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2006年9月14日 (木)

続 飲酒運転はなくならない

徒然草の第175段にはこう書かれている。(大意)
「世の中には合点のいかないことが多いものだ。何かにつけて酒を勧め、無理強いして面白がって喜ぶのは、どんな分けがあるのかさっぱり理解できない。飲むように勧められた人は顔を顰めて気づかれないように、そっと捨てようと逃げようとすると、捉えられて無闇矢鱈に飲ませようとする。だが飲ませられれば大人しい人も忽ち馬鹿げて狂ったようになり、正常だった人も病人のようになり、前も後も分からなくなり倒れ伏してしまう。お祝の日であっても余りのことに不愉快になる。翌日になっても頭痛が続き、食事も出来ず、苦しみ呻きながら起きることもままならない。生まれ変わったように感じて昨日のことも覚えず、公・私の大事なことも忘れて災いを撒くことになる。人をこのような目に合わすことは情けも慈悲もないことで、礼儀にも背くことだ。こんなに辛い目にあった人ならば、さぞ癪にさわり、口惜しく思うのは当たり前のことじゃないだろうか。このような悪い習慣のあることを、他国の人として自分が聞いたなら、変な習慣で馬鹿げていると思うだろう」。

現在あちこちの企業の新年会や忘年会の集まりや宴会でよく見かける酒の席の出来事が、1000年以上も昔から、彼奴ら何も進歩していないな、と一部始終が見られているようだ。つづいて、酒の席の見苦しい男の罵り合うさまや、女が髪を掻きむしるさまや、様相を描く。遂には町に出て訳も分からないことを口にしてよろめき歩き、人様の家の塀や門の前に、口に言えないことなどをし放題にする、全く、見るに忍びないことだ、と書き、

「百薬の長とは言うけれど、万病は酒がもとで起こるのだ、憂さを忘れるためとは言うけれど、飲むほどに過去のことを思い出し、泣き出す始末だ」と続ける。

酒飲みが言う「酒は百薬の長」はこれら先人たちの言った前半分を都合良く言い、後の半分を聞かないことにしているだけだ。都合の悪いことには耳を塞ぐ習慣が、日本の文化の中で長い間に根強く植え付けられ、何でも酒のせいにすれば許される酒飲み天国が出来上がって来た。

今年1月、酒気帯び運転で懲戒免職になった横浜私立中学校の元男性教諭(50)が、「重すぎる」として市の人事委員会に不服申し立てをしていたことが12日にわかった。横浜市、市教育委員会はそれぞれ2003年9月からと、04年7月から、飲酒運転を「原則免職」としたが、同市での飲酒運転に対する処分不服申し立ては初めて。この教諭は昨年12、自宅でビール1杯とウイスキーの水割り2杯を飲んで約1時間半後に酒気帯びで摘発された。罰金20万円の略式命令を受け、経過を学校に報告していた。

処分については「特段の事情がある場合は停職にできる」との例外規定があり、市教育委員会は05年10月、飲酒運転で摘発されながら報告しなかったとして、教諭について「良好な勤務態度」に触れることで、停職にとどめていた。市教育委員会は「自己申告は軽減自由にはあたらない。学校内で飲酒運転防止の研修を2度開催した直後だったことを重くみた」としている。

飲酒運転の危険について直前に研修を受けた身で、それを全く無視した己の犯した行為を棚上げにし、不当を訴えるなど、教壇から子どもたちに何を教えられると言うのだろう。顔も上げられない恥ずかしい行為をした後で先生の言うことをきけ、法律を守れ、と言ったところで誰が聞く耳持つか。これでも運が悪かっただけ、とでも言うのだろうか。

