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2006年7月31日 (月)

梅雨明け

東北地方を除いて梅雨も開け、全国的に好天になった30日、海に川に出かけ、19道府県で水難事故が多発して全国で15人が死亡、5人の行方不明などが出ている。昨日書いた高校野球につき物の不祥事のように、夏は水難事故がつきまとうようだ。親の不注意で、命を落とす子どもたちの不幸な事故もあるが、同情することもない勝手に死なせて置けばよいようなものもある。

例えば静岡県下田市白浜の白浜大浜海水浴場で、午後0時半ごろ、南東約50メートルの岩場(岩場というよりも高さ約1・5メートルの小石の上だ)から東京都豊島区西池袋の会社員、三吉正さん(35歳)が飛び込んで溺れた。彼は間もなく救助されたが水死した。県警下田署の調べでは、友人3人と海水浴に来ていて、正午過ぎから飛び込みを繰り返していたという。彼は朝から缶ビールなどを数杯飲んでいたらしい。彼が遊んでいた場所は飛び込み禁止の看板がありロープも張られていた、という。死ぬのは当たり前だ。酒をくらった間抜けというより他ない。バカでも分かるようにロープまで張られて禁止されている場所と、行為を自分から破っているのだ。おそらく彼は自殺でも望んでいたのだろう。

また別の場所では若い女性の滝つぼへの飛び込みによる死亡もあるようだ。普通滝つぼは内部で渦を巻き、巻き込まれると浮かぶのは不可能と言われている。誰でも知っている常識と思う以上、この女性も自殺志願者だったのだろうか。滝と聞いて思い浮かぶのは1903(明治36)年5月22日、日光華厳の滝へ投身自殺をした旧制第一高等学校生・藤村操(17歳)のことだ。大平洋戦争で死と向き合う年齢になったころ、彼が身を投げる前に傍らの木にナイフで刻んだ『巌頭之感』は疾うに諳(そら)んじていた。

 悠々なる哉天譲、
 遼々なる哉古今、
 五尺の小躯を以て此大をはからむとす、
 ホレーショ*の哲学竟(つい)に何等のオーソリチーを値するものぞ、
 万有の真相は唯一言にしてつくす、
 曰く、「不可解」我この恨みを懐いて煩悶終に死を決す。
 既に巌頭に立つに及んで、
 胸中何等の不安あるなし、
 始めて知る、
 大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを。

*シェークスピアの「ハムレット」の中でハムレットがホレーショに言う「君なんかにはわからない事もあるんだ」と言うくだりで、俗物、俗人にはなかなか真実は見えて来ないもの、という例えで引き合いに出された。

秀才の頭脳とはどうなっているのだろうか。死の直前、17歳にして幅広い知識と豊富な語彙。

酒を飲んで海に飛び込むぼんくらの命などどうでもよいが、彼の死は惜しまれる。夏目漱石は「我が輩は猫である」の中で彼の事件に触れる一行を入れているが、後年漱石が鬱病になった一因とも言われる話がある。高等学校で彼のクラスの英語を担当していた漱石が、自殺直前の授業中に予習をしていなかった藤村を叱っていたという。

明日から8月だ。長雨で遅くなった水遊びは精々あと半月、毎年同じような無責任な親による子どもの被害はこれ以上起こらないように注意してほしいものだ。

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2006年7月30日 (日)

あれやこれや

5日早朝に北朝鮮が打ち上げた線香花火、その後、日本中が大騒ぎだ。ニュースを聞いた直後、頭を過(よぎ)った杞憂が現実となった。今さらながら金さんの思う壷、もっと騒げと高みの見物をしていることだろう。話を広げたくて待っていた好戦派の人間たちが、憲法改正だ、自衛のための戦争体制が必要だと、寝ぼけたことを口走っている。案の定、落ち着いてデータを分析してみたところ、線香花火はどうやら燃えてくれたようだが、打ち上げ花火は失敗したそうじゃないか。阿倍君、麻生君よ、上がりもしない花火で騒ぐことはよくないよ。あんた達に日本を任せるのはますます恐ろしいことに思えて来るきのう今日だ。花火に驚いてどうする。昨夜は隅田川をはじめ、日本中で花火大会が賑やかだった筈だ。浴衣でも羽織ってのんびり川辺にでも出て頭でも冷やしてみたら?(打ち上げの当日と16日ほかのブログですでに触れておいた。参照*)

花火のシーズンは一方で甲子園を目指す高校野球児の汗を流すシーズンでもある。汗だけを流していればいいが、併せて悪評を垂れ流す。これも例年決まった行事のように全国の高校で起こる。仁術が算術になった医者の世界、聖職が給料取りになった教師の世界。先例は幾らもあるから高校球児にだけ高潔を求めるのは可哀想だが、どんどん乱れた社会の縮図の、何でもありの様相を呈して来た。野球部部長、監督を含め、飲酒、喫煙はおろか、窃盗、暴力、万引き、無免許運転(事故)、不法侵入、器物損壊、強制猥褻、セクハラ、盗撮など、それら不祥事の報告洩れ。これらの犯罪が毎年繰り返し発生している。新聞を賑わし、電波に乗る。

学校内で発生することは学校の監督責任(監督しなければならない大人も含まれているのは呆れ果てるが)だとしても、男の子を育てた親が無責任すぎる。不祥事の内容は普通の人が見て、全て眉を顰(ひそ)める行為だ。これらの善し悪しも教えていないとは親として失格だ。小さい子どもの頃から躾けていないと、甲子園を目指す年頃になってからでは遅すぎる。もう手のつけられない手後れの状態になっている。その上世間には野球が上手ければ多少の我が侭が許される雰囲気がまた存在する。ひ弱ではレギュラー入りは無理だ、例外はいても殆どは見るからに頑健だ。反面眉を剃り、お化粧していても(しているからこそ)中味は無気味に男だろう。多少の無礼があっても見てみぬ振りをしているうちに、当人たちには思い上がりが生まれる。これくらい、これくらいがエスカレートして行く。万引きしても警察に知らせるのに躊躇する。千葉県船橋であった書店の万引き、店主が警察に知らせたことを、周りの阿呆でバカな、恥知らずな、始末におえない大人たちが店を責め、遂に閉店に追い込んだ例がある。万引きが犯罪であることを親が教えていない、犯罪を知っても周りが被害者を責める。腐り切った世相が一層若者たちから罪の意識を剥ぎ取ってしまう。

今夏の出場を決めた栃木県高校の代表校、文星芸大付属高校の暴力事件も同じことだ。野球部員一人では何も出来ず、仲間と徒党を組んで高校生二人に顔や胸の骨を折るなどの暴行をしていることについて、学校側は、野球部員は直接手を出していない、レギュラーでもない、甲子園でのベンチ入りの18人枠にも入っていない、などを言い訳に、「選手の甲子園への気持ちを考え、参加準備をすすめる」と開き直った。

また、兵庫県の選抜試合では、私立育英高校の1年部員が女子生徒に自転車で故意にぶつかり、別の場所に連れ込み、自分の身体を触らせる強制猥褻で逮捕され、家裁送致になったことを、日本高校野球連盟に報告だけして、出場は辞退しなかった。連盟側も支障なしと裁定して兵庫大会への出場を容認した。

その取り締まるべき立場の宮崎県連盟幹事の常勤講師をしていた男が、勤務先の高校の女子トイレに盗撮用のカメラを設置したとして、除名処分されている。

昨年10月20日の高野連の審議委員会によると、その前回の123件を上回る144件の不祥事の報告が上がっている。うち部内暴力だけでも31件ある。出場停止を食らったお恥ずかしい記録として2度繰り返した学校がある。1935年と1958年の浪華商(大阪)と、1985年と2005年の明徳義塾(高知)だ。

高校野球ファンとして知られる作詞家の阿久悠がいう「汗と涙」(私自身は高校野球の負けて泣く涙こそ大嫌いだが)はただの幻想の世界のようだ。高校野球という酒につきもののおつまみとして、不祥事は必要なのかも。

参照*:「慰安婦問題」06/07/05
参照:「今日は何の日」06/07/16
参照:「再び靖国について」06/07/27


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2006年7月28日 (金)

平均寿命

国立社会保障・人口問題研究所(東京都千代田区)が02年度に日本人の平均寿命が、2050年には男性80・95歳、女性は89・22歳との予測を出したが、25日に厚生労働省は05年の日本人の平均寿命について、男性は78・53歳、女性は85・49歳で前年よりそれぞれ0・11歳、0・10歳短くなったと発表した。

男女とも平均寿命が前年を下回ったのは、99年以来6年振りのことで、原因としてはインフルエンザの流行による死者数の増加や、自殺の増加が考えられているが、年金や保健制度の基本となる出生率の数字で分かるとおり、政府の杜撰な見方なのかも知れない。全体の寿命が短くなったのがインフルエンザや自殺だけの問題かどうか疑わしい。

今日(7/28)の毎日新聞の記事によると、国連が04年度に発表したレポートでは、2300年の日本人の平均寿命は女性108歳、男性104歳になると予測している。1950年から2050年までの人口レポートを基に、このまま寿命が延び続けることを想定しての算出だ。同研究所は終戦直後に比べると、平均寿命は約30歳も延びた。

《というが、終戦直後の寿命で著しいのは、男性の寿命が戦死、戦病死、消息不明など、若年層の減少で想像以上に短かったことが推定できる。1945〜46年までは戦後の混乱でデータがないが、おそらく45歳前後だったであろう。それが壮年兵の帰還もあって、1947年の時点では男性50歳女性54歳に回復したと見るべきだ》《1950年になると男性58歳、女性61・5歳となり、始めて60歳を超えたが、これは当時の先進国の中では最下位の寿命であった》

それでも国際比較では女性は21年連続で世界一だったが、男性は前年の2位から4位に後退した。32年振りにベストスリーの座を他の国に譲った。

         05年 平均寿命ベスト5
 順位       男           女
  1   香 港/79・0歳     日 本/85・49歳
  2   アイスランド/78・9歳  香 港/84・7歳
  3   スイス/78・6歳     スペイン/83・8歳
  4   日 本/78・53歳     スイス/83・7歳
  5   スウェーデン/78・29歳  イタリア/82・96歳

2050年の寿命は今回のデータと比べると45年後には男性は2・42歳、女性は3・73歳も寿命が延びる計算だ。同研究所情報調査分析部の石川晃第2室長は医療医術・設備の進歩や生活水準の向上が要因だ、と説明。また、乳幼児や若年層の死亡率が低くなったことも長命化に寄与していると指摘している。

