恐い内閣誕生
26日、初の閣議を終えて安倍新首相に連れられた閣僚たちが恒例の記念写真に収まった。皆が一斉に精一杯笑いをこらえて転がり込んで来た椅子につける喜びを満面に表わしている。マスコミはいろいろと書き、野党はこぞって批判した。民主党鳩山幹事長曰く「重厚感が感じられない」と、安倍氏のタカ派的な思考に合った人選。「一言で言えば小泉内閣の継承、アメリカにべったりくっついている」。共産党の市田書記長は「タカ派仲良しクラブ。安倍氏の特異で危険な政治理念を体現している」。社民党の福島瑞穂党首は「改憲戦争準備内閣、愛国心強要内閣になるのでは」。国民新党の亀井幹事長は「論功行賞内閣だ」と指摘している。
先の北朝鮮の花火程度のロケット打ち上げ(日本に向けて発射したものは皆無にも拘わらず)時、今回入閣を果たした中の数人の大臣の口から、北朝鮮への報復とも聞こえる先守攻撃なり自衛隊の戦力アップも当然とする意見も飛び出したのは事実だ。それに伴って今までもこの問題が出てくる度に、枷となっていた憲法9条が、俄然表面に浮かび上がって来た。改憲派は「アメリカから押し付けられた」のバカの一つ覚えで口を揃えて言うが、戦争で親や夫、兄弟を、或いは姉を妹を家族を失い疲弊した国民が、敗戦で受けた悲しみの中から二度と戦争をしない、と謳った新憲法に、どれだけ将来の夢を託したことか。誰もアメリカから押し付けられたと感じた国民はいなかった。当時共産党の野坂三蔵の国会で糺した「国際法で認められている自衛権を放棄することはない」に対し、時の総理吉田茂は「自衛のための戦争もこれを放棄する、と言うことだ」と答え「従来、侵略戦争のようなものも自衛の名を借りたものだ」とすら言っているのだ。そして、1947年5月3日、新憲法は公布された。日本の憲法はアメリカから押し付けられたものではないのだ。
ところが、中国の内戦で共産党が勝利し、蒋介石は台湾に逃れた。アメリカはソビエトと中国という共産圏の南下を恐れ、日本をその砦とするべく占領政策の転換の必要が生じた。直後に朝鮮戦争が勃発する。日本が戦争放棄を続けていては困る。当時国内に溢れていた失業者を集め、警察予備隊の名で現在の自衛隊の前身が作られた。そして、次第に憲法9条を捩じ曲げる解釈がとられるようになって行った。占領軍最高司令官マッカーサー自身の口から「自衛の戦争まで放棄したものではない」と。国会であれほど自衛のための戦争すら否定していた吉田茂も、マッカーサーの言葉を繰り返すことになった。そして、吉田の後を受けて組閣したのが安倍の祖父に当るA級戦犯が総理になった、と当時騒がれた岸信介だ。岸はA級戦争犯罪人として逮捕され、巣鴨プリズンに収監されていたのを、冷戦の激化・朝鮮戦争の勃発であたふたと、東条英機らの絞首刑が行われた翌日、急遽旧体制派の人物の復権で、岸も有耶無耶のうちに戦犯から解かれ、巣鴨プリズンを出所、野に放たれたのだ。
岸は満州事変から第二次大戦を通して東條とは昵懇の間柄であり、陸軍大臣を兼任する東條の内閣では商工大臣を務めていた。野に出て来た岸は1956年、石橋湛山内閣に外務大臣として入閣、石橋の死で代理首相となった後、次の選挙で勝ち、1958年6月12日、第57代首相となった。権力に頼った戦時中が忘れられず、警察官職務執行法なる議案を提出し、戦時中の悪名高かった「治安維持法」だ、との揶揄、批判を受け、引っ込めざるを得ないような愚を行っている。
安倍がタカ派と呼ばれるのも、この祖父を持った彼の生い立ちを見れば自然に頷けることだ。歴史認識に疎く、不戦を掲げて世界に誇る現行憲法を変え、何時でも戦える軍備を持ち、自衛の名のもとに、再び同胞の死を呼び込むことも辞せずとの考えだ。そのためには国に命を捧げる愛国心を植え付けることを大前提とし、教育に心血を注ごうという考えだ。あな恐ろしや、恐ろし哉。
テレビへの出場回数が多いだけで人気を上げ、適度の支持率を持つ。ビジュアル時代の規格に合った人気は、浮気心で動く大衆にはすぐに飽きられるだろう。
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