高松塚壁画損傷
我が家の紫陽花は
まだまだ小さい
02年に起きた(正しくは見つかった、発見された)高松塚壁画の損傷事故と補修などについての調査委員会の報告を受けて、文化庁は当時の担当者に厳しい処分を行い、体制の見直しによって信頼回復を図ることを発表した。発表は02年に起きたたと言っているが、すでに01年2月の修復の時点で黴の繁殖を防ぐ消毒のために使用したアルコールが原因であることはほぼ解っていたことだ。
「文化行政の信頼を損ねたことをお詫びしたい」河合隼雄・文化庁長官の謝罪だが、何故幾度も起こった事故の報告が公表されなかったのか、という肝心な部分は不明のままで、今回の反省が壁画の保存策にどう生かされるか、の具体策が見えてこない。01年の工事中に起きた黴の大発生、その後の虫の死骸が見つかるようになってからも、担当部署の連絡が悪く、人任せであったことも分かった。
今度の調査で文科省と文化庁が、当時の美術学芸課長など文化庁関係者四人に対し、減給などの処分を発表した。元美術学芸課長(奈良国立博物館長)、元主任文化財調査官(現慶応大学教授)、元文化財部長(現京都大学副学長)、元記念物課長(現文科省初等中等教育局教育課程課長)にそれぞれ減給、戒告、訓告、厳重注意があった。小坂文科相が大臣俸給全額、河合長官が俸給(20%)、加茂川幸夫次官が(10%)をそれぞれ一ヶ月分の返納。
文化庁の壁画恒久保存対策検討会は昨年6月に、国宝の壁画を外に取り出して修復するために古墳の墳丘の一部を破壊する縊死室解体案の採用を決定しているが、この間の一連の不祥事は伏せられたままであった。河合長官は情報公開のあり方や縦割り行政、文化財保護法の見直しなどを検討する作業部会を庁内に設置することを明らかにした。小坂文科相は壁画について「劣化を止めるために修理が必要」と話し、来年2月に予定の石室の解体には変更がないことを示した。石室の解体案が発想された背景には、壁画を傷めたことに対する疚(やま)しさがあったろうことは想像でき、決定までのいきさつには不信感がつきまとう。
一方では国民の声として「石室の解体は取り返しのつかないことになるのではないか」といった説もあるが、情報公開の認識の甘さが招いた結果であることには間違いはないだろう。
わたしは繰り返すが、解体は一刻も早く着手するべき、と考えるものだ。何故なら、万全を期せば期すほど密室の度合いが高まり、その対策はただのタイムカプセルか絵に書いた餅になり、国民の目から遠避けられ、文化遺産としての価値は無いにひとしいものになるだけだからだ。それよりは、誰でもが見ることのできるものになって、はじめて国民が等しく共有できる『宝物』にすることができると言える。日本には他にも天皇陵とされるものの中に、未発掘の陵もあるが、その管轄は国民の手の届かないところにある。古代史の謎は手近なところからも剥ぎ取っていくことが必要ではないだろうか。
| 固定リンク
« 特別な1日 | トップページ | 国会議員の意識調査 »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント