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2006年6月 9日 (金)

“学級崩壊”は親の責任

毎日新聞(6/9)埼玉版から
埼玉県教育局生徒指導室のまとめ(8日)によると、県内823の公立小学校のうち、児童が教諭の指示に従わず授業が成立しない「学級崩壊」クラスが05年度、97校の計112学級あったことが分かった。

99年度の調査開始以来、過去最多である。04年度の110学級から横ばいが続き、局生徒指導室は「深刻な状況」と憂慮している。

2〜3週間以上に亙り「学級担任が通常の手法で問題解決できない状況」を崩壊と意味付けし、基準になる日を今年は3月31日とした。
学年別では5、6年生が26学級で最も多かった。「一部の児童の私語や出歩きなどの問題行動が集団に蔓延して行く傾向がある」(同室)という。担任教諭の経験年数は1〜5年が32人と最も多いが、31年以上が26人、26〜30年以上も25人と多数を占めている。同室は「ベテラン教諭の旧来の厳格な指導が、児童に受け入れられないいのでは」とみている。地域や学校規模に偏りはなく、県内全域で発生している実態も明らかになった。

学級崩壊の発生後、70校が各市町村の教育委員に非常勤講師の配置を申請したほか、複数教諭による指導、校長らによる見回り、臨時保護者会など、全学校が対策をとっていると回答した。しかし、児童の構成が変わらないまま、前年度から2年連続で学級崩壊が続いたクラスも全体の7%に達している。

同室は「早期の対応が重要」として、教職員向けの研修や指導主事の派遣など、対策を強化し、減少に努めたいとしている。

毎年同じことをくり返し口にするだけだ。「早期の対応が重要」「減少に努めたい」を繰り返すだけで結果は増え続け、対応策もしたか、せずにか何も効果を生まず相変わらず「深刻な状態」が続いている。だが、考えて見れば学校は、親が何一つ躾けないで野放途に育てた(じゃない、勝手に育った)だけの子を預からなければならないから、とんでもない貧乏籤を引いたようなものだ。その癖親は学校の無能、教師の無能を論(あげつら)うことに口角泡を飛ばす。今や親の意見は絶対多数の暴力で、弱い立場の学校をなじるだけ。「暴れるから、言うことを聞かないから、話を聞かないから、お喋りをするからとて体罰は絶対に、絶対にいけない」と。そうなると周りのマスコミを始め世間の論調も同調して、そうだ、そうだ、体罰はいけない、と騒ぎ出す。

しかし、このような言っても効かない小僧どもには先ずは厳罰しかないのだ。先生のいうことを聞かないのは現代の子だけではない、昔からいる。そんな子を昔の教師はどうしたか。始めは大人しく注意する、それから順に、きつく叱る、激しく叱る、頭をゴツンとやる、ビンタが飛ぶ。廊下に出して立たせる、回数が重なると水を張ったバケツを持って立たせる。教壇に座らせる、半分向こう脛(ずね)を角から出させて(これは痛いぞ、想像するだけで)。しかし生徒の方はそれくらいではへこたれない、恥をかいたとも思わない、決して親には報告しない。何故か、己が悪いことをしでかした事が分かっているからだ。それは何故か。ここが一番大事なことだが、親がきちんと躾けていたからだ。何をすればいけないか、何故叱られるか、という事を。だから子どもは先生に叱られたことは逆に親の躾のだらしなさを先生に見せたことを「親の恥じを曝した」と感じる知恵を持っていたからなのだ。

今の餓鬼(つまらないものでも、人数には入る)は、世間の風潮に便ずるのが早く、悪いのは学校、いけないのは先生、を親の口からも周りからも常に聞かされて、学ぶ姿勢を始めから持っていない。逆に基礎の基礎になる躾一つ教えられていないから、親の恥になること、自分自身の恥になることも理解できずに屑のようなことまで親に告げ口する。

親は常に家庭にいて子の行動を見ることをしないから、親の欲目だけで子を計る。親の前では大人しい、「家では良い子」と。親にも親の生活がある、子の犠牲になるのは嫌だ、と暇を見つけてはエステに、習い事に、お喋りに余念がない。最も大きな顔で言い訳の切り札になるのが「私には仕事があるの」である。子を育てるのは親や家庭なのに、親との同居を嫌う核家族では、親のいない時間をこまめに面倒を見てくれる祖父母もいない。結果は託児所という他人頼みで放って置くしかないのが今の実態だろう。誰からも叱ってもらえない、注意してもらえない、褒めてももらえない。自己抑制の効かない子になるのは当然と言える。

奇妙な現象が起こっている。日本中が子どもが減った子どもが減ったと声高に取り上げるのに、多くの県で保育所の入所待機の子どもたちがいるようだ。埼玉県でも県全体で1386人(4/1日現在)もいるという。しかし、出生率の低下は、当然だが空きが出る託児所も発生し、待機児童は市街地に集中することになっている。先日もブログで取り上げた全国の少子化の起きる要因の縮図とも見て取れる現実がある。

今の学校教育に欠けているのは厳しさだ。まるで友だちとするような先生との会話、年長への尊敬を躾けられていないから(敬語を持たない西洋民主主義の悪弊だが)日本の美しい言葉さえ身についていない。今では足で毬を蹴り、駆けずり回る女性に『なでしこ』なる手弱女(たおやめ)の名称を与える始末だ。

親が協力しないのなら、学校のとる手段は信賞必罰の厳しさをこそ、求められてもいいと考える。

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