« ことば | トップページ | サッカーにメディア大騒ぎ »

2006年5月13日 (土)

親の責任

Botan_

牡丹 と 日本しゃくなげ



Shakunage


隠岐の島(白)と 屋久島(赤)のしゃくなげ



やっと新聞が『親の責任』について社説の記事として掲載した。毎日新聞(5/13)が「雨の中ずぶ濡れの子は 無責任な親のせいだ」とタイトルを附して。
私が昨年5月に、ブログを立ち上げたそもそもの目的が、現在の荒れ狂う世相を拵えた遠因が、敗戦後の親たちの(国家の経済復興に努力した反面、逆に、だからこそ結果)無責任な子育てにあったことを、その敗戦を経験し、くぐり抜けてきた昭和一桁の目で、おこがましくも言わねばならないと感じたからに他ならない。

ますます血腥(なまぐさ)くなっている犯罪、このところ特に低年齢化して凶悪犯罪の目立つ報道は、書き続けてきたように、親が子供の監督責任を放棄した結果から生じたものだ。新聞記事から考えてみたい。(要約)

《雨降りから、どんな光景を連想するだろうか。傘をさすか、雨宿りするか。童謡のように、傘を持って迎えに来た母親と子供が手を繋いで歩く姿を思い描くかも知れない。ところが、最近は雨の中の自己像を描くテストをすると、ずぶ濡れになった絵を描く子供が増えているのだそうだ。

このテストは「雨の中の私」と呼ばれ、各地の少年鑑別所で、非行少年の家庭環境や養育暦などを探る精神分析的手法として行われてきた。とくに親子関係を通じた安全感覚があぶり出されるといわれ、一般には大切に育てられ、親に守られている子供は当たり前のように傘をさす絵を描く。一方、親から庇護された体験に乏しい子供は、自分を防禦する力が不十分なため、雨にもなすすべがなく、ずぶ濡れになる自分を描く。ストレスにさらされた痛々しい心のうちの表われ、と考えられる。つい最近は福岡の鑑別所で30%、横浜では42%が雨に濡れた絵を描いたとの報告もあり、今後も増加する傾向が認められるという。

この手法が必ずしも厳密に親子関係を示すわけではない。だが、少年事件の関係者は経験則から、ずぶ濡れの絵の増加は、親子関係の歪みを投影する無気味な現象と受け止めている。少年院の教官の約8割が「指導力に問題のある保護者が増えた」と指摘している事実とも、児童虐待の増加とも、底のところで通じている。

少子化が、補導・逮捕の人数には歯止めがかかったのに、依然として人口比が高いのは気掛かりである。非行に走る少年の割合いが増えているからだ。少年院などでは処遇が困難な少年の増加も、大きな問題となっている。一昔前のように暴れて教官を困らせる粗暴型ではなく、ストレスや不安を抱えきれずに、泣叫んだり、情緒不安になるタイプが主流になっている。非行の年令も、14歳から16歳だったのが、最近は年長になっても低下しなくなっているのも不安材料だ。それでも成長に伴う通過儀礼型の歩行が減少し、成人後は常習犯罪者になる少年が目立つからだ、という。

こうした状況とずぶ濡れの絵の増加は、不思議に重なりあう。外見上の差異はなくても、親の愛情を一身に受けて育つ子と、親に邪見にされる子がいる。今に始まったことではないが、最近は後者が目立つというわけだ。養育上の格差というよりも、親の格差というべきかもしれない。例えば、離婚した両親がそれぞれ自分たちの恋愛に夢中になり、子供をほったらかしにしたため、子供が非行に走る・・・・といったケースまで激増しているのが実情といわれる。
親が子を庇護しないから、子は親を信じられず、非行も止められない。その責めを子にだけ負わせてはなるまい。少年法改正による厳罰化より、親への対策に取り組むのが急務ではないか。》

男女機会均等法で女性の職場参加が当たり前の世の中になっている。昔は家にいて家事万端をこなし、働く男の支えとなって子どもの躾け、教育は母親の威厳の元で行われていた。やんちゃ坊主も母親の一喝でおさまり、道を誤らないように見守っていた。敗戦によってアメリカから授かった民主主義は、自由を謳歌して責任を置き去りにして来た。敗戦の年、1945年10月、悪名高かった戦時の治安維持法が廃止され(今また、再び共同謀議に名を変えた法案が懸案となっているが)同じ年12月、占領軍(GHQ)による修身、日本歴史及び地理の授業の停止を指示されて(これまた、再び教育法案で『愛国心』問題として俎上に上がってきた)いる。占領政策による国の解体が進められるままに人々もまた、生きる支えを見失っていた。

敗戦後の国の復興につれ、働くだけの生活が始まり、男たちは労働に汗を流し、家庭を顧みることをしなくなって行った。まだ家庭は女が守るもの、との意識が根強く残っていた。しかし、戦時中男がいなくなった仕事場で、女性たちは立派に男に替わり工場で働いていたのだ。炭坑の中まで入り、汗まみれで鶴嘴を振り上げ石炭を掘るものまでいたのだ。アメリカの民主主義から‘女性上位’なる言葉を輸入し、女性の意識を政治への参画から仕事場へ目を向けさせた。

