サッカーにメディア大騒ぎ
昨日・今日、メディアのサッカーに関する報道は過熱過ぎた。テレビは選抜の段階でのジーコの一言一言に反応する選ばれる側の男たちの悲喜こもごも、その後のニュース番組でながす報道は、昨日の夜から明けて今朝のテレビも新聞も、その過熱振りはどこのチャンネルでも異口同音の語り口だ。
振り返って、大活躍した野球の世界戦、メンバーがいつ決められたのか、どれだけの人数だったのか、詳しい報道はなかったように記憶する。話題になったのは、海の向こうの日本人選手の誰が加わるのか、なぜ一人だけの参加になったのか、ああ、彼こそ本当に日本を愛していたのか。ぐらいのことだった。その結果が最後まで残って世界で一番強いことになってしまった。するとどうだろう・・・後は言わずもがなのことだ。
今朝の毎日新聞、30ページの紙面づくりに8ページもの紙面を割いた。トップの一面はカラー写真で全員の顔写真。うしろのページではご丁寧に全選手の競技中のスナップのカラー写真まで載せる親切さだ。或いは選に洩れた実力者と、その怪我で救い上げられた選手との2枚のクローズアップ。‘日本が大好き’という監督の「国のため一丸」が大書され、教育基本法改正案の“愛国心”の後押し宜しく抜かりない。
反面、今まで国技として認識していた外国人横綱の休場の大相撲は、毎日の勝負が行われていても、ちっぽけな写真の一枚もなく、片隅に追いやれれた取扱いで寂しい限りだ。そう言えば現在では国技に名前が上がるのは、必ずしも相撲が一番とは限らずに、野球であったり、サッカーであったり、柔道であったりの、何でもいい、といったものになったようだ。確かに日本人以上に耐えることのできる人間が、家族のために、との高見山(その前には力道山もいたが)などハワイから始まった外国人力士の加入が目立ち始め、その逆に、豊かになった日本の少年、青年たちは、苦しみに耐えることを嫌がって、厳しい稽古から逃げ出した。勢い外国人力士に頼る傾向が生まれてきた。
勢いの落ち目の相撲や野球にマスコミは冷たくなって行った。新興勢力のサッカーに飛びつき、紙面の記事に対する取扱いにも微妙な変化が起こった。野球に対しては海の向こうに脱出して行った人間を、衛生放送のネットワークまで使って連日追い掛け、国内のリーグの取扱いを軽んじた。ただ一球団、驕り続けたチームにもはっきりと翳りが見え始め、テレビ視聴率も最低を記録し続けた。ますます日本の野球は輪を掛けて凋落の道に陥った。そこにちょうど救いの世界戦だった。勝って初代のチャンピオンで終わった。ここでもマスコミはバカ騒ぎで紙面を拵えた。曰く「野球がベースボールに勝った」などと。相撲の世界ははちょっと深刻だ。しばらく日本人横綱がいない。先の横綱のうち2人が家族問題で醜い姿を曝し、1人は格闘技の世界に入って見苦しいほどの無惨な姿を曝し、相撲界に泥を塗っている。人気の高かった横綱たちだけに相撲界の受けた打撃は大きかろうと思う。
今回のサッカー騒動、野球のような成績が出せなかった時、参加したことに意義があった、で終わるのだろうか。マスメディアは何と書くだろう。それに何かにつけてテレビでも新聞でも使用することば、『日本中』が見守ったという昨日の発表、私にはどうでもよいことだった。日本人の何パーセントを指して『日本中』というんだろう。
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