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2006年5月24日 (水)

自分を見捨てた国

今朝も早くから衆議院では、将に教育基本法案の特別委員会の質疑が行われいる真っ最中だ。
喧(かまびす)しく“愛国心”が取りざたされるが、ここに、今は東京都板橋区にお住まいの83歳のご老人から、毎日新聞への投書がある。掲載されたのは何日も前になるが、あまりに、悲しい内容に手控えていたものだ。この老人は当然招集され、国に命を捧げて激戦の地を渡り歩いたはずだ。生きて帰らない覚悟で弾丸の下を潜り、砲火の中を戦って来られたことと思う。この老人は口にする。「自分を見捨てた国、誰が愛せるか」と。

国会では知恵のある人たちが、子どもの教育について、あれこれ質疑しているが、どう決まり、どう転んでも現役の国会議員が戦場に出向くことはない。死ぬ心配は全くない。被ることもないから当然、火の粉を払わないでも済むのだ。愛国心を口にし、活字にすることは容易い。アメリカが日本を赤色革命の防波堤とし、守ってやる、と居座って何年になる。ところがペレストロイカ(再建・改革)を提唱するゴルバチョフの指導もあって1党独裁の共産主義国家は1991年に解体する。その途端に冷戦構造の敵対国ソビエトを失ったアメリカの陰に隠れていた日本は、仮想敵国をもっと身近な隣国に矛先を移し、テポドンが飛んで来たらどうする、日本にも迎え撃つ軍隊が必要だ、憲法を変えなければいけない、と騒ぎ始めた。

それには国を守る心を養なわなければ大変なことになる、さあ大変、憲法も、教育も、国体の護持に向けて挙国一致の国づくりが必要欠くべからざる急務だ。騒ぎ始めた人たちの年齢を見てみよう。国会で靖国参拝賛成だ、反対だと騒ぐ人たち、誰一人、もはや先の第2次世界大戦(太平洋戦争)を体験した人はいないことを思うべきだ。長老が70歳でいたとしよう、敗戦時でも9歳、戦争が始まったのが5歳、ということになる。麻生太郎が靖国を云々しても実体験はなく、彼はその時代は母の背中に背負われて鼻を垂らしていた年齢だから、風評でしか戦争を知らないのだ。

翻って投書者の話を聞いてみよう。
「ご多分に漏れず、私も強烈な軍国少年の一人でした。初めはおじいさんのひざの上、山陽線での出征兵士の見送り、小学校教育での忠君愛国教育があります。後年、帝国海軍の一兵士となった時、生還は想像のほかでした。帰還後、非人道的な米軍空襲下をただただ必死に逃げ惑うばかりであった一般国民の頭は、当然ながら生き延びるだけがその願いであったはずです。愛国心のカケラも消し飛んでいたはずです。事実、わが子を背負ったまま共に橋上で焼死していた母子の胸中を想像してみてください。」

「いま教育基本法を改め、愛国心を入れて、国民に対し、法律で決めたのだから愛国心を持てと言ってみてもそれは心の中の問題です。ハイ持ちました の返事を果たして確かめられますか。人は誰でも この国は私を大切にしていてくれる と思えた時にこそ本当の愛国心を持つことが出来るのではありませんか。自分を見捨てた国を誰が愛せますか。前大戦の結果が何よりもそれをよく示しています。」と結んでおられる。

どんなに苦しい戦後を生きて来られたのか、ますます飽食に明け暮れる日本、原子爆弾を見舞われた国に、戦いで戦友を失うことになった敵国に諂(へつら)うだけの日本政府には・・・、生き延びて来られた60年、想像するだけで胸が熱くなる。

数も少なくなっている先の大戦の生還者たち、「なぜ、自分は死ななかったんだろう、なぜあいつが死んだのに、なぜ」との思いを引きずりながらこの60年以上の長い年月を慚愧の思いで生きていらっしゃる。ある人は戦友の骨を拾うために南の島に何度も繰り返し渡り、国が見捨てた多くの遺骨を持ち帰り、現地で弔い慰霊塔をたててせめてもの罪滅ぼしをしていらっしゃる。戦後教育で何も教えられなかったために、土の下には未だに帰還叶わぬ戦友の遺骨の上での物見遊山や、新婚旅行の遊びの島になったサイパンで、グァムで。

年老いていくこの人たちに戦争はまだ終わってもいなのに。戦後処理の何一つもしないままの日本政府の目指す愛国心って一体何だろう。

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コメント

最近の日本政府はほんとに国民から
信頼なくしてますよね…(^^;
小泉さんをはじめどうするつもりなんでしょうか?