男性79・0歳(世界一位)女性84・7歳(同二位)の香港は、病気予防に主眼を置いており、女子栄養大学(埼玉県坂戸市)の香川靖夫副学長は、「日本人の寿命の長さは高額な医療費に支えられてのもの。財政破綻で医療制度が維持不能になれば、短くなりかねない。日本も予防医療重視に転換するよう」説いている。もちろん、ただ長く生きすればいいわけではない。平均寿命の数字に一喜一憂せず、寝たきりにならないよう、いかに老化を押さえるかが重要なことだ。

私見だが日本には停滞、いや逆に短縮が始まる懸念を覚える。それは何年も続く女性の痩せ願望からダイエットのし過ぎによる低体重児の増加だ。自分の都合だけで針金のように細くなり、出産の危険さえ伴うほどの骸骨に近い女性が街に溢れている。どう見ても健康な赤ちゃんが産める体ではない。そのような貧弱な母体から産まれる子どもが健康で長生き出来るとはとても考えられない。虚ろな女性美の基準が変わらない限り、現在以上に低体重児が増え、近いうちに長寿国の座を失うことになるだろう。

私は、虚弱児で産まれたにも拘わらず、病気らしい病気は幼児のころのハシカ以外知らず、40歳を過ぎたころからの企業での成人病検査も殆ど受けたこともなく、一日平均4時間の睡眠、月平均残業ほぼ120〜130時間で25年間を勤めた。当時の55歳定年で一線を退いた途端、網膜剥離の手術を受けただけ。ただの一度も医者に掛からず、あらゆる早期・定期検診も拒否してきた。人間死ぬ時は何をしようと死ぬ(戦争で学んだ人生訓だ)。医者に掛からず、入院しないことが最大の長生きの秘訣と心得て来た。小学生の頃、歯の健康優良児にノミネートされたが、代表にはなれず、しかし、その歯も少しは数は減らしたが、至って健康。その頃、歩け歩け運動が盛んで兎に角歩いた。そして走った、歩くことも、決して早くはないが長距離を走るのも大好きだった。その後、登山にも挑戦した。産まれてこの方身体の凝りを知らない。肩も凝らない、首も凝らない。

考えれば随分長生きしてきたものだ。私の常備薬はアスピリン、何がなくてもこれさえ飲めば、全ての身体の不調は消えてくれる。その意味ではアスピリンは私のポリシーボ効果絶大だ。(ポリシーボについては以前ブログで触れた。下品な例えだが、鼻糞丸めて万金丹で、それで治るとの思い込みの薬だ)05年の男の平均寿命まで残るところ10年ないが、とても死にそうにない。嫌われもの世に蔓延るを地で生きそうだ。

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2006年7月27日 (木)

再び靖国について

昨日(7/26)『憲法9条戦争放棄の原型は天皇の発言から』というドキュメンタリー番組の再放送を見た。4月の放送時に見逃していたものだ。昭和一桁の世代としては東條の自殺失敗の醜いショット(彼は本当に死ぬなら簡単に目的を達することの可能なピストルで、銃口をこめかみに当てもせず、口に咥えることも出来ずに横腹を撃って死に損なった。当時軍国少年の私には情けないだけの男と映った)も挿入されていた。このドキュメンタリーでの天皇の発言は、憲法の平和条項(戦争放棄)が条文化される起点になった、と見てよいだろう。

先の富田メモにおけるA級戦犯合祀の問題、と矢継ぎ早に天皇に関する情報が流された。政治には拘わらないとされる天皇絡みのことだが、ここまで明らかになって来た戦後史の一面が、天皇との関係で見直されるのは避けられないことだろう。「アメリカから押し付けられた憲法だから」改正の必要がある、自衛権の明文化が必要だ、などと言って来た論拠を考え直すことも必要だろう。

テレビで、桜井よしこの出演した番組を見ていた。彼女は東條を天皇が信頼していた、とする当時の侍従のメモから拾い上げ、今回の天皇のメモを信憑性のないものとする考えを主張していた。どちらも根拠をメモにおいてのこと、合祀、分祀の論争にはならない。

また、どちらかと言えば国粋主義者の上坂冬子(1年上の昭和一桁)はある雑誌の小林よしのりとの対談で「日本は独立回復後、戦犯の方々も‘法務死’*と位置づけました。以来、日本には戦犯はいなくなった」と話している。また、小林のほうは「分祀なんかできない。もう1つ靖国神社ができるだけです。靖国は今のままでよい」と。上坂は同世代ながらやはり男と女の違いだろうか、死生観の差だろうか、夜も眠れなくなるほど身近に迫り、やがては戦場で死と向かい合う恐怖に耐えなければならなかった当時の12、3歳の少年の心は想像できないようだ。

分祀など必要はない。これは私も同じ考えだ。しかし、私は彼らを靖国から放り出せ、という考えで別に祀る場所を造ることにも反対だ。路頭に迷っても自業自得だ。そうなれば先祖の霊が声を掛けてくれるだろう。なにも何百万人もの国民に「死ね」と要求し、「生きて返るな」と号令し、死に追いやり、猛火の下を逃げ惑わし、家を壊し、焼きつくし、果ては人類として初の原爆を落とされて、敗戦国として終わるような戦争に駆り立てた犯罪人たちを祀る必要はない。独立に浮かれて忘れて良いものではないし、決して許してはならない。

*法務死 とは
政府が犯罪と認めていない戦犯裁判による刑死者や収監中死亡者を指す用語で、公文書用語であるとする説が多いのだが、政府が実際にこの用語を使用しているかどうか、はっきりした根拠がない至って曖昧な言葉だ。

《政府が犯罪と認めていなくとも、日本国民が多く死んだ事実は現実に存在している。戦犯がいないと言うのなら、あの戦争は幻だったのか。人々は勝手に戦場にのこのこと出かけ、死んで行ったのか。広島や長崎の人たちは原爆の落ちるのを待ってでもいたと言うのか。原爆が落とされるような戦争を仕掛けた責任は誰が負うのか》

驚くべき数字が出ている。A級戦犯の分祀、小泉の靖国参拝について自民支持層の容認振りが際立っているのだ。毎日新聞(7/27)から
小泉の靖国参拝の是非について訊ねた質問には
 全体は 賛成 36%
     反対 54% だったが、
 自民支持層は 賛成 55%
        反対 38% と逆転の結果になっている。
次期首相についても
 全体は 賛成 33%
     反対 54% だったが、
 自民支持層は 賛成 48%
        反対 40% と「ポスト小泉」の参拝にも自民支持層の容認姿勢が目立つ。
因に民主、公明、共産、社民の支持層は反対が軒並み3分の2を超えている。

全体の数字を年代別に見ると、小泉の「8・15参拝」、次期首相の参拝ともに20歳代のみが賛成が反対を上回っており、若い人ほど容認派が多いことがわかった。となっている。

これは非常に恐いことだ。何故かといえば、若い人の容認の気持ちには、北朝鮮のミサイル発射に対する反動の気持ちが強く混じり、『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』が込められ、北に対する憎しみが含まれていると考えなければならないからだ。「日本国の首相の靖国参拝にケチをつけられてたまるか」と。早い話、この直ぐにキレル幼稚な連中は、テポドンと同時に全国で朝鮮人学校への嫌がらせを始め、ミサイル打ち上げの一週間の後の集計で、すでに60件以上の嫌がらせをするバカどもが出ているのだ。その後、修学旅行を取り止めたり、集団登下校に引率を付けたりの防衛策まで取らせる有り様だ。遠く大正時代の関東大震災の際、朝鮮人暴動の流言蜚語を流し、排斥した時代から全く進歩しない日本人の反省しなければならない点だ。アンケートとは集まった数字を追い掛けるだけではなく、その数字の内容を分析することでその後の対策に生かさなければ役に立たない。

政府の要人の考える敵基地攻撃能力の保持も、これら低次元の右往左往する人間と同じ、感情論の域をでないものでしかない。日本は平和憲法を守り、国際社会の信を得て来たのだ。その60年の歴史をあらためて心に刻みつける時だろう。

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2006年7月26日 (水)

学歴は 必要? 不必要?

多すぎる大学について書いて来た。毎日新聞(7/25)から
学歴は必要なものか、不必要なものか。世代を超えた(総数6281:男2974、女3307名)アンケートをまとめたものである。

        必要    不必要
 全体    66・4%  33・6%
 男性    63・1%  36・9%
 女性    69・3%  30・7%

現在の大学生は前半の2年間勉強して、後半はずっと就職活動に振り回されている。日本の大学は、学問の場というよりは、男女交友と、新卒採用の肩書き(チケット)を手に入れるための交付所と化しているのだ。

         必要    不必要(%)
 10代以下男  82・7   17・3
 10代以下女  78・0   22・0
 20代 男   63・4   36・6
 20代 女   66・2   33・8
 30代 男   60・8   39・2
 30代 女   69・5   30・5
 40代 男   62・0   38・0
 40代 女   70・7   29・3
 50代 男   62・1   37・9
 50代 女   72・1   27・9
 60代 男   48・3   51・7
 60代 女   73・1   26・9
 70代以上男  68・2   31・8
 70代以上女  41・7   58・3

男と女で顕著な違いが見える。10代以下と70代以上では女は男よりも不必要が多いが、分布の山をなす位置では圧倒的に女の必要だとの意見が多い。六本木ヒルズだ、いけ面起業家だ、ライブドアだ、村上ファンドだ、に惹かれ、蕩けるような目で合コンに群がる女たちを見ていると、この数字、よく理解出来る。誰もが最高学府を出られるわけではないのに、男以上に女には学歴は大きなステータスなんだ。

ここで必要、と答えた人の考えを聞いてみよう。
 学歴とは人間形成の上で役立つ基本的な学習や知識の蓄積だから
 きれいごとを言っても仕方ない、出身校で振り分けられるのが現実
 お金と同じであるにこしたことはない
 日本を出てみて学歴が1番の人物評価の基準になっていることを知りました。北米では就職も学歴重視、家に住む権利も学歴のある人が優先
 学歴とは学校名だけでなく、そこに知識や経験、さらに人脈などもふくまれているからかちがある

『人種差別の国、日本以上に格差社会の国アメリカ、表向きは民主主義の国だが、やはり学歴社会の上で支えられているようだ』

一方必要ない、と答えた人は。
 これからの日本では学歴で食べていけません
 大学進学は断念したが、憧れていたエンターテインメント系の会社でプランナーとして働いている。大学で学びたかったことは多くあるが、今の仕事に学歴は必要なかったと、身に沁みて感じる
 学歴とは18歳の時点の実力をあらわしたものでしかない。古い情報は役に立たない
 社会に出て、しみじみ思う。学はいるが、歴はいらない

