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2006年7月23日 (日)

我疑う ゆえに我あり

“我思う ゆえに我あり”(Cogito ergo sum :コギト エルゴ スム=フランス語からのラテン語訳)は、近世哲学の父とよばれ、合理主義哲学に道をひらいたデカルト(フランスの哲学者、数学者、物理学者、生理学者)の言葉だ。

第2次世界大戦が敗戦で終わった1945年、それまで声を枯らして学生たちに国に命を捧げることを教え続けていた教師たちが、アメリカから押し付けられた民主主義を口にし、黒く塗り潰した教科書の間を縫って自由を、平等を叫び始めた。敗戦が1、2年延びていたら間違いなく死ぬ運命の「男」に生まれ、当時、幼い今で言う13歳2ヶ月、幼年兵、少年兵の姿で、死ぬことを真剣に考え、生きたいとも思い悩んでいた少年の心に、壇上の教師への背信が沸々として沸き起っても不思議ではない。一体昨日までの教師と今日のその人ととの間にどれほどの葛藤があったにせよ、命を掛けて学ぼうとしていた学生たちには教師の口から出てくる一言一言に、何を見い出せば良いのか錯乱のようなものが駆け巡っていた。あの人の言うことにはきっと何か裏がある、きっとどんでん返しの価値観が潜んでいる。今の言葉の意味は何だろう、信じて良いのか、きっとまた嘘を教えるんじゃないだろうか。その日まで銃剣術を教え、女には薙刀を、竹槍を持たせ、死ぬこと以外を教えなかった教師たち、何を血迷って自由を平等を口にするのか。教師の一言一句が信じられなくなっていた。

同じ昭和一桁の男性(73歳)の投書が載った(毎日新聞7/23)。敗戦直後を幼いなりの価値基準を探し求めて苦しんだ世代だ。長くないので記事を全文借りる。《「ほくそ笑んだのは日米の当局」北朝鮮がミサイルを発射したことに対し、日本政府はアメリカと共同して、制裁条項を含む国連安保理決議案を提案するなど強硬姿勢を示している。これに対し韓国政府は、「今回のミサイルは脅威に当たらない。日本政府は騒ぎ過ぎだ」との見解を表明している。私は、この韓国政府の見解が正しいと考える。》
 【先に書いた私の見解も同意見だ。総てのミサイルは日本に向けて撃ったものでもないし、核弾頭など積んではいない、と見るのが正しい】

《そもそも今回の「ミサイル騒ぎ」は、アメリカが「テポドン2号発射の動きがある」と言い出したことに端を発している。北朝鮮としては何らかの「結果」を示す必要があった。しかし、テポドン2号の発射は事実上失敗に終わり、中・小型ミサイル数発を打ち上げるにとどまった。

ほくそ笑んだのは、日米の軍事当局だろう。右の結果をことさら「大きな脅威」に仕立て上げ、日本国民の感情論を煽り、「だからミサイル防衛システムを早期に実現する必要がある。厳しい財政再建の中でも防衛費を削るわけにはいかない」との論議を飲み込みやすくする絶好のチャンスだ、と考えたに違いない。私はだまされない。》

私も同じことを書いた。恐いのは北朝鮮の挑発にのり、北朝鮮を仮想敵国としてまっ先に憲法改正を手掛け、9条で交戦可能な軍隊の保有へ国論を導くことだ、と。疑うことを知らない人たちは、アメリカや日本政府のいうことが正しいのだ、絶対に日本は再軍備するべきだとも思っているかも知れない。しかし、先ずは疑うべきなのだ。

日本国憲法の第2章には「戦争の放棄」の条があり、
 ■第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 ■第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

第2項の「前項の目的を達するため」は1947年の憲法発布の時点にはなかった文で、後の首相芦田均(1948・3・10〜10・7)が修正を行ったことで、自衛権が認められているとする見解もあるが、47年の発布になる憲法の解釈は、ブログでも触れて来たが、1946年の衆議院委員会において時の首相吉田茂は答弁している。「戦争放棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定はしておりませぬが、第9条第2項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したものであります。」「いかなる形でも自衛権など認めない方がよい。そもそも近代の戦争は全て自衛の名の下に行われたのであり、自衛戦争などという概念そのものが有害」であると述べている。

それからほんの数年の後、1950(昭和25)年6月25日、北朝鮮軍の韓国侵入によって起きた朝鮮戦争のため、日本に駐留していたアメリカ軍の殆どを韓国支援のために出撃させた。日本国内で市民権を持った共産党やロシアの南下を恐れ、治安を懸念したマッカーサーは同年7月8日、吉田首相に宛て国内の警察力と海上警備力の強化を指示した。(当時、敗戦後外地から引き揚げてきた人たちで町は溢れ、失業者の荒んだ心を鎮める失業対策の声もあった)8月10日『警察予備隊令』を公布した。続いてすぐさま1952年10月、『保安隊』に改称する。そして『自衛隊』になるのに時間は掛からなかった。1954年3月時の3軍の員数は陸上13万9000人、海上1万6000人、航空6700人であった。

それから今日まで為政者が行って来た言辞についてはもう述べるまでもないが、今度また、次の政権を狙う阿倍晋三が憲法9条第2項について危なっかしい改正を考え、靖国問題でも小泉を擁護する考えを持っていることを明確に表明した。戦争を頭で、言葉で考える世代に日本は操縦されている。

敗戦から今日まで、何事につけても、全てを疑うことでしか自分の存在が確かめられない生き方をすることでこの歳まで来ている。何事も疑い、騙されないぞと誓って。

参照:「今日は何の日」06/07/05
参照:「慰安婦問題」06/07/16
参照:「自分を見捨てた国」06/05/24

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