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2006年6月30日 (金)

偏食の乳幼児が増加

2006年も今日で50%を過去のものとした。加齢するごとに一年は、余りにも容赦なく走り過ぎて行く。今にして思う、光陰矢の如し、と。

厚生労働省が29日まとめた05年度の「乳幼児栄養調査」で乳幼児の生活習慣が浮かび上がった。調査を元に、厚労省は授乳・離乳期の食への不安に関する解消策として、今年度中に支援冊子をつくり保健所などで配付していく予定。この調査は乳幼児の食生活改善を狙いに10年ごとに実施され、今回が3回目となる。調査は2005年9月、全国の四歳未満の子供2722人の親を対象にしたものだ。

離乳食は市販のベビーフードを使い、偏食やよく噛まない子も増えているようだ。そのベビーフードを
 「よく使った」「時々使った」を合わせて 75・8%に上り、10年前を9・8%上回った。
 「よく使った」人が子供の食事で困っていることとして上位に上げたのが
   遊び食い   52・0%  偏食 40・5%
   よく噛まない 23・4% などがある。

今回の調査では初めてのことになる就寝時間と朝食の欠食の関連も分析している。
 週に朝食を食べない日がある子供は 9・4% この子たちの就寝時間を見ると、
  午後10時台に寝る子は 13・8%
  午後11時台  〃   24・1%
  深夜0時以降  〃   50・0%
 と、夜型ほど欠食傾向が高くなっている。

厚労省は「ベビーフードの使い方や就寝時間など、生活習慣が著しく偏ったものにならないよう心掛けて欲しい」と言っている。

今さら驚くことでもない。現在の家庭環境を見ていれば、当然の答えであろうし、厚生労働省が心配してもこの傾向はますます顕著に表れるものとなるだろう。相変わらず幼稚園児のようなドレスで表れる少子化対策に取り組んでいらっしゃる大臣さまが、働く女性への手厚い施策を進めれば進めるほど、家庭から出て行く女性やお母さまたちが増加することは、明らかなことだ。今日(6/30)この大臣さまは少子化に好転の兆しが芽生えたような発言をなさったが、我田引水で、瞬間データと読んだ方がいいだろう。

家にいないお母さんたちが、愛情溢れる離乳食で乳幼児を育てることは考えても無理な話だ。離乳食を与える時期が来るや否や、他人に子育てを任せ、これこそが正しいこと、とばかりに仕事場に急ぐ。恐らく離乳食を作ったことのないお母さまたちも多いだろう。昔の日本のお母さまたちは、最初に与える離乳食の重湯(おもゆ)は作れない人はいなかった。水の量を多くして、糊状になるまでお米を炊いたものだ。「昔は昔」とチンで済ましていては時間こそ短くなるが、注ぐ愛情も同じように短くなっているこに気がついて欲しい。炊き上げた重湯を少量ずつ匙で掬い、ふーふー、と熱を冷まし、自分の唇で熱さを確かめ、子の口まで持って行く。重湯だけでは栄養に偏りが出るから卵黄、魚、野菜、肉などを摺り潰し、同じようにどろどろの糊状にして与える。子供は「遊び食い」などしていられない。「偏食」「噛まない」もまた同じだ。

また、出勤時間に追われれば、子供の朝食は疎かになる。まして罪滅ぼしのつもりの夜更かしは、大事な成長期の子供の睡眠時間を取り上げ、7〜10時間は寝かせなければならない大事な時間を己の勝手で短縮させる。子供を生んでおきながら、子供のことを考えた生活はしていない。どこまでも親が中心の生活のリズムの中で子供を縛っている。子育てに関する限り厚生労働省の心配は、これからもずっと増幅して続くことだろう。

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2006年6月28日 (水)

児童の英語は

《小学校での英語教育については賛否両論がある。「日本語もろくに話すこともできないのに、外国語なんてとんでもない」や「まず、しっかり国語を教えるべきだ」という意見。これに対して「子どもの脳は柔らかく、さほど抵抗感もなく外国語が吸収できるから、早期に取り入れた方が良い」という声もある》。これはごく最近に投書された名古屋に住む60歳になる男性からの意見。

落ち着いた語り口にもう少し耳を傾けてみよう。《どちらも正しいと思う。日本語の正しい知識、能力を身につけることは、総ての学問をする上でとても重要なことだ。と同時に、国際語である英語に強くなることも必要だ。問題はこの二つをいかにスムーズに平行して進めて行くかだろう。》

英語が現在のように使われる以前の国際語といえばエスペラントという言語になる。ポーランド人のザメンホフが1887年に発明したもので、日本でも二葉亭四迷(日本で始めての教科書を作っている)や宮沢賢治(“銀河鉄道の夜”は表紙をエスペラントで書いている)も使用している。現在でもインターネットの世界で広く使われているし、有名なヴァチカン放送局からは毎年のクリスマスや新年の挨拶を法王の口から世界四十数カ国の言葉に混じってエスペラントが短波に乗り、勿論インターネットで聞くこともできる。

そのエスペラントに代わって国際語として上がって来たのが英語なのだ。それは何と言っても英語を母国語とする国の世界的な力が一層強まったことによるだろう。植民地政策により大英帝国として地球規模に版図を広げ、ほとんどの国の独立後もイギリス連邦として英語圏をつくっている。イギリスにとって変わったアメリカも同じアングロサクソンの英語を話し、以前のイギリス以上に強大な国力を誇示し、通信の世界でも世界の先端を走って来た。当然英語の普及を圧倒的に強いものにしてきた。現在の国際語と言われてもいいものになっているのは事実だろう。

《私自身の体験で言えば、英語学習は確実に国語の能力を伸ばすのにプラスになっている。また、英語は日本語よりも論理的かつ直接的な言い回しが多く、その分相手とのコミュニケーションが、ある意味で楽になる。小学校の英語教育導入は国語のみならず、理数系など他の教科にもきっと良い影響をもたらしてくれるだろうと、私は極めて楽観的だ。》とおっしゃる。

これまでにも学者も交えていろいろな考えを述べる人がいたが、じっくりと耳を貸すことのできる説は少なかった。それは大上段に国際化を口にし、グローバル化を唱えて自説の裏づけにしようとする口調が目立っていたからだ。私もそうだが、日本人の1割程度の必要のある人たち(それでも1000万人を超えるが)の英語に何も小学校から教える必要もない、と考えていた。必要なら成長してからでも十分だと。(それには現在の日本中に蔓延る乱れた言葉を意識してのことだが)ただ、投書者のように柔軟なものの考えをしていなかったことに気がついた。投書者のように二つの言語を比較してどちらが論理的か、直接的な表現が可能かなどという難しい言語学には触れる知識はない。しかし、子どもの愉しみの1つとして身につけるものであれば、コマーシャルやマンガの歌のように、口ずさむことには反対する理由はない。ただ、言葉をしゃべることができることが、即グローバルな人ではないことだけはハッキリと言えるが。

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2006年6月27日 (火)

それでいいの?

働く女性の育児相談、上田理恵子のサポートします。
以前にも取り上げたことがある、この人の回答への疑問を再び。相談の内容は
「1歳8ヶ月になる男の子を育児所に預けて、職場復帰した女性からの相談。夕方に迎えに行くと、とても嬉しそうな顔をしますが、急に甘えてぐずり出します。朝の別れ際にも顔をしかめて耐えているように見えます。こんなに小さい時から我慢をさせて、成長や性格形成に影響が出ないか心配です、」というもの。

回答者は次のように返事する。《私の場合もそうでした。いつも後ろ髪を引かれる思いでしたが、気持ちを切り替え、出勤の道を急いだものです。ある日、あまりにも大泣きしたので「今日は会社を休もう」と、保育所に引き返しました。するとさっきまで泣いていた長男は、友だちと元気いっぱいの笑顔で走り回っているではありませんか。子どもも気持ちを切り替えて、楽しく過ごしているんだと思い、結局会社に向かいました。

他にも病気の子どもを自宅で預かるサービスをしているが、お母さんが出勤する時は子どもたちは大泣きしますが、少し時間が経つと笑顔を見せてくれます。スタッフはお母さんにはかないませんが、時には優しく、時には厳しく愛情いっぱいに接しています。子ども一人一人の発達や個性を考慮するのは、我々も保育士もきっといっしょです。スタッフを信頼し、安心して出かけて下さい。お母さんが不安な気持ちでいると、子どもたちも不安になってしまうものです。保育所に迎えに行ったら、たくさん抱きしめてあげましょう。ぐずるのは、しっかり甘えを出させている証拠です。「甘えてくれるんだ。ありがとう」と受け止めてあげてください》。が回答。

まだまだ乳飲み子の1歳8ヶ月、懐に抱かれて母親の肌に触れる時期だ、この子の母親は母乳だろうか哺乳壜だろうか。それとも卒乳しての復帰だろうか、無理矢理の断乳だろうか。相談して来た女性は職場復帰したのはいいが、他人に預ける育児に不安を抱えての相談だ。「成長や性格形成に影響が出ないか心配です」と。それを自分のことを例に上げて他人の育児に押し付ける。どんなに泣叫んでも知らぬ顔がよろしい、と。あなたの子と相談者の子は受け継いだDNAも違います。何処の子も同じではないはずです。何処の子も同じなら誰も苦労はしません。あなたがそうであったから、どこの子もあなたの子と同じようになるものではありません。相談者の心配は正当です。前にも書いたことだが、日本では『三つ子の魂百まで』、西洋でも『揺り籠で学んだことは墓場まで忘れない』、と言われるように(バカな神話、と蔑む人もいますが、私は真実だと思います)動物の子が、人となる過程で形成されていく人間形成の1番大事な時期なのです。欲しがればおっぱいも2歳になっても3歳になっても上げなさい、(昔の育児は皆そうだった。年子を生めば両の乳房が塞がった)1時期、1歳程度での断乳をすすめた時もあったようだが、最近ではWHOでも3歳位いまで飲ませましょう、とさえすすめている。

それを回答者は、子どもは泣きじゃくっていてもけろりと忘れ、お友だちと仲良く遊んでいます、という。それがそっくり母親の愛情の断絶、とは取らないのだ。保育士が、どんなに可愛がろうが、叱ろうが、母親ではあり得ないのです。

女性が働くことを全て“善”として諸施策が施されていく。働くのに邪魔になるからと言って、子どもを預ける一時預かり所が増えれば増えるだけ、与えられる愛情が希薄になる子を増やすだけだ。子供達の家庭は寝るだけの家となる。親と遊ぶ時間は当然短くなるか無くなる。迎えに行った時だけ甘えさせなさい、ぐずらせなさい、では猫の仔と変わりません。これでは甘えさせることが躾になってしまいます。今の世の中、このような親子関係が生んだ子どもで溢れ返っています。そうです、我慢することを教えられていない子、本気で叱ってもらったことのない子、1対1の会話(スキンシップ)が無いから人の話が聞けない子、結果は我がままですぐにキレる子になっていく。

今回の回答は、本当に、それで良いの?

