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2006年8月18日 (金)

アジテーター(煽動者)

嫌いなカタカナ語から始めることになるが、これ以上に似つかわしい言葉が見当たらない。8月15日に靖国詣でをやった小泉のことをどうしても書いておきたい。

アジテーター(煽動者)、心理学的に言えば「感染説の中で群衆が反社会的行動を起こしやすくなり、ついに暴動の引き金が引かれることがある。この引き金を引く人をアジテーターと言うが、アジテーターになる人間は、もともと攻撃的であったり、社会に不満を持っている人が多いと言われる」。アジテーター、労資抗争、労働争議、労働運動華やかなりし頃しきりに使われた。労働者の先頭に立って資本家側に大声で叫んだ輩だ。

去る7月5日早朝に、北朝鮮が線香花火に火を点けた。その直前2日前、7月3日毎日新聞が行った全国世論調査がある。(後に参照を付す)戦後60年の原点の総括になるものだ。《「戦後の歩み」に厳しい目》として国会議員と国民の意識を比較したものだ。
 第二次大戦をめぐる日本政府の謝罪・反省について
 政府謝罪「不十分」42%
 軽武装「評価せず」24%
と、国民の方が国会議員に比べて否定的な数字が相対的に高く、「戦後の歩み」を厳しく見ていることが浮かんでいた。

7月5日の北朝鮮騒動直後から、政府高官の敵対的な発言が繰り返し報道された。時、あたかも小泉の靖国参拝が賑々しく取り上げられ、北朝鮮に反発する戦争を知らない世代のナショナリズムに火を点けることとなった。小泉のインタビューでの記者団への言葉が繰り返し報道された。「感激した、」「心の問題、」「人それぞれ、」「外国からとやかく言われることではない、」短い言葉の一言一言が、戦後教育で歴史を教えられずに育った世代の共感を呼んで行った。そして今や日本はその戦後生まれの世代が国民の多くを占める国になっているのだ。

感情で動くだけではない、日本の歴史すら勉強もしていないのだ。小泉が靖国に出かけた日の夜、NHKが麻生外相も混じえて市民との討論の場を設けた。夜7時30分〜11時30分までに途中ニュースなど1時間15分を除く長時間だった。《日本の、これから「アジアの中の日本」》。元軍人、遺族、評論家、各国からの留学生たちに混じって日本の若者たちも参加していた。当然、戦争犯罪、A級戦犯、靖国参拝の是非について話は集中する。

日本の戦争犯罪に触れて話が進む中、若者(大学生か)の発言に耳を疑った。『東條を戦犯呼ばわりするが、戦前の日本の民主主義の中で、東條を選んだのは国民じゃないか』と言う。その場の大人が呆れて諭したが、
 こんなことすら今の教育は生徒たちに教えていないのだ。戦前の日本の選挙制度、戦後の婦人参政権、敗戦によって始めて与えられた民主主義。そうだ、この民主主義という言葉、戦前の日本国民はどのように教えられていたのか、学校の先生は子どもたちにこう言った。《「個人主義の国アメリカ」自分さえ良ければよい国》と。決して民主主義とは教えなかったし、民主主義と言う言葉さえ存在しなかった。こんなことも知らない若者に、小泉の単純化された一言は、ロケット打ち上げに反感を持つことを助長させるのにも多いに役立った。

また、他の若者の元軍人への喧嘩腰に言い放つ言葉。『戦犯の平和への罪を言うけれど、それではアメリカが原子爆弾を落とし、多くの人間を殺したことに罪はないのか』と。一方の犯罪を糾弾しようとする時、もう一方の非を論(あげつら)って物事を正当化しようとする。クソとミソをごちゃ混ぜにした論理で声高に迫ろうとする。日本の国民を悲惨な目に遭わせた日本人のA級戦犯の責任を問おうとする時、全く別の問題を同じ土俵に上らせて、自己の論理の破綻に気がつかず、喧嘩両成敗の幼稚な論理で己の側の罪を減じようとする。