記事を担当した当人は、フリーターからフリーのコピーライターになった男性。彼からのひとこと。
 「歴というのは、今もまだ着々と積み重なって行く時間のことです。(中略)「学」は学校を出てから身につけたものが、ホンモノだよ。みんな、もうちょっと普段の暮らしの中で勉強しよう。」 

勉強しなくても金さえ出す親がいれば誰でも入学可能になってきた大学だが、受験するまでに自分が何を学びたいのかを掴んでおいて欲しい。そして、自分が何ものかを知るために勉強して欲しい。そうでなければ、生きて行くための仕事など捜すことも無理だろう。「自分に合う仕事」とは自分を知って始めて巡り合えるものだから。
 
 
        


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2006年7月25日 (火)

続・多すぎる大学

少子化と共に淘汰されて行く学校がどんどん出てくる。大学に限らない。土地の狭い日本では親との同居を嫌えばより狭い土地に建つのはのっぽビル。数は少なくなっても新しく世帯を持つものは出てくる。少しでも安い買い物をと選んだ結果が不良物件だったりするが、高層マンションに核家族が集中するのは、家族の繋がりを大事にしなくなった新人類の特権なんだろう。その限られた狭い空間だけは少子化の影響もなく、却って小学校などは不足が訴えられている。反面、昔は名門校であったとされる小学校は、閉校になり、取り壊しの目にあうことは全国のあちこちで発生しているのが現実だ。

敗戦後のベビーブームで生まれた子供たち(今将に社会問題になっている団塊の世代の人たち)が学ぶには到底足りない小・中・高等学校が続々と建てられ、第2次ベビーブームを経過して現在の日本の教育地図が出来上がった。これでとどめておけば良かった最高学府の高等教育まで裾野を広げ、申請さえ出されれば、何でも彼(かん)でも大学に、短大に改名をしてしまった。名ばかりの有相無相ができあがった。それらの大学は、学問どころではない、二流でも三流でも兎にも角にも就職するための卒業証書が欲しかった。結婚のための肩書きが欲しかった。そして今では男女交際の場に成り下がった。そのような連中には今は最高のチャンスの時だ。

今朝の毎日新聞から。
日本私立学校振興・共済事業団の調査によると、大学、短大への進学希望者数と総定員が等しくなる「大学全入時代」の到来を来春に控え、今年度、私大の定員割れが4割を超え、短大も5年振りに5割を超えて厳しい経営の実態が裏づけされた。
今年度大学500校のうち、入学者が定員に満たなかったのは222校で、定員割れ率は40・4%
昨年度  542校   、同じく定員に満たなかったのは 160校で、      29・5%

定員割れ率の推移をみると、
 89〜98年度までは一桁で
 99年度に    10%
 00〜05年度   30%前後
 06年度始めて  4割を超えた

短大では373校のうち193校が定員割れ。(51・7%)
また、今春の志願者数は約295万人と3年連続で減少、志願倍率も6・70倍で過去最低を更新した。ニートになるだけの遊びたい若者にとっては来春は絶好の受験チャンスだゾ!

薬学、理工学系学部が入学し易くなったようだ。競争率は国公立で1倍台、私大では偏差値50以下もゾロゾロだそうだ。

反面まだまだ勉強したい若者にはもっともっと上を目指して欲しい。世界にはまだまだ上が幾らもある。世界の大学ランキングで一体日本の最高学府、東大・京大はどこに位置するのだろう。現在ランキングを決めている機関が二つあるが、その1つ、ロンドン・タイムズ紙の別冊(THES)がまとめた高等教育版ランキング(2005年11月)によると、200大学中、東京大学は2004年度の12位から下がりはしたもの、16位に、京都大学は31位に位置している。
 総合では 1位 ハーバード大学(米)
      2位 マサチューセッツ工科大学(米)
      3位 ケンブリッジ大学(英)
            |
 因に北京大学(中国)が東京大学の1つ上の15位にランクインしている。
      
日本の大学では他に、99位に東京工業大学、105位に大阪大学、続いて129位名古屋大学、136位東北大学、147位広島大学、157位北海道大学、172位神戸大学、198位昭和大学となっている。

世界200大学をどのような基準で評価したのだろう、問題なるところだ。
THESでは次の5項目を用いている。
 ♦Peer Review -- 専門家による評価とされ、そのウエイトも総評価の50パーセントを占める。しかし、世界各国から選ばれた1300人とは分かっていても、どの分野の専門家なのか明かされていない。1300人の専門家が世界中の大学の比較が可能かは疑問がある。
 ♦International Faculty -- 外国人スタッフの比率
 ♦International Students -- 留学生比率
 ♦Faculty/Students -- 学生一人当りの教員数 FS 比
 ♦Citations/Faculty -- 教員一人当りの論文引用数

ただし、分野別で見ると、自然科学分野、工学・情報分野では東京大学はどちらも世界100大学中7位、自然科学分野では京都大学が15位大阪大学が40位、東京工業大学が55位にランクイン。人文科学分野で一橋大学、広島大学がともに56位に、早稲田大学が89位に。社会科学分野で東京大学が16位、慶応義塾大学が87位に。

日本ではアイヴィーリーグの名で知られている大学の一つ、コーネル大学(アメリカ合衆国北西部の8私大の1つ)、もともとはスポーツで有名だったが現在では学術的な方向での影響が大きく、入学は最難関とされているが、科学工学分野、物理工学分野ではアメリカ第1位ながら、総合では上位に名を列ねていない。

先に述べた別の機関が上海交通大学 世界大学学術ランキングである。ロンドン・タイムズとの相違では、英語の優位性、地域別の偏り、個別の基準や指標の相違が指摘されている。

ますます少子化の進む国だ、質の悪い学生をかき集めて経営で苦労することはない。定員割れが4割、5割の大学など可及的すみやかに閉校すれば良い。なにしろ日本には大学が多すぎるのだから。

参照:「多すぎる大学」06/06/06

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2006年7月24日 (月)

世論も反対が増えている

富田氏のメモが発見されて以来、毎日新聞は1年以上も続けて来た戦後60年総括のテーマを、再び華々しく展開しようとするかに見える。タイトルは靖国参拝の是非を問うた社説の見出しだが、21日にも記したようにこの問題は、1948年10月の合祀の時点で強く取り上げるべきであったので、今更になって取ってつけたテーマで取り上げるにはメディアとしては寂しかろうと思う。何十年と見過ごしたままにしておいて、仰ぎ見るお方の思し召しもそうであった、と聞いて俄に世論にまで広げたアンケートを取り出した格好になった。

さて、集めたデータをどうしようと考えているのか。データを取るだけなら中学生の夏休みのテーマで十分だ。苟(いやしく)も天下の毎日新聞がやるからには、その結果をどのように生かしていくのか、の考えを持っているのだろうか。今までのような世論調査の初歩段階で済ますだけなのだろうか。分祀ないしはA級戦犯の祭祀そのものを取り止めさせるのか、が実行されるまで続けるのか。

早速この問題は障害に突き当たることは必然となる。次期総裁・首相を狙う安倍晋三は、靖国神社のA級戦犯分祀論議について「政教分離の原則からも神社側や遺族会が判断することだ」と指摘し、政界に分祀論が広がることを牽制した。また、靖国参拝についてはサンフランシスコ講和条約でA級戦犯を裁いた極東国際軍事裁判を受諾したことで「国際法の慣例では、講和条約が結ばれたら戦争裁判の判決や刑は無効になる」と述べて、戦犯が合祀されている靖国神社への参拝に反対する意見については「飛躍したトンチンカンな議論だ」と批判した。トンチンカンなのはどちらだろうか。歴史の罪はそれで無罪、となったのだろうか。他国を侵略し、日本の国土を焦土と化し、幾百万の死傷者を出した現実も無罪となるのだろうか。安倍の総裁、首相就任には小泉以上の危険を感ずる。

軽い話に切り替える。
欽ちゃんの「茨城ゴールデンゴールズ」が、地元のファンらの多くの署名もあり、活動再開が決まって先ずは一安心だ。ここでどうも不思議に感じたことがあった。ごくらくトンボの片割れ、山本なんとか、少女買春(変な言葉だ)で捕まったにも拘らず、報道には新聞でもテレビでも必ず出てくる度に‘山本さん’で報道された。普通なら呼び捨てが一般的なのに何があったのだろう。所属事務所を解雇されるほどのものだったにも拘らず。勘ぐって想像すればいくらもある。年齢詐称で実は被害者は山本の方だった、或いは声をかけたのは実は女性の方からだったなど現在の世相を見れば、それくらいの被害を被って不思議はない売春が広がっている話は耳にする。そうとすれば、これも何度も警告して来た携帯電話に対する保護者の管理怠慢だろう。

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2006年7月23日 (日)

我疑う ゆえに我あり

“我思う ゆえに我あり”(Cogito ergo sum :コギト エルゴ スム=フランス語からのラテン語訳)は、近世哲学の父とよばれ、合理主義哲学に道をひらいたデカルト(フランスの哲学者、数学者、物理学者、生理学者)の言葉だ。

第2次世界大戦が敗戦で終わった1945年、それまで声を枯らして学生たちに国に命を捧げることを教え続けていた教師たちが、アメリカから押し付けられた民主主義を口にし、黒く塗り潰した教科書の間を縫って自由を、平等を叫び始めた。敗戦が1、2年延びていたら間違いなく死ぬ運命の「男」に生まれ、当時、幼い今で言う13歳2ヶ月、幼年兵、少年兵の姿で、死ぬことを真剣に考え、生きたいとも思い悩んでいた少年の心に、壇上の教師への背信が沸々として沸き起っても不思議ではない。一体昨日までの教師と今日のその人ととの間にどれほどの葛藤があったにせよ、命を掛けて学ぼうとしていた学生たちには教師の口から出てくる一言一言に、何を見い出せば良いのか錯乱のようなものが駆け巡っていた。あの人の言うことにはきっと何か裏がある、きっとどんでん返しの価値観が潜んでいる。今の言葉の意味は何だろう、信じて良いのか、きっとまた嘘を教えるんじゃないだろうか。その日まで銃剣術を教え、女には薙刀を、竹槍を持たせ、死ぬこと以外を教えなかった教師たち、何を血迷って自由を平等を口にするのか。教師の一言一句が信じられなくなっていた。

同じ昭和一桁の男性(73歳)の投書が載った(毎日新聞7/23)。敗戦直後を幼いなりの価値基準を探し求めて苦しんだ世代だ。長くないので記事を全文借りる。《「ほくそ笑んだのは日米の当局」北朝鮮がミサイルを発射したことに対し、日本政府はアメリカと共同して、制裁条項を含む国連安保理決議案を提案するなど強硬姿勢を示している。これに対し韓国政府は、「今回のミサイルは脅威に当たらない。日本政府は騒ぎ過ぎだ」との見解を表明している。私は、この韓国政府の見解が正しいと考える。》
 【先に書いた私の見解も同意見だ。総てのミサイルは日本に向けて撃ったものでもないし、核弾頭など積んではいない、と見るのが正しい】

