今度は三笠宮が・・
毎日新聞(8/10)から
先の大戦に係わる皇族の発言が洩れて耳に届くようになった。先の天皇の戦犯合祀に関するメモの発表に続いて、今度は北京の時事通信の配信から三笠宮の発言だ。大正天皇の第4皇子で長男は後の昭和天皇。
1998年に来日した当時の江沢民・中国国家主席を迎えた11月16日の宮中晩餐会の席で、日中戦争(当時は支那事変)に関して「日本軍の暴行を、今に至るまで恥じ、なお深く気が咎めている。中国の人々に謝罪したい」と伝えていたことが9日中国の公式文書(7月末に出版された江沢民の外遊禄「世界をさらにすばらしくするために」*と題した文献)で分かった。それによると、三笠宮は戦争中に軍の参謀として南京(江蘇省)に駐在し、旧日本軍の暴行**を目撃した経験に言及したものである。
* 外遊録「世界をさらにすばらしくするために」(北京・世界知識出版社)は、江沢民外交の記録集。李肇星外相が序文を寄せていることから、党・政府のお墨付きを得た公式文献と言える。
** 旧日本軍の暴行 -- 「南京大虐殺」で呼ばれる。1937(昭和12)年8月9日から始まった第2次上海事変に破れた中国軍は撤退を始め、日本軍は中国陣地を次々と突破し、12月9日南京城を包囲し、翌日正午を期限とする投降勧告を行ったが、中国軍は応じず、12月10日より日本軍の総攻撃が始まり、12月13日南京城は陥落する。その翌日から約6週間に亘って行われた城内・外の掃討作戦における大規模な残虐行為をいう。被害者については数千人とする説から数十万人にのぼるとするものまで様々であり、虐殺事件の存在自体を否定する説さえある。
中国の対日関係者によると、三笠宮は自ら江沢民に歩み寄り話し掛けたようだ。以前より対中戦争に批判的な考えを示していた三笠宮は、宮中晩餐会の機会をとらえ、天皇が挨拶では触れなかったが、江沢民が答辞の中で‘日本軍国主義は対外侵略拡張の誤った道を歩んだ’との発言に、自身の気持ちを直接伝えたかったものと見られる。
公式の発言ではないとはいえ、戦争を経験した皇族が中国最高指導者に遺憾の意やお詫びよりも強い「謝罪」を伝えていたことが明らかになったことは始めてのことだ。中国が非難する日本側の歴史認識問題にも影響を与えることになりそうだ。
外遊録には三笠宮が天皇、皇后両陛下の宮中晩餐会で「私は旧陸軍軍官として南京に駐在した。自分の目で日本軍の暴行を見た。今に至るまで深く気が咎めている。中国の人々に謝罪したい」さらに「歴史の真相を始めから終わりまで若い世代の皇族に伝え、日中両国民の世代を超えた友好実現のために努力しなければならない」と述べた、とある。
三笠宮は1915(大正4)年に生まれ、1932年陸軍士官学校に入学、陸軍騎兵学校を経て陸軍大学校を卒業。日中戦争では南京に参謀として派遣され、南京事件に遭遇したことが戦後、歴史家の道に入った契機と言われる。支那派遣軍参謀、陸軍騎兵少佐で敗戦を迎える。
三笠宮はある対談で、戦時中に戦地である青年将校から聞いた話しとして「新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それで根性ができる」などの発言もある。
また、おりに触れてブログに書いて来たが、現行天皇が靖国を参拝しないのは、父天皇を間近に観察し、天皇の心を、先の戦争を、そして歴史を誰よりも理解しているからだろう、と。それにまた1つ要因が加わったように思う。この三笠宮という叔父の存在があったのだろう。「歴史の真相を、皇族の若い世代に伝えたい」の言葉をしっかりと聞き、理解されてのことだろうと。
それにしても、皇族の人たちの持つ歴史認識が、小泉や、安倍、麻生らにあればよかったのだが。
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