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2006年5月 3日 (水)

ふたたび「愛国心」って

憲法59歳の日。
時恰も教育基本法の改正、A級戦犯の合祀と小泉の靖国参拝の問題、何にも増して憲法改正の問題、と犇めく最なか、「愛国心」を語る前に是非書いて置きたいことがある。

毎日新聞(4/29)の記事から。
敗戦直後から1978年まで靖国神社の宮司を務めた故・筑波藤麿氏(旧皇族の出身で、46年に就任し、在籍のまま73歳で病死)が、A級戦犯の合祀を意識的に避けていたことを報じている。天皇は敗戦直後の1945年から52、54、57、59、65、69、と1975年11月21日の計8回出向いているが、この時を最後に靖国参拝を止めている。筑波氏は78年3月に亡くなり、間もなく後任の宮司(故・松平永芳)によって待っていたように1978年10月、東条英機らA級戦犯14人が合祀された。

靖国神社側には旧厚生省からA級戦犯の名簿が1966年に送られ、信徒代表らで作る総代会は1970年に合祀する方針を決めていた。しかし、扱いを任された筑波氏は死去まで合祀をしなかった。A級戦犯の合祀をすることで戦後続いていた天皇の参拝の妨げになることを懸念してのことと考えられる。筑波宮司は生前「BC級戦犯は一般兵士と同じ犠牲者だが、A級戦犯は責任者だ、国民の中には『東條憎し』で凝り固まっている人がだいぶいる」と国民感情への配慮も語っていた。筑波氏に合祀についての考えを聞いた同神社広報課長、馬場久夫(81)と、筑波氏の長男で元早稲田大学教授の常治(75)は、「宮内庁の関係もある。合祀は自分が生きている間はおそらく無理だろう」「事実上、合祀はしない意向だったと思う」とそれぞれ毎日新聞のインタビューに答えている。

1975年を最後に天皇は、靖国には行くに行けななったのが事実だろう。自分の命(命令)『上官の命は直ちに朕(ちん・天皇のこと)が命と心得よ[軍人勅諭]』で死んでいったBC級戦犯は弔えても、その最上位から命を下して多くの国民の命を奪ったA級戦犯が合祀されては行けないのは当然のことだ。その後を継いだ現天皇も、一度も参拝をしていない。父天皇と、戦争の歴史を真っ向から見据え、行かない理由をしっかりと持った人間と見た。

話は変わるが、自身旧満州で生まれ1943年召集、満州東部国境の各地を転々とし1945年8月、ソ連軍部隊の攻撃を受けて部隊は全滅。生存者は五味川(純平・1916〜1995年)以下数名だったという体験を持つ彼が、戦後書いた幾多の戦争文学から。

「人間の条件」「戦争と人間」「御前会議」「ノモンハン」「ガダルカナル」などすべて読んだが、「戦争と人間」について語りたい。1955年の「人間の条件」は発表するや忽ち増刷をくり返し、1.300万部を売りつくす大ベストセラーとなった。続いて書き始めたのが「戦争と人間」だが、東京オリンピックの年1964(昭和39)年〜1982(同57)年10月に筆を擱くまでに丸18年を掛けた。三一書房の新書判で全18册になる長篇だが未完のままだ。その途中で執筆したのが後に書いた3作品。前の2作品は映画にもなり、現在までに何度かテレビでも放映されているから御存じの方も多いと思う。

「戦争と人間」が未完で終わったいきさつを彼は“感傷的あとがき”として次のように書いた。(要約)
《随分年月が経ってしまった。予定ではそんなにかかる筈ではなかったが、途中でいろんな事が出来て、仕事が捗らなかった。昭和53年には喉頭摘出手術で声帯を切除したために声を失った。食道に空気を入れて、腹筋の圧力で押し出し、食堂粘膜を振動させて、音を作り、声を作り、会話をともかく人間らしくない声で出来るようになる方法(食堂発声)を修得するのにかなりの努力と時間が必要だった。その時には、まだ、通常に近い人間生活をする希望があった。それを叩き潰すように、57年5月、私の声の代わりをつとめてくれた妻が、130日そこそこの入院で、卒然と逝ってしまった。その間看病でほとんど眠ることが出来なかった。生きている時にはわからないが、死なれると、よくわかる。長年連れ添った配偶者が逝くことは、生き残ったものの半分以上を虚空へ持ち去って行くものだということが。

 妻が病気に倒れたころ、私はこの18巻目を書き始め、東京裁判まで書ききって、終わるつもりであった。だが、そこにどうしても出廷していて、尋問を受け、判決を受けなければならぬ筈の一人の人物が、東京裁判の埒外に置かれていて、のうのうと暮らすことを許した裁判は、ほとんど無価値に近いと思うようになった。書くなら、徹底的に調べ直して、東京裁判が茶番に過ぎなかった理由、経過、その後の影響を書き尽くさねば、ペンキ屋が歴史に下手なペンキを塗るにひとしいことだと考え直した。
 あと何年書く時間を私が持っているかは、全く予想もつかないが、書ける時が来たら、日本人のほんとうの不幸の原因、何事もいいかげんに済まして解決したと思いたがる日本人のでたらめさの根柢まで、ペン先が届くかどうかわからないが、試みなければならないと思っている。

 生きていて、少しも愉しくない。それは必ずしも妻を亡くしたからでも、世代の怒りを共にする友人が少ないからでもない。国も同胞の大部分も、大小の悪事をごまますことを正念場と考えているからであり、悪者のみが栄えて権勢を振るい、少数の正直者、善悪の区別を知って悪に加担しない者は、悪者たちの残飯で辛うじて生きているという、情けない、みっともない状態がこの島国全土を蔽っているからである。
 ペンは剣よりも強し、と、昔の賢人が言ったそうだが、果たしてそうか。私の目には、ペンは邪剣に奉仕するに忙しいようである。》

 1982年10月に閉じた結びである。あと一週間で79歳の誕生日になる1995年3月8日、死去。因に五味川と同じく今次大戦に関する題材で、作品を書いている女流作家の澤地久枝は五味川が「戦争と人間」執筆時、資料助手として働いていた人である。

今日の毎日新聞が憲法で保障されている国民の「知る権利」と、それに寄与する「報道の自由」が土台から揺さぶられていて、立法の場での人権擁護法案や、憲法改正手続きを定める国民投票法案に、メディア規制条項を設けるかどうか、一方、司法の場でも、アメリカ企業への課税処分に関する報道を巡り、後に反転したが、東京地裁が下した「取材源の秘匿」を認めないとの判断について、なぜ取材源の秘匿は求められるのか、といったことに対して各界の意見をまとめている。「取材源の秘匿が認められなければ、ちょうちん持ちのような記事が増えかねない」と。

五味川が嘆いた「ペンは邪剣に奉仕するに忙しいようである」は戦前戦後、現在にいたるまでマスメディアの姿勢を言い得て核心を衝いている。「ちょうちん持ちじゃダメ」が貫かれていれば、あれこれ手をかえ品をかえて平和憲法を骨抜きにすることも防ぐことができ、自衛隊の海外派遣は実現していなかっただろう。

いったい「愛国心」って何だろう。
 

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共謀罪同様,国民の知らないところで勝手に法律をつくろうとしている例としては教育基本法がある(ここ←参照)。もちろん,このブログを読んで頂いている方の多くはご存じだとは思いますが,時間が忙しく,本文をチェックしていない方もいると思いますので,念のため,この話題を取り上げます。しかし,国民不在の議論としては本当に典型例(ばかりという感じもするが…)だ。 現在の教育基本法(ここ←)に書いてある教... [続きを読む]

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