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2006年8月20日 (日)

部外者締め出す祭り

ちょっと前、大阪市西淀川区に在住の翻訳業を名乗るイギリス人が投書を寄せている。
町でお祭りがあり、奥さんが女のお子さんと他町のお神輿を見に行った。休憩どきにお菓子と交換するカードを配ると聞いて、奥さんから「もらいや」と声を掛けられたお嬢ちゃんが、喜んで配ってもらったカードを手にしていたら、突然男の人が「ほかの町会はあかんで。自分のところへ行け」と二歳のお嬢ちゃんからカードを取り上げた。同時に数人の女性から「ほかの町会の子が来るってどういうことや」と罵声を浴び、お子さんはショックで泣き出した、という。

イギリスでも教会主催のお祭りがあるが、どの教会に属しているか関係なく、どの国の子も楽しんでいる。お祭りとはそういう開かれたものであると思っていただけにがっかりし、また、たった二歳の子どもが持っていたものまで大声で非難しながら取り上げるという人権を無視した行為と、それを諌めるでもなく、罵声で助長する集団いじめのような行為に憤りを感じた。部外者には残酷に排他的になる日本社会の恐さを感じた、と。

西淀川のおっさんやおばはんが、書いてあるとおりの言葉で言ったかどうかは解らない。投書者の奥さんが、余りの事に頭に来て環をかけた表現になったとも考えられるが、イギリスのことも日本のことも、どちらも古来からある文化の違いから来るものだろう。指摘されるまでもなく、確かに日本社会には閉鎖的なところが多分にあるが、郷に入らば郷に従え、だ。そこでどう生きるかは本人次第。

私にも覚えがある。まだ小学生の一学期を終え、父の転勤の都合で姫路から、日本海海戦でバルチック艦隊を殲滅させた東郷元帥が長官をしていたこともある、当時はまだ海軍鎮守府として名前の知られていた京都府の舞鶴(後のロシアからの抑留者引き揚げ港になった)へ引っ越しした頃だ。二学期を迎える前の夏休みを利用しての引っ越しだった。学校が始まる前の8/24日を中日にして3日間の地蔵盆(元々は地蔵祭と呼ばれたが、8/24日が盂蘭盆に当ることから、そう呼ばれるようになった)で賑わった。

関西(奈良、大阪、滋賀、京都など)では子どものまつりとして、配られるお菓子を貰うのが楽しみな祭だ。投書の日からして地蔵盆とは考え難いが、お互いの町内が日をずらして行うようにもなった、と聞くからひょっとすると、この地蔵盆でのことかも知れない。私たちが住まうことになった隣の、世話役に当る家の軒先きには赤い提灯が幾つもぶら下がり、夜になると現代の赤提灯宜しく蝋燭が揺らめき、家に上がり込んだ子供達の笑い声やざわめきが、騒がしく聞こえていた。

地蔵盆は地蔵菩薩(大地を意味する菩薩と、胎内・子宮を意味する菩薩との合成語で、地蔵菩薩)を祭る催しで、関西では室町時代の京都で特に広まったが、関東にはお稲荷さん信仰があったことから京都に遅れて江戸時代になってやっとお地蔵さんが作られるようになった。子どもの守り神として、特に水子の供養で知られる。

私たち家族の新しい住まいになった隣家がこの世話役の家だった。まだ引っ越しして間もない私たち兄弟には、友だちと呼べる仲間は出来ていなかった。それにしてもだ、隣に引っ越して来た挨拶は親がきちんとやっていた。それでも新入りには声一つ掛けてはくれなかった。子供心に仲間はずれの寂しい思いを経験した最初であったかも知れない。大阪のようにカードがあったかどうかは知らないが、お菓子を貰うこともなく、その町内から慌ただしく去ることになった。急遽、父の会社の社宅に空きが出来て引っ越し、二学期の授業に間にあわせることができる始末だった。

