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2006年6月19日 (月)

NHK・FM放送廃止か

竹中平蔵総務相の私的懇談会「通信・放送の在り方に関する懇談会」が6日に公表した最終報告書には、NHKのチャンネル削減や受信料の義務化などが盛り込まれ、業界だけでなく政界からも反発が広がっているようだ。当初NHK受信料の義務化については見送る公算が強かったのだが、いつの間にか実施する方針に変わったようだ。昨年から続く不祥事に、NHK側も恐る恐るのお伺いになっていたものが、何故かどこかで急転したようだ。

まあ、今回はこの問題から離れてモノーラル時代から長い年月付き合って来たFM放送の廃止が決まれば残念で、書き留めておきたい。

軍国少年であった時代、軍歌に明け暮れて馴染んだメロディーの以前に、まだほんの幼かった小学二、三年の頃(太平洋戦開戦入以前)、優しかった女の先生が、小学唱歌とともに教室で時々レコードで聞かせてくれた青きドナウ、白鳥、トロイメライ、森の鍛冶屋、ヨハン・シュトラウスの沢山のワルツなどのメロディーがあった。

 華々しく始めた戦争も、たった3年7ヶ月の歳月で日本中が焼け野原になって敗戦を迎えた。天皇がいる神国日本以外は鬼畜の国と教えられ、男の子どもたちは皆信じて軍人を志し、女の子は薙刀を振るって(今考えるとマンガの世界のようだが)敵をやっつけることに胸躍らせて大きくなっていた。しかし、その夢は敗れ去り、目標を失って立ちすくむ少年少女たちの耳にリンゴの歌や美空ひばりの歌声が届くのに、それほど時間は懸からなかった。

進駐軍向けの放送が始まり、まだどこの家庭にでもあるものではなかったラジオから、明るいスイングジャズが流れ出した。今、秋葉原で工作の人気スポットになっているようだが、電池なしで音の聞こえるゲルマニウム・ラジオが世に出、子どもでも作ることのできるラジオから流れる音に耳傾けて戦勝国アメリカの文化の吸収に夢中になっていった。

日本人には馴染みのなかった軽快なジャズの、その明るいメロディーに虜になる世代が生まれていった。民放のなかった時代だ、NHKも打ち拉がれた日本人の心を明るくするのに努力した。戦時歌謡以外は軍部によって退けられていたが、軍国調の薄いものを選んだ歌謡番組、徳川夢声が代表する朗読、落語、講談を並べ、新しく生まれて来る流行歌を待ち望んでいた。

その頃、作曲家や作詞家、歌手の間では誰が軍歌を作ったか、詩を書いたか、歌ったか、など戦争協力に励んだ関係者の探り合いのような空気が蔓延っていた。「俺は協力などしなかった」「私は歌ってはいない」「何一つ戦争協力に関する詩は書いてはいない」などが飛び交ったが、いつの間にかそんなことはどうでもいい、喉元過ぎれば熱さを忘れることの得意な日本人、平和を謳歌するようになっていた。

ご多分に漏れず、ジャズや映画で出会った異国の文化には、激しいカルチャーショックを受けていた。SPレコードで聴いたベートーベンにはすでに触れた。「真夏の夜のジャズ」で身震いしたマヘリア・ジャクソンのゴスベルにも触れた。

音楽が聴くだけのもではなく、レコーディングして繰り返し聴くことの可能なメディアとして身近な存在になっていった。何にでも欲の深かった私は長じてドイツリートの歌手に夢を持った頃もあったが、遅めに訪れた変声期で直ぐに諦めた。二十歳の頃、後に医者になった友人宅でフルトヴェングラーを知った時の驚きは現在まで引きづり、日本で発売された彼のレコードは殆ど(先に触れたベルリン放送局から押収した後、自国内でプレスしたソビエト盤、イギリスHMV、アメリカ盤、なども)蒐集して来た。

話をFMに絞ろう。今揃っているライブラリーの記念の第1号は1972年12月30日放送の2曲、シューベルトの交響曲第2番変ロ長調:カール・ベーム指揮ベルリン・フィルハーモニー交響楽団が同じ年のフィルハーモニーザールで行った公開録音、もう1曲はシューマンのピアノ協奏曲イ単調op54:スビャトスラフ・リヒテルのピアノ、リッカルド・ムーティ指揮ウィーンフィルハーモニーがザルツブルク音楽祭で祝祭大劇場で同じ年に収録したものだ。
 他にもまだ自慢のライブラリーがある。モーツアルトの作曲したほぼ100巻になる全曲の録音だ。まる7年を掛けて放送された貴重なものだ。
その第1回の放送は1980年4月13日、モーツアルト幼年時代の作品集。アンダンテ・ハ長調K1a、アレグロ・ハ長調K1b、など小曲が1c、1d、1eと続きアレグロ・ハ長調K5aまで、ピアノ演奏はイングリッド・ヘブラーである。以後K626のレクイエム:カールベーム指揮まで揃っているものだ。

私には、神経を逆撫でするような近代音楽にはどうしても馴染めずに、1000巻からあるライブラリには極く少数のものしかない。私の世代が知っている音楽家は殆ど網羅してきたことから、以来曲数もあまり増えてはいない。戦前、日本人音楽家といえば蝶々夫人の三浦環、それにヴァイオリンの諏訪根自子、藤原義江くらいだったが、戦後の人材の豊富さは世界に名を轟かせ、指揮者なら誰もが憧れるウイーンフィルに君臨する小沢征爾をはじめ錚々たるメンバーが輩出した。それらは皆彼らの成長とともにFMで同時進行で知ってきた人たちだ。これからも若手の成長を楽しみに聴いていきたいものと思ていた矢先に、今度の制度改正に伴ってFMの放送廃止が決まりそうな気配だ。民放にクラシックを期待することは千に一つの可能性もない。日本で最後に残って手元に配送されてくる、2週間に1度の発刊誌,FM-CLUB:NHK-FMのプログラムを見ながら淡い希望に望みを繋いでいる昨今だ。どうか、放送廃止をしないでくれ、と。

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