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2006年6月26日 (月)

出勤風景

現役を遠退いて随分と経つ。
今朝の記事で面白い一文を見つけた。東京まで電車で一時間のベッドタウンから、毎朝始発で座席を確保するための見苦しい出勤風景を描いたものだ。一文を寄せたのは、さもオヤジたちを汚れ物のように見下した女性の目だ。(その中には見苦しい行動を共にしている紛れも無く実在している自分の存在を見落としているが)

始発だから駅員が改札を開けるのを待つ乗客が、すでに手薬懐(てぐすね)引いて待ち構えている。この先は投書者の力を借りよう(要約)。「うっとうしい梅雨。この時期の通勤電車は最悪だ。黄色い電車で東京に通うサラリーマン(自分以外は皆男性らしい)は、毎朝が決戦。どれだけ快適に過ごすかは死活問題である。座席の確保をかけて疾走する人人人。こんな毎日気が狂いそう・・・と周りを見れば、血相変えて脇目も振らず、一心不乱に走るオヤジ集団。お髪(ぐし)は乱れ、額には汗がじっとり。半袖シャツにはお決まりの汗染みが。(男連中に混じり、目の色変えて、髪乱して一緒に走る投書者の姿がはっきりと見える)

「必死な姿」と「汗」が感動をもたらすのは、青春時代とスポーツ選手の専売特許なのか?階段を駆け下りれば、ホームには列列列。電車のドアが開く。体当たりで押してくるヤツ(女性でもお使いの言葉のようだ、ま、いいか)がいる。ン? また腕が汗で湿っているではないか。ああ、不快指数200%。そしてその正体はというと、言いたくはないが、100%オヤジなのよ。(そっくりあなたにお返ししましょう。梅雨時に限らず、夏の女性のお肌でどれだけ男性が気持ち悪い思いをしているか。思い出すだけでも通勤していた頃の感触を思い出す。女性は‘セクハラ’の言葉で攻撃に転じられますが、男性は嫌な思いも認められないのが普通でしょう)

すし詰め状態の車内でひたすら願う。「今日は半袖オヤジが絶対近くに来ませんように」(どれほど同じ気持ちを私がノースリーブの女性を見て思ったことでしょう。座るのが嫌いな私は、行動できる範囲で極力女性客の少ない場所を見つけて立つように心掛けていたのです)ふと車内を見る。最近よく目にするのが、雑誌の女性記事特集だ。男女雇用機会均等法が施行され20年。そういえば、改正男女雇用機会均等法が成立して、男女の間接差別の禁止が謳われてたな。ヤバっ。これって、オヤジに対する間接差別でしょうか。(そうじゃないよ、それは単なる‘おやじ’への軽蔑と偏見でしかないのです。これまでにも何度も触れて来たが、私はサラリーマン時代は言うに及ばず、座席を取るために走り込んだことは只の一度も無い(親への感謝)。そうまで己を惨めな人間に貶めたく無い。1時間30分の立ったままの読書が、会社勤めの邪魔になったこともない。生まれた子どもへの躾もそのように心掛けた。投書の女は最後に取って付けたように、賢(さか)しらに、小賢しくも機会均等法を持ち出す。わたし、賢明なの、烏合の衆とは違いますの。と言いながらおやじたちに混じって自分自身もべっとりと、毎朝汗だくで階段を駈け下りているのだろうに)。
 

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2006年6月25日 (日)

国会議員の意識調査

毎日新聞が昨年3月から取り組んで来た「戦後60年の原点」の総括として、全国会議員をを対象に、歴史認識などに関連する設問を準備し、5月中旬からアンケートを配付(衆議院478人、参議院242人)したものを、24日に集計した。

設問は、満州事変以降の対中戦争、対米開戦、極東国際軍事裁判、憲法9条と1、2項、集団的自衛権、核武装や、靖国問題について19の項目に亘って問いかけたものである。詳しい各項目についてここに書くことは無意味で、本紙に任せるが、なによりも驚いたのはこれほどの重い設問に国会議員の47%にあたる議員が回答を寄せなかったことである。中には白紙回答も混じっており、驚くほかない。次の総裁、総選挙を睨んで強引な閉会としたとはいえ、重要審議の重要課題でもあった内容を含んでおり、当然持論を開陳できる格好の設問であったはずだ。一新聞社のアンケートとバカにしたのかどうか知らないが、このような歴史認識に無関心の人たちが日本の国会で暇つぶしをしているのかと思うと余りに情けない。(回収率は両議院で53・8%、衆院58%、参院45%)

政党別に回答者(384人)をみると、
 自民党 163人(回収率 40%)
 民主党 120人( 〃  63%)
 公明党  47人( 〃  85%)
 共産党  18人( 〃  100%)
 社民党  13人( 〃  100%)
 その他  23人( 〃  59%)となっている。

いかに政権党の意識の低さが目に余るものかよく理解できる数字だ。
 加えて個人別に見て行くと、上に上げた白紙回答をしたものが24人もおり、開いた口が塞がらない。◯◯派と言われて徒党を組み、頭目の一挙手一投足に右顧左眄(うこさべん)。己の主張を何も持たず、お頭(かしら)のおっしゃる通りと日和見の陣笠どもだ、と思われても仕方ないだろう。
     〈 衆議院選挙区 〉
  北海道 :町村 信孝  自民 61歳
   〃  :中川 昭一  自民 52歳
  岩手  :達増 拓也  民主 42歳(靖国参拝あるなしで、ある と回答しただけ)
  栃木  :渡辺 喜美  自民 54歳
  千葉  :渡辺 博道  自民 55歳
  愛知  :河村 たかし 民主 57歳
  愛知  :杉浦 正健  自民 71歳
  大阪  :北側 一雄  公明 53歳
  徳島  :後藤田 正純 自民 36歳
  熊本  :松野 頼久  民主 45歳(日本が誇れるものを上げただけ)
  大分  :衛藤 征士郎 自民 65歳
  大分  :岩屋  毅  自民 48歳

     〈 衆議院比例代表 〉
  南関東 :小野 次郎  自民 52歳
   〃  :鈴木 馨祐  自民 29歳
   〃  :長浜 博行  民主 47歳
  東京  :猪口 邦子  自民 54歳
  東海  :藤野 真紀子 自民 56歳
  近畿  :松本 剛明  民主 47歳
  近畿  :市村 浩一郎 民主 41歳

     〈 参議院選挙区 〉
  神奈川 :川口 順子  自民 65歳
  長野  :吉田 博美  自民 57歳
  徳島  :北岡 秀二  自民 50歳

     〈 参議院比例代表 〉
       佐藤 昭郎  自民 63歳
       津田 弥太郎 民主 54歳

以上が白紙か白紙に近い状態で戻って来たものだ。それにしても、自民党の人間どもの回収率40%はどう考えればいいのだろうか。元々自分達は員数合わせの頭数だけの仕事でいいのだから、その都度何色にでも染まることが自分達の本領とでも考えているのか。何事によらず数で決まるのが民主主義なのだから、とでも。

設問の回答と分析は新聞社に任せる。しかし、設問を読み、集計を一目見て、数を頼みとする政権党の問題への無関心さに、末恐ろしいものを感じて記した。
 
 

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2006年6月24日 (土)

高松塚壁画損傷

Ajisai

 
 我が家の紫陽花は
  まだまだ小さい







02年に起きた(正しくは見つかった、発見された)高松塚壁画の損傷事故と補修などについての調査委員会の報告を受けて、文化庁は当時の担当者に厳しい処分を行い、体制の見直しによって信頼回復を図ることを発表した。発表は02年に起きたたと言っているが、すでに01年2月の修復の時点で黴の繁殖を防ぐ消毒のために使用したアルコールが原因であることはほぼ解っていたことだ。

「文化行政の信頼を損ねたことをお詫びしたい」河合隼雄・文化庁長官の謝罪だが、何故幾度も起こった事故の報告が公表されなかったのか、という肝心な部分は不明のままで、今回の反省が壁画の保存策にどう生かされるか、の具体策が見えてこない。01年の工事中に起きた黴の大発生、その後の虫の死骸が見つかるようになってからも、担当部署の連絡が悪く、人任せであったことも分かった。

今度の調査で文科省と文化庁が、当時の美術学芸課長など文化庁関係者四人に対し、減給などの処分を発表した。元美術学芸課長(奈良国立博物館長)、元主任文化財調査官(現慶応大学教授)、元文化財部長(現京都大学副学長)、元記念物課長(現文科省初等中等教育局教育課程課長)にそれぞれ減給、戒告、訓告、厳重注意があった。小坂文科相が大臣俸給全額、河合長官が俸給(20%)、加茂川幸夫次官が(10%)をそれぞれ一ヶ月分の返納。

文化庁の壁画恒久保存対策検討会は昨年6月に、国宝の壁画を外に取り出して修復するために古墳の墳丘の一部を破壊する縊死室解体案の採用を決定しているが、この間の一連の不祥事は伏せられたままであった。河合長官は情報公開のあり方や縦割り行政、文化財保護法の見直しなどを検討する作業部会を庁内に設置することを明らかにした。小坂文科相は壁画について「劣化を止めるために修理が必要」と話し、来年2月に予定の石室の解体には変更がないことを示した。石室の解体案が発想された背景には、壁画を傷めたことに対する疚(やま)しさがあったろうことは想像でき、決定までのいきさつには不信感がつきまとう。

一方では国民の声として「石室の解体は取り返しのつかないことになるのではないか」といった説もあるが、情報公開の認識の甘さが招いた結果であることには間違いはないだろう。

わたしは繰り返すが、解体は一刻も早く着手するべき、と考えるものだ。何故なら、万全を期せば期すほど密室の度合いが高まり、その対策はただのタイムカプセルか絵に書いた餅になり、国民の目から遠避けられ、文化遺産としての価値は無いにひとしいものになるだけだからだ。それよりは、誰でもが見ることのできるものになって、はじめて国民が等しく共有できる『宝物』にすることができると言える。日本には他にも天皇陵とされるものの中に、未発掘の陵もあるが、その管轄は国民の手の届かないところにある。古代史の謎は手近なところからも剥ぎ取っていくことが必要ではないだろうか。

(参照)2005/8/30 拙ブログ「高松塚古墳・保存問題」

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2006年6月23日 (金)

特別な1日

今日を特別な1日、と書いて何を思い浮かべるか。
新聞は何処を開いても賑やかにブラジルに負けた弱い国の写真で一杯だ。日本を出る前から興味もなく、期待も奇跡も信じない新聞購読者には紙代、印刷代を払うのが癪に触る。オリンピックと同じマスコミと共に踊ったファンのお祭り騒ぎがやっと沈静化する、と思うとほっとする。ばか騒ぎの尺度は度を超している。何処の外国人プレスも大抵は4、5人。それに比べ、日本人プレスは烏合の衆が100人近くもドイツ入りしていたとか。これであの絶叫型の放送を聞かなくて済むのが助かる。

こんなばかな騒ぎを言いたい訳ではない、今日の特別な日の意味は、『沖縄の慰霊の日』だからだ。今から半世紀以上も前、1945(昭和20)年6月23日、沖縄を守備していた日本軍の組織的戦闘が終末を迎えた日なのだ。島を取り巻くアメリカ海軍連合艦隊の艦砲射撃、上陸して来た部隊の銃砲火に逃げ惑い、日本軍以外の民間人、9万4000人の人たちが亡くなった日であり、それから15年後の同じ日6月23日、新日米安保条約が発効した日なのだ。毬を蹴って遊んでいる日の写真どころではない筈だ。だが、毎日新聞は写真1葉の掲載もない小さな記事を載せただけだ。

関連した写真はある。日本軍が沖縄の島民を見捨てた日にも学徒動員の‘ひめゆり’学徒隊にいた宮城 清子さんの顔写真が1葉ある。現在80歳になるかの女には『基地が消えない限り 沖縄の戦後は来ない』と言う。
 包帯の下で、音を立てながら患者の肉に群れるウジ。骨を切断する際の、のこぎりのきしむ音。19歳の時、動員され、南風原(はえばる)陸軍病院壕で負傷兵を看護した時の話だ。この忌わしい記憶は今でも夢に出るという。米軍が移設予定地にしている普天間飛行場の建設反対に関わり続ける彼女は「命を奪い、尊厳を奪い、海までも奪おうというのか。戦後も基地の重圧を背負わされた私達に、国と内地はなお負担を迫ろうとするのか」、語り終えた口は、震えていた。

もう1つ別の記事。同じく戦争体験をしてきた世代(76歳男性)の語りだ。沖縄で戦没者の遺骨を捜し続ける男性に関連して。敗戦から60年(私もそうだが、この世代は終戦と言う言葉を嫌う、責任を見のがしている語感を伴うからだ。)今でも「鉄かぶとをかぶったままの頭蓋骨。火炎放射器で褐色に染まった岩陰で折り重なる遺体」のこと、今なお4000人に余る未発見の遺体があるということ。そして、大戦の後始末もできない為政者が、平和憲法や、教育基本法などを改悪し、「海外で戦争のできる国」にしようとしていることは許せないことだと。

沖縄県知事の平和宣言に続いて、小泉のあいさつは、‘終戦’から61年の年月が流れた現在も、沖縄の人たちの決して癒えることのない心の痛みは消えない。私達は二度と戦争することのないよう、平和を大切に守っていかなければならない。沖縄は今も米軍施設が集中し、県民生活の負担となっている。政府は負担軽減のために米国政府と協議を重ねて来た。今後とも地元・沖縄の理解と協力を得られるように協議をしていく。今日の日本の平和と繁栄は、戦没者の尊い犠牲の上に築かれている。わが国は、再び戦争の惨禍を繰り返してはならないとの不戦の誓いを堅持し、国際社会の一員として世界平和の確立に全力を尽くす。そして、ご遺族のかたがたの今後の御多幸を心からお祈り申し上げる、と結ぶ。