食べ物の恨みからだろうか、未だにお祭り騒ぎは好きになれないで現在まで来ている。

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コメント

この『部外者締め出す祭り』の内容文を読ませて戴いた時に、如何にも排他的で、余りにも物事の極り事や秩序、そして、許容範囲の規則に囚われ過ぎた神経質的な人間は何処にでも存在します。また、この様な性格を持つ人間は、祭りの時だけでは無く、日常普段の時でも、ある意味的にも妥協が全く出来ず、強情で頑固で、物事の事柄に対して固縮限定他をし、他の存在に対しては一切認めることが無く、必ず拒否非難してしまう心の持ち主は何処にでも居ることでしょうね!!。しかし、その反面ですが、お祭りやイベント行事に一度も参加しないで、お菓子やお弁当等を貰う時だけ、真っ先に一番早く先頭にチャッカリと並んでいる図々しいガキ(子供)は何処にでも見掛けることが出来ます。ところで、お祭りやイベント等を開催執行する時は、その地域の神社の氏子衆の役員が中心になり、町会と言う自治会が協賛してお祭りやイベントを運営されます。そして、その協賛運営費として、その地域にある各家ごとの住人から奉納金(寄付金)や奉納物を『お気持ち』として『神酒所』(町会や自治会等がお祭りの時に主宰と運営を実行する本部の場所)に奉納や寄付をします。それが、お祭りやイベント等に参加する時の条件であり、また、マナーやルールでもあるからです。それからまた、只単に、お菓子やお弁当等を貰う為に『神酒所』やイベント会場の主催本部所に行って並ぶだけなら誰にでも出来ます。しかし、実際に御神輿を担いだり、山車を曳いたり、自主的にイベントの行事に参加することが何よりと思います。それに、日常普段からのコミュニケーションが必要であり大事だからです。最後に、宗教上等の都合で一切のお祭りやイベント行事には全く参加させない家庭や親がいます。また、ある地域全体がある宗教団体の信者集団で統一され、自分達の宗教行事以外のお祭りやイベント行事には絶対に参加をしない地域があります。如何にも盲信狂信の宗教団体が相変わらず存在している地域が今現在も存在していることが残念に思います。また、そうした、盲信狂信の宗教団体の信者達に抑圧よって、ある地域のお祭りやイベントが中止になったり廃止されたことがあったようです。それにまた、その様な特殊な宗教団体に入信している家屋では、お祭りの時には軒先提灯を提げることは無く、お正月の時では門松を飾ることはしません。選挙時期の時だけは慣れ慣れしく愛想良くするが、それ以外は見下す様な態度をしているでしょう。お祭りやイベント行事自体は宗教や社会的身分や地位に関係無く、人間と人間の繋がりや地域と地域の連帯感を図る目的の為に執行され開催される以外に無いからです。取り敢えずではありますが、日常普段からのコミュニケーションと、お祭りやイベント行事がある時には『お気持ち』として日本酒(一升瓶)を一本に熨斗紙に奉納の文字を書き入れ、自分の氏名を書いて『神酒所』の町会の役員関係者に「お願い致します」と一言だけでも申せば町会の一員として扱われ、後は、多少なりのお手伝いをしたり神輿や山車の後を付いて練り歩くだけでもお祭りの雰囲気が実感できることでしょう!!。