今、大阪の不動産カフェのblog
紹介させてもらってます☆
良かったら御意見なんか頂けると嬉しく思います♪

投稿: 森下@BENELOP | 2006年5月24日 (水) 18時57分

小言こう平さん。ご意見をいつも拝読させて頂いております。
今回も貴重な戦争体験者のご意見として読ませて頂きました。ただ,少しく私とは考えが異なる点もございましたのでコメントさせて頂きます。
話題の「愛国心」という言葉は,使用されている頻度の割にはその定義が各人でかなり曖昧な気が致します。愛国心を,偏狭な民族主義と捉える読み方が一方であるかと思えば,愛郷心という郷里(クニ)や伝統,文化への愛着という緩やかな捉え方まで幅広く存在します。また,日本が軍国化した折に,意識昂揚のために「愛国」という言葉を使ったのが禍して,愛国心,即,軍国主義化と短絡的・意図的に利用する左傾マスコミが存在することも確かでしょう。朝日(私はこれを朝鮮日報だと思っています),毎日(これも売日新聞の誤りかと)NHKが該当すると思っております。よって,この双方の読者記事も,彼らの都合の良いように利用されます。ちなみに政治色の強い投稿をしてみて下さい。彼らの主張に近いものでないと採用されません。そのご褒美に図書カードが3000円程度貰えます。また,戦争前後の世界情勢から鑑みて,日本が現在のような非武装中立的態度をとれば世界への扉が平和理に開かれたかどうかも極めて疑問です。イエロー・モンキーと日本人を見下していたアメリカ大統領ルーズベルトに代表される人種差別が色濃く残る時代に,米が長年戦略としてきたオレンジ計画が存在し,他国を侵略し,膨張することが善であった時代に,日本が採れる道は列強に呑み込まれて属国化するか滅亡するか,一か八かの無謀な戦争しかなかった,それが今から眺めて見る当時の日本の姿ではないでしょうか?歴史は,その当時の価値観で見る時,その真の姿が理解ができるものと思います。当時,世界は日本も含め,どこも戦うことを国是としてきました。私も当時生きていたならば,愛する人,家族,郷里の人々,子孫のために銃を持って戦ったと思います。現在でもそうすべき時にはしなければなりますまい。戦後60年間,日本は平和ボケの中でまどろんでいました。GHQのW.G.I.P計画により冬眠させられてきました。所が目覚めてみれば,周囲の状況は戦前の世界と余り変わってはいませんでした。残念ながら,戦後,1日たりとて世界から銃火が絶えた日はありません!それが現実の人間世界ではありませんか?GHQのご都合により丸裸で催眠状態で寝ていた日本。その寝ぼけ眼を正気にさせてくれたのが中国・韓国・北朝鮮の非常識な非人道的現実的対応でしょう。自分の愛する人を守るために力を行使することは当然の正義だと私は思います。力は善にも悪にもなります。しかし,自分が愛する人,家族,郷里,伝統文化を守るためには力を行使することも必要なときがあると思うのです。もしも,日本が自衛手段として正当な軍備を備えていたのなら,横田めぐみさんは幸せに日本で暮らしていたのではありませんか?そのようにして郷里を守らなければ戦争で死に逝った尊い命は犬死にになりませんか?私は「愛国」とは,日本という得体の知れない国を対象にすることではなく,郷里や伝統・日本文化を愛する心だと理解しています。国という抽象物を持ち出すと国=政治体制,あるいは存在もしない天皇制批判となります。左傾知識人はいまだに社会主義国実現を夢想する人種です。ですから,国=政治体制=政府批判という論調にすり替えます。現在の日本で,アナクロ的に軍国主義化などが実現できる訳がないでしょう,クーデター以外で!戦争が悲惨なのはなにも大東亜戦争の日本だけではありません。あらゆる戦争が,非人間性の極致へと人間を誘います。実体験がなくても理解することは可能です。それが歴史を学ぶということだと思っています。
なんだか調子に乗って随分と偉そうに書いてしまいました。これらの件についてご指導下されば有り難く存じます。傲慢をお許し下さい!