《そもそも今回の「ミサイル騒ぎ」は、アメリカが「テポドン2号発射の動きがある」と言い出したことに端を発している。北朝鮮としては何らかの「結果」を示す必要があった。しかし、テポドン2号の発射は事実上失敗に終わり、中・小型ミサイル数発を打ち上げるにとどまった。

ほくそ笑んだのは、日米の軍事当局だろう。右の結果をことさら「大きな脅威」に仕立て上げ、日本国民の感情論を煽り、「だからミサイル防衛システムを早期に実現する必要がある。厳しい財政再建の中でも防衛費を削るわけにはいかない」との論議を飲み込みやすくする絶好のチャンスだ、と考えたに違いない。私はだまされない。》

私も同じことを書いた。恐いのは北朝鮮の挑発にのり、北朝鮮を仮想敵国としてまっ先に憲法改正を手掛け、9条で交戦可能な軍隊の保有へ国論を導くことだ、と。疑うことを知らない人たちは、アメリカや日本政府のいうことが正しいのだ、絶対に日本は再軍備するべきだとも思っているかも知れない。しかし、先ずは疑うべきなのだ。

日本国憲法の第2章には「戦争の放棄」の条があり、
 ■第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 ■第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

第2項の「前項の目的を達するため」は1947年の憲法発布の時点にはなかった文で、後の首相芦田均(1948・3・10〜10・7)が修正を行ったことで、自衛権が認められているとする見解もあるが、47年の発布になる憲法の解釈は、ブログでも触れて来たが、1946年の衆議院委員会において時の首相吉田茂は答弁している。「戦争放棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定はしておりませぬが、第9条第2項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したものであります。」「いかなる形でも自衛権など認めない方がよい。そもそも近代の戦争は全て自衛の名の下に行われたのであり、自衛戦争などという概念そのものが有害」であると述べている。

それからほんの数年の後、1950(昭和25)年6月25日、北朝鮮軍の韓国侵入によって起きた朝鮮戦争のため、日本に駐留していたアメリカ軍の殆どを韓国支援のために出撃させた。日本国内で市民権を持った共産党やロシアの南下を恐れ、治安を懸念したマッカーサーは同年7月8日、吉田首相に宛て国内の警察力と海上警備力の強化を指示した。(当時、敗戦後外地から引き揚げてきた人たちで町は溢れ、失業者の荒んだ心を鎮める失業対策の声もあった)8月10日『警察予備隊令』を公布した。続いてすぐさま1952年10月、『保安隊』に改称する。そして『自衛隊』になるのに時間は掛からなかった。1954年3月時の3軍の員数は陸上13万9000人、海上1万6000人、航空6700人であった。

それから今日まで為政者が行って来た言辞についてはもう述べるまでもないが、今度また、次の政権を狙う阿倍晋三が憲法9条第2項について危なっかしい改正を考え、靖国問題でも小泉を擁護する考えを持っていることを明確に表明した。戦争を頭で、言葉で考える世代に日本は操縦されている。

敗戦から今日まで、何事につけても、全てを疑うことでしか自分の存在が確かめられない生き方をすることでこの歳まで来ている。何事も疑い、騙されないぞと誓って。

参照:「今日は何の日」06/07/05
参照:「慰安婦問題」06/07/16
参照:「自分を見捨てた国」06/05/24

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2006年7月21日 (金)

行くも 行かぬも 心の問題

先の天皇を知る、当時の宮内庁長官・富田朝彦氏(故人)の手帳に、靖国神社のA級戦犯合祀について、天皇が強い不快感を抱いていたことが記されたメモが見つかった。

早速メディアが色めき立って電波に活字にインタビューにと、騒がしく動き出した。タイトルの言葉は、詰めかけた記者たちの質問に答えたわが総理大臣小泉のメディアへの言葉だ。

一夜明けて今朝の毎日新聞(おそらくいずれの新聞社も同様だろうが)、機を見るに敏で得たりとばかりに社説で取り上げた。大きな傘の下に入らないとものの言えない体質は民主主義とはいえ、何十年経っても変わってはいない。曰く「A級戦犯合祀は不適切だった」と。言う機会、言わねばならないメディアの責任は合祀がなされた1978年10月の時から自覚するべきだったのだ。

遺族代表を辞任した古賀誠が訪中の際王家瑞・中国共産党中央対外連絡部長や武大偉外務次官とも会談した際、訪中前から持っていたA級戦犯分祀論についても語り合ったようだが、王部長は「日本国内で受け入れられるなら一つのいい方向だ」などと評価したという。古賀は「靖国問題は我々自らが国内問題として解決すべきで、未来志向で努力を続けるべきだ」と応じたという。古賀はわざわざ中国まで行って本当にこんな日本独自の話をしたのだろうか。小泉が撒き散らし、諸外国との関係を冷え切らせた問題とはいえ、外国の知恵を仰がねばならないことじゃあない。日本人自身が、先の他国を侵略した戦争を知り、自国の責任や罪を清算しなければ、国の大儀に命を捧げた人たちも浮かばれないだろう。

昭和一桁の思いは何度も繰り返し書いてきた、飽食に明け暮れる今の世相、いにしえの日本を支えた日本人のモラルを取り戻すことが必要だ。

参照:「特別な1日」06/06/23
参照:「首相のこころ」06/01/08
参照:《合祀から外し「家」の墓に》06/04/11

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2006年7月20日 (木)

続・高松塚古墳

毎日新聞(7/20)から
今までにも何回となく保存問題について触れて来た。一刻の猶予もなく解体しての修復を説いた。理由は現在考えられている解体修復後、再び古墳内部に戻すということでは限界があり、今までのようにある種密室での保存には経時変化への対応に時宜を逸する危険性のあること、或いは現在の科学で最善と考えられる処置であるとして、将来千万年の保障が可能なのかどうか、の点だ。

記事によると案の定国宝の壁画のカビ対策にはある程度の対応が可能だとしても、石室自体の修復に恒久的に打つ手がないことがはっきりしたようだ。文化庁が19日、壁画の恒久保存対策検討会作業部会を東京都内で開いた席でのことである。解体した石室について、修理して現地に戻しても、修理に使う合成樹脂の劣化のため、20〜30年後に再び解体修理をする必要があることが示された。

石室は来年3月に解体され、約10年かけて修理する計画だ。修理後の石室について委員の川野辺渉・東京文化財研究所室長が「天井石では壁面が下を向くため、漆喰の剥落止めや石材との接着に使われる合成樹脂の量が多くなり、樹脂の劣化で20年後には再び壁面を上にして修理するために解体が必要になる。側石は30年後くらいではないか」との報告のようだ。

作業部会案として今月中に開く予定の検討会で審議されることになる。あれこれ思案している間にもかけがえのない壁画のカビは繁殖を続け、無惨な姿に変わりつつある。貴重な文化遺産を後世に残すためにも、劣化は早く食い止めなければならない問題だ。20〜30年毎の馬鹿な解体、修復の繰り返しをすることはない。明るい場所に移して刻一刻の変化に対応できるように保存していくのがいいのではないか。

参照:「高松塚古墳壁画」06/07/07
参照:「高松塚古墳壁画損傷」06/06/24

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2006年7月18日 (火)

特定外来生物

毎日新聞(7/18)から
全国の養蜂家に危機感が広がっている、という。昨年6月1日に施行された外来生物法で、高級はちみつの取れるニセアカシアが新たな栽培を禁じ、現在は「要注意リスト」に入っているが、今後伐採を勧める対象の「特定外来生物」に指定される可能性が出てきたからだ。

国産はちみつの約半分はニセアカシアからの採取といわれており、日本養蜂はちみつ協会(東京都中央区)の谷奥勝利常務は「指定されると、全国の養蜂業者の半分以上が廃業する可能性がある」と懸念しており、各地の養蜂家からの悲鳴が聞こえるという。

先ず、特定外来生物を知っておきたいが、その前に外来生物法から見てみよう。
その目的には次のように書かれている。
◆ この法律の目的は、特定外来生物による生態系、人の生命・身体、農林水産業への被害を防止し、生物の多様性の確保、人の生命・身体の保護、農林水産業の健全な発展に寄与することを通じて、国民生活の安定向上に資することです。
◆ そのために、問題を引き起こす海外起源の外来生物を特定外来生物として指定し、その飼養、栽培、保管、運搬、輸入といった取り扱いを規制し、特定外来生物の防除等を行うこととしています。
【特定外来生物】とは、
● 海外起源の外来生物であって、生態系、人の生命・身体、農林水産業へ被害を及ぼすもの、又は及ぼすおそれがあるもの中から指定される。
● 特定外来生物は、生きているものに限られ、個体だけでなく、卵、種子、器官なども含まれる。

ニセアカシアは外来種(北アメリカ原産)だが日本に入ってきたのは古く、今から133年も前の明治の始めのことだ。その時に名前に使われたのがアカシアで、以来ずっと日本ではこのニセアカシアをアカシアと呼んできた。歌謡曲に歌われるアカシアはすべてこのニセアカシアを歌ったものだ。
私の子供の頃、街路樹に並んだアカシアの大木が毎年零れるように白い花(桃色と言われているが、印象は真っ白だった)を咲かせ、馴染み深い名であり、花であった。西田佐知子の歌謡曲よりも早く、戦時少年であった頃に軍歌をよく口ずさんだ。
 アカシアの花咲くころに
  新彊出でて幾山河
 凍る敵地の陣営も
  雪と氷で・・・、と。
ニセアカシアの「ニセ」は「偽」ではなく学名。正式名は「ハリエンジュ」
【オーストラリア大陸に多く生息し、熱帯から温帯にかけて分布している、本来はオジギソウを指すミモザの名で親しまれているフサアカシアやギンヨウアカシアではない。】

次のようなことが駆除の理由としてあげられている。
◎ 外来生物が在来の生き物を食べてしまう
◎ 外来生物が育ち過ぎ、大木となって在来植物の生活の場を奪ってしまう
◎ 近縁の在来生物と交雑して雑種をつくってしまい、在来生物の遺伝的な独自性がなくなる
◎ 人の命・身体への影響(噛まれる、刺されるなど)が懸念される