先の女性、男性に比べ、なんと白々しいことか、あちらの基地をこちらに移す、日本から出て行く費用を何から何まで面倒を見てやる。まだ土の下に眠る多くの遺体の集骨もせず、頂上から命令して国民を死に追いやった戦犯の居座る靖国に、平然と出かける。あれもそれぞれ、これもぞれぞれ、と宣(のたま)って。

悲しいことに同じ日、この小泉の靖国参拝(2001年8月)を巡り、憲法判決を求めた原告の訴えを、最高裁判決は「門前払い」にした。今までにも幾度となく大阪、松山、福岡、東京の地裁、高裁で審議され、違憲をだした判決もあるが、今回の最高裁の判決は違憲の疑いを残したままだ。ベテラン裁判官は「社会的影響が大きすぎるため、最高裁が靖国問題で本来不要な憲法判断を示すのは困難だ」との声もあるようだ。

靖国問題になると取り上げるが、麻生太郎が22日、自民党の「アジア戦略研究会」で靖国問題について「国がきちんとやるべきまつりごとを一宗教法人に渡していたのが問題だ。靖国神社も真剣に考えなければならない」と述べて、同神社を「非法人化」した上でA級戦犯合祀問題を解決し、政府が維持・管理に関与するべきだとの考えを改めて表明した。

(参照) 「1945(昭和20)年 8月」(2005/8/16)

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2006年6月22日 (木)

久し振りの名前

昨日は夏至の日、北半球では1年で昼が最も長いとされる日だが、このところ天候不順のせいで、日中からどんよりしていて昼の長さを感じられないままに過ごしてしまった。

今朝の新聞で、何十年ぶりかの活字(カナ文字)が目に飛び込んで来た。小さな記事だが敗戦直後に手にとって読んだB5版サイズの総合誌「リーダーズ・ダイジェスト」の名前だ。目に触れなくなって久しく、記憶に残るのはアメリカ文化(出版社か)が残して行った悪影響だけになっていたものだ。総合誌と銘打つだけあって掲載記事は幅広く、それがゆえに、底が浅く、何でも手っ取り早く知識として詰め込むことのできる手引書のようなものであった。難しい学術論文から文学作品や町の話題まで、とにかく簡単に誰でも読んだ後、他人に物知り顔に語って聞かせるのも可能な本の名のとおりの、ダイジェスト振りであった。

当然、学者と呼ばれる人たちでも学術論文の本文には目を通すこともしないで気楽に批評を加えたり、こき下ろしたりすることも流行った。長篇の文学作品など格好の題材になっていた。多分、当時の読者の中には知ったかぶりの話題にした文学作品は切りがないほどあるだろう。それほど総てを切り取り、エッセンスという言葉で纏め、小賢(こざか)しく表現された内容を多用した知識人も多くいる筈だ。

おっと、自分自身の説明が後回しになったが、アメリカ発(1922年発刊、現在でも国内だけで1250万部、4400万人の読者を抱え、アメリカ以外でも世界60カ国、19カ国語に翻訳されている)で、英語排斥時代の少年に、英文が読めるはずはない。当時(1946〜86年)はちゃんと日本語に翻訳されたものが売られていたのだ。昨日までの敵国であれ、カルチャーショックは興味に変わり、小遣いをもたない身の辛さは裕福な友人の読破後を借りてむさぼるように1、2年の間はページを繰っていた。

リーダーズ・ダイジェスト日本語版は1986(昭和61)年の2月号で終焉を迎えている。休刊直前でも発行部数は45万部を誇っていた総合誌だが、1975年頃から日本のオリジナル記事を3〜4割り掲載するようになり、続いて契約読者層を多数抱えていたことを利用して、さまざまな商品の通信販売に7割からの業務を充てるようになる。本来の雑誌出版の本業に力を入れず、社員の志気が低く、外資系会社の高コスト体質とくれば潰れるのは当然のような終末を迎えて潰れて行った。この後、アメリカ本社はこれに懲りて「日本には決して子会社を置かない」との方針のようだ。

今朝の新聞記事はそのリーダーズダイジェストが20日、世界の主要都市の市民の「親切度」に関する調査をまとめたものだ。「慌ただしい」「競争が激しい」といったイメージの強いニューヨーク市民が、予想に反して最も親切と判定される結果がでたようだ。
 ♦建物に入る時に先行した人がドアを開けて待っていてくれるか
 ♦書類を落とした際、誰かが拾ってくれるか
 ♦買い物の後に店員が謝意を伝えるか
といったゴミのようなことを、同記者が実際に確認したものらしい。その結果、
 1位 ニューヨーク(80%の市民、店員が合格)
 2位 チューリヒ・スイス(同じく77%)
 3位 トロント・カナダ(同じく70%) だそうな。
一方、アジア諸都市の結果は芳しくなく、日本の都市は調査の対象にもなっていない。20年前に支社を潰した腹いせなのかな。

リーダーズダイジェストから学び、今では日本文化ともいえるダイジェストを一層単純化した究極「ワンフレーズ」。古くは‘ベビーブーム’から続く‘団塊’、新しいところでは‘チルドレン’など。政治問題だけではなく、総ての物事や事象が面白可笑しく一言で表現され、メディアは繰り返しテレビで流し、活字に載せる。メディアに操作される恐ろしさは、この1世紀、日本人なら誰でも味わったはずなのに、マスメディアに携わる後輩たちはそこから何も学んではいないようだ。

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2006年6月21日 (水)

慌てず騒がず 

6月20日、毎日新聞が社説にまで取り上げた。題して「テポドン2号 挑発行為をただちにやめよ」

何をいまさら・・、の感が深い。金正日の思惑以上にアメリカの、或いはマスコミまる抱えの日本政府の思惑が見える。北朝鮮が狼煙を上げてくれないと、大きな仮想敵・ソビエトを失った後の、新しいけれどちっぽけな仮想敵国が見えなくなる。平穏無事に日が過ぎては、アメリカも、足下に火が点いてきた日本中に点在するアメリカ軍基地からの撤退を、嫌でも速めなければならなくなる。日本も憲法を無視してまで大きな傘の下で膨れ上がって来た自衛隊(軍隊そのものだが)への軍事予算の示しがつかなくなる。旧型のソビエトの兵器を揃えた北朝鮮の軍備に比べ、アメリカ軍のお下がりとは言え新式の日本の自衛隊(軍隊)は遥かに北を凌いでいると見ていい。

線香花火のようなテポドンに振り回されていまさら右往左往することはない。金(キン)さんが何処に向けて花火を上げるのか知らないが、落ちる先は日本海か、日本本土を通り越したもっと大きな海の中だろう。間違っても日本に落ちることはないし、ましてや向けた先がアメリカであれば尚更着火する訳がない。なぜなら、翌日には北朝鮮という国は地球上から消えているだろうから。そう、アメリカの報復によって。オサーマ・ビンラーディンを捕えに行ったが見つからないからって、いきなりテロとは関係のない国に戦争を仕掛け、フセインを捉まえてお茶を濁し、世界の正義づらをするほどの大統領のいる国だ。金さんの国を潰すことぐらいは朝飯前の事だろう。

しかし、危ない玩具を振り回す金さんは‘気狂いに刃物’といってどう暴発するかは解らない。破れかぶれということもある。その時でもテポドンの落ちる先は海の中と見る。己の終末を、自国民を皆殺しの道連れにはしまい1かけらの良心(臆病?)は持ち合わせているだろう。

テポドンの話題以上に早く拉致問題を片付けることが先決だ。テポドンで騒げば騒ぐほど、金さんの思うつぼに落ち込むことになるだろう。

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2006年6月20日 (火)

「喫煙マナー向上キャンペーン」

Whitelily



 大きく伸び過ぎた百合
 (170センチ以上はある)





“生協の白石さん”で有名な東京農工大の職員白石さんをJT(日本タバコ)の作ったキャンペーンに登場させたとして、日本禁煙学会(作田学理事長)が19日、同大学と、同大生協にJTへの協力中止を求める意見書を送った。

“生協の白石さん”という人、同大学の生協職員で、生協売店に用意された「ひとことカード」への種々の質問(からかい半分、ふざけ半分のものも多くある)へのユーモア溢れる回答が人気を呼び、昨年11月に発売された単行本「生協の白石さん」は90万部を売り上げるベストセラーになった。今回のキャンペーンは20〜22日、首都圏の大手私鉄の中吊り広告として実施される。
 たばこやゴミを巡る質問に「白石さん」が独特の表現で答えるスタイルになっているという。

提出された意見書は「JTのイメージアップを通じて販売を促進する営業活動に他ならない」として、たばこの広告・販売促進行為の禁止を締約国に求める「たばこ規制枠組条約」に違反すると指摘している。

 たばこの規制に関する世界保健機関枠組条約施行経過
  ♦ 平成15年5月21日 ジュネーブで作成
  ♦ 平成16年3月9日 ニューヨークで署名
  ♦ 平成16年5月19日 国会承認
  ♦ 平成16年6月8日 受諾書寄託
  ♦ 平成17年2月2日 公布及び告示
    (条約第3号及び外務省告示第68号)
  ♦ 平成17年2月7日 効力発生  となっている。

同大学生協によると昨年10月〜11月、学内の喫煙マナーの悪さを指摘する「ひとことカード」が相次いで届き、この話を聞いたJT側から協力要請があり、喫煙マナーの啓発につながるなら、と快諾した結果だと言う。
(余談になるが、興味がてらインタネットで同大のホームページを覗いてみた。写真入りで何枚かの「ひとことカード」が見られる。内容はともかく、回答者の白石さんの軽妙洒脱はさておいて、メモを書いた連中の悪筆には驚いた。まるで小学生の字だ。白石さんが決して達筆とは言えないが、それでもメモを放り込んだ連中にくらべれば、熟練した漢字はしっかりと書けているし、きっちりと行を揃えて書いてある。月とスッポンの差がある。これほど今の大学生〈おそらく同大の学生が圧倒的に多いだろう〉の字を書く能力が低いのに呆れるばかりだ)

閑話休題
なんとも生温い話だ。それほどに健康を害することが明確に解っているのなら、何故日本国からのたばこの栽培の撲滅、輸入の撤廃を提言しないのか。上面だけの対策が効を奏さないのは何事においても解っている筈だ。
なんと、昨年の12月からインドとチベットに囲まれたヒマラヤ山麓の国ブータンは、国内のたばこの販売を一切禁止しているのだ。国家が一律に販売まで禁止したのは世界初のことだ。遅ればせながら日本でもやって見ればいい。ブータンではたばこを販売すれば罰金(日本円で約23000円)、外国から持ち帰れば100%の関税が課され、自分の部屋以外での喫煙は禁止、となっているそうだ。

日本禁煙学会の理事長さん、ブータンの話しや、アメリカでさえたばこの値段は日本の約3倍、如何に日本が安価に喫煙が可能か、自販機の対策が施され、ICカードがなければ購入できないなど、喫煙場所までも肩身の狭い思いをさせ、「吸いたい時に気軽に一服」とはいかない時代にまでよくぞお運びになりました。しかし、ほんとうに健康のことを考えるなら、ブータンのように徹底した国家としての管理でなければ不可能でしょう。たばこケースに健康への危険性を喚起するのもいい、中途半端のままでいいのなら。しかし、理事長さん、本当に日本人の健康が心配なら、たばこの栽培自体の禁止や、外国からの輸入禁止を叫ぶのが筋だと思う。そのためにあなたがしなければならないのは、国家予算をどのように作り変えるのか、ほぼ2兆3000億円の失われるたばこ税に代わる税収をどう工面するのかを政府まで提言する責任があるでしょう。

健康に悪い、とだけ言って済むのなら、そこらのヤブ医者だって、幼稚園児だって言える。それに同じく健康に悪い発癌物質アセトアルデヒドを含む酒にも大きな警告のラベルを貼る必要も残っているのではないのでしょうか。

