々しているだけだ。いじめ問題は何故起こしたのかの根本を取り出さないと最初から結論が出ないことは解りきっている。いじめの切っ掛けを演じた幼稚な教師もいたようだが、これも今回は触れないでおく。

新聞やテレビで何度も報道されているので詳しいことは言わないが、29日、岐阜県の私立瑞浪中学の女子生徒(14)が首を吊って死亡した事件。明確な言辞のない校長を相手に、死亡した生徒の母親がいじめの証言ビデオ(28日夜、校長や学年主任が生徒宅を訪れた際、両親が撮影)を公開した。遺族側が「向こうの親はいじめがあったと認めているんだね?」と質問すると、「はい、わたしたちも確認しました」と、はっきり明言していた。しかし、後の記者会見で「一般的にはいじめだとは言ったが、それがあったかどうかは確認してみないと分からない」と一転する。教頭も「結果として自殺したことに対して謝罪した」と述べるだけだった。

私はどうも納得できない。自殺した女性の親は、亡くなった娘から何一つ生前に相談を受けることがなかったのだろうか。逆に娘の生活態度に些細な徴候をも見い出すことがなかったのか。思春期の娘のちょっとした立ち居振る舞いに変わったことを見出せなかったのか。日常の会話はどのようなものだったのだろうか。この女性が亡くなる2日前には1年生の2名が退部している。友人の話でもいじめは日常的なものであったと証言している。女子のバスケットボールの部活がどのようなものか分からないが、この年頃の女の子は家庭では何も話し合うことをしないのだろうか。

私の長男(一人っ子)も中学時代は毎日のように虐められていた。物おじしない子で誰とでも(大人も)話を交わし、電車の中でも酔っ払いとも会話していた。一本気の性格は親譲りで頼もしかったが、怖くもあった。自分なりの基準で間違ったことには黙っていなかった。街を歩いていてちんぴらにも、大人でもわざわざ近寄って注意した。幸いひ弱な子どもを相手に暴力を振るう大人はいなかった。しかし、生意気な長男は中学校では通用しなかったらしい。2年生になっていじめはひどくなった。真っ白なシャツは鼻血で染まって帰宅する頻度が上がった。会社を休む訳にいかなかった。妻が学校へ相談したが担任は聞くだけであった。何度も重なった。長男と話し合って告げた。「お父さんが責任を取るから構わない、相手の耳でも鼻でも食いちぎって来い、お父さんの言うことが守れなかったら家には入れない」と。そして翌日妻から勤務先まで電話が来た。「x x が学校で暴れたらしいの。担任が家で待ってる」と。

夜まで教師は自宅で私の帰りを待っていた。私は教師の話を聞いて、長男を褒めた。耳も鼻も噛み切らなかったようだがいじめっこには反撃していた。いつもの息子とのギャップに教師は驚いたらしいが、私の気持ちは伝わっていた。教師には学校ではいじめられているかどうか、喧嘩はあるか、など一切問いただしはしなかった。長男を見ていれば聞く必要もなかった。教師にはこう言って帰ってもらった。「先生、世の中に出れば、男は暴力を使ってでも立ち向かわなければならない時と場合があります。私はガンジーじゃありません。それを分からせたかっただけです。」「歴史をみて下さい、暴力なしで建国した国家がありますか。」すでに性善説の無力を感じていた。

高校生活では、長男は希望する無線クラブが数余りで、止むなくバスケットボール部に入り、上級生から使い走り、飲み物の差入れ、正座などのしごき(当時は‘いじめ’の呼称はなかったと記憶する)を受けた。痩せて元々活発な方ではなかった長男だが、不純には従う気はなかった。直ぐに退部した。高校生でも小遣いを持たさないわが家では、差し入れのジュース代を1度は妻に貰っていたらしいが、その1度で打ち切った。男の子だが部活のことはきちんと妻とは相談(希望する部がないこと、だから・・・)していた。

いじめられた側の子への同情で大きく世論は揺れているが、今こそ本当に取りあげなければならないのは、いじめを行う側の親を含めた家庭の教育(躾けと言ってもいい)の問題と、世の中のモラルの欠除の問題だ。加害側の親を焙り出さない限り、そしてどのように子どもを育てているか、どのように躾をしているか、善悪を、我慢することを、人に優しくすることを、道徳を、どう考え、どう教育しているのかを喋らさない限り、いじめの問題は解決することはできないだろう。いじめは見えないところで行われている、そこに校長や教師が居ようと居まいと、目にした時にはすでにいじめは行われた後になる。いじめは事前に止められないでは何を話し合っても無くならない。

参照「保護者に問題」05/11/10
参照「命」の授業 06/03/17
参照「わたしとおかあさん」06/04/07

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