恐ろしい話だが、敗戦直後から、日本も原爆の開発を進めていた、という風評は聞こえていた。事実、のちに理化学研究所の仁科博士を中心に、後のノーベル賞博士湯川秀樹や朝永振一郎博士もメンバーに含まれていたことも明らかにされている。1945年5月15日のアメリカの空襲で研究塔が破壊され、完成は見なかったが、敵殲滅(せんめつ=地球上からの抹殺)をスローガンにしていた軍部が、アメリカに先駆けて手にしていたら、アメリカ同様に何の躊躇もなくばら撒いていたであろう。日本に原子爆弾が落ちた遠因には、戦争終結の勧告を無視し、一人になっても戦え、と旗を振った東條たち指導者に、責任があるのは明らかだ。

このような単純細胞の若者にとって小泉の一言は、力強い支えになるのであろう。同時進行で携帯電話のアンケートを取っていたが、北朝鮮のロケット花火以降、一気に加速して敵対的な考えが広がっているようだ。今までどちらかといえば、常識的な拮抗した意見で構成されていた賛否は、靖国参拝問題では「反対」の30数パーセントを遥かに超えたほぼ2倍、70%近い「賛成」するがポイントになった。完全なアジテーター小泉の勝利だった。

依怙地以外のなにものでもない、“後は野となれ山となれ”と任期も残りわずかになって国費を使ってあちこち飛び回り、何の成果もない集まりに顔を出し、駱駝の背で「ラクダ、ラクダ」を連発し、エルビス・プレスリー宅を訪れ、見事に情けないジェスチャーをお披露目し、共同記者会見の席でラブミー・テンダーをもじったスピーチをやって情けなくも醜態を晒す。ブッシュ(権威)の足下ではまるで戯れつく子犬のように他愛ない。

そしてついに来た。小泉の靖国参拝に苦言を呈して来た加藤紘一衆議院議員の、山形県鶴岡市にある実家が東京の右翼の構成員(65歳)によって放火全焼する事態に立ち至った。加藤氏も小泉と同じ自民党に所属する議員だ、根は同じ考えで集まった政友だ。時に意見に違いのある物事だってある。それも解らない65にもなる気違いに、靖国参拝に反対意見を持つだけで襲われることになるとは、如何に今度の小泉のアジテーターとしての行動が、右傾化する国家主義的な出来事となったか解ろうというものだ。まこと、小泉は手法こそ違え、ヒットラー以来の大アジテーターと言うべきだろう。

それ以上に情けないのは、この気狂い爺さんが火付け役になったアジテーターが出て来て、その尻馬に乗ってしか騒げないノーテンキな付和雷同の輩たちがいることだ。それまで何も気にならずにいたものが、誰かが騒ぐことで始めて知り、わっしょいわっしょいと騒ぎ出す。名を名乗ることも出来ない憶病者が、「次は爆弾だ」とまで言い放つ。7月の北朝鮮のロケット打ち上げの時もそうだった。在日への嫌がらせが即座に60件ばかり起きた。日本人のモラルの低下は酷すぎる。

 この先日本は一体どこに行こうとしているのだろうか。

参照「国会議員の意識調査」06/06/25
参照「再び靖国について」06/07/27

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コメント

アジテーターと言う言葉を追ってサーフィンしていて、辿り着いてしまいました。二年も前の記事、なのですね。
有名なサイト★阿修羅♪でしたか?が有りますが、そこには十年くらい前から見させて頂いてますが、そことは全然関係の無い者です。あのサイトは読者のコメント欄も出来て、下位法的になってきたのかな、と思えば、随分と書かせて頂きましたが、一度も、レスも反映もありません。投稿者同士の舌戦はよくお見受けしますが。
小泉に関しても、その後の政治の動向に関しても、自分も殆ど同意です。自分は戦後生まれで戦争体験は有りませんが、親の事情の中で、間接的にタップリと戦後は味わいました。浮浪児や施設暮らしを経て、社会に出たものです。ネットへの参加ももう十年を越え、瑣末ながら、自分なりの忌憚の無い記事を書いています。専門的な情報知識から、ではなく、主に感情、感覚からの観点で書いています。
二年前の過去ログに、今頃のコメントを書いても、間抜けな感じがしますが、訪れた足跡代わりに、ご挨拶を、と書かせて頂きました。

投稿: 阿修羅 | 2008年12月11日 (木) 19時04分

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