今になって外来生物と嫌われるのは道理に合わない。明治の始めに輸入されたニセアカシアは信濃川河川敷など全国の緑化に役立っている。日本で育ち始めてからでも人の一生以上の寿命を生き続けて来ている。それに乱獲、乱伐採で在来種さえ危機にあるものだってあるだろうし、すでに絶滅した生物は数多くあるだろう。何百万年、何億年の単位で数えれば新参者であるかも知れないが、133年も経過した現在になって駆除とはそれ以外に取る手段はないのだろうか。それに花から取れるはちみつは色も香りも良く、レンゲに次ぐ高級品となっている。04年度の国産生産量2311トン、のうち約半分を占め、特に東日本の養蜂業はニセアカシアで成り立っているという。

だが、国の言い分は「繁殖力が旺盛で、日本固有種の生息域を侵す」との理由で環境省の要注意リストに昨年8月に掲載された。国の作業部会は今年度中に、現在のブラックバスなど動植物80種の特定外来生物に新たに追加指定する種を検討する方針のようである。

環境省は「必ず指定されるとは限らない。指定されても、伐採を勧めるが、法的には命令権はない」というが、新潟県環境企画課では指定を待ち望んでいるようで「指定されれば駆除が基本」との方針を崩していないという。要注意リストに入ったことで、伐採する自治体も出ており、新潟市では「松林を阻害する」として既に間伐を進めている。

これに対して新潟県養蜂協会(井出秀雄会長)は、
 景観と沿道の大気浄化に役立ってきた
 伐採は地球温暖化対策に逆行する
などとして、関係省庁に特定外来生物に指定しないよう、あるいは伐採を止めるように働きかけている。また、同協会は「河川管理や砂防林保護のためならやむを得ないが、全部が悪いというのはおかしい。伐採すればみつばち類が生き延びられない。スイカやメロンなどの自然受粉の機会も減る」と訴えている。

養蜂家といえばギリシャやハンガリー、フランスなども盛んで、はちみつを取ることで生計を立てているのだが、アメリカではちょっと様子が違うようだ。蜂蜜を取らないわけではないが、みつばちは蜜を取る以上にポリネーター(花粉交配媒体)として飼うことが多い。あの広大な農地でそれぞれの生物の受粉を自然の風だけに頼るのではなく、みつばち類を使ってより確実な交配をさせることが多いようだ。限られたビニールハウスの中で、個体数の少ない果実にはみつばちは特に必要とされないかも知れないが、2300トンを越すはちみつは広範囲をカバーするみつばちの力を借りなければ集められるものではないだろうし、その約半分を集めるというニセアカシアが伐採されることになれば、養蜂家だけでなく、はちみつを使う製菓業なども影響を受けることになるだろう。

恐竜やマンモスの絶滅が現実のこととして存在することを考えれば、海外起源などという問題はあるいはどうでも良いちっぽけなことかも知れないとも思うこともある。まだまだ30億年とも言われる地球の命、この地球上のどの地域に、何が生息し、どんな植物が生え、少しばかり分布に違いが出ようが、微々たる問題のようでもあるが。

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2006年7月17日 (月)

加齢臭

『加齢臭』、特に女性方の中にはこの文字を見るだけで顔を顰(しか)める無礼者が沢山いることと思う。しかし、加齢は男だけに押し寄せるものではないことは、テレビ、新聞、或いは女性誌に溢れるほどのコマーシャルが載せられているからお解りだろう。それに、元々男には男の、女には女の臭いというものがあって、本来動物の世界ではお互いが惹かれあうための一種のフェロモン効果ともなるものなのだ。しかし、本来、と書いたのは化粧水や化粧品、香水をまぶして動物としての女の臭いを失っている現代の女性には当てはまらないからだ。

昨日もテレビの街頭インタビューでたまたま家庭の中のルールは何か、との質問をぶつけたところ、ある女子高生の二人連れの一人が、「父親が入った後の風呂には入らないこと」と答えた。以前から似たような話はよく聞かされる。洗濯物は絶対に別にする、洗い物は箸で摘んで除けるなどだ。これは、自分の汚れ物が余りに汚いから、父親のものを、汚すといけないから、というのなら理解出来る。全く逆の発想のようだ。父親をまるでゴキブリか何かのように毛嫌いしているのだ。彼女らには母親はいないのだろうか、いても同じように夫の批判を娘たちの前で繰り返しているのだろうか。昔の母親たちはこのような言辞を弄する娘には間違いなく口を抓るか、頬をぶったであろう。

毎日新聞(7/15)に載った記事。
「職場で高齢男性特有の臭気に悩んでいますが、態度にも口にも出せません」。この女性、ご自分がどれほど高貴なかぐわしい臭いを発しておられるのか解らないが、とにかく臭いにつて聞いてみよう。

脂臭いような青臭いような加齢臭特有の臭いのもとは不飽和アルデヒドの「ノネナール」という物質だという。1999年、資生堂と高砂香料工業が共同研究で発見したという。このノネナールの生成過程は加齢に連れて皮脂中に、ある種の脂肪酸が増え、これが酸化分解されたり、皮膚の常在菌に分解されてノネナールになるという。皮脂中の過酸化脂質も加齢とともに増え、脂肪酸の酸化が進行しやすくなる。これは何も男に限ったことではなく、女性でも40歳を過ぎるころから増えるが、おやじ臭と言われがちなのは事実だ。ただ、男性は皮脂の分泌が多く、臭いの元の量も多いと考えられる上に、女性と同じようには上着を取り替えることが少なくて、衣服に臭いが染みつきやすいこともある。周囲のものが気にしてことさらに体臭を否定すると、当の人間は人間を否定されたと思い込み、ストレス*を溜め込む。ストレスは活性酸素を発生させ、ノネナールを作る過酸化脂質が増加して悪循環に陥ることになる。

臭いの元を突き止めた資生堂は、流石化粧品会社だ、早速加齢臭対策商品の開発を進め、抗酸化剤と抗菌剤配合の石鹸や消臭スプレーなど7品目の販売を始めたが、話題になった割には売れ行きは芳しくなく、01年に生産中断した。大手ドラッグストアでも月に1本程度であったらしい。体臭に気付かない、或いは体臭を気にしながら仕事をする男性はいる訳でもなく、男には縁遠い商品であった。我が身に置き換えてみれば理解は早いが、若い時には毎日の洗髪でさえ石鹸以外は殆ど使わず、天然のウエーブの掛かった髪にはトニックやリキッドなど床屋に行く月1の程度、入浴だけは毎日欠かさずしているが、それだけに体はゴシゴシとこすることもない。それこそ男の癖に化粧水など、そんな腐った真似はしたくない。

この臭い、予防の基本はやっぱり食事だそうな。米と野菜の日本人から、肉と脂の西洋食に偏って来た日本人の食生活が、いろいろなところで病の原因を作っている。加齢臭で悩んでいる人の多くが高血圧や動脈硬化の危険性が高い内臓脂肪過多症候群(メタボリックシンドローム**)の予備軍と言われる。

ストレス*って日本語のように使われて解った気でいるが、当てはまる日本語はないのだろうか。いつもの癖で調べてみた。
「ストレス」は元々物理学や工学の領域で使われていた言葉で、外圧が加えられて起こる物体の歪みのことだ。この言葉を医学の分野に導入したのは生理学者のキャノン、それからこれを人体に当てはめたのがカナダのセリエという教授で1930年代のことであった。セリエは人体において「何らかの刺激を受けた時に生じる生体の歪みをストレスと呼ぼう。そして、歪みを起す元をストレッサーと呼ぼう」とした。つまり、体の反応がストレスであり、その反応を引き起こした刺激がストレッサーと看做(みな)した。言い変えれば「生体が有害な刺激を受けた時、生体に起きる歪み」をストレスとした。しかし、今では刺激と歪みの二つを含めて「ストレス」と呼んで、何らかの理由が欲しいとき、簡単にこの言葉を口にすることで原因を把握したような気になってしまう。昔なら例えば「人見知りのせいで」、「内気なもので」とか、「対人関係が苦手で」などと言っていたものまでが、曖昧なストレスの一言でお互いが解った気になってしまう。本当はストレスの中身は無数に分類しなければならない素因があるはずなのに。

同じく・・・シンドローム**
これもストレスと同じで割に最近使用され出した言葉だろう。ヨコ文字かぶれが今のように蔓延るそれまでは「症候群」という表現を使っていたと思う。これもストレスと同様あれもこれも一緒くたにした十把一絡(じっぱひとからげ)の言葉だ。医者が困り抜いあた挙げ句に口にするのが症候群、何でもかんでも病気にしてしまう言うなれば現代病の典型だろう。症候群にしてしまえば難しい説明も必要ない、素人はそれが病名だと思い込んでくれる。あれも考えられます、それも考えられます、これも考えられます、こうも考えられます、というのがシンドロームだ。そんなの病名じゃない、と思うのだが。

子どもの頃から父親が仕事に汗流している間、接することもなく、父親の膝で甘えることもなく育ち、父親の臭いを気にする年齢になってその臭いに拒否反応を起す。人々の口に上るようなって益々増幅されて行く。
別のデータ(化粧品会社ライオン)だが男女の体臭について調べたものがある。
 各男女50人の調査で
 「男性の体臭を不快と感じたことがある」女性は100%
 「女性の      〃       」男性は12%
なんと、女性の体臭に不快を感じる男性が12%もいるのだ。男の、或いは親父の体臭のことは、よくよく心して口にすることだ。

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2006年7月16日 (日)

今日は何の日

今から61年前の今日、1945年7月16日午前5時20分45秒。アメリカ・ニューメキシコ州アラモゴード空軍基地内の実験場。鉄塔の高さ230メートルの位置に吊るされた直径1・52、長さ3・25メートル、重さ4・5トンのプルトニウム爆弾が、一瞬にして巨大な火柱と閃光を放った。爆風と衝撃波が同心円状に広がり、巨大なきのこ雲が中空に立ちのぼった。それがB29の基地があるマリアナ諸島のテニアン島に運ばれ、広島に投下されるわずか21日前の出来事である。

ソビエトの化学者たちに先駆けて開発に成功したオッペンハイマー博士とトルーマン大統領のアメリカは、まっ先に投下するべき当面のナチス・ドイツが4月30日のヒトラーの自殺で滅んでしまったことで、その鉾先を日本に向けるのに躊躇することはなかった。(日・独・伊三国同盟のイタリアも1943年9月8日、すでに降伏していた。)

広島に投下される以前、7月26日、連合国側はポツダム宣言を発表(米・英・中により)、日本に戦争終結を呼び掛けたが日本はこれを黙殺する。日本はトルーマン大統領に格好のチャンスを与えることになる。8月6日の広島への原爆投下を知ったソビエトは、8月8日、日ソ不可侵条約を破棄して9日には満州に侵攻する。同じ9日に長崎に2つ目の原爆が投下される。