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くじら

カリブ海の島国セントクリストファー・ネビスで開かれていた国際捕鯨委員会(IWC)総会は18日、82年に決定した商業捕鯨一時禁止(モラトリアム)は「もはや必要ない」として、商業捕鯨再開を支持する内容の宣言を採択した。カリブ海の魚を捕獲することで生活する人たちの、くじらが増え過ぎて、その餌となる小魚が激減し、食料確保が難しく、また漁業が成り立たない、とする意見も強く、再開に反対の英・米・オーストラリア等32カ国を一票上回る33カ国の賛成を得て決定した。

しかし、宣言に拘束力はなく、商業捕鯨再開という重要決定には3/4以上の賛成が必要であるため、実際の再開は困難とみられるが、日本の代表団としては「大きな前進」と評価している。今回の「セントキッツ・アンド・ネビス宣言」は、同国や日本など捕鯨支持派30カ国の共同提案で、日本の主張を色濃く反映した内容になっている。日本の提案の根拠になったものは、モラトリアムは科学的委員会の助言なく決定したもので、IWCが94年に、持続可能な捕鯨のための捕獲枠の計算方法、改訂管理方式(RMP)を決定したものであることなどを上げ、「一時的な手段であるモラトリアムは、もはや必要ない」とした。

当然、宣言採択に反捕鯨国側は一斉に反発した。今後、商業捕鯨の再開阻止に一層結束を固めるとみられ、IWCの将来は波瀾含みとなった。

今回の商業捕鯨再開を支持する宣言が採択されたのは、(鯨資源の)持続的利用の陣営にカンボジアとマーシャル諸島が加わって36カ国となり、反捕鯨の32カ国を上回った結果だが、実際の投票では棄権や欠席があり、1票の差となった。しかし、IWCはもともとは捕鯨国の集まりで、鯨資源の乱獲を防ぎ、長期的に利用するために締結された国際捕鯨取締条約に基づいて1948年に設立され、日本は51年に加盟した経過がある。

今回反対の先鋒にあった英.米・オーストラリアは1948年のIWC設立以前の捕鯨大国であり、大西洋のクジラを絶滅状態にしてしまった英国、後発ながら英国を凌ぐ捕鯨船団を抱えて手を広げたアメリカ、英米の捕鯨基地となっていたオーストラリアは過去の罪滅ぼしでもしているつもりだろうか。彼らがクジラを殺したのは、石油以前の燃料を獲得するためだけの殺戮が目的であった。日本人のように食料に、生活雑貨に、勿論燃料に、化粧品に、民芸品にと骨や髯まで捨てるところなく活用する知恵を待たない民族に殺されて来たのが過去の捕鯨だった。

商業捕鯨とは別に、日本は87年から南極海で、94年からは北西大平洋で、02年からは日本の沿岸でも鯨資源の目視と調査捕鯨により調査を続けて来た結果、シロナガスクジラを除いて鯨資源は回復基調にあることが明らかになった。その中でも特に南極海のミンククジラは76万頭に達し、IWC科学委員会は「毎年2000頭の捕獲を100年続けても資源への悪影響はない」としている。

しかしながらこの先、現実問題IWCで3/4以上の賛成を得られる可能性は殆どないにも拘わらず、商業捕鯨の再開を求め続ける日本の狙いは大きく2つあって、
♦ IWCの議論を鯨資源の管理を話し合う本来の場に戻したい
♦ それぞれの国の食文化を、一方的な価値観で押し付けて否定されることへの不満
である。

石油で鯨の代わりが足りるようになったから、鯨は利口な動物だし、鯨が可哀想だから、私たちの国では食べる習慣がないから、もう捕獲するのはいけない、良くないことだ、とは余りに勝手な言い分とは思いませんか。

(参照)2006/1/28 拙ブログ「ロンドンの クジラ」

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2006年6月19日 (月)

NHK・FM放送廃止か

竹中平蔵総務相の私的懇談会「通信・放送の在り方に関する懇談会」が6日に公表した最終報告書には、NHKのチャンネル削減や受信料の義務化などが盛り込まれ、業界だけでなく政界からも反発が広がっているようだ。当初NHK受信料の義務化については見送る公算が強かったのだが、いつの間にか実施する方針に変わったようだ。昨年から続く不祥事に、NHK側も恐る恐るのお伺いになっていたものが、何故かどこかで急転したようだ。

まあ、今回はこの問題から離れてモノーラル時代から長い年月付き合って来たFM放送の廃止が決まれば残念で、書き留めておきたい。

軍国少年であった時代、軍歌に明け暮れて馴染んだメロディーの以前に、まだほんの幼かった小学二、三年の頃(太平洋戦開戦入以前)、優しかった女の先生が、小学唱歌とともに教室で時々レコードで聞かせてくれた青きドナウ、白鳥、トロイメライ、森の鍛冶屋、ヨハン・シュトラウスの沢山のワルツなどのメロディーがあった。

 華々しく始めた戦争も、たった3年7ヶ月の歳月で日本中が焼け野原になって敗戦を迎えた。天皇がいる神国日本以外は鬼畜の国と教えられ、男の子どもたちは皆信じて軍人を志し、女の子は薙刀を振るって(今考えるとマンガの世界のようだが)敵をやっつけることに胸躍らせて大きくなっていた。しかし、その夢は敗れ去り、目標を失って立ちすくむ少年少女たちの耳にリンゴの歌や美空ひばりの歌声が届くのに、それほど時間は懸からなかった。

進駐軍向けの放送が始まり、まだどこの家庭にでもあるものではなかったラジオから、明るいスイングジャズが流れ出した。今、秋葉原で工作の人気スポットになっているようだが、電池なしで音の聞こえるゲルマニウム・ラジオが世に出、子どもでも作ることのできるラジオから流れる音に耳傾けて戦勝国アメリカの文化の吸収に夢中になっていった。

日本人には馴染みのなかった軽快なジャズの、その明るいメロディーに虜になる世代が生まれていった。民放のなかった時代だ、NHKも打ち拉がれた日本人の心を明るくするのに努力した。戦時歌謡以外は軍部によって退けられていたが、軍国調の薄いものを選んだ歌謡番組、徳川夢声が代表する朗読、落語、講談を並べ、新しく生まれて来る流行歌を待ち望んでいた。

その頃、作曲家や作詞家、歌手の間では誰が軍歌を作ったか、詩を書いたか、歌ったか、など戦争協力に励んだ関係者の探り合いのような空気が蔓延っていた。「俺は協力などしなかった」「私は歌ってはいない」「何一つ戦争協力に関する詩は書いてはいない」などが飛び交ったが、いつの間にかそんなことはどうでもいい、喉元過ぎれば熱さを忘れることの得意な日本人、平和を謳歌するようになっていた。

ご多分に漏れず、ジャズや映画で出会った異国の文化には、激しいカルチャーショックを受けていた。SPレコードで聴いたベートーベンにはすでに触れた。「真夏の夜のジャズ」で身震いしたマヘリア・ジャクソンのゴスベルにも触れた。

音楽が聴くだけのもではなく、レコーディングして繰り返し聴くことの可能なメディアとして身近な存在になっていった。何にでも欲の深かった私は長じてドイツリートの歌手に夢を持った頃もあったが、遅めに訪れた変声期で直ぐに諦めた。二十歳の頃、後に医者になった友人宅でフルトヴェングラーを知った時の驚きは現在まで引きづり、日本で発売された彼のレコードは殆ど(先に触れたベルリン放送局から押収した後、自国内でプレスしたソビエト盤、イギリスHMV、アメリカ盤、なども)蒐集して来た。

話をFMに絞ろう。今揃っているライブラリーの記念の第1号は1972年12月30日放送の2曲、シューベルトの交響曲第2番変ロ長調:カール・ベーム指揮ベルリン・フィルハーモニー交響楽団が同じ年のフィルハーモニーザールで行った公開録音、もう1曲はシューマンのピアノ協奏曲イ単調op54:スビャトスラフ・リヒテルのピアノ、リッカルド・ムーティ指揮ウィーンフィルハーモニーがザルツブルク音楽祭で祝祭大劇場で同じ年に収録したものだ。
 他にもまだ自慢のライブラリーがある。モーツアルトの作曲したほぼ100巻になる全曲の録音だ。まる7年を掛けて放送された貴重なものだ。
その第1回の放送は1980年4月13日、モーツアルト幼年時代の作品集。アンダンテ・ハ長調K1a、アレグロ・ハ長調K1b、など小曲が1c、1d、1eと続きアレグロ・ハ長調K5aまで、ピアノ演奏はイングリッド・ヘブラーである。以後K626のレクイエム:カールベーム指揮まで揃っているものだ。

私には、神経を逆撫でするような近代音楽にはどうしても馴染めずに、1000巻からあるライブラリには極く少数のものしかない。私の世代が知っている音楽家は殆ど網羅してきたことから、以来曲数もあまり増えてはいない。戦前、日本人音楽家といえば蝶々夫人の三浦環、それにヴァイオリンの諏訪根自子、藤原義江くらいだったが、戦後の人材の豊富さは世界に名を轟かせ、指揮者なら誰もが憧れるウイーンフィルに君臨する小沢征爾をはじめ錚々たるメンバーが輩出した。それらは皆彼らの成長とともにFMで同時進行で知ってきた人たちだ。これからも若手の成長を楽しみに聴いていきたいものと思ていた矢先に、今度の制度改正に伴ってFMの放送廃止が決まりそうな気配だ。民放にクラシックを期待することは千に一つの可能性もない。日本で最後に残って手元に配送されてくる、2週間に1度の発刊誌,FM-CLUB:NHK-FMのプログラムを見ながら淡い希望に望みを繋いでいる昨今だ。どうか、放送廃止をしないでくれ、と。

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2006年6月18日 (日)

日本一の子育て県にするぞ会議

埼玉県は子育てを応援する企業に対し、優遇制度を含む独自の支援策を来年度予算に盛り込む方向で検討を始め、16日の上田知事と県庁課長らによる「意見交換会」で決定した。

深刻化する少子化への対策と子育て支援策の新たな事業展開を検討する、としている。会議の座長には柿沼トミ子知事特別秘書を用い、関連部署に所属したり、子育て経験のある職員16人がメンバーになっている。夏までには集中的な論議を重ねた結果を新規施策案としてまとめる方針だ。メンバーには人事、福祉、蚕業労働、教育関連など庁内のさまざまな部署から参加している。
 初回の会合で幾つかの具体案が出された模様だ。
  「子育て支援企業に入札時の優遇制度を付与できないか」
  「企業、地域、NPOの三者を結んで支援事業をしては」
  「県庁内から、より柔軟な休暇取得制度を設けるべきだ」
 が、出た。

柿沼座長は「行政が立派な道路を作り、建物を作っても、使う人がいなくなれば本末転倒というもの」と事態の深刻さを強調する。計画書を拵えて、どうこう言っている段階ではない、現実を突破することが必要だ」として活発な議論を促した。

05年度、県内の合計特殊出生率は1・18で、全国平均1・25を下回った。(拙ブログ『出生率 最低に』6月4日参照)これまでにも歯止めを掛けようと、県はこれまで「子育てアドバイザー」の派遣や、県営住宅への優先入居など行って来ているが、十分な効果は上がっていない。

埼玉県は、核家族世帯の割合いが高く、コミュニティー意識の希薄な地域特性があるために、雇用主として県民とつながりのある企業への働きかけが最も重要と判断した。今後、従業員の育児休暇取得率の向上や出産による女性の退職率の減少、事業所内託児施設の整備など、企業の取り組みを積極的に促す働き掛けを行う予定だ。
 知事は「企業には(他の組織より)推進力がある。子育て支援の方向に広がれば」と企業から地域への波及効果を期待している。それゆえに、成否の鍵は経営者に「支援の価値、報酬」を感じさせる優遇制度の中身が問題になるだろう。当然業種や規模の大きく異なる各企業の取り組みの評価方法も課題となりそうだ。

上げた看板は人目を引くが、会議のメンバーを見ても分かるとおり、内部職員だけの集まりで、自分達は役人根性丸見えの、欲(得失)で周りを動かそうとする考えが底にある。企業には協力してくれればこれだけ得することがあるぞ、企業、地域、非営利組織でなんとか協力し合ってくれ、そしておれたち(わたしたちか)には産休、育児休暇をもっと気楽に取らせろ、となった。

