「朝鮮王朝実録」寄贈か返還か
東京大学は30日、朝鮮王朝(1392〜1910年)の公式記録「朝鮮王朝実録」47冊をソウル大学に寄贈すると発表した。東大総合図書館に保管されている朝鮮王朝実録は1913(大正2)年、朝鮮総督府から東京帝国大学に移され、大部分は関東大震災で焼失した。焼け残った74冊のうち27冊は1932(昭和7)年に京城帝国大学に移管され、今回の47冊の寄贈で74年ぶりに一体化され、持ち出されてからほぼ一世紀(93年)、焼失したものを除きすべてが揃うことになる。
東京大学によると、現在はソウル大に保管されている27冊は、韓国国宝と「ユネスコ世界記録遺産」に指定されている。歴代国王の事跡や業績を正確に記録した朝鮮時代最高の史料で、5セット作成されたうち4セットが正本(清刷本)である。東大保管の実録は唯一の校正本で、修正の朱筆が入っており、学術的な価値が非常に高い。東大の関係者は「実録の編纂、修正、印刷過程など、歴史学的・書誌学的な解明が進む」と期待している。
東大の小宮山宏学長が所蔵を知って、ソウル大学創立60周年記念に合わせて寄贈を決めた。5月29日に両大学間で合意したものである。学長は「朝鮮王朝実録」引き渡しは、東京大学とソウル大学の長年にわたる学術交流という基盤の上に、両大学学長の信頼関係に支えられて実現したものです。この引き渡しが契機となって、両大学の学術交流がさらに深まることを願っています、と話す。
上の記事だけでは理解できないが、そもそも朝鮮の国宝(第151号)、王朝実録がなぜ日本にあったかということに触れて置かねばならない。時の国是でもあった朝鮮植民地化に踏み切った明治政府は1910(明治43)年、朝鮮半島を統治するため、京城(現在のソウル特別市)に、朝鮮総督府を置いた。総督の全員が日本軍人でなり、天皇直属の総督は、現地の文化を否定し、日本への同化政策を進め、拷問や武力弾圧による朝鮮独立運動を厳しく弾圧していた。1945年の日本の敗戦により、連合軍の指示で朝鮮総督府の業務停止を言い渡された。
800冊を超える王朝実録は、寺内正毅初代朝鮮総督により1913年、東京大学図書館に持ち出され、1923(大正12)年の震災時に大半の760冊余りを焼失する。災難を逃れたのはそのとき貸し出しをしていた74冊だけであった。その後の動きについては新聞の報道の通りだが、東京大学の発表による「寄贈」については両国間で話し合いがなされ、韓国側は「還収(一他人の手に渡ったものを取り戻すこと)」という言葉を提議したが、日本側が拒否した場合、合意までには長い時間がかかる、とみて受け入れたという。
これには伏線があって、フランスが1866(慶応2)年、フランス人宣教師処刑(キリスト教弾圧)の報復にフランスは軍隊を派遣、江華島を占拠した際、略奪していった外奎章閣儀軌(王朝・国家行事の記録)297冊を15年間に亘り返還交渉をしているが、応じない経緯があるのだ。ミッテラン仏大統領は1993年、韓仏首脳会談で返還の約束をしたが、それを所有しているパリ国立図書館の司書が反対していて未だ返還されていない。
「王朝実録」受け入れ先の李大学院長はこれについて『「王朝実録」返還は、所有権移転を確実にしたという点で、フランスが“永久賃貸”などを主張し難航している外奎章閣図書返還問題に比べ、解決に向かって一歩前進したもの』と評価した。
海外に散らばっている韓国の文化財で、所在が確認されているものだけでも7万4000点にも上り、そのうち46%が日本にある。今年2月、藤塚明直氏が18〜19世紀の画家の書簡や、遺品2700点の返還や、10年前。山口女子大学が寺内文庫135点を慶南大学に返還など、民間レベルでの成果は上がっている。今回の東京大学の王朝実録の返還も、ソウル大学の60周年記念に合わせたもので、両大学の交流協力のもとに成り立ったものである。
フランスに限らない、世界には植民政策の時代に大国から奪われたその国の文化遺産は数多くある。ソビエト(この国の場合は戦利品としてだろうが)は占領軍として敗戦国ドイツへ入った時、シュリーマンがトロイの遺跡から発掘した財宝を、博物館からごっそりと略奪し、最近になってソ連のある地に保管されていることが分かっているし、ベルリン放送局が所持していた当時の最新技術によるフルトヴェングラーの貴重な録音テープを含む大量のテープを持ち出してもいる。また、イギリスは大英博物館に展示され、白眉を飾るギリシャのパルテノン神殿から剥奪していったメトープのレリーフ(全長100メートル以上に及ぶ)は、約200年前、オスマン‐トルコの勢力下にあったギリシャを訪れた在トルコ大使エルギンの行ったもので、泥棒同然の行為は当時でも問題になったほどである。ギリシャの女優で後に文化大臣になったメリナ・メルクーリもその返還を迫ったが、イギリスは聞く耳を持たないで過ぎている。博物館から目玉のパルテノンの彫刻が消えたなら、集客力はがた落ちとなり、ダメージを被るのは明らかだ。
さて、東京大学の「朝鮮王朝実録」は果たして寄贈か返還か。
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