ここに来て日本は8月10日、ポツダム宣言の受諾を連合国に申し入れ、12日に日本降伏に関する連合国からの回答が送られて来る。14日、御前会議で宣言の受諾を決定し、即日連合国に通告、15日の天皇による終戦の詔勅が放送され、無条件降伏をする。

以上、今次大戦の日本の断末魔の姿だが、61年を経過した今日、7月5日未明に起こった北朝鮮のミサイル騒動。線香花火のようなものが日本海というよりも、いずれも打ち上げた方向のソビエト沿岸に落下した。好戦的な政府要人ははやくも先守攻撃だの何だのってヒステリックに騒ぎ立てたが、振り上げた拳で叩くはずの相手はするりと変わり身で逃げおおせたのが今回のミサイル騒ぎだ。

大体がこの世に原子爆弾なるものを生み出した国や、超大国だけが原水爆や大量の核弾頭を装着したミサイルを保有し、大国の倫理で後に続く国のここは許す、ここは駄目、と正義面して宣う。

1945年7月16日、核分裂の実験の成功による原子爆弾が生まれたその時、現代の歴史は動き始めたのだ。

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2006年7月14日 (金)

高校生9人死傷に懲役16年

昨年10月17日、横浜市都筑区の私立サレジオ学院北門前で、下校中の高校生の列に乗用車(毎日新聞はスポーツカー)が突っ込み、当時高校1年の男子生徒2人を死亡させ、5人に右足切断などの重傷、2人に軽傷を負わせた事故で、危険運転致死傷罪に問われていた元警備員、小泉祐一被告(24)に対し、横浜地裁(栗田健一裁判長)は13日、懲役16年(求刑20年)を言い渡した。小泉被告側は判決を不服として即日控訴した。

判決によると、被告の運転する乗用車はサレジオ学院北門前で、右カーブする制限速度40キロの市道を時速100キロ以上で走行。レーシングカーのように高速でカーブを曲がる『アウト・イン・アウト』と呼ばれる危険な走行をしていた、と認定した。そのためカーブを曲がりきれずに高校生を次々に跳ねたものである。

栗田裁判長は、車のタイヤ痕や破損状況などから、時速100〜120キロで走行していたと認定し、弁護側の時速65キロだったとする主張を退けたものである。その上で車の「進行を制御することが困難な速度で走らせ、進路外へ横滑りしながら歩道上に暴走させた」と指摘した。

検察側の求刑は同罪の法廷最高刑だったが、裁判長は、被告が被害者らに謝罪の言葉すら述べていないことを批判した上で、量刑判断について「他の事案との均衡をふまえ、最上限の懲役刑は躊躇を覚えざるをえない」と述べている。

判決後、会見した被害者の家族は「被告が反省しているとは思えない。判決では悪質性は認めてもらえたが、求刑どおりの判決を下してもらえなかったのは残念。何人死ねば最高刑になるのか、減軽された4年分とは何なのか、具体的に説明がほしかった」と述べている。

被害者の家族ならずとも、将来のある少年たち2人の命を奪い多くに傷を負わせた事件だ。被告が言う「65キロだった」にしても制限速度は40キロの公道だ。今は余り口にされなくなったが、車の事故が悲惨なために、称して「動く凶器」と言われた時があった。横浜のこの事故は将にこれだ。公道でサーキットさながらの暴走をし、道交法を無視した殺傷事件ともいうべきものだ。被告の被害者らへの謝罪の言葉のないことには驚く他ないが、さらには小泉被告は懲役16年の判決を不服として、即日控訴したという。自分のしたことの罪の重さを全く理解できていない。裁判長も言うように、「危険運転行為について故意であったことは明らか」と断じたのなら、なぜ、求刑どおりの20年が判決とならなかったのか。遺族の嘆く「16年は短かすぎる」というのも頷ける。

次から次に優れた性能を備えた車が生産される。ただ狭い国土の日本ではスポーツカーを性能どおりに走らせる公道はない。スポーツカーを購入する側でもそのことを知って手に入れる筈だ。そうであるならば、公道を走らせるときには細心の注意で運転するように心がけることが大切なことだ。反省のない被告は16年経ってまた、戻ってくる。

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2006年7月10日 (月)

少子高齢化社会

総務省が6月30日に発表した国勢調査(05年10月現在)の結果によると、65歳以上の高齢者は前年を122万人上回り2682万人で、総人口に占める割合は21%に達し、05年国連推計で最高のイタリア(20・0%)を上回り世界一になった。一方、15歳未満の人口は1740万人で、総人口に占める割合は13・6%。

これを05年度の国連調査で諸外国との比較で見ると(%)
      65歳以上   0〜14歳   総人口(万人)
 日 本    21・0    13・6    12、776
 イタリア   20・0    14・0     5、700
 ブルガリア  16・8    13・8      770
 ドイツ    18・8    14・3     8、242
 イギリス   16、0    17・9     6、044
 フランス   16・6    18・2     6、070
 アメリカ   12・3    20・8    29、800
 中 国     7・6    21・4    131、600  
                        
日本の高齢者人口は今後も2020年まで急増の傾向を見せ、反対に総人口の減少の影響もあって、ピークを迎える50年の高齢化率は35%を越えると予測されている。男女別の高齢者人口は男性1084万人(前年比33万人増)、女性1477万人(前年比40万人増)。(註)合計が合わないのは概数のため。100歳以上の高齢者も95年の6378人の約4倍、2万5554人に増え過去最高で、そのうち女性が85%を占めている。

少子高齢化社会いついて研究している社団法人エイジング総合研究センター(高木文雄理事長)は今年2月、2050年には日本の人口が8833万人まで減少し、65歳以上の高齢化率も38・9%にまで上昇するという人口推計を発表している。02年に国立社会保障・人口問題研究所が35・7%(50年の総人口1億59万人)と推計しているが、同センターは「人口減少と高齢化が人口研の推計より約10年早いペースで進む」と指摘する。両者に違いが発生するのは20年時点の合計特殊出生率を、センターでは1・16とし、人口研では1・37したことから来る差である。センターで人口推計に携わった鬼頭教授(上智大)は「センターが出した人口推計は、出生率を上げるための対策を何もしなかった場合を想定して算出した。人口減少を減少を前提とした国土経営を考えなくてはならないが、出生率を上げるためには、女性が結婚や出産で、仕事をやめることによって生じる機会費用(逸失利益)を減らすことが大切だ」と話している。

今回の国勢調査での未婚率は
 女性 25〜29歳 59・9%(前回比5・9ポイント増)
    30〜34歳 32・6%( 〃 6・0  〃 増)
 男性 25〜29歳 72・6%( 〃 3・3  〃 増)
    30〜34歳 47・4%( 〃 4・8  〃 増)
となっており、未婚化、晩婚化が一層進んでいる。

また、独り暮らしの世帯は1333万世帯で、全体の27・6%に上り、うち65歳以上の独り暮らしは前回調査に比べて100万人以上増えて405万人に達し、高齢女性の2割弱、高齢男性の約1割が独り暮しをしている。

今月4日、横浜の高齢者用市営住宅(見張り付きと言われる)で81歳の女性が死後5日経って、訪ねて来た親族によって発見されるまで、誰も気がつかなかった。横浜市だけで今年に入って3人目の孤独死である。同市の高齢者用住宅では今年の2月、69歳の男性が死後1ヶ月で発見、68歳の男性が死後11日で発見、と続いた後の3人目となった。囃し言葉のように『家付きカー付き婆ばあ抜き』と口にし、親との同居を避けて新家庭を、いわゆる核家族化が始まった1970年代、久し振りに訪ねて来た親族に発見されたことがニュースになった。その後親を避けて新世帯を持つことが風習として根付き、1980年代には数を増やす孤独死を、独居老人の死亡記事としてマスメディアが取り上げることが多くなっていった。親を尊敬することを忘れた家族や家庭の崩壊は、この頃すでに始まっていたのだ。

阪神・淡路大震災後に仮設住宅に入る高齢者たちにも、家族のいた人もいたであろうに看取られずに、或いは千葉県松戸市の常磐平団地の、又、或いは北九州市門司区で起こった孤独死。独り暮らしを健康な体で送ることができればいいが、病弱であったり、寝たきりになったりの高齢者も多くいる。人の情けの薄くなった昨今、自治体の細やかな安否の確認、介護の体制作りが肝要だ。

白書は「日本の高齢化は世界に例を見ない速度で進行している。国の活力を維持するには、高齢者の能力や経験を生かせる社会づくりが不可欠」とも指摘している。

一方、少子化にも歯止めが掛からない。先日甲子園短大教授の園田雅春氏が紹介した子どもの作文がある。
東京都中野区の小学4年生の女の子(ペンネーム・イチゴさん)の少子化を見る目だ。大人たちの会話の中で耳にする子どもなりの問題点として捕えたものだが、次のように書いている。
《わたくしは、子どもがへっている原因は、赤ちゃんを産む数が少なくなっていることもあると思いますが、子どもが殺される事件もふえているから、子どもがへっていってしまっていると思います。なので、殺人をやめればいいと思います》と。算術の問題ではない。
子どもは社会の大切な宝物なのに、子どもの命が軽んじられていると言いたいのだ。生きている子どもたちをもっと大事にして欲しい、と。

明日からココログさんがメンテナンスに入る。快適に動くようになることを期待してゆっくりと休むことにしよう。

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2006年7月 8日 (土)

夏休み

今日も夜になった。時間ばかり懸かっていらいらするパソコンに向かうのも億劫だが、軽い記事を書いておこう。

今年の夏休み期間(7/15〜8/31)の旅行者数が国内・海外合わせて前年比2・4%増の7786万人になるとの見通しをJTBが発表した。景気回復の兆しも手伝ったようで、旅行にかかる消費金額も昨年比で4・6%増の3兆2560億円と、調査期間を変更した00年以降ではいずれも過去最高となったようだ。

海外旅行者は昨年比5・0%増の251万人と2年ぶりに増加。反日デモの影響で昨年落ち込んだ中国・韓国の人気が復活。アジア方面が昨年比6・4%増えるほか、ドイツでのサッカーW杯で盛り上がったヨーロッパも昨年比6・2%の増加を見ている。

国内旅行者は昨年比2・3%増の7535万人で過去最高となる見通し。大都市からの近郊旅行や沖縄と北海道への旅行が好調だという。一人当りの平均旅行費は国内が3万5800円、海外が22万2500円程度だという。