投稿: Bach | 2006年5月25日 (木) 15時42分

コメントありがとうございました。Bachさんのページに入ろうとしましたが、メーラーが起動して移れませんでした。おまけに私のMac OS9 ではコメントが文字化けして書けなくなりました。ハードディスクの取り替え以来、再構築が万全ではないようです。使い慣れないOSX Tigerでチャレンジしています。

どうやら空襲の中、防空壕に逃げ込んだ世代と、戦争を歴史として学んだ世代の違いがあるようです。

私がブログを持ち、1年が経過しましたが、その間いろんな人のブログやホームページに目を通しましたが、Bachさんのおっしゃる左翼マスコミ、多くの人が同じように朝日、毎日をそのように見ていることに逆に驚きました。朝鮮日報に売日新聞。NHKもそうですか、私は全くそうとは考えていません。それどころかブログを開設してから1年間、いつも同じことを喋ってるな、と言われるほど権力に迎合するメディアを叩いて来ています。

敗戦後の1時期、アメリカから授けられたアメリカ流の民主主義を、律儀に実行しようと、民主化に向かって進み始めた日本ですが、樺美智子が亡くなった安保闘争で民主化の終焉を迎えたのです。確かに共産党や労働者に先導されて大きな波にはなりましたが、国民は共感し、運動を支え、マスコミも先頭に立って引っ張っていたのです。共産党の国会議員も20名を越える議席を確保していました。ところがGHQと日本政府は赤化することを恐れ、一気に弾圧に出たのです。日本中の新聞も(中央紙、地方紙関係なく)暴力をやめて議会政治に戻れ、と矛先を国民に向けたのです。

これは戦後のことですが、戦時・戦中にも同じことをやっていました。あれほど権力に屈し、戦意高揚・翼賛と欺瞞の報道をして来たメディアが安保闘争で、またまた権力に跪いたのです。ほんとうの意味で左翼を貫いたのは日本では共産党の赤旗だけでした。心配することはありません、一瞬にして日本のメディアは権力にはペンを納めます。

おっしゃるように欧米列強は中国の広範な資源に目を付け、すでに上海はスパイの暗躍する街になっていました。誰が先に侵略するか、日本が飲み込まれることになったとするのは想像、なかった、とするのも想像の域を出ません。だからと言って一か八かで戦争はするものではないと思います。しかし、先に手を出したのは日本でした。中国にはそこで生きて生活する国民のいる主権国家です。

歴史は見る人の立場でいかようにも解釈されます。事実は一つではあり得ないと思います。人によって異なるのが歴史の見方だと思います。特に日本ではすべての学問に閥が付きまといます。力の強い大先生に従うのが日本流の学者の生き様です。自己の主張などというものはあって無いと同じようなものでしょう。

敗戦時、聖戦を唱え、戦争を賛美し、敗戦を迎えるや一夜にして民主主義を口にした教壇に立っていた人たち。命は捨ててこそ国の役に立つ、と教えられて育った当時の特に男の子どもたち。現在世間を騒がせている教員の資質など当時の教師の変節ぶりに比べれば屁のようなものです。疑うことでしか生きられなくなっても仕方のないことだったと思います。

釈迦に説法でお許しください。
日本は遠く飛鳥の昔から隣国への侵略をしていました。敗戦を切っ掛けに、進歩的と称する学者たちによって日本の天皇家の歴史は飛鳥以前を架空のものと切り捨てました。しかし、記紀にははっきりと書かれていることがあります。西暦で捉えることが可能な最初の天皇、29代・欽明天皇(571年没)を遡る15世、仲哀天皇の皇后、神功皇后が新羅に攻め入り、征して凱旋しています(記紀伝承)。
 続いて663年、朝鮮南西部の白村江(はくすきのえ、今は、はくそんこう、と読んでいるようですが)に日本は百済王の救援と称して侵攻、唐の水軍に敗れて逃げ帰り、百済は滅亡しています。この敗戦は1200年以上、日本の一般国民には知らされず、敗戦後始めて明らかになったものです。同じようにノモンハンの敗戦も今次大戦の終結後、事実が明らかになって来たものです。日本のメディアが如何に真実の追究に目を塞いで来たかよくわかる事例です。