雪崩をうったように職場への女性の進出が始まり、瞬く間に男性を脅かすところまで成長してきた。私はそうなる前に、男性の反撃が起こることを想像していた。男が我慢できないところまで女性の勢いが迫ったところで男の反撃があると。予想は見事に外れた。その気概を持つ男は出てこなかったのだ。それどころか女性の勢いに飲まれた男どもは、逆にひ弱に女性化する方を選んだのだ。女性の職場進出は女性だけが家庭を守ることを放棄し、育児は男にも半分の責任はあるとし、それならばと他人が用意した一時預かりの場に乳飲み子から預ける挙に出た。子どもの成長の始まりの根本になる母親が必要な時期にだ。いにしえから有る育児の鉄則は‘黴の生えた神話’であるといって、身近で躾けることを放棄した。これでは母親の愛情を与えられない子が増えるのは当然の結果だ。そのような子が「雨の中の私」に傘をささないのは当たり前と言えるだろう。叱ってもくれない、褒めてもくれない。ただ、一時預かり所から受け取って帰った、短い時間だけ、猫の仔のように可愛がるだけで育てた子が、社会で仲間や他人との交流が持てなくても不思議ではない。

女性と仕事についてはほとんどの女性は反論が有るはずだ。この問題は項を改めて書きたい。

|

« ことば | トップページ | サッカーにメディア大騒ぎ »

コメント

こうべいさん、お久しぶりです。
来てしまいました。

>女性と仕事についてはほとんどの女性は反論が有るはずだ。

はい。私もそんな女性の一人です。
私にはまだ子供がいないので想像の範囲なのですが・・・。
私は子供が出来ても出来る限り働きに出たいと考えてます。
ただ、出来てみないことには分からないんですけどね。

>女性の職場進出は女性だけが家庭を守ることを放棄し、育児は男にも半分の責任はあるとし・・・

ん~~~。男性が稼いで女性は家庭っていうのはどうなのかなぁ。
確かに私の両親は自営業をしているので子供の頃から寂しい思いをしてきました。
自宅の近くに店があったので『半分鍵っ子』でしたね。

雨の日に傘を持って迎えに来てくれる友達のお母さん・・・本当に羨ましかった。
毎年9月1日の防災の日には保護者が学校まで子供を迎えに来て一緒に帰ると決まっていたのに
私は友達と、友達のお母さんと一緒に帰るのが悲しかった。

でも、それもこれも両親が働いていたから仕方のないコトでした。

確かに子供の頃は悲しい思い・寂しい思いはしました。
でも、だからといって愛情を与えられていなかった訳ではなかった・・・と思います。
父も私の事をとても可愛がってくれてました。

子供が育つのは『母親だけの愛情』ではないと思います。
確かに最近の親は『放任主義』といって、本当に放ったらかしで子供が今何処で何をしているのか聞こうとも知ろうともしていないような気がします。

そんな親でも子供にとって『親は親』
おそらくそんな親の気を引こうとして、とんでもない事件をおこしてしまうのだと思います。
その予兆に気付かない親も親なんですけど。

でも、だからと言って父親はただ外で働いていればいいのか?というと違うと思うんです。
子育てや躾けは母親の仕事だろっ!
なんていうドラマを昔はよく見ましたが、果たしてそうなんでしょうか。
子育てを『全面的に』第三者に任せるのはどうかと思いますが、母親だけの責任ではないと思います。

最近『世の中の常識が変わったんだなぁ』と痛切に感じます。
職場に今年から入った18歳の男の子が居るのですが、今までどんな教育を受けてきたのかと疑問に思うくらいコミュニケーション能力がありません。日本人なのに日本語も通じません。

これは私の勝手な想像ですが、家族の会話や友達・その他彼を取り巻く環境でキチンと教えてくれる人が居なかったんだろうなと思いました。

私の世代には『先輩・後輩』という縦社会があり
『先輩は絶対』でしたが、おそらく今の子たちにはそのような感覚がないのだと思います。
『みんな友達』みたいな。
目上に対する礼儀は学生時代の先輩後輩のやり取りで覚え始めると思うんです。
でも、それがないんです。

運動会でも順位を付けないという話を聞いてビックリしました。

話が色んな方向に行ってしまいすいません。
結局『時代は変わった』と言ってしまえばそれまでなのですが、親の責任だけでなく、その他たくさんのことも変わってしまったんです。
この私でさえ理解に苦しむことがもの凄くたくさんあります。
私は定期的に心療内科に通ってまが○○病という訳ではなく、色んなタイプの人間が多すぎて自分の思っている『常識』という枠に収まりきらずストレスになり精神的に疲れてしまったからです。

ごめんなさい。自分で何を伝えたいのかまとまらなくなってしまいました。
こうして書いている間にも『やっぱり親の愛情が足りないからじゃないか』と思ったり、でも『小さなうちに溺愛し過ぎたけど、少し大きくなって反抗し始めたら自分の子供なのに怖くて見て見ぬフリをする親が多いんじゃないか』とか考えてしまいます。

結局子育てを『おままごと』みたいに無意識にでも考えてる親が多いんですかね。
ダラダラとすいません。

投稿: えのっち | 2006年5月21日 (日) 03時17分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 親の責任:

« ことば | トップページ | サッカーにメディア大騒ぎ »