因に世界の観光人口を見てみると、全体で約16億人、東アジア・大平洋到着、来訪者数が3億9720万人に達し、アメリカが2億8230万人と推定されている。これを今年の日本人の旅行者数と比べてみると、日本人の数の多さに驚く。1億3000万人の総人口と見て、約60%に上る人たちが、短い夏休み期間のうちに海外に、国内に大移動する。毎年の成田、関西の空港風景、草臥れ切って帰国する家族連れを見せてくれるが、帰国して出勤までに休養を取る余裕を持って計画しているお父さんはどれくらいいるのだろう。家族サービスで疲れ、疲労回復を待たずに翌日から働く。何度も足を運べる国内ならまだしも、遠方の海外となると往復でまる2日が無駄になる。帰国して家でごろごろと疲労回復の時間までスケジュールに組むことなど、支出した金額を考えるととても出来ないことだろう。

それにしても海外旅行に子どもを連れて行くことには原則賛成できない。夫婦だけでお互いの体を労りあい、のんびりと数日を過ごすスケジュールを立てるべきだ。子ども(小学生にもなっていれば)には親のいない間の留守番をさせ、家を守ることの大切さを覚えさせる方が良い。そのためには日頃から訓練をしておくことも大事だ。物騒な世の中だが、だからこそこのような機会に隣近所との付合い、コミュニケーションを結ぶ格好の材料となるチャンスだ。子どもたちは成長すれば各自、自分で海外旅行には出かけるチャンスを作るだろう。一人前に言う「見聞を広める」は子どもには役に立たない。夏休みの絵日記や自慢の種になるだけだ。子どもの時から贅沢に慣れさせる育て方や、習慣は決して良いことではない。明治生まれの私の父とは何処かに旅をした思い出は1度としてない。一人で大所帯を背負って働き抜いた父の頭の中は、一人も飢えさせずに生きて行くためだけに働かせる知恵が、びっしり詰まっていただろうと思わせる人だった。

私も現役時代に休日の家族サービスをしたことは1度もない。私の世代は「女房を働かせるのは男の恥」と言う言葉をしばしば耳にして育った世代だ。戦前とは、部下の4、5人を連れて飲み食いさせても困らない給料を上役は得ていた時代のことだ。その頃とは貨幣価値も大きく変わり、敗戦直後は日本人労働者の給料は世界でも指折りの低賃金の国になっていた。妻と二人の生活を始めた時、いなくなった部下の連帯保証人になっていた私は、残された支払いで妻に苦労させたことはブログでも書いた。それでも妻には仕事はさせたくなかった。死にものぐるいで働いた。労基法が完備されていなかった時代だ。私は生まれてこの方超過勤務の給料を1円も貰ったことがない。それでも残業は人一倍やって来た。土曜日が半ドンの会社ではなかった。しばしば日曜出勤もあった。1ヶ月の残業はらくに100〜120時間はあった。未熟児に近い体で生まれたにしては病気には縁がなかった。

そのため休日は1週間の疲れを癒すために休んだ。眠った、そして眠った。男児を一人だけ授かった。私の生活のサイクルは何年も変わらなかった。休日は体を癒すためで家族サービスなんてとんでもないことだった。それでも乳飲み子の入浴は帰りを待ってくれて私が担当した。妻は手が小さくて赤子の頭を支え切れないでいた。私は家にいて起きていればお襁褓の交換もやった。永年勤続でもらった休暇と旅行券は妻と子どもを生まれて始めての飛行機に乗せて九州を1週間掛けて遊んだ。出勤前の1日は休養日に充てて疲れを取った。現在でも「過労死」は問題になっているが、離職前の職種について約25年、残した有給休暇は合計で労働日数に換算するとおよそ1年半になる。完全に消化するには退職日以前1年半まえから休みを取っても給料は支給される勘定だし、言い方を変えれば勤続年は1年半長い数字になる。それほどこの世代には真面目の前に余計な二文字のつく人間がいたということになる。サラリーマン時代の睡眠時間はどう思い出しても平均して1日4時間以上はなかった。人間それでも十分生きて行かれることを確信できた。

苦労させた妻には退職後、結婚25周年の年、10日間のヨーロッパ旅行をプレゼントした。その後も何回か二人だけで海外には出かけている。海外旅行は家族サービスでも子どもにするものじゃない、子どもは成長してから、独立して自分の金で勝手にすればいい。

なんだか取り留めないことを書き連ねてしまった。動きの重いパソコンが気になって精神が集中しない。面白くない読み物になった、と思う。

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2006年7月 7日 (金)

高松塚古墳壁画

7/7最終リハーサル、7/11〜13メンテナンス実施予定。
重い、重い。そのためのレスポンス改善のメンテナンスだが、本当に重い。ログインするのさえ痺れが切れる。年金生活でも日中にパソコンに向かえる時間ばかりではない。21時を過ぎることだって多い。コツコツとキーを叩き、文字を列ねて行く。現役を離れて年寄りの手習い、早く仕上げるためのブラインドタッチには挑戦して来なかった。書き終わって「保存」ボタンキーを叩いてからブログに記事としての画面に変わるまでに、テレビのコマーシャルタイム張りの「用足しタイム」よりも長時間を要することもある。これが100メガ光回線ブロードバンドだとは金の無駄使いの感すらする。
 勢い誤字、脱字、間違い字や変換ミスの訂正には気の遠くなる時間を掛けることになる。余りの面倒さに解ったミスの訂正を、翌日の早朝に繰り越すこともある。閲覧だけはできるそうなので、爺やのブログに立ち寄って下さる方にはみっともない字面をお見せすることもあるかと思う。足りないところは補ってお目とおし下さい。

《高松塚古墳の壁画》
日を追って増殖を続ける石室内部の黴による壁画の損傷は、考えるだけでも貴重な文化遺産の破壊となって危機的状態だ。私は何度かこのことを取り上げて一刻も早い解体の必要性を言って来た。それは現在の科学では石室の中では黴の増殖を防ぐ絶対的な対策がないからで、1日を争う対処の必要性を感じるからだ。

古墳を発見した1972年当初「戦後考古学史上、最大の発見」として騒がれ、保存対策を検討するよりも、古墳はいつの時代のもので、そこに埋葬されたのは誰か、というような考古学上の推理を多くの人たちが競って説を展開して行った。古代史家、作家、発見された壁画から類推して美術史家が、或いは哲学者が自説を並べた。1300年の間、外気に触れず、眠っていた石室の内部に現在の空気が流れ込んだ。石室の環境破壊が始まったのだ。発見直後、文化庁の田中琢(みがく)氏は警鐘を鳴らしていた「喫緊の課題は、被葬者論でも壁画の系統論でもない」と。

しかし、その後の保存状態はすでに知られるように悲惨なものだ。現場を実際に目にしたことはないが、写真で見る限り高松塚古墳はすでに昔の形を止めていない。ただの竹薮の中の掘建て小屋だ。あれでは解体してその跡に元の形のレプリカでも作った方が余ほど古墳らしい。痛みの激しい壁画は一刻も早い解体搬出で修復を施すべきだ。そうすれば発見以来、誰も見ることができなかった本物の壁画を、誰もが等しく目にすることができ、文化遺産の恩恵に与ることができることになる。

古墳の解体が決まったここに来て、黴の防止、壁画保存に有効の可能性のある方法が、実用まで後一歩のところにきているらしい。これは埋葬された遺体が腸内細菌や、土壌、空気中の微生物の作用によって腐敗して行く際、タンパク質が科学変化で種々のアミノ酸に、次いでアミン類に変わり、さらに微生物の作用でプトマインと総称される有毒のアミンを経て、黴を抑える低分子量アミンに分解される。これは東京国立文化財研究所の高松塚壁画の黴対策を担当した新井英夫さん(74)が75年から取り組んだ研究だが、その後の高松塚壁画の保存と対策には実用化されず、今でもエタノール殺菌による対症療法的な対策が続けられているが、この方法が実現すれば、壁画が千数百年も残ることになった古墳の本来の機能によって、今後も壁画を守ることになる、という。

しかし、壁画にとりついた黴は、一刻も待ってはくれない。完成した研究であれば有効だろうが、まだ研究の域を出ていないのでは、可能性がある、というだけで今日明日には役に立たない。壁画の損傷はそれほど酷いと見るべきだ。現状でどう手を打ち、対策を講じても、何度も繰り返すことになるが千万年の保証がある訳ではないだろう。それよりは、即座に変化に対応出来る白日の元で管理する方がよほど優れた管理法だと思える。

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2006年7月 5日 (水)

慰安婦問題

アメリカの独立記念日、延期されていたスペースシャトルが打ち上げられたほぼ同時刻に、北朝鮮が発射したミサイルに関する報道で目を醒した。5発目、6発目はその後の朝食をとっている頃のことだった。
いずれも日本海に落ちているが、方向は日本に向けたものではない。ロシア南部のウラジオストックを抜けてアラスカ、果てはアメリカを意識したと考えてもいいだろう。今、日本政府も、メディアも上げて騒然としているが、(テレビが7発目を発射した、とたった今:p.m5:40報じた)騒ぐことはない。北朝鮮が核実験をしたという情報もないし、スカッドも、ノドンもテポドン(2)も核弾頭を積んだものではない筈だ。打ち上げ花火の域を出る物ではないと考える。

恐いのは北朝鮮の挑発に乗る対応だ。万景峰の半年間の入港禁止措置、送金禁止措置などはいいのだろうが、『日本にテポドンが落ちたら』と、仮説の話が始まり、仮想敵国としての恐怖を煽りたてる動きだ。民意操作の奥の手で、憲法改正、再軍備許容へと世論を導きでもしたらそれこそ大変なことになる。騒がないことが最良の対応だろう、と私は思う。

扠、閑話休題 
去る6月27日、埼玉県議会でのこと、質問に答えた上田清司知事の「慰安婦はいても、従軍慰安婦はいない」について、7/3日、あらためてコメント「いわゆる従軍慰安婦問題に関する私の考えについて」を出した。それによると、上田知事は、「慰安婦はいた。慰安所もあった。しかし、軍が徴用した従軍慰安婦はいたという証拠はないのです」と、従来の主張を繰り返し、強制連行を事実上認めた1993年の河野洋平官房長官(当時)の談話に対しても「背景に外交上の思惑が隠されている」として「耐え難い思いをされた女性の方々の心情を思い、あらためて深い憤りと悲しみを感じざるを得ない。女性の尊厳を踏むにじるこのようなことが、二度とあってはならない」とも述べている。

知事に対しては発言撤回や謝罪を求める抗議文が計18団体から寄せられている。また公聴広報課によると、発言に対しての県民から、賛成231件、反対67件 の反響が寄せられている。

