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2006年8月 9日 (水)

E・シュワルツコップ逝く

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 フーゴ・ヴォルフ
  没後50年記念リサイタル
       (LPとCD)


エリザベート・シュワルツコップが3日、オーストリアで死去。1915年12月9日ポーランドで生まれ90歳で天寿を終えた。先に亡くなったマリア・カラスと並ぶ二十世紀最高のソプラノ歌手であった。最高の当り役、リヒアルト・シュトラウスの「薔薇の騎士」の元帥婦人を始めとして「リゴレット」「椿姫」「ボエーム」「蝶々夫人」などで美しい声を聞かせ、バイロイト音楽祭ではワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」で歌っていた。

1947年夏、ルツェルン音楽祭でブラームスの「ドイツ・レクイエム」で歌ったのが彼女とフルトヴェングラーとの最初の出会いである。その後数あるベートーベンの第九でも未だに最高傑作と言われる1951年のバイロイト音楽祭で、ベルリオーズの「ファウストの劫罰」モーツアルトの「ドン・ジョヴァンニ」「フィガロの結婚」ベートーベンの「フィデリオ」などでの共演が続いていた。一方彼女は歌曲の方でも輝かしい評価を得、すでに何度も彼女との共演をしていた名伴奏ピアニストのジェラルド・ムーアをして「およそピアニストであれば誰もが一度は共演してみたい、あの素晴らしい歌の伴奏をしてみたい、と願わずにはいられない魅惑のプリマ・ドンナです」と言わしめずにはおられない歌手になっていた。

1953年(シュワルツコップ38歳)、夏、ザルツブルク音楽祭でフルトヴェングラーは「ドン・ジョヴァンニ」を5回(シュワルツコップがドンナ・エルヴィラ)「フィガロの結婚」を4回(シュワルツコップは伯爵婦人)指揮しているが、ジャケットの写真は「フィガロの結婚」の第2夜の翌日、8月12日に行われたヴォルフ没後50年の記念リサイタルの録音のディスク化である。レコードは2種出ており、最初のものは1968年、13曲のみでレコード化され、自らピアノの伴奏を申し出て共演したフルトヴェングラーとシュワルツコップの見事に息のあった出来栄は、伝説的ともなり、その後全曲収録盤を望む声が強く、1983年になって全22曲を収めたLPが発売された。上の写真LPはその最初の13曲収録のもの。(ドイツ ELECTROLA C 063-01915) CDは22曲収録(FONIT CETRA K33Y 196) 

13曲盤の第1曲メーリケ詩「さようなら」
 「さようなら!」おまえはまるで感じないのだ、
 このむごい言葉が何を意味するかを。
 けろりとした顔つきで、いやに気安く
 おまえはその言葉を口にする

 さようなら! ああ、千べんも
 僕はその言葉を自分に告げてみた
 果てしない苦しみのままに
 その言葉で胸がはりさけた!

メーリケが告げられた‘さようなら’は若い頃、別れた恋人の口から出たものだが・・・ 合掌。
敗戦で軍国少年が目標を失って自分捜しをしていた頃、変声期前の喉に多少の自惚れも混じってドイツリートをかじっていたこともあって、歌曲には一方ならない愛着を持っている。シューベルトも良いが、やはりヴォルフだ。男声ではフィッシャー=ディースカウの大量のヴォルフも愛聴盤の仲間入りをしている。その多くの伴奏をしているのがジェラルド・ムーアだ。

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確かに、これまでベートーベンというと、「ジャジャジャジャーン〜」の5番とか、「晴れたる青空〜」の9番しか知らなかったけど、「のだめカンタービレ」フアンとしては、7番が頭にこびりついている。 [続きを読む]

受信: 2006年11月12日 (日) 15時26分

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