アグネス・チャンが子連れでテレビ局に出向いた当時の論争も、女性の側からは、極力触れたくなかった(育児が女性から切り離せないから)鳴りを潜めていた事業所内託児設置は、すでにローソンが先陣を切り、男にはできない乳児期の育児を事業所内で、母親が可能になるように試みる段階にまで漕ぎ着けた。ますます進む核家族、ほぼ日本の4600万世帯の60%を占める構成内容は、
 夫婦のみの世帯       20%
 夫婦と子どもの世帯     32%
 ひとり親と子どもの世帯    8%
であり、夫婦のみの世帯は増加の傾向が強く、夫婦と子どもの世帯は反対に少しずつ減少傾向にある。はっきりと少子化の動きと、夫婦のみの世帯が増え、ますます少子化は歯止めの効かない傾向を見せている。

金をバラ播くだけが施策ではない、若者たちが結婚したくなるような対策を考える為政者の知恵が見えなければ、少子化に歯止めは掛からないだろう。

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2006年6月16日 (金)

泥棒見て縄

07年度問題としてクローズアップされている団塊世代の大量退職を、企業では大きな危機感を持って迎えようとしている。

厚生労働相の調査で、全国の約1万社を対象に実施し、約1500社から回答を得た。それによると、団塊の世代が従業員に占める割合いは平均7・6%、企業別では運輸業の11・3%や建設業10・5%、製造業8・4%などの比率が高く、それぞれの企業が抱く危機感では「意欲のある若年、中堅層の確保が困難」な状態にある、というのが64・4%で最多となっており、「技能伝承が円滑に進まない」が58%と続いていた。全体では企業の33・7%が技能やノウハウの継承に危機感を持っていることが分かった。これは前年度調査の約1・5倍に上る。一方で、対策として雇用の延長や、中途採用をあげる企業が多く、実際に若年層への技能伝承に取り組む企業は少なかった。

07年度問題への対策としては、「団塊の再雇用」(33・8%)や「中途採用を増やす」(28%)が多く、「若年、中堅層への技能伝承」は9%にとどまった。

年々社員が年齢を重ねることは採用した時から自明のことだ。何を今さら危機感を抱くことがあるのか。今でこそ回復した景気で一息ついている企業も、長く続けて来たリストラの反動から人手不足の珍現象を招いて、恐喝まがいの社員引き止めに躍起になっているところもあるように、多くの企業は不毛の時代を新入社員の採用を見送り、手っ取り早い人件費の削減で乗り切って来た。当然のことだが、技能の継承をするべき、或いはノウハウを引き継ぐべき筈の後継者は育たず、世代間の断絶が生じたのが現在の企業が抱く危機の最大の要因だ。

どんなに経営が苦しい時でも、特に技能を必要とする企業では、世代間の断絶を作ることはその企業の最大の弱点となる。算盤勘定だけで、企業は人なり、を失念した経営者失格の最たるものだろう。同世代だけで固められた企業では、引き継ぎたくも若年層を採用することを怠ってはバトンを受け取ってくれる「手」が見当たらない。当座の銭かねだけで、企業の継続を考えない経営者に率いられた社員こそ、哀れな人種と言うべきだろう。

かといって何もしない訳にいかない、企業を畳む訳にも行かず、遮二無二働く意欲を持たない当世の若年層では頼りにならない、苦し紛れに採るのが団塊世代の再雇用や、中途採用という逃げ道になる。すべての企業がそうではないはずだ、先を見据え、発展させて来た企業だってある。

泥棒見て縄を綯(な)うようでは、いずれ破綻する。

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2006年6月15日 (木)

最もセクシーな女性政治家

Rose 
  バラのはな





「最もセクシーな女性政治家」
と言っても入閣に際して幼稚園児のようなドレスをお召しになった‘小泉の子どもたち’の一人じゃない。海の向こうのどう見ても女傑としか見えないフランスの元家庭・児童担当のお大臣さまのことだ。フランスの男性誌FHM(13日発売)の「世界で最もセクシーな女性100人」で、来年のフランス大統領選挙で野党・社会党の最有力候補と目されているロワイヤル女史(52)が、並みいる有名どころのモデル、ケイト・モスやナオミ・キャンベルや女優のペネロペ・クルスらをしり目に6位に選ばれた。

1位はフランスのモデル・アドリアーナ・カランブーで、政治家は彼女のみ。「強い意志を感じさせると同時に美しい」との評価。

「強い意志」というのも、彼女がつい最近の彼女の発言の、罪を犯した16歳以上の若者には「軍隊式の学校を設立し矯正すべきだ」や、16歳未満の犯罪者についても「教師やボランティアが監視する寄宿学校に入れるべきだ」などの強硬策の発言があり、5日には98年に社会党政権が勝ち取った「週35時間労働」に疑問を呈したりする発言には社会党内でも賛否両論がある。又、同じ日に発表された世論調査では、67%が「軍隊式学校」を支持しており、無党派の男性層をも惹き付けて、ロワイヤル旋風といってもいい彼女への評価を裏付ける形となっているようだ。

先日のパリを騒がせた暴動に関しても、暴動再発の兆しさえ窺わせる近郊の視察を終え、サルコジ内相を「暴動再発防止に失敗した」と切り捨てたり、週35時間労働についても「経営者と一般労働者の間で必ずしも同じ利益が得られておらず、一般労働者はより長時間労働に追い込まれている」とも批判している。

私生活では彼女は軍人の家庭に生まれ、エリート校といわれる国立行政学院(ENA)を卒業、自身の4人の子どもを厳しく躾けていることでも国内ではよく知られているという。

同じことを日本の政治家が言えるかどうか、まして女性の政治家が。びくびくしながら生徒と接する教師たち、若しや体罰と言われるのじゃいだろうか、虐待と言われるのではないだろうか、保護者の顔色をうかがい、校長の評価を気にする。レベルの低いジェンダーだ、ジェンダーフリーだで停滞し、平和ぼけした日本では、「軍隊式」の言葉を聞いただけでメディアが、保護者が、法曹界が、人権擁護団体が、ここぞとばかりに袋叩きにするだろう。過保護に甘やかされた日本の子どもたち、実際に話が持ち上がりでもしようものなら、聞いただけでお洩らしするだろう。

アメリカにだけ尻尾を振って来た小泉の5年間、ふやけてしまった日本に、国内外を見据え、しゃんと目を醒まさせる政治家の1人や2人出て来ないものだろうか。

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2006年6月14日 (水)

教室に入れない子

またまた投書による相談だ。

(概要)小学3年生の時に、教室に入れなくなってから、原因不明のまま現在5年生。
初めは保健室で1日の大半を過ごし、4年生の時は机を廊下に置いて授業を受けた。母親(茨城県・41歳)はフルタイムで仕事をしていて、時々しか様子を見に行けないまま、1年半が過ぎている。先日、担任から「そろそろカウンセラーに相談してはどうか」と言われた。どうしたらいいのか、専門家を探す手だては、と言うものだ。

随分のんびりした相談だが、回答者(臨床心理士・西脇喜恵子)も腫れ物に触るような生ぬるい話しぶりだ。投書だけでは父親がいるのかいないのか、男児のほかには子はいないのか、見えない。しかし、この母親、よくも子供の異常を原因不明で片づけて1年半も放って置けたものだ。3年生の時の教室へ入れなくなった時点で、そうなった原因を探り、解決してやるのが親の責任であった筈だ。フルタイムの仕事を自慢げに言い逃れに使うが、3年生になる以前の段階で、子供に寂しい思いをさせて来なかったか。何一つ予兆がなかったのかまるで子を見る親の目が感じられない。これからもこのまま6年生、中高生、大人へとなる子の将来を、他人(ひと)任せで預けるつもりなんだろうか。

回答者も言うように「廊下で一人授業を受けるのは、友達からの注目も集まるし、教室に入るよりは、余程の勇気も気力もいるはずだと思うのですが、そうまでして、教室に入らない理由があるのでしょう」。

登校拒否や不登校ではない、きちんと学校へは行っている。授業を受ける姿は異様だが、寒い風が吹き抜ける冬も廊下にいるのだろうか、(当然教師の話を聞くために、窓は閉められないから)中の子から風が入ってきて苦情はないのだろうか。授業は机に座っているだけではない、運動だってある、食事の時間はどのように過ごしているのだろうか、友人ができずに行者のように学校にいる間中無言の行を続けているのだろうか。母親は仕事など放って子供の一日をじっくり見たことがあるのだろうか。それを何日も続けて観察したことがあるのだろうか。もしも、母子家庭であるとしても、いや、母子家庭であればこそ心配する母親のその姿は、五年生にもなっていればぶつかり合い、話し合い、心の交流が生まれる筈だ。仕事を言い訳にしている間は改善することは難しいことと思う。

世の中、女性が働いていることに必要以上に価値を置き過ぎている。そのことを口にすることが現代社会ではタブーのようになっている。口にした途端に、反動のように必ず男尊女卑の社会や仕組み、男性の協力のなさを論(あげつら)う。が、暴論のようだが、核家族になった上、母親が抜けることで、先ずは家庭の崩壊が始まったのは事実だ。機会均等法が生まれ、一層拍車がかかった。子供を他人に預け、育児の責任を軽んじる風潮が生まれた。家庭から躾の喪失が始まった。会話がなくなった。今になって政府も三世代家族、などという分裂前の家族制度の見直しに目を向け始めている。

投書のお母さん、仕事を後回しにしても、子供と膝を交えてじっくりと会話を交わしてやってください。子供を懐に取り戻すのは、それしかないと思います。

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2006年6月13日 (火)

自業自得のおんな

数日前のブログで書いた。『汝 姦淫するなかれ』、40歳代になる女性が夫に隠れて密かに他の男とメールのやり取りをし、好きでもなく結婚した夫との間に、子どもまでもうけて置きながら、末娘の成人を待って夫とはうまく離婚してその男との新生活を仄めかす、バカな相談をした女がいたが、回答したのは栗原美和子、「離婚、いいと思います」に励まされ、当の本人は姦淫を続けながら後1年と10ヶ月の辛抱、と夫を捨てる日を指折り数え、来る日の快感を胸に秘めて自信を持って生きて行こうと思う、と知らせて来た。

私は偏見をまじえ、わざと悪意を持って文を綴ったが、どんなに綺麗ごとの文章にしようと、飾り立てようと、この女性の腹の中は上に書いた通りであろう。浮気などという生易しい心の中ではない。夫を騙し、裏切り、一見家庭の中では妻らしく振るまい、後ろを向いて舌をだし、パソコンか携帯かは知らないが、心ときめかせて他の男にメールを送る。投書の後、スネに傷持つ同類の女性読者からは女性への共感の意見が寄せられたようだが、「ご主人の立場を気遣うべきだ」との意見もあったらしい。

続いて今回(6/12)は又、57歳女性からの投書。夫は51歳、二人の家庭がどのようなものか不明(何も書かれていない)、再婚なのか、結婚何年目になるのか、子どもはいるのかいないのか、当世珍しくもないが、夫が6歳も若いのも解らない。相談の内容はこのようだ。

夫が持つ携帯の中身を見ての悩みだと言う。夫は仕事用と、別に私用に利用するものと二つを使い分けている。ところがである、ある日、私用(彼女は‘秘密の’と表現する)を忘れて出かけた夫の留守に、禁を犯して中身を盗み見してしまった。結果30〜40歳代の女性との交際が分かった。「肉体的に自分がかなう相手ではありません」。結婚前から同時進行で複数の女性とつきあうのを見ていたので、結婚したら女で苦労するのは覚悟していたが、簡単に割り切れない。甘い言葉のやり取りを想像しては嫉妬している。この立場を笑って認めるにはどれくらいの時間と心労を重ねればいいのかと思っている、というもの。

回答者は、あの訳の解らないおっさん、志茂田景樹(直木賞作家で作品の多いのも知っているが、目を通したことはない。テレビに出て来て訳の解らないことを喋るおっさんとしか知らない)。彼が言うには、
携帯を二つどころか5つも6つも隠し持つ奴を知っている、携帯を盗み見たことは良くないが、秘密は悟られないのがルール、「生きるということは心に傷を抱えながら前へ進むこと」心の傷は放っておいていい、人生に新しい展開が生まれれば、傷は気付かぬうちに消えている筈と。これを心の自然治癒という。嫉妬は負のエネルギーです、それを正のエネルギーに変えましょう。あなたにも、すべてを忘れて楽しく没頭している時間があるでしょう、それにエネルギーを注いでみてください、が回答である。