知事が言う「従軍慰安婦がいたという証拠はない」は敗戦直後、証拠隠滅に狂奔した当時の為政者の行動を想像することは容易いことだ。反対に、「いなかった」という証拠も出しようがない。アメリカ軍によって撤収されるまでの敗戦直後数日間のものは、触れられて不利な軍事、軍略、外交など多くの機密書類の山は、夜をかけて焼却処分されているのだ。

ただここで従軍慰安婦がいても当然だろうと思われる明らかな証拠がある。それはポツダム宣言を受け入れた直後から国政を与る為政者たちが、占領軍の日本進駐を見越してアメリカ軍将兵の性の捌け口としての慰安所を全国に設置することを検討していたのだ。それは早くも敗戦の詔勅が出て3日の後のことだが、「占領軍の進駐時に合うように進駐軍将兵用慰安施設の設営を急げ」なる内務省通達が発令され、全国の警察に通達、設置を急がせたのだ。

そして27日には東京・大森で「小町園」が最初の慰安所を開業しているのだ。しかし、南方方面軍が進駐して来ると同時に性病を持ち込み、瞬く間に蔓延を広め、わずか3ヶ月で閉鎖に追い込まれることになった経過まで分かっているのだ。「良家の子女を守るため」とした慰安所は、芸妓、公娼、私娼妓、女給、常習淫売者らを優先的に充足させ、足りない分には一般の募集まで行った事実が各地の警察の記録で保管されているのだ。当時の戦後の食べるにも事欠いた混乱した時代、応募せざるを得なかった家庭の子女を売春に走らせる結果を招いたとしても不思議ではない。それでも全国のアメリカ軍の日本子女への強姦事件は後を絶たず発生し続けたのが実態だ。(このことは敗戦後60年以上を経過した今日でも、沖縄でアメリカ軍人のレイプ事件が起こっていることを見ても理解出来るだろう)

戦時の日本軍人の性欲の処理の捌け口に、軍のある所、軍人のいる所に慰安設備があることは当然必要として存在していたとする方が自然のことだ。それも為政者の思惑で国是として警察権力を用いて設けられたとしても少しも不自然ではない。それが日本人の子女であっても、徴用された朝鮮人や中国人であってもだ。

埼玉県知事の言うように「慰安婦はいても従軍慰安婦はいない」、また従軍という言葉は後に作られたものだという説もあるようだが、同じ言葉を使った職業は戦時中他にも存在する。曰く、従軍画家、従軍記者、従軍看護婦などだ。不利な文書を隠滅する風習は、今も昔も日本の為政者の得意とするところだけに、真実は見えにくいが捜せば見つかる資料があるのは明確だ。


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2006年7月 3日 (月)

学区と学校選択制度

毎日新聞(7/3)を見るまで迂闊なことに、日本の公立小・中学校で親や子供が行きたい学校が選べることを知らなかった。かといって何処にでも好きなところという訳でもないようだ。

1967年に仕事の都合で移り住んだ東京近郊の市は、当時市政を引いたばかりで、仕事からの帰りには、田圃では賑やかに食用蛙が大合奏をして迎えてくれるような、寄せ集めの人口がやっと7万人の名ばかりの村と呼ぶ方が相応しい田舎だった。翌年生まれた長男が小学校へ上がる時には、近くには通える小学校はまだ1校だけであった。地価の安いこともあって東京のベッドタウンとして驚くほどの急激な人口の流入があり、長男が2年生になった時には自宅により近いところに2つ目の小学校が建った。学区制の割り振りで2学期からは新しい方へ移ることになった。やっと友だちも出来、機嫌よく通っていたことで、期日を無視して従来の学校の方へ通わせていたが、市から喧しく指導が来て逆らうことも不可能になり、転校することになった。今では市の人口も30万人を超え、学校の数も増えている。勿論のことだが、蛙の大合唱もいまは聞きたくても田も畑も消えている。

いまでも学区制は厳しく存在しているものと思っていた。ところが学区域ごとにあらかじめ決められた指定校以外に学校を選んで入学できる『学校選択制度』があるという。00年度に東京都品川区が小学校で導入したのだという。04年度11月1日現在の文科省の調べでは、小・中学校がそれぞれ2校以上ある自治体のうち小学校8・8%、中学校11・1%が実施している。ただし、選択範囲は自治体ごとに異なり、一様ではない。
 ①隣接校に限り選べる
 ②自治体内で自由に選べる
 ③生徒数が減少し、存続が危ぶまれる学校が自治体全体から生徒を募集などする「小規模特認校」
などの施策が取られている。

一方、制度導入後、入学者が減り、極端に児童生徒数が減少した学校もある。マンションラッシュの都心部では児童の集中する地域がある反面、生徒集めをして最小限の生徒数の確保に努力する学校もある。東京の荒川区立第2日暮里小学校(吉野一平校長、児童数54人)は区が学校選択制を導入した03年度に「新入生ゼロ」を経験している。危機感を持った校長ら職員は次年度入学予定の自宅訪問をし、学校の良さを保護者らに訴えた。その年は14人が入学したが、各学年一クラスだ。職員たちは特色のある学校づくりをするために、ほぼ50名の全校生徒を10のグループに分けた。授業の始まる前に15分間、1〜6年生のグループごとに行う自習時間を設けてみた。副校長は「上級生が下級生をの面倒を見てやり、自信をつけている」「担任が子どもの変調によく気付いていると感じる。全校生徒が互いを知っていて職員とも気軽に話ができる」と話し、吉野校長は「小規模ならではの特色ある学校づくりを行って生徒数を増やしたい」と意気込んでいる。

以上見たように学区外の学校への入学・通学が認められることが多くなってきているが、大阪市や大阪府下などでは「しない させない 越境入学*」を掲げて、学区外入学.通学を従来どおり原則認めない方針の自治体もある。大阪市の教育委員会は越境入学防止啓発を行っている。
 越境入学は、法律に違反するだけではなく、教育の機会均等、人間尊重という教育本来の目標を歪めるものである。
 市では越境入学を防止するため、次のような措置を取っています、として次のように言う。
 ♦ 入学前に居住確認の調査を行い、保護者と子どもの実際の生活地域の学校への入学手続きを取る
 ♦ 現在通学中の子でも越境が明らかになった時点で、適正な学区へ転校させる

大阪では高層マンションの新築ラッシュで、小学生の人口増加が激しいため、越境取締りがますます厳しい状況が発生しているようだ。希望校の学区の不動産を購入・賃貸しただけでは認められず、入学前に家庭訪問があり、「冷蔵庫内・洗濯物置き場・浴室・光熱費請求書を見せて下さい」とまで言われるとか。冷蔵庫の中に家族全員分の食料があるか、洗濯物はあるか、浴室の使用感があるか、光熱費の消費なども調べられる。これを拒んでも「越境ではないと確定判断できず」と認定され、民事調停にかけても覆せずに諦めた人もいるほどだという。

【越境入学:学区域外入学のこと】本来通学すべき学区の公立の学校に行かず、別の学区の学校へ行くこと。同じ区内でも本来通うべき学区でなく、別の学区の小・中学校に行けばそれも、越境入学であるし、他区の小・中学校に行けば、当然それも越境入学となる。

学区制がスタートした当時から越境をさせたい親が考えた手段に「寄留」(実際に住んでいないのに、その地に住民票を移すことは、「住民基本台帳法」に抵触する違法行為となる)という手があるが、いざという時の健康保険や、扶養の問題、発覚した時の子への影響など考えればもともと違法行為はしないに越したことはない。

東京でも住居地域でなくなり、子どもが激減した中央区では、04年度から「越境通学に厳しい態度で臨む」とし、「職員の訪問調査などを必要に応じて行い、居住実態を厳しく確認する」とも明言している。

いずれにしてもこの学区制、学校選択制は自治体によって学区外入学、通学の許容については地域差が見られる状況だ。


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2006年7月 1日 (土)

中高生の不眠

中学・高校生の4人に1人が不眠を訴えていることが、日本大学医学部兼桂孝助手(公衆衛生学)らの研究でわかった。10万人規模の調査で思春期の子どもの不眠の実態が明らかになるのは初めてで、不眠の割合いは大人を上回っていることがわかった。

滋賀県大津市で開催中の日本睡眠学会学術集会で30日に発表された。調査は04年12月〜05年1月に全国の中学校131校、高校109校を無作為に抽出し、在校生に睡眠状況や生活習慣、精神的健康度を質問する方法で行われた。回収数は約10万人、回収率は64・8%であった。

不眠症には4つのタイプがあり
 ①入眠障害 一般的に30分以上寝つけない
 ②熟眠障害 熟睡したようでも眠った気がしない
 ③中途覚醒(夜間覚醒) 夜中にしばしば目が醒める
 ④早朝覚醒 朝早く目を醒し、再度眠れない
に分類されるが、このうち一つ以上が当てはまった場合では、1997年に成人3030人を対象にした調査時の21・4%を上回り、今回の中・高年生の不眠の割合いは23・5%と高いものであることがわかった。
 入眠障害は 中・高生(14・8%)  成人(8・3%)
 夜間覚醒  中・高生(11・3%)  成人(15・0%)
 早朝覚醒  中・高生(5・5%)  成人(8・0%)
成人にくらべ、日中の興奮からなかなか寝つかれないが、成人の人間関係や複雑な付き合いの心労の多い生活に比べ、子供たちは横になり、寝入ってしまえば気楽に眠りに入っていることが窺われる。

不眠が多かったのは
 ♦女子よりも男子
 ♦精神的健康度が低い
 ♦朝食を食べない
 ♦飲酒習慣あり
 ♦部活動に不参加
 ♦大学進学希望なし
らに該当する子どもたちであった。この中にある「精神的健康度」とは何か。急激な社会生活環境やライフスタイルの変化、生活体験の不足や人間関係の希薄化、ストレスの増大が、児童や生徒に身体的にも心理的にもいろいろな影響を与えていると見られ、それらから受ける影響を指数化して評価をすることで学校教育の場において、心の教育や心の健康といった精神的健康を類型化して捕らえる診断尺度である。

女の子なら、箸が転んでも可笑しがる年頃、とも例えられるような多感な13〜18歳。男は大人の真似をして酒にたばこに興味の目を向ける年齢。昔と違って男女とも携帯を持てば帰宅の門限などあってもないと同然。何時に帰り、何時に寝ても叱られない。有り余るエネルギーを発散させるには遊ぶのに困らない誘惑はそこいら中に転がっている。調査では不眠が多いのは男で、酒を飲み、進学の意志も無く、やる気のないぐーたらで、どう見てもニート予備軍としか考えられないような連中と映る。

問題はこのはじき出される子供たちをどう指導するかだ。せっかく精神的健康度を図る手法(MHP-C:Mental Health Pattern for Children)があるのなら次に打つ手は見えている筈だ。

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