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2006年7月 7日 (金)

高松塚古墳壁画

7/7最終リハーサル、7/11〜13メンテナンス実施予定。
重い、重い。そのためのレスポンス改善のメンテナンスだが、本当に重い。ログインするのさえ痺れが切れる。年金生活でも日中にパソコンに向かえる時間ばかりではない。21時を過ぎることだって多い。コツコツとキーを叩き、文字を列ねて行く。現役を離れて年寄りの手習い、早く仕上げるためのブラインドタッチには挑戦して来なかった。書き終わって「保存」ボタンキーを叩いてからブログに記事としての画面に変わるまでに、テレビのコマーシャルタイム張りの「用足しタイム」よりも長時間を要することもある。これが100メガ光回線ブロードバンドだとは金の無駄使いの感すらする。
 勢い誤字、脱字、間違い字や変換ミスの訂正には気の遠くなる時間を掛けることになる。余りの面倒さに解ったミスの訂正を、翌日の早朝に繰り越すこともある。閲覧だけはできるそうなので、爺やのブログに立ち寄って下さる方にはみっともない字面をお見せすることもあるかと思う。足りないところは補ってお目とおし下さい。

《高松塚古墳の壁画》
日を追って増殖を続ける石室内部の黴による壁画の損傷は、考えるだけでも貴重な文化遺産の破壊となって危機的状態だ。私は何度かこのことを取り上げて一刻も早い解体の必要性を言って来た。それは現在の科学では石室の中では黴の増殖を防ぐ絶対的な対策がないからで、1日を争う対処の必要性を感じるからだ。

古墳を発見した1972年当初「戦後考古学史上、最大の発見」として騒がれ、保存対策を検討するよりも、古墳はいつの時代のもので、そこに埋葬されたのは誰か、というような考古学上の推理を多くの人たちが競って説を展開して行った。古代史家、作家、発見された壁画から類推して美術史家が、或いは哲学者が自説を並べた。1300年の間、外気に触れず、眠っていた石室の内部に現在の空気が流れ込んだ。石室の環境破壊が始まったのだ。発見直後、文化庁の田中琢(みがく)氏は警鐘を鳴らしていた「喫緊の課題は、被葬者論でも壁画の系統論でもない」と。

しかし、その後の保存状態はすでに知られるように悲惨なものだ。現場を実際に目にしたことはないが、写真で見る限り高松塚古墳はすでに昔の形を止めていない。ただの竹薮の中の掘建て小屋だ。あれでは解体してその跡に元の形のレプリカでも作った方が余ほど古墳らしい。痛みの激しい壁画は一刻も早い解体搬出で修復を施すべきだ。そうすれば発見以来、誰も見ることができなかった本物の壁画を、誰もが等しく目にすることができ、文化遺産の恩恵に与ることができることになる。

古墳の解体が決まったここに来て、黴の防止、壁画保存に有効の可能性のある方法が、実用まで後一歩のところにきているらしい。これは埋葬された遺体が腸内細菌や、土壌、空気中の微生物の作用によって腐敗して行く際、タンパク質が科学変化で種々のアミノ酸に、次いでアミン類に変わり、さらに微生物の作用でプトマインと総称される有毒のアミンを経て、黴を抑える低分子量アミンに分解される。これは東京国立文化財研究所の高松塚壁画の黴対策を担当した新井英夫さん(74)が75年から取り組んだ研究だが、その後の高松塚壁画の保存と対策には実用化されず、今でもエタノール殺菌による対症療法的な対策が続けられているが、この方法が実現すれば、壁画が千数百年も残ることになった古墳の本来の機能によって、今後も壁画を守ることになる、という。

しかし、壁画にとりついた黴は、一刻も待ってはくれない。完成した研究であれば有効だろうが、まだ研究の域を出ていないのでは、可能性がある、というだけで今日明日には役に立たない。壁画の損傷はそれほど酷いと見るべきだ。現状でどう手を打ち、対策を講じても、何度も繰り返すことになるが千万年の保証がある訳ではないだろう。それよりは、即座に変化に対応出来る白日の元で管理する方がよほど優れた管理法だと思える。

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