女性は若い女が夫と閨で戯れる姿を想像し、嫉妬に狂っているのだ、通り一遍の回答で済む訳ないだろう。決して覗いてはいけないパンドラ(ギリシャ神話のゼウス神が作った人類最初の女性とされる)の凾を覗き、己を嫉妬の炎に身を焦がしているのだ。57歳を侮るなかれ。
 余談になるが数日前、“銀座のお母さん”と呼ばれる占い師が、千葉で公開のお悩み相談に参上した時のことだ。(ドイツの競技に関連する番組が見たくなければ他に見るものがない)“誰か”の呼び掛けに勢い良く飛び出したのが70歳を過ぎた恰幅のよい女性だった。占い師の問いかけに応えるに「旦那と死に別れて20年以上、男が好きだ、男が欲しい」と言ったものだ。会場(殆どが中年以上の女性)から凄まじいばかりの歓声が上がった。

ギリシャ神話そのままだ、パン(すべての)ドラ(贈り物)が神から贈られた固く封をした凾(壷とも)には人類に災いするすべてが詰め込まれ、唯一の善は一番底にあった「希望」だった。パンドラが生まれながらの好奇心から凾をあけると、ありとあらゆる悲しみ、病い、喧嘩、嫉妬、苦悩が飛び出した。彼女は急いで蓋を閉めたが間に合わなかった。そのために人類は、閉じ込められた希望を求めて苦悩しなければならなくなったという。

私達夫婦は結婚してほぼ40年になる、私は勿論だが、妻も私への信書は絶対に目を通さない。その禁を破るのは年賀はがきくらいだ。短い年賀の挨拶と、お互いに若いころの友人、知己の筆を懐かしむが、通常は、見れば読めるはがきであっても、お互いに決して触れない。当然のことだ。私は携帯嫌いで持ち合わせないが、例え持ったとして、妻の目の前に置き忘れても、どんな秘密が存在しても不安はない。妻は懸賞でもらったものを持っているが、私は覗いたことはない。その人間の尊厳に係わることだから。

覗いた結果が己の苦しみに繋がったとしても、それは自業自得、同情することもない、勝手に苦しめばよい。他人(ひと)さまに相談することじゃない。

しかし、同性は考えが違うようだ。同じく今回はもう一人女性の回答者を用意している。漫画家の柴門ふみ という。短いので全文紹介する。「貞操は夫婦の義務です。なぜガマンするのですか?あなたがどれだけ傷ついて苦しんでいるか夫の前で大暴れしてアピールすることです。でないと心労は一生ついてまわります」とある。
勝手なものだ、この回答、前回の40歳の姦淫女に言えば良い。ばれないでするのは貞操とは無関係とでも言うのだろうか。聞いてみたいものだ。(処女論争では体じゃない心だ、というのが定説のようだが)


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2006年6月12日 (月)

「朝鮮王朝実録」寄贈か返還か

東京大学は30日、朝鮮王朝(1392〜1910年)の公式記録「朝鮮王朝実録」47冊をソウル大学に寄贈すると発表した。東大総合図書館に保管されている朝鮮王朝実録は1913(大正2)年、朝鮮総督府から東京帝国大学に移され、大部分は関東大震災で焼失した。焼け残った74冊のうち27冊は1932(昭和7)年に京城帝国大学に移管され、今回の47冊の寄贈で74年ぶりに一体化され、持ち出されてからほぼ一世紀(93年)、焼失したものを除きすべてが揃うことになる。

東京大学によると、現在はソウル大に保管されている27冊は、韓国国宝と「ユネスコ世界記録遺産」に指定されている。歴代国王の事跡や業績を正確に記録した朝鮮時代最高の史料で、5セット作成されたうち4セットが正本(清刷本)である。東大保管の実録は唯一の校正本で、修正の朱筆が入っており、学術的な価値が非常に高い。東大の関係者は「実録の編纂、修正、印刷過程など、歴史学的・書誌学的な解明が進む」と期待している。

東大の小宮山宏学長が所蔵を知って、ソウル大学創立60周年記念に合わせて寄贈を決めた。5月29日に両大学間で合意したものである。学長は「朝鮮王朝実録」引き渡しは、東京大学とソウル大学の長年にわたる学術交流という基盤の上に、両大学学長の信頼関係に支えられて実現したものです。この引き渡しが契機となって、両大学の学術交流がさらに深まることを願っています、と話す。

上の記事だけでは理解できないが、そもそも朝鮮の国宝(第151号)、王朝実録がなぜ日本にあったかということに触れて置かねばならない。時の国是でもあった朝鮮植民地化に踏み切った明治政府は1910(明治43)年、朝鮮半島を統治するため、京城(現在のソウル特別市)に、朝鮮総督府を置いた。総督の全員が日本軍人でなり、天皇直属の総督は、現地の文化を否定し、日本への同化政策を進め、拷問や武力弾圧による朝鮮独立運動を厳しく弾圧していた。1945年の日本の敗戦により、連合軍の指示で朝鮮総督府の業務停止を言い渡された。

800冊を超える王朝実録は、寺内正毅初代朝鮮総督により1913年、東京大学図書館に持ち出され、1923(大正12)年の震災時に大半の760冊余りを焼失する。災難を逃れたのはそのとき貸し出しをしていた74冊だけであった。その後の動きについては新聞の報道の通りだが、東京大学の発表による「寄贈」については両国間で話し合いがなされ、韓国側は「還収(一他人の手に渡ったものを取り戻すこと)」という言葉を提議したが、日本側が拒否した場合、合意までには長い時間がかかる、とみて受け入れたという。

これには伏線があって、フランスが1866(慶応2)年、フランス人宣教師処刑(キリスト教弾圧)の報復にフランスは軍隊を派遣、江華島を占拠した際、略奪していった外奎章閣儀軌(王朝・国家行事の記録)297冊を15年間に亘り返還交渉をしているが、応じない経緯があるのだ。ミッテラン仏大統領は1993年、韓仏首脳会談で返還の約束をしたが、それを所有しているパリ国立図書館の司書が反対していて未だ返還されていない。

「王朝実録」受け入れ先の李大学院長はこれについて『「王朝実録」返還は、所有権移転を確実にしたという点で、フランスが“永久賃貸”などを主張し難航している外奎章閣図書返還問題に比べ、解決に向かって一歩前進したもの』と評価した。

海外に散らばっている韓国の文化財で、所在が確認されているものだけでも7万4000点にも上り、そのうち46%が日本にある。今年2月、藤塚明直氏が18〜19世紀の画家の書簡や、遺品2700点の返還や、10年前。山口女子大学が寺内文庫135点を慶南大学に返還など、民間レベルでの成果は上がっている。今回の東京大学の王朝実録の返還も、ソウル大学の60周年記念に合わせたもので、両大学の交流協力のもとに成り立ったものである。

フランスに限らない、世界には植民政策の時代に大国から奪われたその国の文化遺産は数多くある。ソビエト(この国の場合は戦利品としてだろうが)は占領軍として敗戦国ドイツへ入った時、シュリーマンがトロイの遺跡から発掘した財宝を、博物館からごっそりと略奪し、最近になってソ連のある地に保管されていることが分かっているし、ベルリン放送局が所持していた当時の最新技術によるフルトヴェングラーの貴重な録音テープを含む大量のテープを持ち出してもいる。また、イギリスは大英博物館に展示され、白眉を飾るギリシャのパルテノン神殿から剥奪していったメトープのレリーフ(全長100メートル以上に及ぶ)は、約200年前、オスマン‐トルコの勢力下にあったギリシャを訪れた在トルコ大使エルギンの行ったもので、泥棒同然の行為は当時でも問題になったほどである。ギリシャの女優で後に文化大臣になったメリナ・メルクーリもその返還を迫ったが、イギリスは聞く耳を持たないで過ぎている。博物館から目玉のパルテノンの彫刻が消えたなら、集客力はがた落ちとなり、ダメージを被るのは明らかだ。

さて、東京大学の「朝鮮王朝実録」は果たして寄贈か返還か。

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ちょっと浮かれ過ぎでは?

このところ配達される新聞を開くのが憂鬱になる。スポーツ紙でもない毎日新聞の紙面はドイツで行われる球技の報道に血眼だ。私には勝っても負けてもどちらでも一向に構わない興味の外にある競技だ。一回の競技の中で、あれ程反則回数の多い競技は二つとないだろう、イエローだ、レッドだと反則だらけの進行だ。反則そのものが競技の中に組み込まれているなんてとんでもないナンセンスだ。足だけの競技ではない、手は走るのに必要なバランスを取るためでなく、シャツを引っ張り、押し倒し、肘鉄を食らわす反則のための道具になっている。他の競技にこんな汚いものはない。

我慢ならないのは俄解説者だ、身贔屓の論調はオリンピックの繰り返しで、蓋を開けてみたら、惨敗のていたらくになるのが落ちじゃないのか。マスコミが言う「日本中」がお祭り騒ぎになっている。これが1ヶ月も続く(残ればの話だが)のかと思うと本当に憂鬱になる。


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2006年6月 9日 (金)

“学級崩壊”は親の責任

毎日新聞(6/9)埼玉版から
埼玉県教育局生徒指導室のまとめ(8日)によると、県内823の公立小学校のうち、児童が教諭の指示に従わず授業が成立しない「学級崩壊」クラスが05年度、97校の計112学級あったことが分かった。

99年度の調査開始以来、過去最多である。04年度の110学級から横ばいが続き、局生徒指導室は「深刻な状況」と憂慮している。

2〜3週間以上に亙り「学級担任が通常の手法で問題解決できない状況」を崩壊と意味付けし、基準になる日を今年は3月31日とした。
学年別では5、6年生が26学級で最も多かった。「一部の児童の私語や出歩きなどの問題行動が集団に蔓延して行く傾向がある」(同室)という。担任教諭の経験年数は1〜5年が32人と最も多いが、31年以上が26人、26〜30年以上も25人と多数を占めている。同室は「ベテラン教諭の旧来の厳格な指導が、児童に受け入れられないいのでは」とみている。地域や学校規模に偏りはなく、県内全域で発生している実態も明らかになった。

学級崩壊の発生後、70校が各市町村の教育委員に非常勤講師の配置を申請したほか、複数教諭による指導、校長らによる見回り、臨時保護者会など、全学校が対策をとっていると回答した。しかし、児童の構成が変わらないまま、前年度から2年連続で学級崩壊が続いたクラスも全体の7%に達している。

同室は「早期の対応が重要」として、教職員向けの研修や指導主事の派遣など、対策を強化し、減少に努めたいとしている。

毎年同じことをくり返し口にするだけだ。「早期の対応が重要」「減少に努めたい」を繰り返すだけで結果は増え続け、対応策もしたか、せずにか何も効果を生まず相変わらず「深刻な状態」が続いている。だが、考えて見れば学校は、親が何一つ躾けないで野放途に育てた(じゃない、勝手に育った)だけの子を預からなければならないから、とんでもない貧乏籤を引いたようなものだ。その癖親は学校の無能、教師の無能を論(あげつら)うことに口角泡を飛ばす。今や親の意見は絶対多数の暴力で、弱い立場の学校をなじるだけ。「暴れるから、言うことを聞かないから、話を聞かないから、お喋りをするからとて体罰は絶対に、絶対にいけない」と。そうなると周りのマスコミを始め世間の論調も同調して、そうだ、そうだ、体罰はいけない、と騒ぎ出す。

しかし、このような言っても効かない小僧どもには先ずは厳罰しかないのだ。先生のいうことを聞かないのは現代の子だけではない、昔からいる。そんな子を昔の教師はどうしたか。始めは大人しく注意する、それから順に、きつく叱る、激しく叱る、頭をゴツンとやる、ビンタが飛ぶ。廊下に出して立たせる、回数が重なると水を張ったバケツを持って立たせる。教壇に座らせる、半分向こう脛(ずね)を角から出させて(これは痛いぞ、想像するだけで)。しかし生徒の方はそれくらいではへこたれない、恥をかいたとも思わない、決して親には報告しない。何故か、己が悪いことをしでかした事が分かっているからだ。それは何故か。ここが一番大事なことだが、親がきちんと躾けていたからだ。何をすればいけないか、何故叱られるか、という事を。だから子どもは先生に叱られたことは逆に親の躾のだらしなさを先生に見せたことを「親の恥じを曝した」と感じる知恵を持っていたからなのだ。