続いて、秀吉の領土的野心による再度に亙る朝鮮出兵です。日本では朝鮮征伐、朝鮮では壬辰・丁酉の和乱と呼んでいるそうです。1592年、加藤清正・小西行長は兵15万を連れて出かけましたが、大敗して帰りました。1596年、出兵したけれど遠征軍の志気が上がらずに2年後の秀吉の死で撤退しています。
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そう、ここまで綴っていて突然一つのキーで、すべてのデータが消し飛んだのが午前中です。Bachさんのコメントをプリントし、朱書きしてチェエクし、手元に置いて綴っているので大きな差は出ませんが、幾分初稿とは違ったものになって来ています。もう少し続けますが、辛抱して下さい。
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続いて1873年、西郷隆盛・後藤象二郎らが朝鮮の排日・鎖国の態度に対して討つことを主張しましたが、岩倉具視や大久保利通たちの内政優先派の反対で主張が通らず、下野することになりました。しかし、昭和に入り、軍部は中国、朝鮮に侵攻、朝鮮の植民地化に成功しました。過去においてモンゴルが2度に亙る日本侵攻を試みましたが、2度とも季節風のおかげで救われています。中国も朝鮮も日本へは文化を持ち込んだことはありますが、侵略はしませんでした。古代、おそらく朝鮮との交流の密だった日本の天皇家には朝鮮王家の血も混じっていることも想像されます。

植民地時代の朝鮮の創氏改名やハングルの普及に言及する麻生太郎、台湾のえらい人に囁かれたという高い教育水準は日本の植民地政策のおかげ、最近では5/20日、靖国参拝問題に関して言った言葉「日本の保守の中を割ることに成功したと中国側は思っているだろう」また別の追悼施設については「新しい施設ができても亡くなった方は「靖国であおう」と言ってなくなったのだから、靖国問題はなくならない」ととんちんかんなことを口にする。
朝鮮や台湾の事例は日本の国是とした植民地の占領政策の結果がそうなっただけで、ハングルの普及を狙ったものではないし、台湾の教育水準の引き上げを目指したものではない。神社を作り神を押し付け、日本に従うことを強制しただけだ。
靖国問題に至ってはナンセンスとしか言いようがない。「靖国であおう」と言ったのは死ににいけ、と命令されて死んでいった人たちの最後の言葉であって、生き恥をさらし、首をつられた犯罪人じゃない。誰がそのような人間に再び靖国で合うことを望むだろうか。

ドイツの戦争責任追及は「ナチス」糾弾に向けて自身の国家責任を糊塗したかの意見もありますが、日本ではそれすらもやって来なかったのです。「左翼知識人はいまだに社会主義国家実現を夢想する人種です」と書いておられますが、今時本当にそんな知識人がいるのでしょうか。それに天皇制の存在を肯定している人がいるのでしょうか。それと同時にというよりもその対局のテポドンが日本に落ちる、と信じる人もいるのでしょうか。私は落ちないことを信じます。別の言い方をすれば、よう落とさないでしょう。誰もがソビエトの侵攻に怯えましたがゴルバチョフという偉人が出て来て避けることができました。仮想敵とはそういうものだと思います。また、今の日本の軍備はある意味では朝鮮の上を行っています。日本の為政者たち、戦争や歴史から何も学んでいないのでしょうか。

私が中学生の頃、前の席に腰掛けて、向かい合ってこう言ってくれた若い京大哲学出の教師がいました。「20歳までに赤にかぶれないのはバカだが、40歳をすぎてもまだかぶれている奴はもっとバカだ」と。

また、非人間性なる戦争、人間性で人間が、国が、地球が救えるのなら、とうの昔、地球上から戦争はなくなっているでしょう。時代は将に一層大規模な「いくさ」に突入していこうとしているかに見えます。

それにしても羨ましい光景が広がっている。韓国でのレポートやニュースで見せられる限り、街なかの看板文字、99%ハングルで書かれている。どこの国か分からないどこかの国の植民地に成り下がった街のヨコ文字だらけの看板や文字が情けない。

どうやら書き終わりました。ご指導呼ばわりは止めて下さい。ロジックには至って弱い頭脳です、取りとめない文章ですがここまで読み通して下さっていれば感謝、感謝です。

投稿: 小言こうべい | 2006年5月27日 (土) 18時53分

戦没者遺体収集を長期間行い、各地に分散し現在3~5トン程集めました、日本政府収集団が引き取りたいと申し込みが有りました、今迄政府は何もしない、全て外部委託の予算確保、私も長年役人と付き合いましたが戦没者、骨一反なんと100万円の予算が大蔵省から収集費として出ています。この様な状態では100年以上経過しても同じ。この状態を打開する為、協力願います、未だ手付かずの野戦病院跡の洞窟に何百人も祖国に帰れず彷徨っています、また延長75kにわたり砂浜の下2mに2千人以上、埋まっています、この悲惨な状態を一度見て下さい、テレビ、新聞社は危険な場所
に行きません、また議員達も体裁ばかりで話にもならない。関心が有りましたらメールを下さい。
                以上

投稿: 藤原 綱二 | 2006年8月29日 (火) 10時31分

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