これを書いている最中でも、最新ニュースは飲酒運転で犠牲になった人の報道が繰り返される。或いは各地の職員等公務員の飲酒運転に対する厳しい処置が報道される。各地の自治体でも「模範となるべき公務員の皆さんへ」と、内部でも躍起になって対策を講じ始めたが、「模範となるべき」などと、議員をはじめ誰も公務員を模範として生活している人間などいない。そのように人を高みから見下ろすような価値感が日常の態度にも表れるのだ。「顧みて自らを糺すように」と言うのならまだ分かるが。

厳しくなったという現行道交法でもまだまだ生温い。最高罰則で懲役5年、罰金がたった50万円に過ぎない。少なくとも最高刑には500から1000万円程度の罰金を課すことが望ましいと思う。併せて10〜20年以上の懲役を実刑とするべきだろう。人を殺し、それ同等の重傷を負わせたことに対する責任は取るのが当然で、同情するにはあたらない。一度に払い切れない金額は、生涯働いて払うようにすればよい。路頭に迷うようなことになったとしても、自分が招いたことだ、勝手に迷えばよい。

飲酒運転については外国の状況と比較することが難しい。何処かの国が厳しい、反対に緩やかだといっても酒気帯びの取締基準が異なる。国土の広さも交通網のあり方も異なる。飲酒習慣にも差がある。人種的な体質の差、国民の遵法意識の違いもある。平方キロ当たりの車の移動量、所有台数、などが基本になって呼気濃度、血中濃度が決まってくる。血中濃度の高い順に、幾つかの国を挙げると、
 アメリカ  0.8(単位は㎎/㎖)
 カナダ   0.8
 イギリス  0.8
 スイス   0.8
 フランス  0.5
 イタリア  0.5
 タイ    0.5
 日本    0.3
 アルバニア 0.1
と、呼気濃度にすると、アメリカは日本の0.15に対して0.4になる。
呼気中アルコール濃度(㎎/ℓ)= 5 x 血中アルコール濃度(%)

今日の報道でも明らかだが、飲酒運転の検知拒否が年間500件も発生している。単純に酒酔い・酒気帯びに比べて軽いたった5万円の罰金刑だけで済む甘い罰則のためだ。シドニーでは検査拒否だけでも30万円以下の罰金となるのだ。また、飲む飲まない拘わらず、或いは口が開いているいないに拘わらず、酒類は車内に持ち込むことも禁止されている国もあると聞く。日本も見習うべきだ、窓からのポイ捨ても防げる。

メーカー側でも苦労しているようだが、すでに取り付けている国もある。車を始動させる前に呼気検査のための計器を積み、パスしなければエンジンが掛からない、というものだが、エンジンを掛けてからドライバーが入れ代われば何ということはない。エンジンを切らないで帰ってくることの可能な場所への往復なら見つからなければ不都合はない。何をしても抜け道はある。要は車を運転する人のマナーに係わることだが、愉快犯のように続けさまに飲酒運転を繰り返す今の日本人では、その場で免許証を取り上げても無免許で平気で酒を飲み、町中へ出て乗り回すだろう。運転中に携帯電話はしない程度のことさえ守れないのが現状なのだ。

有りもしない適性量を言い、薬物の依存性としてはアルコールの上にはヘロインしかない非常に恐い飲み物にも拘わらず、「酒の上のことだから」「酒が入っていたから」「ちょっとくらいは薬だよ」で済ます風潮がある限り、飲酒運転は日本から消えることはないだろう。最終的には日本人のモラルに劇的な改変が起こるか、酒の輸入を含めた製造販売が禁止されるか、車が無くならない限りに於いては.。

今日もテレビからは酒のコマーシャルが飲め飲め、もっと飲めと呼び掛ける。片方で取り締まり、片方で大企業の宣伝が、金を掛けて欲情を煽り立てる。今では殆ど姿を消したタバコのコマーシャル。その薬物生、依存性はアルコールの方が遥かに高いのに、一向になくならない飲酒事故を取り上げた番組の途中で、堂々と酒のコマーシャルが流れる。テレビ局、ディレクターの節度はどこにあるのだろう。

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