分祀でなく、出てもらえばよい
この問題にはもう触れないでおく積もりだった。私の考えはすでにブログでも目にされた人もいるであろう。結論から言えば分祀するのではなく、A級戦犯は一刻も早く靖国から出て、それぞれの「家」の墓に入れば良い、という考えだ。(参照:「合祀から外し「家」の墓に」04・11)
昨8月3日、遺族会が、自民党総裁選挙後に、分祀を検討していることを毎日新聞が報じた。しかし、遺族会としては靖国の存続を切望しており、国立の戦没者追悼施設建設には「靖国神社を形骸化する」として絶対反対の立場である。神社側は「分祀はできない」としているが、最大の支援組織である遺族会で分祀の検討が始まれば、対応を迫られることになりそうだ。
そもそも遺族会は戦没者遺族の相互扶助を目的に「遺族の救済と相互扶助、以って戦争を防止し、世界の恒久平和を確立し、全人類の福祉の為に貢献」するために、1947年11月17日に『日本遺族厚生連盟』として設立。6年後の1953年3月11日、財団法人への改組をすると、その目的は「英霊の顕彰、戦没者遺族の福祉の増進、慰藉(いしゃ)救済の道を開くとともに、道義の昂揚、品性の涵養に努め、平和日本の建設に貢献することを目的とする」となり、遺族会設立時には明確に明文化されていた“戦争を防止、世界平和、全人類の福祉に貢献”が取り払われ、代わって右傾思想の“英霊の顕彰”が最優先の目標として追加して書かれた。
遺族会の中からは「英霊を分け隔てすべきではない」と依然として分祀反対の声は強いようだが、だいたいが戦犯を英霊と見る見方に問題がある。日本の平和条約後の独立で、戦犯はいない、との解釈をするものもいるが、それは戦場で殺された側の論理には当てはまらない。行け、と命令されて命を亡くしたものと、行けと命令して、裁判で断罪されたものとが、今日からは新しい出発だからこれまでのことは何も無かったことにして水に流しましょ、で済まされるのか。命令された側は英霊でも、命令を出して戦死させた側は戦犯のままだ。
小泉は3日の「小泉内閣メールマガジン」で「戦争でなくなった方々を追悼するというのは、どこの国でも誰であっても自然なこと」との認識を示している。だが、日本人自体で裁けなかったが、もしもナチスドイツと同じく裁くことが出来ていれば、日本人の手でA級戦犯は絞首刑にしたであろうし、靖国に居座ることなど到底考えられることではない。小泉が言う「どこの国でも」は、自国の力で自浄作用が働くから(ヒットラーは自殺だが、イタリアのムッソリーニの広場での処刑、逆さ吊りなど)極悪人が善人面で祀られることはない。その上での「誰であっても自然なこと」として慰霊することが可能なのだ。事実、A級戦犯たちの処刑が執行され“絞首刑”の報道で、多くの日本人は胸を撫で下ろし、溜飲を下げ、胸のつかえが取れたのを鮮やかに思い出す。
分祀が問題になると、新たな国立の追悼施設の建設が話題に上るが、その必要は全くない。現在ある千鳥ケ淵戦没者墓苑に「国立」を冠すればそれで済む。墓苑自体1959(昭和34)年3月28日、国によって建設されたものであり、何ら矛盾もない。そこには幾多の戦場で亡くなった、名も判らない戦死者の多くが眠っている。毎年厚生労働省主催の拝礼式典が行われており、そのほかそれぞれの団体が、仏教形式で、キリスト形式で、あるいは神式で慰霊を行っている。このたび見つかった靖国絡みのメモではないが、昭和天皇も墓苑では慰霊の歌を詠み、骨壺を下賜して顕彰に係わってもいるのだ。不都合はなにもない。そして、未だに慰霊の対象から外されている名もない多くの《空襲で死んで行った国民、徴用されて亡くなった学徒兵、軍属、従軍看護婦、慰安婦たちを、沖縄戦で犠牲になった多くの人たち》*をこそ祀るべきだろう。新しい国立墓地は全く必要ない。例え分祀されたとしても、戦犯を神仏として合掌する者は身内の他にはいないだろう。ならば戦犯たちには早く先祖の墓に引っ越してもらえばよいことだ。
*前記参照ブログから引用
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