今の餓鬼(つまらないものでも、人数には入る)は、世間の風潮に便ずるのが早く、悪いのは学校、いけないのは先生、を親の口からも周りからも常に聞かされて、学ぶ姿勢を始めから持っていない。逆に基礎の基礎になる躾一つ教えられていないから、親の恥になること、自分自身の恥になることも理解できずに屑のようなことまで親に告げ口する。

親は常に家庭にいて子の行動を見ることをしないから、親の欲目だけで子を計る。親の前では大人しい、「家では良い子」と。親にも親の生活がある、子の犠牲になるのは嫌だ、と暇を見つけてはエステに、習い事に、お喋りに余念がない。最も大きな顔で言い訳の切り札になるのが「私には仕事があるの」である。子を育てるのは親や家庭なのに、親との同居を嫌う核家族では、親のいない時間をこまめに面倒を見てくれる祖父母もいない。結果は託児所という他人頼みで放って置くしかないのが今の実態だろう。誰からも叱ってもらえない、注意してもらえない、褒めてももらえない。自己抑制の効かない子になるのは当然と言える。

奇妙な現象が起こっている。日本中が子どもが減った子どもが減ったと声高に取り上げるのに、多くの県で保育所の入所待機の子どもたちがいるようだ。埼玉県でも県全体で1386人(4/1日現在)もいるという。しかし、出生率の低下は、当然だが空きが出る託児所も発生し、待機児童は市街地に集中することになっている。先日もブログで取り上げた全国の少子化の起きる要因の縮図とも見て取れる現実がある。

今の学校教育に欠けているのは厳しさだ。まるで友だちとするような先生との会話、年長への尊敬を躾けられていないから(敬語を持たない西洋民主主義の悪弊だが)日本の美しい言葉さえ身についていない。今では足で毬を蹴り、駆けずり回る女性に『なでしこ』なる手弱女(たおやめ)の名称を与える始末だ。

親が協力しないのなら、学校のとる手段は信賞必罰の厳しさをこそ、求められてもいいと考える。

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2006年6月 6日 (火)

多すぎる大学

小学校への英語導入を検討している一方で、大学では、もう一度小学校の国語の勉強のやり直しが必要な気配が生まれているようだ。毎日新聞で、6月5日から連載され出した驚くべき内容の実態を知らせる記事だ。

長野県塩尻市にある松本歯科大学にこの春入学した一年生を対象に行われたある講座がある。国語辞典、辞書機能付き携帯電話、パソコン(ワープロソフト可)など、何を使っても宜しい。講座名は「言語表現・日本語」。配られた紙に、ひらがなが羅列されている。次ぎのようなものだ。課題は、句読点を補って「漢字かな交じり文」に直すことというもの。気になることがある、“交じり”は“混じり”が正しいと思うのだが?交わるのではなくて、混合することだからだが、さて・・・。

〈ながねんにわたってはぶらしをまよこにうごかすはみがきをつづけているとしにくにちかいぶぶんがくさびじょうにすりへって・・・・〉と綴られた用紙である。

少し漢字に興味があれば、小学校4年生の力で十分答えられるものである。前に書いたが、私が小学4年の頃、全学同一問題で出されていた漢字書き取りではこの程度の問題なら、半数の生徒が楽に正解していただろう。当時使用していた漢字は旧字体で、常用漢字のような易しい字ではない。中にある「は」は「齒」。迷うとすれば、最初にある「ながねん」を「長年」にするか「永年」にするか、また、「わたる」を「渡る」と書くのは現在だが、本来は「亘る」か「亙る」だ。もう一つ、私の子ども時代なら「つづける」を今風に書けば「続ける」だが、私の小学生の頃には「續ける」、また「はぶらし」は今では漢字カナ交じりで「歯ブラシ」だが、小学生の頃には「齒刷子」と書かねばならなかった。「くさび」など小学4年生なら誰でも書ける。難しいのは「すりへる」だろう、①「磨り減る」②「擦り減る」③「摩り減る」④「摺り減る」と候補が上がるが、この場合は磨いて減るから①「磨り減る」でいいのだろう。どう考えても大学生に出すには見くびっていて遠慮の要る問題だと思えるが、驚くなかれ四苦八苦の体たらくだったようだ。

その場の雰囲気を伝える記事には全く持って驚かされる。この程度でどうして辞書や、ワープロが必要なのか理解に苦しむが、その場に集まった一年生の多くが苦しんだようだ。見廻る教師が時々助言する、ワープロを立ち上げたままのパソコン、途中で力尽きたのか、机に突っ伏したり、並んだ椅子に横たわる者もいたそうだ。

時間切れとなり、配られた模範解答と自分の答案を比べ、感想を書く。ある学生は、こんな感想を書いて提出した。「じしょがなかなか上手にひけなくてショックだった」(原文のまま)句読点なし、漢字知らずだ。
辞書の使い方さえ出来ないでいるのだ。長野県知事の田中氏が、テレビの娯楽番組に出演していた頃、出された言葉を広辞苑を使ってどれだけ素早く見つけだすか、に識者の加わる番組があった。ほぼ2600ページを瞬時に捲る田中氏に圧倒されて見た思い出がある。あかさたな、で並ぶ構成になっているから慣れればだれにでも出来る簡単なことだったが、当時は神業か、と思ったものだ。暇さえあれば携帯電話と睨めっこしている若い世代、下らない絵文字を描くのは得意なんだろうが、驚くばかりに国語力は低い。

歯科医師国家試験は毎年2月に実施される。今年の合格率は全体で80・8%だが、松本歯科大生たち(卒業生を含む)の合格率は52・9%にとどまった。「(国家試験出題者が)何を質問しているかを理解するには、日本語を基礎からきちんと教育しなければならない。そもそも患者とコミュニケーションが出来なければ歯科医師は努まらない」。松本歯科大学は今春、大きな改革を実施した。一年生全員に学生寮への入寮を義務付けた。「集団生活の中できちんとした生活態度を身につけさせ、カリキュラムについていけるようにする」のが目的と、森本副学長が話す。

大学生を高校、中学レベルの基礎から鍛え直そうという動きが全国に広がっている。文部科学省大学振興課によると、高校での学習状況に配慮して補習授業などに取り組む大学は、03年度国公私立421校に上っている。松本歯科大学の風景は、今や少しも珍しいものではなくなっている。

学生1万3000人を対象とする昨年の日本語能力テストで、国立大生の6%、私立大生の20%、短大生の35%が「中学生レベル」と判定された。「昔なら入学を許されなかった学力層が、少子化や進学率上昇でどんどん入学するようになった」。日本リメディアル教育学会の小野博会長の言だ。聞き慣れない名前だが、学会名は「(大学生向けの)やり直し教育」の意味だ。

平成14年には高校への進学率が96%になり、大学でも40から50%に近くなっている。戦前20校程度だった大学は現在、600校を超え、短大を含めると1049校の多きに上る。この他にも同数以上の専門学校があり、益々少子化の進む日本では、希望すれば誰でも何処でも好きな大学へ進学することが可能になるだろう。皮肉に言えば、勉強などしなくても金さえあれば誰でも大学生になれる。大学側も、金さえ入れば入学大歓迎だろう。出来の悪いやつらは卒業させなければいいんだから。それにしても日本は大学が多すぎる。あの広大なソビエト連邦ですら680校、日本の数はアメリカに次いで多い国だ。敗戦後雨後の筍よろしくにょきにょきと数を増やし、狭い領土にこぼれるほどの数になって行った大学とは名ばかりの学校。レベルは数の増加に比例したようにどんどん低下した。大学を出ても利するものは何もない、勉学熱も衰え、キャンパスは男女交遊の場に変化して行った。学力の低下は当然の帰結だろう。

企業に入って来る大卒新入社員、先輩たちの一番の苦労は言葉が通じないことなのを知っているのだろうか。理解力がなく、本人たちの人に伝える表現力はもっと乏しく未熟だ。限られた仲間の間だけのコミュニケーションで用が足りていたから、語彙も殆ど広がらず、人の話が理解できない。仕事にならない、と嘆く先輩たちは多い。

大学の数を現在の半分に減らせば少しは学問を学ぶ姿勢も出てくるだろう、いや、減って行かざるを得ない状況が見えている、増え過ぎた筍は枯れもし、腐りもする。新聞記事にも踊る文字『淘汰』が必要になるだろう。

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2006年6月 5日 (月)

汝 姦淫するなかれ

毎日新聞夕刊に、回答者持ち回りで読者からの相談に答える欄がある。
6/5の回答者にはテレビプロデューサー(「ピュア」「恋愛偏差値」「ムコ殿2003」など)の栗原美和子が担当している。東京都に住む40歳になる女性からの相談だ。

《偶々里帰りした折りに知り合った家庭のある50歳代の男性に好意を抱き、その後夫には隠したままメールのやり取りを続けていたが、今年に入ってメールは途絶えている。夫とは好きで一緒になったわけじゃない。末娘が高校を卒業したら、離婚して郷里に帰ろうかと真剣に悩んでいる。私を大切に思う夫の気持ちが感じ取れれば、最悪の事態は避けられたが、私を大切に思う気持ちがない夫とは離婚したい》というものだ。

偶々同世代の(回答者は42歳)女性である。どのような答えを出したのか、見てみよう。
離婚、大賛成。人間とは、我慢したり、浮気したり、相手や自分に嘘をついたりしながら生きている滑稽な生き物だ。人生80年、まだ半分あります、折り返し点を過ぎたばかりです。ただ離婚するにも2つの点を注意して下さい。娘さんのこと、もう一つはこれまで「我慢してきた」自分を否定しないで、自分を「偽っていた時」のことも肯定することです。「一つの家庭としては成功だった。成功の鍵は自分が握っていた」と考えるように。やり直すなら悔いを引きずらないように。

誰かのために自身が犠牲を払うことが、安心感に繋がっていたりしていませんか、だとすると、新しい恋をしても又、同じようなことになりかねませんよ。そんな自分を変えるためには気分転換が必要です。世の女性たちが韓国スターに憧れるのも、気分転換です。離婚とか不倫とか大事に至る前に、封じ込めて来た気持ちを発散させるのは、いいことだと思います。

ここで、回答者はお節介にも世の男に警告する。こういう妻の我慢が理解できないと、投書者のように捨てられて手後れになりますよ、と。重ねて手厳しい宣告を告げる。女は努力している、自分のことは自分でするし、家事もする。夫たちも自分で何でも出来るように努力しないと、ダメだ、と。それもできないなら家政婦でも雇ったらいい、我がままでいるというのは、それくらいの覚悟がいるぞ、と。

回答者の頭の中は、時代錯誤の虐げられた時代の女を見る目のままだ。投書をした女性の頭の中は、夫は存在しない姦淫同然の状態になっている。交換したメールの中身までは読めないが、夫に隠れ、通じ合うことはキリストの言う汝 姦淫するなかれ、の姦淫に相当する。いつから夫以外の男に心を移したかは不明だが、この気持ち、口に表わさなくとも夫に伝わらない訳はない。このような妻を夫が愛することは不可能だろう。平成9年の司法統計の数字でも、離婚申し立ての理由の、夫側からの妻の異性関係は、妻の側からの夫の異性関係よりも高く、理由の2位に上げられているのだ。(妻から夫のそれは3位)

簡単に夫を捨てられるのが女性なんだ。そして、捨てる前に次の男を選択済みだ。よい例がある、隣家の奥さんだ。旦那さんの姿が全く見えなくなったのを尋ねると、小指を立てて「これと消えちゃった」だった。それから一年もしないうちにお腹が大きくなり、あっという間に若い男が入り込んできた。前の男が残して行った女の子の後に、次々と毎年続けて3人の娘を生んでいる。「これと消えちゃった」はどうやら眉唾だったのだろう。

我慢しているのは、或いは努力しているのは妻だけではなかろう、世の中に夫が夫として何も我慢していない夫が、或いは努力していない夫がいるなどと、妻は思い、考えているのだろうか、40歳にもなった女性がそうなるまでに、夫との会話は何もなかったのだろうか。自分を大切に思う気持ちがない夫と、言い切れる自信は何だろう。恐らくは自分の姿が映る夫を見ての思いじゃないのだろうか。こうなってからでは韓国スターの「ペ」でもだめだろう。この女性は夫に隠れてのことなのだから。そして、「好きで一緒になったわけじゃない」が離婚したい最大の言い訳のようだ。メール相手の男性には妻も子もいるだろう、相手の家庭を破壊することにはわだかまりはないのだろうか、そこらに掃いて捨てるほどいる略奪結婚の女優たちのように。