投稿: 間吊田和志輿為 | 2009年8月28日 (金) 13時43分

先日(9月)の日曜日に、都内のある祭礼を友人と一緒に見に行った時の出来事について書き込みをしたいと思います。ある町内会の神輿を暫くの間、見ていた時、町会半纏を着た若い担ぎ手一人が右肩の添棒(脇棒)の前方の担ぎ棒を担ごうとした時、そこに居遇わした同好会の半纏を着た担ぎ手連中達が「此処の添棒一本は俺達の同好会が仕切っているんだから、てめえは担ぐんじゃねぇ!」と罵声した途端に、その若い担ぎ手一人を大勢の同好会の担ぎ手連中が一方的に殴る蹴るの暴力三昧の行為を友人と一緒に目の当たりにしました。私の場合は、特に浅草の三社祭や鳥越祭の本社宮神輿の宮出しや町内会の宮渡御と宮入り等で、その様な場面を何度も見ているので「相変わらず馬鹿なことを遣っているな!」の感覚で見ていますが、私の友人は、その状況を見て「所詮、お互い担ぎ手同士なのに何んで殴ったり蹴ったりする理由があるのかね!?」と呆れていたほどです。ところで、私自身の本音(真実)を申し上げますと、神輿同好会の立場は明くまでも、そこの町会にお世話になっている身分であり立場でもあるからです。それにも関わらず、町会半纏を着た担ぎ手に対して殴る蹴るの暴力三昧の行為は言語道断です。もし、私自身が、そこの町会の代表役員でしたら、即刻!その場で神輿同好会を町会は基より祭礼全体から追放を是として必ず致します。また何よりも、同好会の担ぎ手が、どの様な言い訳をしても断固に拒否すべきです。それが本来の町会としての主権的立場を絶大的に保持する為になるからです。即ち、神輿同好会の身勝手で悪質な行為を増長させない為にも厳重に同好会の担ぎ手を断固拒否することが何よりになるからです。また、その同好会からの奉納金や奉納品を全額全品をお返して、また、同好会からの治療代や詫び状等を送られても、その全てを送り返すぐらいの気構えが必要です。もし万が一、神輿同好会から治療代や詫び状を受け取った場合は、その同好会の身勝手で悪質な行為を認めたことになるからです。神輿同好会の担ぎ手連中は族輩(ヤカラ)集団に過ぎません。特に、現在の様々な祭礼の状況を再確認した場合、浅草の三社祭や鳥越祭、そして、江戸三大祭の神田祭・山王祭・深川祭等の全国的にも有名な祭礼に於いても、神輿同好会の扱いは本当に厄介な存在になっています。その理由について説明を致しますと、戦後より約10数年後に当時のGHQ(アメリカ駐留軍)の占領から解放され、戦争で中断されていた日本古来から継承されて来た各土地や各地域の祭礼を復活させる目的の為に、その土地や地域に生まれ育った人間や居留や在留等の住人不足の理由により協力養成として、外部からの祭礼参加者(担ぎ手等)を何よりも必要とした時代が幾年も続き、それが現在に至っている次第です。外部からの祭礼参加者は実質的には必要不可欠の存在となっているからです。しかし、改めて申し上げますと、本質的には祭礼参加者の立場である神輿同好会は明くまでも、その土地や地域の祭礼に参加を『さ!せ!て!頂いて!いる!』立場の脇役的存在であることを神輿同好会は慎んで認識することです。また、何よりなことは町会の主権的立場を考えると神輿同好会の半纏を着た担ぎ手より町会半纏を着た担ぎ手を最優先にするべきです。それから、町会によっては神輿同好会の半纏で担ぐことを全面的に容認しない町会(特に、神田祭・山王祭・深川祭・三社祭・鳥越祭等の大規模で有名な祭礼)が数多く存在しているようです。神輿同好会の半纏を特別に認めてしまうと同好会の連中は仲間意識や連帯感が非常に強く、自分の仲間や同朋以外の存在が目前にいるだけで異常なぐらいに集団で敵対心を抱くようになるので、神輿同好会の半纏で担ぐことを絶対居に容認しない理由のようです。最後に、因みとして、神輿の両外側にある担ぎ棒の呼び名を添棒(ソイボウ・ソエボウ)、または脇棒(ワキボウ)と呼ぶそうです。それに、神輿の台座(下層部分)の中央部にある棒穴に担ぎ棒が通した呼び名を親棒(オヤボウ・シンボウ)、若しくは、中棒(ナカボウ)と呼び、親棒(中棒)と両外側にある添棒(脇棒)を繋ぎ結ぶ横の担ぎ棒の呼び名をトン棒(蜻蛉トンボの羽の形状に似ていることから名付けられた理由が説とされています)を通称の呼び名とされています。正式には横棒(ヨコボウ)です。また、親棒(中棒)や添棒(脇棒)の総称を縦棒(タテボウ)と呼ばれているそうです。以上の書き込みについては『世相、浅草、三社祭の神輿乗り逮捕』に書き込みをするべきところ、この『世相、部外者締め出す祭り』の題材に関連しているので書き込みを致ししました。何卒ご理解のほど宜しくお願い致します。

投稿: 間吊田和志輿為 | 2009年9月15日 (火) 03時01分

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