ナチスとの係わりを認めたギュンター
1979(昭和54)年、その年のアカデミー外国語映画賞、カンヌ映画祭作品賞と話題をさらった西ドイツとフランスの合作映画「ブリキの太鼓」の原作者、ドイツのノーベル文学賞受賞作家(1999年受賞)ギュンター・グラス(78)が、若い頃ナチスドイツの親衛隊(SS)に入隊していたことを11日のフランクフルター・アルゲマイネ紙の会見で述べた。
同紙によると、彼は15歳で潜水艦部隊へ入隊を志願したものの失敗、敗戦直前の17歳の時に、ドレスデンでSSの機甲化部隊に配属された語っている。「同年代の少年が当時そうであったように、労働に就かされていた。突然、通知があり、ドレスデンに行った。着いた時、SS部隊であることを知った」と、自ら自発的な入隊ではなかったと説明している。軍への志願は、十代の少年に共通な、両親の束縛から逃れるための行動であったと同紙は指摘している。
アルゲマイネ紙は、12日に会見の全文を報じる予定。また、今年の9月に刊行される自伝に載せる、とも述べていて「この過去が重荷になっていた。明るみにする時が来た」などと、過去について沈黙してきたことが、自伝執筆の動機の一つにもなったと言う。ドイツの敗戦直後は、SSへの関与について、恥とは思わなかったが、時が経つにつれて重くのしかかって来たと語っている。
これまでの彼に関する経歴では、戦中は国防軍の対空部隊に所属、負傷して敗戦を迎え、米軍の捕虜になったと説明されていた。彼はナチス・ドイツの時代を生きた世代として、左派系の政治活動にも参加、ナチス・ドイツの歴史的責任も弾劾、外国人排斥や反戦を唱える文壇の代表者とも受け止められてきただけに、今になっての告白は論議を呼びそうだ。
ちょうど世代的には昭和一桁の世代、当時の日本の少年たちも、海洋少年団に入り、ボートを漕ぎ、国是に向かって戦争を煽る作曲家の歌を、大声で歌っていたのと同じことだ。戦争熱を煽った作曲家、作詞家、歌手たちは、素知らぬ顔で戦後の歌謡界で生きて来た。従軍作家や従軍画家たちも痛ましい戦場を描くことを躊躇い、勇猛果敢な日本兵を描いていたが、一転、敗戦後は素知らぬ風に「何があったの?」と言った顔でその後のその世界で泳ぎ続けたし、誰も咎めなかった。グラスは敗戦を味わうことで価値観の転倒を経験し、悩み苦しんだ生きざまの中から生まれたのが彼の作品だったろうと思うし、この度の告白となったものだろう。今後の論議の行方を見守りたい。
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