どうやら性の乱れは若い世代だけではなさそうだ。

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2006年6月 4日 (日)

出生率 最低に

さあ、大変だ、大変だ。捕らぬ狸の皮算用、何度となく政府の予算の元になる出生率については識者から、メディアからも警告が発せられて来た。破綻するぞ、危ないぞ、と言われ続けて来た結果が、誰の目にも明らかな計画の甘さを露呈した。

何がその原因となり、少子化の歯止めが効かないのか。今回の厚生労働省の、05年度人口動態統計で、全国平均の「合計特殊出生率」1.25を下回った14都府県(青森は全国平均の1.25)に、それを考えるヒントになる問題点があるように思う。奈良県の1.12、北海道の1.13は特に低い数値の県・道だが、おしなべてその特徴で目立つのが、都会と呼ばれている地域で低い傾向が見られることだ。具体的には『人口密度*』で見れば、1位は想像どおりで東京(出生率は全国でダントツの0.98)2位が大阪(同1.16)3位は神奈川(同1.17)4位は埼玉(同1.18)5位は愛知(同1.30)6位は千葉(同1.18)7位は福岡(同1.21)8位は兵庫(同1.20)9位沖縄(同1.71)10位京都(1.13)と続く。【*2000年調査】

それと生産に従事可能な年齢の人口に占める割合いから見ると『生産年齢人口割合*』(15〜64歳)
1位から順に(単位%)埼玉の72.9、を筆頭に、神奈川、千葉、東京、大阪、愛知、奈良、京都、兵庫、茨城の68.5の順になる。【*99年調査】

続いて『離婚率*』(人口1000人当たり)
1位から順に(単位件数)沖縄2.64、大阪、北海道、福岡、東京、神奈川、宮崎、高知、千葉、10位に兵庫の2.05と続く。【*2000年調査】

人口密度、生産年齢の人口に占める割合、それに離婚、この3つの要素絡みで出生率の低い都道府県が殆ど含まれることに気がつく。限られた企業数を人口密度の高い人間たちが奪い合う。性道徳の弛んだ現在の日本では、お互いを確認し合う前に成り行き任せで同居、一緒になり、成りゆきで子どもを産むこともあるが、生活力のない若い男女は心配で子を産むことを躊躇う。そんな家庭を見ている女性たちは、最初から結婚を遅らせ、1人身の気楽な暮らしを捨てきれなくなる。子育てに消費しなければならない金は、ブランド品に、衣服に、旅行に、エステに、旨い食事に化けて行く。女性だけではない、今時の男性は美容院にも行くし、エステにも通う。都会で生活すれば嫌でも生活水準はうなぎ上りに高騰して行く。自分1人だけでは済まない、おつき合いという競争が生まれ、競り合って身を飾る。己の個性も掴めないで人の真似で消費金額が上がって行く。贅沢に慣れた生活からは生活水準を下げることには我慢できなくなる。子どもなど後回しでよい。それよりも今が大切、とますます晩婚化、或いは未婚のまま終える選択をすることになる。これは高齢になっても生んでくれれば少子化には歯止めが掛かる、と期待していた政府の晩産化の見通しさえ甘かった、と言わざるを得ないだろう。

間違って、いや、早まって結婚した人間たちは、はい、さようなら、と別れては見たがすぐに生活に行きづまる。子どもが邪魔になる。おい、政府よ、この子を預かる預かり所を増やせ、となる。1人では生活が苦しいから、と別れた日から男を、女を捜し始め、或いは同棲を始める。再婚できれば御の字だが、それでもうまく行くとは限らない。世間を賑わすいじめに繋がるケースが頻発する。再び悪循環が始まる。

政府が発表した少子化対策には大別して2つ。
1つは財源が必要なもの、これは次の5つ。
 ⑴ 0〜2歳を対象にした児童手当の増額
 ⑵ 出産育児一時金を30万円から35万円に拡大(10月から実施予定)
 ⑶ 不妊治療に対する助成の拡大
 ⑷ 子育て支援型税制
 ⑸ 学生奨学金の拡大
2つには その他のものとして
 ⑴ 出産育児一時金の支給手続きを簡素化
 ⑵ 登下校時のスクールバス導入

何を考えているんだろう。こんなことで結婚しよう、2人3人と子どもを産もう、などと計画する若者がいるとでも思っているのだろうか。少子化対策とはこれから結婚してもよい、と考えられる対策でなければ役に立たない。政府の考えていることは、殆どは少ない子どもでも、産んだ子どもと親へのご褒美のようなものだ。国家財政としては巨額の投資でも、個で見れば微々たる金額だ。お前たち貧乏人はこれだけもらえば子どもを産むだろう、程度にしか受け止めないよ。そんなものは直ぐにもっとよこせ、となるのも目に見えている。

今の日本は平和ぼけから飽食の時代、無責任の時代に突入している。日本中の目が一極集中化した東京を向いている。華やかな都会への憧れが、人口密度を押し上げては就職難を生み、結婚、出産を遠ざける。都会では多くの人は隣は何をする人ぞ、で生きている。余ほど「こいつは儲けた」となるような施策でないと今となっては人心は動かない。

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2006年6月 2日 (金)

やじうま

毎日新聞(6/2)から
民間の駐車監視員による取り締まりを盛り込んだ改正道路交通法が施行された1日、携帯端末が作動しなかったり、パスワードを間違えるなどのミスで、多少のトラブルはあったようだが・・・・。

報道は面白可笑しく制度の導入を高みの見物で見ていたようだ。記事の論調は一見して揶揄の姿勢を見せ、《ミス多発、9都道府県で端末に不具合、「初日からこれでは・・・」》とわざわざカッコ付きで目立たせる囲みまで拵えるご叮嚀さだ。そのくせ、駐車激減、などと書く。

制度の導入は駐車禁止を守らない悪質運転手の取締りで、その効果は激減と書かざるを得ない成果を上げたはずだ。それでも端末等でミス多発と書かれるほど、注意される車輌が多くあったことを言っていることではないのか。記事にするのなら、そちらを取り上げるべきで、いくら言っても守らない、注意される運転手が沢山いたことの証左ではないのか。事実全国では965件の言っても分からない連中がいたのだ。

ものは書きようで、制度導入のスタートに携わった人たちの、苦労を労(ねぎら)う記事にも、使い慣れない機器のトラブルに、おたおたすることを論(あげつら)う記事にもなる。記者の目が問題をどこに置いているかで良い記事にも、ゴミのような記事にもなる。

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2006年6月 1日 (木)

子を守るのは親

子を殺すことを面白がってでもいるような物騒な事件が続く。加害者になるこんな人間を育てたのは彼ら加害者の親。小さい頃からの情操教育をせず、善悪を教えず、ただ猫可愛がりに可愛がり、親自身が自由とわがままを履き違えたまま、欲しがるものなら何でも与え、子には耐えることを教えず、自己と他人との係わり方を教えず、友と仲良くすることを教えず、人の心の痛みを教えないから、平気で他人を虐め、殺める。

犯人が掴まって事件が沈静化する方向に向かうところがある一方で、未だに犯人逮捕すら叶わぬところがある。昨年12月、栃木県今市市(現日光市)の同市立大沢小学校一年生の女の子(当時7歳)が殺害された事件は、今日(6/1)で未解決のまま半年が経過する。大沢小は今も登下校時、保護者が児童に付き添う「玄海態勢」が続いている。二週間前にも秋田県藤里町の小学一年の男児(7)が殺害される子どもを標的にした事件が相次ぐ中、大沢小ではスクールバスの導入を検討し、子どもをどう守るか地域は模索している。

スクールバスの導入を学校に提案したのは殺害された女児の母親からだ。3月の初めに大沢小PTA会長に電話で相談している。電話を受けたPTAは4月の総会で署名活動に移すことを決定する。約200人が集まった5月の総会で約150人の署名に漕ぎ着けた。

連れ去られた現場の近くに住む農家の男性(42)は「付き添いに熱心で勤務先を馘になった親もいる。PTA の幹部宅には『もう限界です』と匿名の電話が掛かってくるらしい」と早いバスの導入に賛同している。しかし、バスが各児童の玄関先まで送ってくるわけではない。自宅のすぐ近くで行方不明になった秋田の男児殺害事件のこともあり、それが万能の対策でもない」と疑問視する声も出ている。

週2日の付き添いは保護者にとって負担になっている上に、事件発生から半年を経過して緩みがちになっていた地域の緊張感は、秋田の事件でもう一度、呼び戻された格好になっている。「夏休みが終わったら態勢を緩めては、という声もあったが、秋田の事件で当分、無理になった」という主婦の声もある。PTAの幹部は「大人の都合で、付き添い活動などを緩めることはできない」と改めて子どもを守る決意を示している。

栃木、茨城両県警合同捜査本部は現在も、310人の捜査態勢を維持して捜査を続けているが、「浮かんでは沈むの繰り返し」という。

世間の声では同情もあるが、勝手な意見を述べる傾向も出ている。曰く「年寄りが増えている中、金の使い道に困った元気な老人たちが、遊びに夢中になっている。朝からカラオケ、パチンコ、パークゴルフ etc. などに。そのような時間があったら小学校低学年児童の登下校時間帯は、街角、交差点、人通りの少ないところ、人目のつかない死角などで、見守るようにすればいいのではないか」「老人よ、団塊の世代よ、子供達を守るため、遊びを控えて街角に出ましょう」などと、投書する者がいる。このような投書をする人間たち人こそわが子の育て方を疎かにしている、次に犯罪を犯すことになる可能性を多分に持った子の親なんだ。

核家族、核家族と踊らされ、結婚しては親との同居を毛嫌いし、年寄りを敬うことを知らず、育児の先輩を疎んじ、子を産めば育てることを放棄して他人に子の面倒を見させる。格差社会という隠れ蓑の下で、苦しい、苦しいと他人(ひと)と同じことを言ってれば、責任逃れに都合がよい。自殺までする人間も実際にはいるが、これとて一種の流行の様相さえ見える。今に始まったことではない。大島三原山、天城、阿蘇、熱海、日光華厳の滝、戦前から自殺の名所は数えればきりがないほど多くある。命の貴さを教える親もまた少ないのではないか。先の投書を書いたバカのように、老人に呼び掛ける前に、無駄メシを喰っているニートやフリーターたちへ呼び掛けるのが先だろう。(ちょっと待った、こいつらも加害者になる要素を持っているか)。都合のよい時にだけ老人を持ち出しても老人だって都合がある。遊んで悪い理屈はない。

遊興に夢中になったまま、子を車内に閉じ込めて蒸し殺しにする親の多いこと、不義の子や遊びで子を産んでは人知れず殺す親、己だけでは済まずに子を道連れに殺す親、自分達の都合で離婚して子を見捨てる親。こう見てくると、子以上に親に問題のあることも良く分かる。今でこそ耳に聞こえなくなったが、自動車の子ども用の補助シート着用が決められた頃、子の安全を守ることよりも先にシートの値段が高い、と文句を言う親の多かったこと。子の命がそんなに安く買えるのか、と思ったが、世の親たちはそうは考えなかった。子の命よりもシートの値段が高いことが先に問題になったのだ。それほど自分の子の命を天秤掛けて安く評価しているのだ。

通学時の子の命、親以外の誰が守る。メディアは地域社会と学校で子の安全を守りましょう、と呼び掛けるが、校門の内と外、責任と権限はおのずと違う。校門の外の世界は極端に言えば学校には責任はない。地域社会にも責任はないし義務もない。お互いに分担することの可能な協力態勢をつくることはできるだろう。しかし、親はボランティアに頼っていては子の命を守ることは不可能だ。子の命は親が守らずに誰が守る。治安状態の良くない海外の国(一つや二つではない)ぐにや、子を大切にする国では、小学校への行き帰りには必ず保護者の付き添いの送り迎えが義務付けられているところがある。当然のことだ。仕事、仕事を正当化して、子育てを他人に任せっ放しの日本とは違う。子の命は親が命を掛けて守るものだ。

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