« 続・高松塚古墳 | トップページ | 我疑う ゆえに我あり »

2006年7月21日 (金)

行くも 行かぬも 心の問題

先の天皇を知る、当時の宮内庁長官・富田朝彦氏(故人)の手帳に、靖国神社のA級戦犯合祀について、天皇が強い不快感を抱いていたことが記されたメモが見つかった。

早速メディアが色めき立って電波に活字にインタビューにと、騒がしく動き出した。タイトルの言葉は、詰めかけた記者たちの質問に答えたわが総理大臣小泉のメディアへの言葉だ。

一夜明けて今朝の毎日新聞(おそらくいずれの新聞社も同様だろうが)、機を見るに敏で得たりとばかりに社説で取り上げた。大きな傘の下に入らないとものの言えない体質は民主主義とはいえ、何十年経っても変わってはいない。曰く「A級戦犯合祀は不適切だった」と。言う機会、言わねばならないメディアの責任は合祀がなされた1978年10月の時から自覚するべきだったのだ。

遺族代表を辞任した古賀誠が訪中の際王家瑞・中国共産党中央対外連絡部長や武大偉外務次官とも会談した際、訪中前から持っていたA級戦犯分祀論についても語り合ったようだが、王部長は「日本国内で受け入れられるなら一つのいい方向だ」などと評価したという。古賀は「靖国問題は我々自らが国内問題として解決すべきで、未来志向で努力を続けるべきだ」と応じたという。古賀はわざわざ中国まで行って本当にこんな日本独自の話をしたのだろうか。小泉が撒き散らし、諸外国との関係を冷え切らせた問題とはいえ、外国の知恵を仰がねばならないことじゃあない。日本人自身が、先の他国を侵略した戦争を知り、自国の責任や罪を清算しなければ、国の大儀に命を捧げた人たちも浮かばれないだろう。

昭和一桁の思いは何度も繰り返し書いてきた、飽食に明け暮れる今の世相、いにしえの日本を支えた日本人のモラルを取り戻すことが必要だ。

参照:「特別な1日」06/06/23
参照:「首相のこころ」06/01/08
参照:《合祀から外し「家」の墓に》06/04/11

|

« 続・高松塚古墳 | トップページ | 我疑う ゆえに我あり »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 行くも 行かぬも 心の問題:

« 続・高松塚古墳 | トップページ | 我疑う ゆえに我あり »